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「これでだいじょうぶ」

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「あっ、出てきたよ!」
「そうか……良かった、良かったあ……良かった」
 夫は心配のあまり涙ぐんでいる。

 ジョアンナはハンカチで自分の涙を拭うと、夫に渡してやった。
「はあ、まったく、よかったよ……子供ってのは、すーぐ友達になっちまうんだから……」

 急に家に飛び込んでいったのは驚いたが、小さな子ども同士のこと、こんなこともあるだろう。
 とはいえあと少し出てこなければ、何があろうと突入する心づもりでいた。ついてきているのがバレるとかそんなことを言っている場合ではない。

「あれ? ずいぶん喜ばれてるね」
「そうだなあ? やっぱり迷子だったのかな」
 家の前でメリルは母子に手を握られ、繰り返し頭を下げられている。

「それにしちゃ、一直線に向かったけどねえ」
「家出したところをメリルに説得されて帰宅した、とか」
「あはは、そのくらいの深刻さに見えるね」

 ともあれメリルは無事、おつかいに舵を戻したようだ。母子に手を振って、急ぎ足で元の道に戻ろうとしている。
「あんた、メリルを頼むよ。ちょっと聞いてくる」
「任せなさい!」

 なんか嬉しそうな夫に不安を感じつつも、ジョアンナは母子のところへ向かった。
「あの、すみません。何かあったんですか?」
 声をかけると女の子は驚いたようで、母親の影に隠れた。しかしふと、なんだか嬉しそうに笑って足に抱きついている。

「さきほど、神様がいらしたのです」
「は?」
 母親の言葉に、ジョアンナは思わず聞き返した。

「ええと……」
 それから焦った。もしや聖女メリルの顔は、この国でも知られているのだろうか?
 だとしたら、とてもまずい。

「さっきの子が……?」
「ええ、あの、」
「レジー! 元気になったのかい!」

 母親の言葉を遮るように、知人らしき女性が声をかけてきた。
 どうやらレジーという名らしい母親はぱっと笑って「ご心配をおかけして」「今度一緒に買い物に」などと盛り上がってしまった。
 となれば部外者が声をかけられる状況ではない。

(気になるけど……メリルのそばにいたほうが良いね)
 もし顔が知られているのなら、それこそ良く見ておかなければ。ジョアンナは急いでメリルと夫の元へ向かった。




「にんじん2本、ムニ……どり……?」
 メリルは歩きながら不安になっていた。
「ムニどりは……何本……?」

 わからない。
 思い出そうと頑張るのだけれど、どうしてもそこが記憶にない。母の言葉は「ムニ鳥」で終わっている。

「う、うう……ううん……」
 悩みながらもメリルは市場に向かう。いよいよ人が多くなってきて、ぼうっとしているとどこかわからない場所に連れて行かれそうだ。
「ムニどり……2本……?」
 そうかもしれない。
 にんじんが2本なのだから、ムニ鳥だって2本だろう。

「うわああああん!」
 ふいに人混みの間から男児の泣き声が聞こえた。
 人々は一瞬動きを止めたようだったが、気にせずにそのまま流れ続ける。人の多い町では子供の泣き声など良くあることなのだろう。

「と、とろとろしてっからだよ! バーカ!」
「赤ちゃんかよ!」
「ああああああ!」
「おい泣くなよ! くそ……っ!」

 とろくさいとはメリルがよく言われることだ。
 なんとなく他人事に思えず、メリルは人の流れに惑わされながらそちらに向かった。

 男の子が地面に座り込んで泣いている。
 世の絶望を煮詰めたように泣いている。空を見上げ、周りの人々のこともさっぱり目に入らなくなったようだ。

「あ……けが……」
 腕から血が流れている。メリルがさきほどこけて擦りむいたよりひどい、小さな子どもの目線では、なかなかの大怪我に見えた。
「たいへん」
 メリルの頭は、助けなければという考えでいっぱいになる。

 幸いなことに回復薬がかばんに入っている。子供の手にも持てる小さな瓶は、一本であの程度の怪我はきれいに治してくれるはずだ。
 膝を擦りむいた時に使わなくてよかった。
(なんか、なおったんだよね)
 触ったら治った。

「どうしたの」
「えっ」
「誰だ、おまえ?」

 怪我した男の子のそばに、二人の男の子がいる。彼らはメリルを不審そうに見て、逃げたそうにした。
「けが、してる」
「そ、それは……」
「俺らは悪くねえよ! ちょ、ちょっと押しただけだろ! ……ちょっとは悪かったけど! けど!」

 そんなことより、目の前でとにかく男の子は怪我をしているのだ。
 メリルはかばんから回復薬を取り出した。聖女の力ではなく、回復薬を使えば別に怒られたりしないだろう。
「……あれ?」
 なぜか、薬の様子がいつもと違う。

 回復薬はいつも太陽の色をしている。ほのかに蛍光して見えるほど、いかにも効果のありそうな液体なのだ。
 しかしこれを光にすかしてみると、なんだか黒ずんで見える。
(きげんぎれ?)
 回復薬には使用期限がある。ある日突然使えなくなるというより、一日一日、その効能が減っていくという具合だ。

 このかばんは着替える時に持たされたものなので、メリルは回復薬がいつから入っていたのか知らない。
「そっかあ……」
 きっと長いこと入っていて、期限が切れていたのだろう。
「こまったな」
「おい、なんだよおまえ、あっち行けよ」

「うーん」
 回復薬が使えない。
 どうすればいいのだろう。どうして使えないのだろう。

 使えればいいのに。

「あれ?」
 よく見ると、きらきら金色に輝いていた。メリルは「なーんだ」見間違いだったのかと、回復薬を男の子の腕にぶっかけた。
「ふえっ!?」
「うん。これでだいじょうぶ」

 メリルはにこりと笑って、急いでその場をあとにした。またたくさん感謝されてしまったら困る。
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