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中編
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「申し訳ねっす、いつもなら裏口を叩けばすぐ出てくれるんですが、今日はいくら叩いても出てこないもんで、つい大声を。すみません、すみません」
彼は俺よりも腰が低い。
まあ、そりゃそうだろう。御用聞きが貴族の私室に招かれるなど、生きた心地がしないに違いない。
「いやこちらこそすみません、ひとつお伺いしたいことがありまして、いつもあなたの相手をしていたメイドがいたと思うんですが……」
「いつものメイドさん? アンちゃんのこと?」
「ぶ、無礼な! 貴様っ、私のアンを気安く、」
「ひぃっ!? すみませんすみません、た、ただのメイドだと思って、普通の、普通の呼び方なんです、あっしらには……っ!」
「そうですなあ、申し訳ないことです子爵、我々はどうにも品がなく、尊き方々にはご不快と思われますが、悪気はないのです、寛大な心で、どうかお許しを、なにぶん、生きるに必死な、脳のない身の上でして……」
つらつらと適当な援護射撃をすると、子爵は鼻を鳴らして「二度は許さん」と言った。
俺はまたつらつらと子爵の寛容さを褒め称えた。
「……まったく、ありがたいことでございます。……で、その、アン、様はどのようなお方でしたか?」
「ア、アン様は……そのう……お優しい方で……」
「着ているものなどは?」
「それは……学のない身では、後ろの方々と同じに見えました!」
ちらちらと子爵を見ながら彼は言った。後ろの方々とはメイドのことだろう。メイド、という言葉も使っていいか怯えているようだ。
「アン様のご衣装は、皆様方と同じものですか?」
二人のメイドに聞くと、揃ってうなずいた。
「ああそうだ、アンはそこな者共と同じ格好。比べ物にならぬほど輝いていたがな! もっと着飾らせれば貴族の女にも引けを取らない美しさだっただろう! その女ごときが嫉妬したところで足元にも及ぶまい」
子爵は興奮したあとで夫人を睨みつけている。夫人は呆れた顔を崩さず、首を振ってため息を付いた。
「お美しい方だったと」
「は、はあ……。あの、アン様はメイドキャップを目深にかぶって、前髪もおろしておりましたので、お顔はあまり……」
「そうだ! アンは慎み深いのだ! あの美しさを有象無象に見せては、いらぬ危険に巻き込まれていただろう。いや、今まで無事でいた事こそが奇跡、運命の導きだ」
「……なるほどなるほど」
メイドが俺に何か訴えようとしているのがわかった。俺が視線を向けると、ちら、ちら、と今度は夫人に視線を流している。
そして夫人はクローゼットの方を見た。
「失礼、そちらを拝見しても?」
「ああ? 好きにするがいい」
子爵は興味がなさそうだ。一応は貴族の部屋として整えられたここは、しかし調度品などがあまりにも地味だ。
恐らくそうだろうと感じていたが、夫人の部屋なのだろう。
ドレスがぎっしり入っているとは思えない、小さなクローゼットを開いた。
「これは……?」
はたしてそこに、紺と白のお仕着せがあった。
「アン! あああ、アン……!」
「おおっと」
いきなり声をあげた子爵に突き飛ばされてしまった。
子爵はクローゼットの中のメイド服を、それが本人であるかのように抱きしめ、頬を擦り寄せている。ああ、ああ、と感極まった声、大事な相手を思う慟哭であるのに、俺は感動よりずっと冷めた気持ちになった。
相手が愛人だからだろうか。
なんとなく、うっすらと真相が見えてきたからだろうか。
「……夫人、使用人のお仕着せの管理はあなたが?」
まあ、ともかく子爵は一人で盛り上がっているようなので、声を低めて聞いた。夫人は首を振って「そうではないのです」と言う。
しかし続きが話される前に、子爵が声をあげた。
「やはりお前か! この、卑劣な醜女めっ!」
「ああちょっと……!」
目の前で夫人が殴られそうになったので、とっさに割って入った。
「……!」
正直、貴族の男の拳など大したものではない。しかしそう気づかれるわけにもいかないので、打たれると同時に顔を勢いよくそむけて見せた。衝撃を殺す役にも立つ。というほど、とにかう大した拳ではないのだが。
「あいたたた……」
「こ、これでわかっただろう! 邪魔をするな。その女がアンをさらい、非情にも剥ぎ取った衣服をここに隠したのだ。アン、今、いったい、ああ、どうか無事で……」
人を殴ったことがあまりないのか、子爵は少し動揺しているようだ。それでも夫人が全て悪いのだとばかりに睨みつけている。
俺は曖昧な相槌をうち、クローゼットの中を見た。メイド服は二枚ある。洗い替えだ。
「……子爵、ひとつ考えがありましてね、もしかするとアンさんはまだこのあたりにいるかもしれません。見つけ出すとお約束するので、夫人と二人きりにしていただけんでしょうか?」
彼は俺よりも腰が低い。
まあ、そりゃそうだろう。御用聞きが貴族の私室に招かれるなど、生きた心地がしないに違いない。
「いやこちらこそすみません、ひとつお伺いしたいことがありまして、いつもあなたの相手をしていたメイドがいたと思うんですが……」
「いつものメイドさん? アンちゃんのこと?」
「ぶ、無礼な! 貴様っ、私のアンを気安く、」
「ひぃっ!? すみませんすみません、た、ただのメイドだと思って、普通の、普通の呼び方なんです、あっしらには……っ!」
「そうですなあ、申し訳ないことです子爵、我々はどうにも品がなく、尊き方々にはご不快と思われますが、悪気はないのです、寛大な心で、どうかお許しを、なにぶん、生きるに必死な、脳のない身の上でして……」
つらつらと適当な援護射撃をすると、子爵は鼻を鳴らして「二度は許さん」と言った。
俺はまたつらつらと子爵の寛容さを褒め称えた。
「……まったく、ありがたいことでございます。……で、その、アン、様はどのようなお方でしたか?」
「ア、アン様は……そのう……お優しい方で……」
「着ているものなどは?」
「それは……学のない身では、後ろの方々と同じに見えました!」
ちらちらと子爵を見ながら彼は言った。後ろの方々とはメイドのことだろう。メイド、という言葉も使っていいか怯えているようだ。
「アン様のご衣装は、皆様方と同じものですか?」
二人のメイドに聞くと、揃ってうなずいた。
「ああそうだ、アンはそこな者共と同じ格好。比べ物にならぬほど輝いていたがな! もっと着飾らせれば貴族の女にも引けを取らない美しさだっただろう! その女ごときが嫉妬したところで足元にも及ぶまい」
子爵は興奮したあとで夫人を睨みつけている。夫人は呆れた顔を崩さず、首を振ってため息を付いた。
「お美しい方だったと」
「は、はあ……。あの、アン様はメイドキャップを目深にかぶって、前髪もおろしておりましたので、お顔はあまり……」
「そうだ! アンは慎み深いのだ! あの美しさを有象無象に見せては、いらぬ危険に巻き込まれていただろう。いや、今まで無事でいた事こそが奇跡、運命の導きだ」
「……なるほどなるほど」
メイドが俺に何か訴えようとしているのがわかった。俺が視線を向けると、ちら、ちら、と今度は夫人に視線を流している。
そして夫人はクローゼットの方を見た。
「失礼、そちらを拝見しても?」
「ああ? 好きにするがいい」
子爵は興味がなさそうだ。一応は貴族の部屋として整えられたここは、しかし調度品などがあまりにも地味だ。
恐らくそうだろうと感じていたが、夫人の部屋なのだろう。
ドレスがぎっしり入っているとは思えない、小さなクローゼットを開いた。
「これは……?」
はたしてそこに、紺と白のお仕着せがあった。
「アン! あああ、アン……!」
「おおっと」
いきなり声をあげた子爵に突き飛ばされてしまった。
子爵はクローゼットの中のメイド服を、それが本人であるかのように抱きしめ、頬を擦り寄せている。ああ、ああ、と感極まった声、大事な相手を思う慟哭であるのに、俺は感動よりずっと冷めた気持ちになった。
相手が愛人だからだろうか。
なんとなく、うっすらと真相が見えてきたからだろうか。
「……夫人、使用人のお仕着せの管理はあなたが?」
まあ、ともかく子爵は一人で盛り上がっているようなので、声を低めて聞いた。夫人は首を振って「そうではないのです」と言う。
しかし続きが話される前に、子爵が声をあげた。
「やはりお前か! この、卑劣な醜女めっ!」
「ああちょっと……!」
目の前で夫人が殴られそうになったので、とっさに割って入った。
「……!」
正直、貴族の男の拳など大したものではない。しかしそう気づかれるわけにもいかないので、打たれると同時に顔を勢いよくそむけて見せた。衝撃を殺す役にも立つ。というほど、とにかう大した拳ではないのだが。
「あいたたた……」
「こ、これでわかっただろう! 邪魔をするな。その女がアンをさらい、非情にも剥ぎ取った衣服をここに隠したのだ。アン、今、いったい、ああ、どうか無事で……」
人を殴ったことがあまりないのか、子爵は少し動揺しているようだ。それでも夫人が全て悪いのだとばかりに睨みつけている。
俺は曖昧な相槌をうち、クローゼットの中を見た。メイド服は二枚ある。洗い替えだ。
「……子爵、ひとつ考えがありましてね、もしかするとアンさんはまだこのあたりにいるかもしれません。見つけ出すとお約束するので、夫人と二人きりにしていただけんでしょうか?」
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