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3巻
3-3
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「その掟とやらを守る意味はなんなのでしょうか。私にはモンスターが守り神である理由が分かりません」
「ミクトラン山脈の麓にはいくつもの集落がある。そこに住まう人間達を、山で生まれるモンスター達から守ってくれているのじゃ。その代わり十年に一度、贄を差し出す。それが……ユウナ様だったのじゃ」
賢者ヨルシュ様は苦悶の表情を浮かべながら語ってくれたが、俺には意味が分からなかった。
モンスター達から人間を守るなら、騎士でも冒険者でも村に派遣すればいいだけの話だ。それにそこに住む人達だって対策の取りようがあるだろう。避難するなり防衛策を採るなりすればいいのに。今まで贄になってきた存在もいるはずなのに。彼らも山脈の麓に住まう人達も、それを黙認してきたのか? 俺の心は怒りで煮え滾っていた。
「ユウナ様だったのじゃ……ですか。では今まで死んでいった贄の人達はどうなるんでしょうか? 『鶏竜蛇の呪い』だということも知らずに死んでいったのですよ? 国はそれを黙認してきたということですか?」
「……これまで贄になった者達には心からの謝辞を述べる」
謝辞を述べる。どこの誰かも分からぬ死人にどう謝辞を述べるというのだ。
「でもこれが分かったのであれば、討伐しても問題はないですよね? それに麓に住む人達が心配なのであれば、騎士でも冒険者でも派遣すればいい話ではありませんか」
「それができんのじゃよ。彼らは外から来る者を受け入れん」
「では外から来る者を拒む人達を守るために、ユウナ様が死んでいくのをこのまま眺めていろと?」
「……そうじゃ。ユウナも……王女として責務を全うするのじゃ」
「はい、お父様。ユウナは王女としてフェルデアに身を捧げます」
ユウナ様が笑顔で発した言葉を聞き、皆は咽び泣いた。陛下は泣きながら謝り、ヨルシュ様は涙を堪えるように上を向いた。エドワード公もベッド横へ歩み寄り、ユウナ様の手をそっと握りしめていた。
この部屋の中で俺は一人、泣くことができなかった。
心の奥からこみ上げてくる何かを抑え込むことで精一杯だった。
■
それから一週間が経過した。
あれから俺は四度も王城に足を運んでいる。ユウナ様たっての希望で、俺の冒険話を聞かせて欲しいということだった。陛下もユウナ様の体を蝕んでいる病魔が呪いだとはっきりしたことで、娘が笑顔で過ごせるならと俺との面会を了承した。
ユウナ様がいる部屋の前へ到着した俺は、扉の前に立つ女性騎士に挨拶をする。
「おはようございます、シャルロッテさん。今日もユウナ様に会いに来ました」
「お待ちしておりました、アレク様。ユウナ様、アレク様がいらっしゃいましたよ」
「本当! 待ってたわ! 早くお通しして!」
部屋の中から喜んでいるユウナ様の声が聞こえる。
シャルロッテさんは微笑みながら部屋の扉を開け、俺を中へ通してくれた。部屋の中にはベッドの上で微笑むユウナ様がいた。
「おはようございます、ユウナ様。今日はなんのお話をしましょうか?」
「おはようございます、アレク様! 今日は学園の入学試験を受けたところからですわ!」
そう言って布団をポンポンと叩くユウナ様。
俺はクスリと笑いながら、彼女が座るベッドの横に用意された椅子に腰掛ける。そして先日の続きから話を始めた。面白おかしく楽しくなるように、彼女には見えていないと分かっていても、身振り手振りを含めて伝えていく。アリスとの仲違いは伝えようかどうしようか迷ったが、今は仲直りしているから問題ないと思ってすべてを包み隠さず話した。
「それでようやくアリスと仲直りできたんです」
「大変だったのですね……少し気になったのですが、アレク様はアリスお姉様のことをアリスと呼び捨てになさるのですね」
「一応公式の場ではアリス様と呼ぶようにしているのですが、彼女がアリスと呼べとうるさくてですね。話の流れでアリスと呼んでしまいました。申し訳ありません」
「謝らないでください! 怒っているわけではないのですから。その……アレク様は私とお友達ですよね?」
ユウナ様は布団の上で指を絡ませながら恥ずかしそうにそう呟く。
きっと呪いに体を蝕まれてから、碌に外出もさせてもらえなかったのだろう。友人と呼べる人間も多くはいないはずだ。俺でよければ喜んで彼女の友人になろう。
「ユウナ様がそう思ってくださるのであれば。私は貴方の友になりましょう」
「本当ですか! でしたら……その……私も」
「はい?」
「私もユウナと呼んでもらいたいのです! お友達に名前を呼んでもらったことがなくて」
頬を赤く染め、体を丸めながらポツリと呟くユウナ様。
王女である以上、本当に対等な関係を築くことは不可能かもしれないが、彼女と二人きりの時であれば彼女が望むようにユウナと呼ぼう。
「分かりました。二人きりの時であれば、ユウナと呼ばせていただきます」
「フフフ。も、もう一回呼んでください!」
「ユウナ、これでよろしいですか?」
「ええ! それじゃあアレク、続きを話してくださいな!」
しれっと俺のことを呼び捨てにしたユウナ。
彼女もアリスと同じように友達ができたことを心から喜んでいた。俺のくだらない話に無邪気に笑い、悲しい話には同じ気持ちで涙を流してくれる。こんな優しい子が呪いなんかで死んでいいわけがない。
陛下や賢者ヨルシュ様は「掟」と言ったが、そんなものは壊してしまえばいい。なんなら他の人の命を犠牲にしてまでのうのうと生きている奴らなんか、モンスターにやられてしまえばいいのだ。
ユウナとの談笑を終えた俺はギルドへと向かった。理由は鶏竜蛇について調べるため。
前世の知識であれば、鶏竜蛇とは鶏の頭に竜の翼に蛇の尾を持った化け物だ。その瞳は見る者を石に変え、その吐息は猛毒で人を苦しめ、死に至らしめる。もしその通りであれば毒は対処できたとしても、石化の瞳は流石の俺でもキツイ。いざ挑んでも、死んでしまったでは意味がないのだ。そのためにも調べられるものは調べておきたい。そう思ってギルドの資料室へと向かっているのだ。
それから毎日のようにユウナと談笑したあとはギルドの資料室へと足を運んだが、結局無駄足に終わった。鶏竜蛇についての資料は全くと言っていいほど載ってなく、唯一記載があったのは鶏竜蛇の容姿についてだけだった。それも俺が知っている容姿そのものである。
俺は仕方なく資料を調べることをやめて別の場所へと向かった。そこに行くのは約三ヶ月ぶりだ。
目的の場所へと到着して片膝をつく。そして両手を体の前で握り、目の前にある像に祈りを捧げた。
「久しぶりだねーアレク君! 元気にしてたかな?」
「見てたんだから分かるだろ、アルテナ」
俺に向かって明るく声をかけてきた金髪美少女アルテナ。俺の返事を聞いてニシシと笑みを浮かべている。こいつは、以前あった入学試験前日から今に至るまでの俺のすべてを目にしているんだ。どうせまた笑うに決まってる。
「笑わないよ! フフ。馬車の中で美女二人に言い寄られた時、下腹部を大きくしてたことなんて絶対に笑わないよ!」
「見てたんじゃねーか!! 仕方ねーだろ! あんだけ触れたらそうなるに決まってる!!」
「アハハハ! ごめんごめん。それで、今日は何の用事かな?」
やはりアルテナはクズだ。俺が醜態をさらしているところを見て喜んでいるのだから。だが、今日はそれを無視しても彼女に聞かねばならぬことがある。そもそも不干渉とか言って教えてくれない可能性もあるが、聞いてみなければ分からない。俺がいつになく真剣な表情になったことでアルテナの顔つきが変わった。
俺はアルテナに尋ねた。
「ユウナを救う他の方法を知らないか? あるなら教えて欲しい」
その問いにアルテナは軽く返事をした。
「あるよ!」
アルテナの言葉に俺は歓喜した。これで誰も傷つくことなく彼女を救える。そう思ったのも束の間、アルテナは続けてこう言った。
「あるけど教えられない。今の君がその選択肢を取れば確実に命を落とす。君が死なずに彼女を救いたいのなら鶏竜蛇に挑むしかない。安心しなよ、君なら余裕で倒せるだろうしさ!」
「……確実にか?」
「確実に死ぬ。断言できるよ!」
アルテナの言葉に俺は言葉を失った。この世界のすべてを知っている神が断言している以上、ユウナを救うには鶏竜蛇を殺すしかないらしい。だがそのためにはユウナの了承を得る必要がある。その意思を無視して鶏竜蛇を殺してもきっと彼女は喜ばない。それどころかおそらく俺に怒るだろう。平穏を保ってきた人達の生活を脅かすことになるのだから。
彼らを守るためにユウナを犠牲にすることになるかもしれないが、それでいいのだろうか? 山の麓に住む人達は自分達の命を守るために他人の命を犠牲にしてきたんだぞ。そんな奴らのために彼女が犠牲になっていいはずがない。自分の命を守るために自分で行動しない奴らがいけないんだ。死んだって仕方がない。
俺が鶏竜蛇を殺すための弁明を頭に浮かべていると、俺の心を読んだアルテナが悲しい顔をして俺に語りかけてきた。
「本当にそう思うの?」
「……何が言いたい」
「村に住んでいる人達は死んでも仕方がない、本当にそう思うの?」
「……仕方がないとは言えない。けど彼らだって行動に移せたはずだ。移住したり、冒険者を雇うなり。その選択をせずに他人の命を犠牲にするのはおかしいだろ。陛下だって、娘の命が終わりに向かっているというのに、行動に移そうともしない。そんなの……おかしいだろ」
俺はアルテナの言葉にもっともそうな意見を言った。俺は正しいはずだ。彼らは今まで他人の命を犠牲に自らの生を掴んできた。そんな奴らが報いを受けるのは当然のことじゃないか。
「君は神にでもなったつもりかい?」
俺の心を読んだアルテナが呆れた表情でそう告げる。神になったつもり? 一体なぜそんなことを言われなければいけないんだ。俺は正しいことをしようとしただけだ。
そんな俺に対し、アルテナは怒りをあらわにした。
「正しいこと、ね。君が考えている正しいこととは、他人を犠牲にして生きている人なら犠牲にしてもいいということかな? 彼らの歩んできた歴史も文化も何も知らない君が、少し話を聞きかじった程度の君が、僕の可愛い子供達を殺す。それを神になったつもりと言わずなんと言えばいいのかな? 彼らが自分達の命を犠牲にしたことがないと、なぜ言いきれるんだい? 君はつい先日、命の重さを再確認したと思ったのに。自らの手を血で染め、自分の力を過信したがゆえに冒険者を死に追いやった。まぁそれは君のせいとは言えないが……それでも、こんな短絡的な考えに至るとは思わなかったよ。君が知っていることなんて地面に落ちている砂粒より小さいものなのにさ。それなのに自分の考えが正しいなどと、よく言えたものだ」
俺はアルテナに言い返すことができなかった。
アルテナの言う通り、俺はこの世界に生きる人々の歴史や文化を知らない。本を読んだところで知り得るのは表面上の歴史のみ。ユウナが呪いの標的だったからたまたまこの件に気付いただけの俺が、彼らの暮らしを奪う権利などあるはずがない。だがそれではユウナを救うことができない。
俺は絞り出すような声でアルテナに尋ねた。
「……だったらどうすればいいんだよ」
アルテナは俺の言葉を無視し、光の渦を作り出す。そしてその渦を俺にぶつけてきた。俺は自らの意思とは反対に光の渦の中へと呑まれていく。遠のいていく意識の中、かすかにアルテナの声が聞こえた気がした。
「ヒントはあげたよ」と。
アルテナの言葉を理解できずに、無意味な時間は刻々と流れていった。俺は先週と同じようにユウナの元を訪れて冒険話をしている。
しかしユウナが楽しんで聞いていた俺の冒険話も今日で終わりを迎えてしまう。勿論、グレンのことをありのまま話してしまうと生々しいので、凶悪なモンスターに置き換えた。
彼女は俺の話を聞きながら、その可愛らしい表情をコロコロと変化させる。そして遂に凶悪なモンスターを倒し、王都に帰還したところで俺の旅は終わった。
「これで私の冒険もお終いです。楽しんでいただけましたか?」
「凄く楽しかったです! 続きを聞けないのが残念です。もし今度冒険に行ったら是非続きを聞かせてくださいね?」
「分かりました。ユウナに楽しんでもらえるような冒険をしてきます」
俺が返事をしたあと、ユウナは微笑んだ。
そして彼女は下を向き、部屋の中は暫しの間静寂が続く。やがて彼女は覚悟を決めたのか、顔を上げて恐る恐るといった様子で俺をじっと見つめてきた。
「アレクにお願いがあります」
「お願いですか? 私に叶えられるものであれば、なんなりとお申し付けください」
そう俺が応えると、ユウナはパッと表情を明るくさせ、俺の手を握りしめてきた。それは、この部屋に長い間閉じ込められてきた彼女だから考えついたものだった。
「貴方の魔法で……一緒に空を飛んでみたいの。ダメかしら?」
彼女の口から出た言葉に俺は困ってしまった。
まず、無断で外に出るわけにはいかないから陛下に許可をもらわねばなるまい。空を飛んでいて万が一彼女を落としてしまったら危険すぎる。
それに久しぶりに外に出て体調を崩したりしないか……そんなことを考えてしまう。
しかしユウナの瞳には希望が満ち溢れていた。きっとアレクなら叶えてくれる。そんな瞳をしていた。
俺は彼女の細い手を握り返し、力強く返事をした。
「お任せください」
こうして俺とユウナはお空の散歩計画を練ることになった。
■
そして、その日の夜。
俺はユウナがいる部屋に向かって飛んでいた。王城の中から堂々と行けるわけないからな。
そうしてユウナがいる部屋に辿り着いた俺は、彼女の部屋の窓をコン、コンコンと不規則にノックする。それが合図となり、窓は音を立てずに静かに開いた。
俺は部屋の中へ侵入し、窓を開けてくれた人に礼を言う。
「ありがとうございます、シャルロッテさん」
「いえ、ユウナ様の命令ですので」
ムスッとした表情をしながら彼女はユウナが座っているベッドに向かっていく。そしてジタバタと腕を動かし「早く、早く!」と声を上げているユウナを抱きかかえ、こちらへと戻ってきた。
「男性にユウナ様を抱きかかえさせるなど、本来あってはならないことなのですが……今日だけですからね?」
「分かってるわ! ありがとうシャル!」
シャルロッテさんはため息をつきながら、ユウナを落とさぬように丁寧に俺に渡す。
俺がユウナをお姫様抱っこし、ユウナが俺の首へ細い腕を絡ませた時、思わずシャルロッテさんは舌打ちをしていた。彼女にとってユウナはとても大事な存在のようだ。
俺はシャルロッテさんに頭を下げると、ユウナをしっかりと抱きかかえ窓の方へと体の向きを変える。
「しっかり掴まっていてくださいね?」
「はい!」
元気よく返事をするユウナ。その返事を合図に俺とユウナは夜空へと飛び立った。
彼女が見ることは叶わないが、夜空には無数の星が輝いている。もう少し高く飛べばその手に一つくらい掴めてしまうのではないか。そんな気がするほど星は眩い光を発していた。
俺は思わず「綺麗だ」と口に出してしまった。しかしユウナの目が見えないことを思い出し、慌てて謝ろうとする。
だがユウナは俺と同じように夜空を見つめ「綺麗ね」と呟いた。きっと彼女にも見えているのだろう。無数に浮かぶ星が。
「風が気持ちいい。外に出るなんて久しぶりだから……。もっと速く飛べますか?」
「飛べますけど、体に障りませんか?」
「少しくらいなら大丈夫ですから」
俺は彼女の願いを聞き入れて、少し速度を上げた。
ユウナの銀髪は風に流され、まるで流星のようにキラキラと輝いていた。彼女は俺の首に回した手の力を強めてギュッとしがみ付く。怖いのかと思ったが、ユウナは笑っていた。
暫くの間高速飛行を楽しんだあと、俺とユウナは王城の一番高い所の屋根に降り立ち、そこで休憩を取った。
流石の俺でもずっと飛んでいると疲れるし、ユウナは大丈夫と言っていたが彼女の体のことも考えなければならない。
屋根の上に俺が座り、膝の上にユウナを座らせる。そして収納から布を取り出し、彼女の体にかける。いくら夏でも冷えるものは冷えるからな。
そして二人で夜空を見上げ、ゆっくりと流れる時を過ごした。こんな時、洒落た言葉の一つでも言えたなら、きっと前世でモテモテだっただろう。だが俺にそんな機能は搭載されていない。しかしこの時間を過ごした者なら、誰しもが思うことではなかろうか。
このまま時が止まってしまえばいいのに。
そんなことを考えていると、夜空に浮かんでいた月に雲がかかる。それを待っていたかのようにユウナはポツリ、ポツリと語り始めた。
「八歳になった時です。足が思うように動かない時が増えて、時々つまずくようになりました。九歳になる頃には、まるで自分の足ではないような感覚になりました。十歳になった時、足が動かなくなりました。十一歳になった時、視界がぼやけてきました。十二歳になった時、私の目には何も映らなくなりました」
俺はユウナがゆっくりと語る内容を黙って聞いていた。
陛下の話では、ユウナに呪いの症状が現れたのは九歳になった時だった。つまり彼女は一年もの間、自分の不調を周りに気付かれないように過ごしてきたことになる。俺にはそれがどれだけ辛いことか想像できなかった。
彼女は俺の返事を待つことなく、続けて語る。
「アレクが来るまでの間、何度も何度も『治療法を見つけた!』という人がやってきました。時には回復魔法、時には薬、時には儀式。色々なことをやってみましたが、症状がよくなることはありませんでした。誰も呪いに気付くことなく、私はあの鳥籠の中から空を眺めていました。いつかきっと治療法が見つかる、そう信じて。そして貴方が現れた」
ユウナはそう言うと、見えないはずの両目でしっかりと俺の瞳を見つめてきた。自然と彼女を抱きしめる力が強くなる。ユウナも俺の首に回していた手の力をさらに強め、そして再びゆっくりと語りだした。
「アレクが私の体に起きている症状の原因を、『鶏竜蛇の呪い』と突き止めた時、やっと原因がハッキリしたという喜びと同時に、絶対に助からないという絶望が私を襲いました。ミクトラン山脈の話は知っていましたから。貴方は私の生きる希望を奪ったのです。……もはや私は覚悟するしかありませんでした。彼らの掟がある以上、民を守る者としてこの身を捧げることが私の宿命なのだと」
ユウナの言葉に俺の胸は痛いほど締め付けられた。
俺がいなければ呪いの存在など知らずに、彼女はゆっくりと死んでいったはずだ。いつか治る、その希望があるだけでも生きていく糧にはなる。だが俺はそれすらも奪ってしまった。
俺は唇を噛み締め、自分の力のなさを呪った。もっと俺に力があれば、権力があれば、知識があれば、彼女を救えていたのに。
「私は貴方のことを恨んでいました。だからせめて貴方の自由な時間を少しでも奪ってしまおう、そう思って貴方を呼んだのです。ですが……貴方と話しているうちに、そんな気持ちも水に溶けていくように消えていき、私の覚悟すらも貴方は奪っていきました。アレクが話す冒険話は、まるでおとぎ話のように壮大で、夢と希望に満ち溢れていました。もっと貴方の話を聞きたい、できることなら……貴方と一緒に冒険に出かけたい、そう思ってしまうほど。そして貴方は、私を鳥籠の中から出してくれた。叶うことなら、もう一度出たいと思っていた外の世界に」
ユウナの目から涙が零れ落ちる。彼女の唇は震えていた。決して夜の寒さに対してではない。叶わない願いと知りながらもそれを望んでしまった自分の心に。悲しみと悔しさが揺らいでいた。
「私は、悪い子なのでしょうか。なぜ他の人のために、見ず知らずの人のために、自分の命を犠牲にしなければならないのか、そんなことを考えてしまうのです。なぜ私が選ばれたのでしょうか。王女だからですか? それとも何か神様に嫌われるようなことをしたのですか? 私は、私は……もっと生きたいのに」
夜空に響く彼女の泣き声。
それをかき消すように俺は彼女を力強く抱きしめる。
自分の無力さが体の中を駆け巡っていた。
■
翌日、俺は久しぶりに学園を訪れていた。
昨日、あのあと泣き疲れて眠ってしまったユウナを部屋へと送り届けた際、シャルロッテさんにしこたま怒られた。
「ユウナ様の泣き声がここまで聞こえてきたぞ! 信用してユウナ様を預けたというのに泣かせるとは何事か! 貴様はもうここへ来るな!」
そう言って俺を窓の外へと追いやり、鍵を閉めてしまった。俺は仕方なく王城をあとにして寮へと戻った。
そして今日は水曜日。
久しぶりのネフィリア先生の講義なので学園に向かっているのだ。ユウナについて相談に乗ってもらえたら嬉しいと思っていたが、体調不良ということで今日の講義はお休みとなってしまった。俺は仕方なく食堂に向かい、少し早めのお昼をとっているところである。
俺は机の上に置かれた手付かずの料理をフォークで突きながら、思考を巡らせていた。この世界の神であるアルテナが、ユウナを救うためには鶏竜蛇に挑むしかないと言っていたのだから、今の俺の選択肢はそれ以外にないのだろう。他にも方法はあるようだが、現在の俺では死んでしまうようだし。かといって、アルテナが俺に対して説教じみたことを言ってきたのも謎だ。殺すしか方法はないのに、殺していいのか? と問われたら、いけないような気がしてならない。それに最後に聞こえてきた言葉。
「ヒントはあげたよ」
一体どこにヒントがあるというのだ。山の麓に住む人達と交渉して外の人間を受け入れてもらうようにするとか? だがなんの権力もない俺に、果たしてそれができるのだろうか。陛下達も、騎士や冒険者の派遣には難色を示していたし。
「ミクトラン山脈の麓にはいくつもの集落がある。そこに住まう人間達を、山で生まれるモンスター達から守ってくれているのじゃ。その代わり十年に一度、贄を差し出す。それが……ユウナ様だったのじゃ」
賢者ヨルシュ様は苦悶の表情を浮かべながら語ってくれたが、俺には意味が分からなかった。
モンスター達から人間を守るなら、騎士でも冒険者でも村に派遣すればいいだけの話だ。それにそこに住む人達だって対策の取りようがあるだろう。避難するなり防衛策を採るなりすればいいのに。今まで贄になってきた存在もいるはずなのに。彼らも山脈の麓に住まう人達も、それを黙認してきたのか? 俺の心は怒りで煮え滾っていた。
「ユウナ様だったのじゃ……ですか。では今まで死んでいった贄の人達はどうなるんでしょうか? 『鶏竜蛇の呪い』だということも知らずに死んでいったのですよ? 国はそれを黙認してきたということですか?」
「……これまで贄になった者達には心からの謝辞を述べる」
謝辞を述べる。どこの誰かも分からぬ死人にどう謝辞を述べるというのだ。
「でもこれが分かったのであれば、討伐しても問題はないですよね? それに麓に住む人達が心配なのであれば、騎士でも冒険者でも派遣すればいい話ではありませんか」
「それができんのじゃよ。彼らは外から来る者を受け入れん」
「では外から来る者を拒む人達を守るために、ユウナ様が死んでいくのをこのまま眺めていろと?」
「……そうじゃ。ユウナも……王女として責務を全うするのじゃ」
「はい、お父様。ユウナは王女としてフェルデアに身を捧げます」
ユウナ様が笑顔で発した言葉を聞き、皆は咽び泣いた。陛下は泣きながら謝り、ヨルシュ様は涙を堪えるように上を向いた。エドワード公もベッド横へ歩み寄り、ユウナ様の手をそっと握りしめていた。
この部屋の中で俺は一人、泣くことができなかった。
心の奥からこみ上げてくる何かを抑え込むことで精一杯だった。
■
それから一週間が経過した。
あれから俺は四度も王城に足を運んでいる。ユウナ様たっての希望で、俺の冒険話を聞かせて欲しいということだった。陛下もユウナ様の体を蝕んでいる病魔が呪いだとはっきりしたことで、娘が笑顔で過ごせるならと俺との面会を了承した。
ユウナ様がいる部屋の前へ到着した俺は、扉の前に立つ女性騎士に挨拶をする。
「おはようございます、シャルロッテさん。今日もユウナ様に会いに来ました」
「お待ちしておりました、アレク様。ユウナ様、アレク様がいらっしゃいましたよ」
「本当! 待ってたわ! 早くお通しして!」
部屋の中から喜んでいるユウナ様の声が聞こえる。
シャルロッテさんは微笑みながら部屋の扉を開け、俺を中へ通してくれた。部屋の中にはベッドの上で微笑むユウナ様がいた。
「おはようございます、ユウナ様。今日はなんのお話をしましょうか?」
「おはようございます、アレク様! 今日は学園の入学試験を受けたところからですわ!」
そう言って布団をポンポンと叩くユウナ様。
俺はクスリと笑いながら、彼女が座るベッドの横に用意された椅子に腰掛ける。そして先日の続きから話を始めた。面白おかしく楽しくなるように、彼女には見えていないと分かっていても、身振り手振りを含めて伝えていく。アリスとの仲違いは伝えようかどうしようか迷ったが、今は仲直りしているから問題ないと思ってすべてを包み隠さず話した。
「それでようやくアリスと仲直りできたんです」
「大変だったのですね……少し気になったのですが、アレク様はアリスお姉様のことをアリスと呼び捨てになさるのですね」
「一応公式の場ではアリス様と呼ぶようにしているのですが、彼女がアリスと呼べとうるさくてですね。話の流れでアリスと呼んでしまいました。申し訳ありません」
「謝らないでください! 怒っているわけではないのですから。その……アレク様は私とお友達ですよね?」
ユウナ様は布団の上で指を絡ませながら恥ずかしそうにそう呟く。
きっと呪いに体を蝕まれてから、碌に外出もさせてもらえなかったのだろう。友人と呼べる人間も多くはいないはずだ。俺でよければ喜んで彼女の友人になろう。
「ユウナ様がそう思ってくださるのであれば。私は貴方の友になりましょう」
「本当ですか! でしたら……その……私も」
「はい?」
「私もユウナと呼んでもらいたいのです! お友達に名前を呼んでもらったことがなくて」
頬を赤く染め、体を丸めながらポツリと呟くユウナ様。
王女である以上、本当に対等な関係を築くことは不可能かもしれないが、彼女と二人きりの時であれば彼女が望むようにユウナと呼ぼう。
「分かりました。二人きりの時であれば、ユウナと呼ばせていただきます」
「フフフ。も、もう一回呼んでください!」
「ユウナ、これでよろしいですか?」
「ええ! それじゃあアレク、続きを話してくださいな!」
しれっと俺のことを呼び捨てにしたユウナ。
彼女もアリスと同じように友達ができたことを心から喜んでいた。俺のくだらない話に無邪気に笑い、悲しい話には同じ気持ちで涙を流してくれる。こんな優しい子が呪いなんかで死んでいいわけがない。
陛下や賢者ヨルシュ様は「掟」と言ったが、そんなものは壊してしまえばいい。なんなら他の人の命を犠牲にしてまでのうのうと生きている奴らなんか、モンスターにやられてしまえばいいのだ。
ユウナとの談笑を終えた俺はギルドへと向かった。理由は鶏竜蛇について調べるため。
前世の知識であれば、鶏竜蛇とは鶏の頭に竜の翼に蛇の尾を持った化け物だ。その瞳は見る者を石に変え、その吐息は猛毒で人を苦しめ、死に至らしめる。もしその通りであれば毒は対処できたとしても、石化の瞳は流石の俺でもキツイ。いざ挑んでも、死んでしまったでは意味がないのだ。そのためにも調べられるものは調べておきたい。そう思ってギルドの資料室へと向かっているのだ。
それから毎日のようにユウナと談笑したあとはギルドの資料室へと足を運んだが、結局無駄足に終わった。鶏竜蛇についての資料は全くと言っていいほど載ってなく、唯一記載があったのは鶏竜蛇の容姿についてだけだった。それも俺が知っている容姿そのものである。
俺は仕方なく資料を調べることをやめて別の場所へと向かった。そこに行くのは約三ヶ月ぶりだ。
目的の場所へと到着して片膝をつく。そして両手を体の前で握り、目の前にある像に祈りを捧げた。
「久しぶりだねーアレク君! 元気にしてたかな?」
「見てたんだから分かるだろ、アルテナ」
俺に向かって明るく声をかけてきた金髪美少女アルテナ。俺の返事を聞いてニシシと笑みを浮かべている。こいつは、以前あった入学試験前日から今に至るまでの俺のすべてを目にしているんだ。どうせまた笑うに決まってる。
「笑わないよ! フフ。馬車の中で美女二人に言い寄られた時、下腹部を大きくしてたことなんて絶対に笑わないよ!」
「見てたんじゃねーか!! 仕方ねーだろ! あんだけ触れたらそうなるに決まってる!!」
「アハハハ! ごめんごめん。それで、今日は何の用事かな?」
やはりアルテナはクズだ。俺が醜態をさらしているところを見て喜んでいるのだから。だが、今日はそれを無視しても彼女に聞かねばならぬことがある。そもそも不干渉とか言って教えてくれない可能性もあるが、聞いてみなければ分からない。俺がいつになく真剣な表情になったことでアルテナの顔つきが変わった。
俺はアルテナに尋ねた。
「ユウナを救う他の方法を知らないか? あるなら教えて欲しい」
その問いにアルテナは軽く返事をした。
「あるよ!」
アルテナの言葉に俺は歓喜した。これで誰も傷つくことなく彼女を救える。そう思ったのも束の間、アルテナは続けてこう言った。
「あるけど教えられない。今の君がその選択肢を取れば確実に命を落とす。君が死なずに彼女を救いたいのなら鶏竜蛇に挑むしかない。安心しなよ、君なら余裕で倒せるだろうしさ!」
「……確実にか?」
「確実に死ぬ。断言できるよ!」
アルテナの言葉に俺は言葉を失った。この世界のすべてを知っている神が断言している以上、ユウナを救うには鶏竜蛇を殺すしかないらしい。だがそのためにはユウナの了承を得る必要がある。その意思を無視して鶏竜蛇を殺してもきっと彼女は喜ばない。それどころかおそらく俺に怒るだろう。平穏を保ってきた人達の生活を脅かすことになるのだから。
彼らを守るためにユウナを犠牲にすることになるかもしれないが、それでいいのだろうか? 山の麓に住む人達は自分達の命を守るために他人の命を犠牲にしてきたんだぞ。そんな奴らのために彼女が犠牲になっていいはずがない。自分の命を守るために自分で行動しない奴らがいけないんだ。死んだって仕方がない。
俺が鶏竜蛇を殺すための弁明を頭に浮かべていると、俺の心を読んだアルテナが悲しい顔をして俺に語りかけてきた。
「本当にそう思うの?」
「……何が言いたい」
「村に住んでいる人達は死んでも仕方がない、本当にそう思うの?」
「……仕方がないとは言えない。けど彼らだって行動に移せたはずだ。移住したり、冒険者を雇うなり。その選択をせずに他人の命を犠牲にするのはおかしいだろ。陛下だって、娘の命が終わりに向かっているというのに、行動に移そうともしない。そんなの……おかしいだろ」
俺はアルテナの言葉にもっともそうな意見を言った。俺は正しいはずだ。彼らは今まで他人の命を犠牲に自らの生を掴んできた。そんな奴らが報いを受けるのは当然のことじゃないか。
「君は神にでもなったつもりかい?」
俺の心を読んだアルテナが呆れた表情でそう告げる。神になったつもり? 一体なぜそんなことを言われなければいけないんだ。俺は正しいことをしようとしただけだ。
そんな俺に対し、アルテナは怒りをあらわにした。
「正しいこと、ね。君が考えている正しいこととは、他人を犠牲にして生きている人なら犠牲にしてもいいということかな? 彼らの歩んできた歴史も文化も何も知らない君が、少し話を聞きかじった程度の君が、僕の可愛い子供達を殺す。それを神になったつもりと言わずなんと言えばいいのかな? 彼らが自分達の命を犠牲にしたことがないと、なぜ言いきれるんだい? 君はつい先日、命の重さを再確認したと思ったのに。自らの手を血で染め、自分の力を過信したがゆえに冒険者を死に追いやった。まぁそれは君のせいとは言えないが……それでも、こんな短絡的な考えに至るとは思わなかったよ。君が知っていることなんて地面に落ちている砂粒より小さいものなのにさ。それなのに自分の考えが正しいなどと、よく言えたものだ」
俺はアルテナに言い返すことができなかった。
アルテナの言う通り、俺はこの世界に生きる人々の歴史や文化を知らない。本を読んだところで知り得るのは表面上の歴史のみ。ユウナが呪いの標的だったからたまたまこの件に気付いただけの俺が、彼らの暮らしを奪う権利などあるはずがない。だがそれではユウナを救うことができない。
俺は絞り出すような声でアルテナに尋ねた。
「……だったらどうすればいいんだよ」
アルテナは俺の言葉を無視し、光の渦を作り出す。そしてその渦を俺にぶつけてきた。俺は自らの意思とは反対に光の渦の中へと呑まれていく。遠のいていく意識の中、かすかにアルテナの声が聞こえた気がした。
「ヒントはあげたよ」と。
アルテナの言葉を理解できずに、無意味な時間は刻々と流れていった。俺は先週と同じようにユウナの元を訪れて冒険話をしている。
しかしユウナが楽しんで聞いていた俺の冒険話も今日で終わりを迎えてしまう。勿論、グレンのことをありのまま話してしまうと生々しいので、凶悪なモンスターに置き換えた。
彼女は俺の話を聞きながら、その可愛らしい表情をコロコロと変化させる。そして遂に凶悪なモンスターを倒し、王都に帰還したところで俺の旅は終わった。
「これで私の冒険もお終いです。楽しんでいただけましたか?」
「凄く楽しかったです! 続きを聞けないのが残念です。もし今度冒険に行ったら是非続きを聞かせてくださいね?」
「分かりました。ユウナに楽しんでもらえるような冒険をしてきます」
俺が返事をしたあと、ユウナは微笑んだ。
そして彼女は下を向き、部屋の中は暫しの間静寂が続く。やがて彼女は覚悟を決めたのか、顔を上げて恐る恐るといった様子で俺をじっと見つめてきた。
「アレクにお願いがあります」
「お願いですか? 私に叶えられるものであれば、なんなりとお申し付けください」
そう俺が応えると、ユウナはパッと表情を明るくさせ、俺の手を握りしめてきた。それは、この部屋に長い間閉じ込められてきた彼女だから考えついたものだった。
「貴方の魔法で……一緒に空を飛んでみたいの。ダメかしら?」
彼女の口から出た言葉に俺は困ってしまった。
まず、無断で外に出るわけにはいかないから陛下に許可をもらわねばなるまい。空を飛んでいて万が一彼女を落としてしまったら危険すぎる。
それに久しぶりに外に出て体調を崩したりしないか……そんなことを考えてしまう。
しかしユウナの瞳には希望が満ち溢れていた。きっとアレクなら叶えてくれる。そんな瞳をしていた。
俺は彼女の細い手を握り返し、力強く返事をした。
「お任せください」
こうして俺とユウナはお空の散歩計画を練ることになった。
■
そして、その日の夜。
俺はユウナがいる部屋に向かって飛んでいた。王城の中から堂々と行けるわけないからな。
そうしてユウナがいる部屋に辿り着いた俺は、彼女の部屋の窓をコン、コンコンと不規則にノックする。それが合図となり、窓は音を立てずに静かに開いた。
俺は部屋の中へ侵入し、窓を開けてくれた人に礼を言う。
「ありがとうございます、シャルロッテさん」
「いえ、ユウナ様の命令ですので」
ムスッとした表情をしながら彼女はユウナが座っているベッドに向かっていく。そしてジタバタと腕を動かし「早く、早く!」と声を上げているユウナを抱きかかえ、こちらへと戻ってきた。
「男性にユウナ様を抱きかかえさせるなど、本来あってはならないことなのですが……今日だけですからね?」
「分かってるわ! ありがとうシャル!」
シャルロッテさんはため息をつきながら、ユウナを落とさぬように丁寧に俺に渡す。
俺がユウナをお姫様抱っこし、ユウナが俺の首へ細い腕を絡ませた時、思わずシャルロッテさんは舌打ちをしていた。彼女にとってユウナはとても大事な存在のようだ。
俺はシャルロッテさんに頭を下げると、ユウナをしっかりと抱きかかえ窓の方へと体の向きを変える。
「しっかり掴まっていてくださいね?」
「はい!」
元気よく返事をするユウナ。その返事を合図に俺とユウナは夜空へと飛び立った。
彼女が見ることは叶わないが、夜空には無数の星が輝いている。もう少し高く飛べばその手に一つくらい掴めてしまうのではないか。そんな気がするほど星は眩い光を発していた。
俺は思わず「綺麗だ」と口に出してしまった。しかしユウナの目が見えないことを思い出し、慌てて謝ろうとする。
だがユウナは俺と同じように夜空を見つめ「綺麗ね」と呟いた。きっと彼女にも見えているのだろう。無数に浮かぶ星が。
「風が気持ちいい。外に出るなんて久しぶりだから……。もっと速く飛べますか?」
「飛べますけど、体に障りませんか?」
「少しくらいなら大丈夫ですから」
俺は彼女の願いを聞き入れて、少し速度を上げた。
ユウナの銀髪は風に流され、まるで流星のようにキラキラと輝いていた。彼女は俺の首に回した手の力を強めてギュッとしがみ付く。怖いのかと思ったが、ユウナは笑っていた。
暫くの間高速飛行を楽しんだあと、俺とユウナは王城の一番高い所の屋根に降り立ち、そこで休憩を取った。
流石の俺でもずっと飛んでいると疲れるし、ユウナは大丈夫と言っていたが彼女の体のことも考えなければならない。
屋根の上に俺が座り、膝の上にユウナを座らせる。そして収納から布を取り出し、彼女の体にかける。いくら夏でも冷えるものは冷えるからな。
そして二人で夜空を見上げ、ゆっくりと流れる時を過ごした。こんな時、洒落た言葉の一つでも言えたなら、きっと前世でモテモテだっただろう。だが俺にそんな機能は搭載されていない。しかしこの時間を過ごした者なら、誰しもが思うことではなかろうか。
このまま時が止まってしまえばいいのに。
そんなことを考えていると、夜空に浮かんでいた月に雲がかかる。それを待っていたかのようにユウナはポツリ、ポツリと語り始めた。
「八歳になった時です。足が思うように動かない時が増えて、時々つまずくようになりました。九歳になる頃には、まるで自分の足ではないような感覚になりました。十歳になった時、足が動かなくなりました。十一歳になった時、視界がぼやけてきました。十二歳になった時、私の目には何も映らなくなりました」
俺はユウナがゆっくりと語る内容を黙って聞いていた。
陛下の話では、ユウナに呪いの症状が現れたのは九歳になった時だった。つまり彼女は一年もの間、自分の不調を周りに気付かれないように過ごしてきたことになる。俺にはそれがどれだけ辛いことか想像できなかった。
彼女は俺の返事を待つことなく、続けて語る。
「アレクが来るまでの間、何度も何度も『治療法を見つけた!』という人がやってきました。時には回復魔法、時には薬、時には儀式。色々なことをやってみましたが、症状がよくなることはありませんでした。誰も呪いに気付くことなく、私はあの鳥籠の中から空を眺めていました。いつかきっと治療法が見つかる、そう信じて。そして貴方が現れた」
ユウナはそう言うと、見えないはずの両目でしっかりと俺の瞳を見つめてきた。自然と彼女を抱きしめる力が強くなる。ユウナも俺の首に回していた手の力をさらに強め、そして再びゆっくりと語りだした。
「アレクが私の体に起きている症状の原因を、『鶏竜蛇の呪い』と突き止めた時、やっと原因がハッキリしたという喜びと同時に、絶対に助からないという絶望が私を襲いました。ミクトラン山脈の話は知っていましたから。貴方は私の生きる希望を奪ったのです。……もはや私は覚悟するしかありませんでした。彼らの掟がある以上、民を守る者としてこの身を捧げることが私の宿命なのだと」
ユウナの言葉に俺の胸は痛いほど締め付けられた。
俺がいなければ呪いの存在など知らずに、彼女はゆっくりと死んでいったはずだ。いつか治る、その希望があるだけでも生きていく糧にはなる。だが俺はそれすらも奪ってしまった。
俺は唇を噛み締め、自分の力のなさを呪った。もっと俺に力があれば、権力があれば、知識があれば、彼女を救えていたのに。
「私は貴方のことを恨んでいました。だからせめて貴方の自由な時間を少しでも奪ってしまおう、そう思って貴方を呼んだのです。ですが……貴方と話しているうちに、そんな気持ちも水に溶けていくように消えていき、私の覚悟すらも貴方は奪っていきました。アレクが話す冒険話は、まるでおとぎ話のように壮大で、夢と希望に満ち溢れていました。もっと貴方の話を聞きたい、できることなら……貴方と一緒に冒険に出かけたい、そう思ってしまうほど。そして貴方は、私を鳥籠の中から出してくれた。叶うことなら、もう一度出たいと思っていた外の世界に」
ユウナの目から涙が零れ落ちる。彼女の唇は震えていた。決して夜の寒さに対してではない。叶わない願いと知りながらもそれを望んでしまった自分の心に。悲しみと悔しさが揺らいでいた。
「私は、悪い子なのでしょうか。なぜ他の人のために、見ず知らずの人のために、自分の命を犠牲にしなければならないのか、そんなことを考えてしまうのです。なぜ私が選ばれたのでしょうか。王女だからですか? それとも何か神様に嫌われるようなことをしたのですか? 私は、私は……もっと生きたいのに」
夜空に響く彼女の泣き声。
それをかき消すように俺は彼女を力強く抱きしめる。
自分の無力さが体の中を駆け巡っていた。
■
翌日、俺は久しぶりに学園を訪れていた。
昨日、あのあと泣き疲れて眠ってしまったユウナを部屋へと送り届けた際、シャルロッテさんにしこたま怒られた。
「ユウナ様の泣き声がここまで聞こえてきたぞ! 信用してユウナ様を預けたというのに泣かせるとは何事か! 貴様はもうここへ来るな!」
そう言って俺を窓の外へと追いやり、鍵を閉めてしまった。俺は仕方なく王城をあとにして寮へと戻った。
そして今日は水曜日。
久しぶりのネフィリア先生の講義なので学園に向かっているのだ。ユウナについて相談に乗ってもらえたら嬉しいと思っていたが、体調不良ということで今日の講義はお休みとなってしまった。俺は仕方なく食堂に向かい、少し早めのお昼をとっているところである。
俺は机の上に置かれた手付かずの料理をフォークで突きながら、思考を巡らせていた。この世界の神であるアルテナが、ユウナを救うためには鶏竜蛇に挑むしかないと言っていたのだから、今の俺の選択肢はそれ以外にないのだろう。他にも方法はあるようだが、現在の俺では死んでしまうようだし。かといって、アルテナが俺に対して説教じみたことを言ってきたのも謎だ。殺すしか方法はないのに、殺していいのか? と問われたら、いけないような気がしてならない。それに最後に聞こえてきた言葉。
「ヒントはあげたよ」
一体どこにヒントがあるというのだ。山の麓に住む人達と交渉して外の人間を受け入れてもらうようにするとか? だがなんの権力もない俺に、果たしてそれができるのだろうか。陛下達も、騎士や冒険者の派遣には難色を示していたし。
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