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私は本物の聖女ですが、本当に処刑するんですか?

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 雷鳴が轟く。
「っ……元聖女フィア、そなたの罪は明白である」
 処刑台の前でのたまう、彼は枢機卿だ。本来なら神の御使いであるフィアを支える立場のものだが、今は彼女を断罪している。

「神の力をその身に受けておきながら、王家を……っ、惑わし、悪の申し子共におもねろうとした」
 彼の言葉は雷鳴のたびに途切れ、震えた。
 青ざめた頬が照らされ、フィアは意外に思った。彼は枢機卿という立場にいながら、神を信じてなどいないのだろうと思っていた。
 神を信じていながら、癒やしの力を持つフィアから、聖女の称号を剥奪したのだろうか。
 ましてや何の力も持たない貴族の娘に、真なる聖女と名乗らせたのだろうか。

(わからない)
 親から愛を受けずに育ったせいか、あるいは神の力がそうさせるのか、フィアには人々の泥のような感情が理解できない。
 フィアを育ててくれた愛とは、人々の気まぐれな優しさ、少しの親切、そういったものだ。ゆえにフィアの愛もまた、神のもののように薄く、広い。

「元聖女フィアが神の意に背いたことは、聖女としての力を失ったことから明白である」
「いいえ、私は力を失っていません」
 今も、目の前に傷ついた者がいれば、その者を癒やすだろう。
「……フィア様、もうそのような嘘はおやめください。あなたはもう二度と、神の愛を得ることはできないでしょう!」
 雷鳴の響く処刑場に、たおやかな娘が現れた。
 聖女ミシェル・イル・ローゼアナ。そう呼ばれているものだ。
 歴代の聖女と同じく貴族の生まれで、癒やしの力を持っている、と言われている。

「きゃっ」
 雷鳴とともに襲った風に、ミシェルがよろめいた。
「ミシェル、気をつけて」
「ええ、王子。ありがとうございます。ですが……」
「いや。君はこの国の聖女であり、なにより私の婚約者だ。私が守るべきものだ」
「王子……」

 フィアは彼女に神の力を感じたことはなかったし、この程度の風によろめく足では、傷ついた者のいる場所へ駆けつけるのも難しいと思う。

「罪を認めろ、元聖女フィア。いや、神の裏切り者」
「いいえ」
 フィアは静かに答えた。
「神は確かに私に告げられました。我が国の者も、イス国の者も、かわらず神の子であると」
 だから互いに殺しあうことなどあってはならない。
 フィアはそう伝え続けた。人々に、そして、人々を導く王子に。しかし王子はフィアに妻になるようにと言い、フィアが断ると、教会に与えられた聖女の称号は剥奪された。
 おりしもイス国が他国に攻め入られ、この機に乗じて加勢しようという機運が高まっていた。

「売国奴!」
 雷鳴のとどろきさえも押しのけて、罵声が上がった。
 処刑場を囲む人々の中から、次々に続く。
「偽聖女! 騙しやがって……」
「売女!」
「このっ、悪魔の手先め!」
 ひとりの若者が石を持ち、フィアに投げつけた。それはフィアの足元に落ちただけだったが、人々は競って石を投げ始めた。

「ミシェル、こちらへ!」
「はい!」
 ふたりは安全な位置からフィアを見、笑った。
「これがおまえのやってきたことの結果だ! おまえほど愚かな女はいるまい。おまえのような塵から生まれた女に、神が寵愛をくださったというのに!」
「フィア様、どうか、悔い改めてください。神は……見ていらっしゃいます!」
 華奢な少女がそう叫んだとたん、空が割れるような雷鳴が響いた。
「きゃあっ」
「はは、ははは! 神もお怒りだ、フィア!」

「悪魔を殺せ!」
「殺せ!」
 強靭な男の投げた石が、フィアの額に当たり、血を流した。
 わあっと歓声があがる。

 雷鳴。

「ひっ……!」
 あまりの轟音にその場の者たちが伏せ、あるいは気を失い倒れた。
「な、な……」
「あ、悪魔の力だ!」
 石を投げた男は雷の直撃を受け、白目を剥き、もはや命がないことは明らかだった。

 騒然とする民衆を一瞥し、フィアは息を吐いた。
 癒やし続けた民衆に石を投げられたことも、神の怒りが降りたことも、もはやフィアにはどうでもよかった。
 もう、疲れてしまったのだ。
 神から与えられた仕事が、フィアの心を支えてきた。だがこうしてみれば、フィアにはその荷は重かったのだろう。誰の心も動かすことはできなかったのだ。

「か、神がお怒りだぞ、フィア! あの雷は次こそおまえを撃つだろう!」
 喚く王子の隣でミシェルが青ざめ、ぱくぱくと口を動かしている。
 枢機卿は腰を抜かしている。
 本当に神が自分の命を求めるならば、フィアはその御心に従うだろう。役目を果たせなかったのだから。

「せ……聖女、フィア……」
「もう、時間でしょう」
 処刑人も、その補佐も処刑具を放り出し、ひたすら首を振っている。平伏して地に頭を擦り付けているものもいた。
「……覚悟がないのですね、あなた方には」
 フィアにはあった。ないはずがない。平民が貴族の中に入り、聖女と呼ばれていたのだ。いつでも無礼討ちにされる覚悟があった。
 死ぬのは怖くはない。
「お、お許し……お許しを……」
 雷鳴はやまない。
 あちこちから許しを求める声が響く。

「なんと情けないことだ! 私の命令、ひいては王の命令だぞ!」
 王子が声をあげるが、決してこちらに近づいては来ない。
「偽聖女を処刑せよ!」
「お、おやめください王子、この……この天の怒りが、見えぬのですか……!」
「ああ、怒っているだろう! 急ぎこの悪魔を処刑せよとな!」
「ばかな……」

 雷鳴が鳴る。
 また、処刑場の近くに落ちたようだ。

「いやぁあっ!」
 王子の隣でミシェルが、耐えきれなくなったようにうずくまった。ぶるぶると震え、彼女を彩る美しい衣が泥に塗れた。それも構わず、金糸のような髪さえ地に打ち捨てる。
「許して、許してください、フィア様、わたしは、命じられただけで……、こ、こんな」
「ちっ。狂ったか」
「きゃあっ!」
 うずくまるミシェルの背を王子が蹴りつけた。
「失せろ! 聖女などいらん! 王とはかつて神に命じられたもの! 俺こそが神威そのものだ!」

「王子」
「……なんだ!」
 フィアは問いかけた。
「どうしてそんなに震えているのですか?」
「……戯言を! 処刑人! 仕事をせよ。貴様の家はその汚らわしい仕事で生きながらえているのだ。なにをしている!」
「どうしてこちらに来ないのですか?」
「貴様のような下賤のものに……」
「処刑人はもう役に立たないようですよ。あなたがこちらに来て、私を斬り捨てればよいではありませんか」
「……」

 雷鳴。

 金に照らされた王子の顔はこわばっている。唇は引きつりながら、なんとか強気を作っていた。
「怖いですか?」
「……!」
「恐ろしいのですか?」
「……っ」
「神の意があなたになければ、あなたはただの」
「……だ、黙れ!」
「癇癪持ちの子供ではないですか」
「…………待っていろ」

 雷鳴、雷鳴。

「お急ぎください。……世界が滅んでしまう前に」
 ざん、と音を立てて雨が落ちてきた。王子の震える足は滑りかけ、踏みとどまって、なかなか先に進めない。
「お早く」
「そ、そこを……動くな……」
「動きませんよ」
 王子の歩みは遅々として進まない。
 雨は王子に、ひれ伏した人々に降りかかるが、フィアだけは冷たさを感じていなかった。暖かい神の力を肌に感じていた。
(まだ私にお役目があるのですか?)
 それとも役目を終えようとしているフィアへ、最後の温情だろうか。

「ぐあっ」
 泥に足をとられて王子が倒れた。
 もはや処刑場は水浸しで、まだ震えているミシェルなど溺れてしまいそうだった。
「さあ、お早く」
 本当にこの国は、このまま押し流されてしまうのかもしれなかった。もはやフィアはそれにさえ何も思わない。
「うるさい……黙れ……、悪魔め……私は王子だぞ。このような穢れに負けるはずがない……」
「なんでもよいですけれど」

 落雷、落雷、落雷。
 処刑場の周囲に三つ、美しい柱が出来上がった。
「ひっ」
 王子が頭を抱えてうずくまったが、しばらくすると顔をあげて立ち上がった。
「ねえ、震えていますよ」
「……」
 うるさい、と王子の唇が動いた。声にならないのだろう。
「そんなに泣いて」
「な、ないて……などぉ……っ」
 声が出ていない。

「まっていろ、あくまめ……この俺が、闇に、返し……」
「ええ」
「神を取り戻すのだ……」
「そうですか」
 近づいてくる。
「がんばって」
 王子が腰の剣を抜いたが、今にもその手から滑り落ちそうだ。
「もう少しですよ」
「ほ、ろびろ……!」
 王子が剣を振り上げ、フィアに振り下ろそうとする。
 素人のフィアでもわかるほどに、なにひとつ斬り捨てられそうにない剣だった。

「……あ」
 フィアは空を見上げた。
 大きな力が来る。
「ひぃいいいいっ!」
 それはゆっくりと落下してきた。
 まばゆく輝く光だ。
「……?」
 雷ではない。
 だが王子は悲鳴をあげて地に伏した。
「いやだ、やだぁ……俺は悪くない、俺は神だ、俺はぁっ……!」
「……」
「死にたくない……!」
「ふ」

 泥水の上をのたうち転がる王子を見て、フィアは笑った。
「あはは!」
 腹を抱えて笑った。
「あははは、ははっ!」
 こんなに笑ったのは初めてだった。
 両親に愛されずに育ち、神に与えられた仕事だけを胸に生きてきた。こんなにも愉快なのは、生まれて初めてだった。

「ふっ、ふふ、ああ……」
 フィアは温かい光に包まれた。
「……迎えに来てくださったのですか? ありがとうございます。でも……もう少しがんばってみます。……どうやら私も、醜い人間のようですから」
 フィアはゆっくりと息を吐き、微笑んで、愚かな同胞たちを見下ろした。今なら少しは、彼らのことが理解できる気がしたのだ。
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