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前編
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「この晴れやかなる日に宣言しよう! フィレイン・ルベール! 俺はおまえとの婚約を破棄し、新たにこの愛らしいミシェと婚約する!」
「なんてこと……」
わたくし呆然と殿下を見上げました。
卒業式のさなか、壇上で胸を張る殿下はキラキラと輝いています。わたくしの大好きな金色の髪、輝く歯、そしてエメラルドの瞳がわたくしを見下ろしています。
ああ、なんて堂々たるさまでしょうか。
(さすが殿下! いったい誰が予想したでしょう? こんな晴れの日に、こんなひどい話をぶつけてくるなんて!)
卒業生もその保護者も、きっと良い気はしていないはず。わたくしには絶対にできないことです。あの場にいることを考えるだけで、身がすくむ思いです。
でも殿下ならできるのです。
そう、自由で強いモルダ殿下なら。
「あ、あの、いったい、なぜなのですか?」
わたくしは震えながら問いかけました。
できるならずっとこの場で見上げていたい。殿下のわたくしを見下す瞳、あまりにも自信に満ち溢れた姿を、蝋人形にして飾っておきたい。
でも、そんなことはできません。
殿下は尊い立場のお方です。それにもしできたとしても、動かない蝋人形では殿下の魅力を全く伝えられないでしょう。
残念です。
でもせめて目に焼き付けて、画家に描いてもらいましょう。
自分で描けたら良いのですけれど、わたくしは王子妃教育と、殿下に頼まれた仕事が忙しく……あら?
婚約がなくなったなら、そのどちらもなくなるのでしょうか。
でしたらわたくし、のんびり絵画などできるのでしょうか。楽しみです。手芸もしたいです。殿下のぬいぐるみや人形、殿下のイメージアクセサリなどを製造して日々を過ごす……なんて薔薇色の日々なのでしょう。
「聞いているのか!」
「あっ、も、もうしわけありません! 殿下があまりにお美しいのでみとれておりました……」
なんてことでしょう、夢想するあまりに殿下のお言葉を聞き逃すだなんて!
ああ、わたくしの脳はどうしてこうもガラクタなのでしょうか。殿下のことを考えて、殿下のお言葉を聞き逃しては、本末転倒も良いところです。
いまは殿下のお言葉、殿下の呼吸のひとつひとつ、殿下の心臓の音までを聞き逃さずにいなければ。
けれどわたくしがポンコツなために、殿下のお話を聞く時間が長くなりました。
これは良いことです。
殿下はお声もよく通るのです。周囲の人のことなど一切考えず、ご自分の思いの丈をぶつける声です。これほど好き勝手していられる人がどこにいるでしょうか。
「ふんっ、おまえのおべっかなど聞き飽きた。俺が美しいのは当たり前だ。そんな言葉で騙せると思うな」
「そんな、騙すだなんて……」
「おまえの目的は王家を乗っ取ることだろう!」
「えっ?」
「俺がするべき仕事を奪い、俺が得るべき評判を奪い、そして父や母に取り入っていること、この俺が気づかないとでも思ったかっ!」
「な、な……っ」
なんて飛躍したお考えでしょう!
全く現実的ではありません。乗っ取るも何もわたくしは王家に入る予定ですし、何より殿下はご自分が仕事をわたくしに押し付けたことを、すっかりお忘れのようです。
陛下と王妃殿下のこともそうです。説教を聞くのが嫌だからと、わたくしに相手をするよう申し付けてきたのですが……。
覚えていないということは、殿下はまったく、かけらも罪悪感をお持ちでなかったのですね。
感嘆のため息がこぼれます。
わたくしにはとても真似できない強いお心です。使用人にちょっとした頼み事をするにも、横柄な言い方になっていないか、気にしてしまうわたくしなのです。
「貴様のような卑劣な女に好きにはさせない。このミシェこそは真に俺を思い、支えてくれる者だ」
「モルダ様……」
「おおミシェ、そんな不安そうな顔をするな。おまえに難しいことは望んでいない。ただ俺を信じ、俺についてくればいい。いくら優秀でもフィレインのような強欲な女ではなく、謙虚なおまえが必要なのだ」
「わ、わたし、頑張ります!」
「皆! ミシェは男爵令嬢だが、この俺を支える唯一の女だ。ミシェに悪意を向けるものは決して許さない」
「男爵令嬢!?」
わたくしは驚きました。
王族が高位貴族としか結婚できないわけではありません。しかし結婚相手の身分が低ければ、それだけ子供の身分も低いとみなされてしまいます。
自分の子にあとを継がせたいのであれば、高位貴族と結婚するのが普通なのです。
殿下の子供が跡を継げない、つまりは、王になれない。
子供が王になれないのに、その親をわざわざ王に推す貴族はいません。
そもそもわたくしの家が殿下の後押しをやめるでしょうから、婚約破棄だけでも難しい立場になると思うのですが、次の婚約者が男爵令嬢だなんて。
「ミシェは才能にあふれ、優しさを持ち、そしてこの俺への純真な愛を持っている。男爵家の生まれであることなど関係ない!」
モルダ殿下はわたくしを睨みながらそう言いました。
ああ、なんて力強い目、欲望にあふれた目でしょうか。矮小なわたくしなど消えてしまいそうな輝きです。
わかりました。
つまり殿下は愛に生きるというのですね。
余人にできぬ茨の道を行くのですね。
「殿下のお覚悟、しっかりとこの目に焼き付けさせていただきました。婚約破棄を了承いたします。どうぞ思うままに、殿下の道をお進みください」
わたくしはうっとりと殿下を見上げながら言いました。
本来なら顔を伏せるべきかもしれません。しかし、どうしても最後はしっかりと、殿下のお顔を見ていたかったのです。
「お、おう……」
殿下に気味悪そうな顔をされてしまいました。
婚約がなくなったことに悲しさはありません。
いずれこうなるとわかっておりました。自由奔放な殿下に、わたくしはついていくことができません。
見つめればぼうっとして、声を聞けば夢心地なわたくしが、殿下と結婚など死んでしまいます。死んでしまいます。今もそろそろ息が苦しいです。
初恋は叶わぬものと言いますし、推しは遠くから推せと申します。殿下の輝きをこれからはそっと見守らせていただきましょう。
「なんてこと……」
わたくし呆然と殿下を見上げました。
卒業式のさなか、壇上で胸を張る殿下はキラキラと輝いています。わたくしの大好きな金色の髪、輝く歯、そしてエメラルドの瞳がわたくしを見下ろしています。
ああ、なんて堂々たるさまでしょうか。
(さすが殿下! いったい誰が予想したでしょう? こんな晴れの日に、こんなひどい話をぶつけてくるなんて!)
卒業生もその保護者も、きっと良い気はしていないはず。わたくしには絶対にできないことです。あの場にいることを考えるだけで、身がすくむ思いです。
でも殿下ならできるのです。
そう、自由で強いモルダ殿下なら。
「あ、あの、いったい、なぜなのですか?」
わたくしは震えながら問いかけました。
できるならずっとこの場で見上げていたい。殿下のわたくしを見下す瞳、あまりにも自信に満ち溢れた姿を、蝋人形にして飾っておきたい。
でも、そんなことはできません。
殿下は尊い立場のお方です。それにもしできたとしても、動かない蝋人形では殿下の魅力を全く伝えられないでしょう。
残念です。
でもせめて目に焼き付けて、画家に描いてもらいましょう。
自分で描けたら良いのですけれど、わたくしは王子妃教育と、殿下に頼まれた仕事が忙しく……あら?
婚約がなくなったなら、そのどちらもなくなるのでしょうか。
でしたらわたくし、のんびり絵画などできるのでしょうか。楽しみです。手芸もしたいです。殿下のぬいぐるみや人形、殿下のイメージアクセサリなどを製造して日々を過ごす……なんて薔薇色の日々なのでしょう。
「聞いているのか!」
「あっ、も、もうしわけありません! 殿下があまりにお美しいのでみとれておりました……」
なんてことでしょう、夢想するあまりに殿下のお言葉を聞き逃すだなんて!
ああ、わたくしの脳はどうしてこうもガラクタなのでしょうか。殿下のことを考えて、殿下のお言葉を聞き逃しては、本末転倒も良いところです。
いまは殿下のお言葉、殿下の呼吸のひとつひとつ、殿下の心臓の音までを聞き逃さずにいなければ。
けれどわたくしがポンコツなために、殿下のお話を聞く時間が長くなりました。
これは良いことです。
殿下はお声もよく通るのです。周囲の人のことなど一切考えず、ご自分の思いの丈をぶつける声です。これほど好き勝手していられる人がどこにいるでしょうか。
「ふんっ、おまえのおべっかなど聞き飽きた。俺が美しいのは当たり前だ。そんな言葉で騙せると思うな」
「そんな、騙すだなんて……」
「おまえの目的は王家を乗っ取ることだろう!」
「えっ?」
「俺がするべき仕事を奪い、俺が得るべき評判を奪い、そして父や母に取り入っていること、この俺が気づかないとでも思ったかっ!」
「な、な……っ」
なんて飛躍したお考えでしょう!
全く現実的ではありません。乗っ取るも何もわたくしは王家に入る予定ですし、何より殿下はご自分が仕事をわたくしに押し付けたことを、すっかりお忘れのようです。
陛下と王妃殿下のこともそうです。説教を聞くのが嫌だからと、わたくしに相手をするよう申し付けてきたのですが……。
覚えていないということは、殿下はまったく、かけらも罪悪感をお持ちでなかったのですね。
感嘆のため息がこぼれます。
わたくしにはとても真似できない強いお心です。使用人にちょっとした頼み事をするにも、横柄な言い方になっていないか、気にしてしまうわたくしなのです。
「貴様のような卑劣な女に好きにはさせない。このミシェこそは真に俺を思い、支えてくれる者だ」
「モルダ様……」
「おおミシェ、そんな不安そうな顔をするな。おまえに難しいことは望んでいない。ただ俺を信じ、俺についてくればいい。いくら優秀でもフィレインのような強欲な女ではなく、謙虚なおまえが必要なのだ」
「わ、わたし、頑張ります!」
「皆! ミシェは男爵令嬢だが、この俺を支える唯一の女だ。ミシェに悪意を向けるものは決して許さない」
「男爵令嬢!?」
わたくしは驚きました。
王族が高位貴族としか結婚できないわけではありません。しかし結婚相手の身分が低ければ、それだけ子供の身分も低いとみなされてしまいます。
自分の子にあとを継がせたいのであれば、高位貴族と結婚するのが普通なのです。
殿下の子供が跡を継げない、つまりは、王になれない。
子供が王になれないのに、その親をわざわざ王に推す貴族はいません。
そもそもわたくしの家が殿下の後押しをやめるでしょうから、婚約破棄だけでも難しい立場になると思うのですが、次の婚約者が男爵令嬢だなんて。
「ミシェは才能にあふれ、優しさを持ち、そしてこの俺への純真な愛を持っている。男爵家の生まれであることなど関係ない!」
モルダ殿下はわたくしを睨みながらそう言いました。
ああ、なんて力強い目、欲望にあふれた目でしょうか。矮小なわたくしなど消えてしまいそうな輝きです。
わかりました。
つまり殿下は愛に生きるというのですね。
余人にできぬ茨の道を行くのですね。
「殿下のお覚悟、しっかりとこの目に焼き付けさせていただきました。婚約破棄を了承いたします。どうぞ思うままに、殿下の道をお進みください」
わたくしはうっとりと殿下を見上げながら言いました。
本来なら顔を伏せるべきかもしれません。しかし、どうしても最後はしっかりと、殿下のお顔を見ていたかったのです。
「お、おう……」
殿下に気味悪そうな顔をされてしまいました。
婚約がなくなったことに悲しさはありません。
いずれこうなるとわかっておりました。自由奔放な殿下に、わたくしはついていくことができません。
見つめればぼうっとして、声を聞けば夢心地なわたくしが、殿下と結婚など死んでしまいます。死んでしまいます。今もそろそろ息が苦しいです。
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