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しおりを挟む「ならばもう婚約解消いたしましょう、殿下」
目の前でそう告げたのは明るい栗色の長い髪と淡い青の瞳をした公爵令嬢フィオナ・ブルーム。
彼女とは5歳の時に婚約して早十年。影に日向に支えて来てくれた相手だ。
まさかその彼女からそんな言葉が出るなんて思ってもみなかった。
「な、なんで……?どうしてだい?」
そう言うのがやっとだった。
フィオナが困ったように微笑む。
「私も、面倒になりましたの」
言われて初めて面倒くさがりな自分が招いた事態だと気づいたのだった。
ミシェル・アクアランドはこの国の唯一の王子だ。
さらりとした金髪は陽光を紡いだようで、青い瞳は夏の空のような輝きがあった。幼い頃は。
今年で16歳となるミシェルは髪は陽光のままだったが瞳は濁ったように輝きを失っていた。
彼は幼い頃は神童と呼ばれるほど何にでも才能を発揮した。わずか5歳で歴史書を完璧に理解し諳んじた。
算術も外国語も剣術も完璧にこなしダンスは一度でマスターし、楽器もどんなものでも一通りは弾けるようになった。
開発が始まったばかりの魔道具の改良に知恵を貸し、趣味で作物の改良の研究をし、暇つぶしに刺繍の大作を仕上げた。
彼はそのうち全てのことに興味を失った。なんでもある程度はできることは彼から努力を奪った。
学びは続けている。いずれ王太子になる身だからと教育はしっかりと受けてはいるが、ただの義務感でしかなかった。
一方で婚約者候補選びとして開かれた茶会で出逢った公爵令嬢フィオナとお互い一目惚れし何の問題もなく婚約を結んだ。
彼女は厳しい教育を受けながら、それを楽しいとミシェルに告げた。
『楽しい?』『はい。知らなかったことを知ることができるのは楽しいです』
きらきらとした眼差しはミシェルにはないものだった。ミシェルには楽しいがわからない。
ただ言われるままに学び知識を吸収するだけだった。
『できないことができるようになるのは楽しくありませんか?』
そう言われても一度見たらできるし、見ただけで覚えられないことはあまりない。
『殿下はすごいのですね』とフィオナは尊敬の眼差しで見てくれたが、ミシェルの心は沈んでいった。
そんな風なので月に一度のお妃教育後のお茶会も徐々に会話が減っていった。
やがて無言の続くお茶会が面倒になりミシェルは特に話すこともないし自宅でゆっくり休む時間に充てるようにと伝えた。
何か言いたげだったフィオナはおとなしくご厚意に感謝しますと答えてその後お茶会が開かれることはなかった。
婚約から5年。10歳の時のことだった。
12歳になり二人は王立学園に通うことになった。
学園は初等部、中等部、高等部に別れており、初等部は12歳から1年間基礎と教養を学ぶ。
13歳から2年間中等部で引き続き基礎学問と魔法学を学び、15歳から3年間高等部で文官コース、騎士コース、淑女コース、魔法学コースに別れる。
ミシェルもフィオナも高等部に進んでも問題ないほど学力をつけているが同年代の貴族の子息と交流を持つことを目的に初等部に入った。
将来の王と王妃である、各貴族はこぞって二人と仲良くしようとした。
そこから本当に交流をすべき人物を見極めるのが二人の課題だ。
「ミシェル様」
「なんだ、フィオナ」
「差し出がましいようですがジョシュア様との交流は避けた方が」
「何故だ?」
「ジョシュア様のお父様であるバール男爵は違法カジノに出入りされています。そこへジョシュア様を伴っていことも」
「本当か?」
「はい。そう教えてくれた方がいらっしゃったので我が家でも確認しましたの」
「そうか。フィオナがいうならそうなのだろう。ジョシュアとは距離を置く」
中等部に進んだ頃、フィオナには友人が増えた。ブルーム公爵令嬢という地位や次期王妃であるという立場に目の眩んだ者は速やかに排除し、フィオナを好もしく思い、フィオナも大切にしたいと思う者だけが残った。
高位貴族も低位貴族も平民もいる。彼ら彼女らはフィオナ自身を見てくれている。
だからフィオナが気づかないことも進言してくれるのだ。
『ミシェル殿下にすり寄ってるジョシュア・バールは違法カジノに出入りしている』と言ってくれたのは平民のカートだった。
フィオナは父親にそれを話し、従者がカートの言葉を確認した。
その確認を待ってからフィオナはその話をしたのだった。
けれど、そういうことは本来はミシェル自身がすべきことだ。
信頼できる側近をつくり、陥れんとする者から身を守り排除していく。
ジョシュアの父親は現在は男爵だが元は子爵家で野心家で若いときには侯爵家の乗っ取りを試みたことがあった。
王族の血を引く某侯爵夫人に近づき侯爵を追放したあと夫人と再婚しようとしたのだ。
夫人を口説き落とせず計画が明るみに出たが計画だけで終わったので子爵から男爵に落とされただけですんだ。
もっともバール男爵にもう貴族としての居場所はないが。それでも一人息子だけは大切にしていると思われていたのだが。
そんなわけでジョシュアは学園に馴染めていない。それでミシェルにすり寄っているのだ。
ジョシュアの家のことはミシェルも知っているはずなのに何故彼を好きにさせていたのか。
ミシェルは来るもの拒まずなところがある。最初はそれを寛大さであり優しさであり慈悲であると評していた。
だがこの頃にはただ怠惰なだけだとフィオナも周囲も気づいていた。
来るもの拒まずなのは真意を探るのを面倒に思っているからだ。
フィオナは何度も忠告した。誰でも彼でも受け入れていてはいつか足をすくわれると。そしてそれはミシェル一人しか王子のいない王家を傾かせることになるのだと。
ミシェルはわかったようなわかってないような曖昧な返事をしたが、変わることはなかった。
時には女性にまとわりつかれることもあったがさすがに必要以上になれなれしくしてくる令嬢にはミシェルはちゃんと『婚約者がいるから近づかないでほしい』と諭していた。
ただ言い方に険があっただけにミシェルの株は下がり、またフィオナが嫉妬しているせいでミシェルを孤立させているのだと噂が流れた。
フィオナは下らない噂などとるにならないと思っていたがミシェルの好感度が下がるのはいただけない。
また今の噂が今後に響いてこないとは限らないと考えを改めた。
数十年後、ミシェルはこの国を治めるのだ。その時に貴族からの忠誠を得られなければ国が傾く隙になる。
このアクアランド王国はその名の通り水に恵まれた国で肥沃な土地が広がる大陸一の食糧庫と言われている。
そのため近隣諸国の対応は二つ。一つは友好条約を結びアクアランドから飢饉のときなどに食料を融通してもらう。
もう一つは戦争でアクアランドを奪う。友好か戦争かの両極端で、友好国のフリをしながらアクアランドの一部だけでも奪おうと虎視眈々と狙っている。
なので常に盤石でなければならない。ほんのわずかな隙が命取りになりかねないのだ。
今王子はミシェルだけ。唯一の直系男子というだけでも火種になりかねないのに、とフィオナはやきもきしている。
高等部に進みミシェルは文官コースにフィオナは淑女コースに進んだ。将来国のトップに立つものとして末端の仕事を理解するために文官コースに入れと父親である国王から言われミシェルは文官コースになった。フィオナは殆どの女生徒が進む淑女コースだ。文官コースは1クラスなのに対して淑女コースは3クラスある。
ただお妃教育を修めているフィオナには復習にしかならないが。
ここから少し風向きが変わった。良くない方に。
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