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第一章
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十二
棺を焼却炉に入れるころ、突然、頭上をかすめた何かに、一瞬、身を低くした。
また、何か厄介な妖怪の類かと、八枯れの方をふり返ったが、怠惰な鬼は、縁側で体を丸くして眠っていた。
相変わらず、使えない奴だ、と小さく舌打ちをして、顔を上げた。しかし、思っていたものとは異なり、それは目眩を覚えるほど、美しいものだった。
そいつは、錦の龍だった。入道雲の浮かぶ夏空を、大きく旋回し、長い体毛と、尻尾を振って舞っていた。
うろこは、赤や白や金にかがやき、青空に映えている。
これを、誰かが身にまとえば、さぞ美しい着物の流しとなるだろう、と感心した。錦の龍は、僕の頭上でくるりと回転し、目の前に降りてきた。僕が口を開く前に、落ち着いた声でしゃべりだす。どうにもその声には、聞き覚えがあった。
「戻りました。いま、戻りました」
錦の龍は、水色の瞳をうっすらと細めて、その頭を地につけた。
まるで、辞義をするような身振りに、僕はこの美しい錦の龍が、あの池の鯉なのだ、と思い到った。
僕は、困るやら、とまどうやら、珍しく狼狽した。なぜ、このように美しい生物を鯉だと思っていたのか、と苦笑するしかなかった。
「そうか、お前はばあさんの可愛がっていた鯉だったのか。それで、滝を登ってきたのか。なるほど。ははあ。いや、そうか。すまん」
ごまかすように、ぼりぼりと頭をかくと、錦の龍はキュウ、と鼻を鳴らした。
「生物の命尽きた後は、形も名も持ちませぬ。過去も未来もないのです。赤也が、わたしに名と姿を与えなければ、いつまでも池の周りを徘徊するだけの、矮小なものだったでしょう。ありがとう」
錦の龍は、頭を地にたらしたまま、そう穏やかな声で礼を言った。僕は、こうした殊勝な姿を、見習ってほしいものだと、縁側の上の黒い猫を見つめた。それににっこりと微笑んだ錦の龍は、僕の手のひらに顔をよせて、すりよってきた。
「どうか、わたしをお傍に。共に、守ります」と、厳かにはっきりと言った。
僕はそれにしばらく考え込んで、「うん、頼む」と微笑んだ。
「しかし」
「何でしょう」
僕は、錦の龍の立派な姿と、縁側で丸まっている八枯れを見比べて、ため息をついた。
「お前はもともと、ばあさんのものだからなあ」
これが、僕とばあさんの力の違いなのかと思うと、なんだか情けない気がした。こちらの思いなど知らず、八枯れは暖かな日差しに目を細めて、いびきをかいていた。
なんとも憎らしい気もしたから、その顔にあとでらくがきでもしてやろうと考える。お骨が焼けたわよ、と母さんに呼ばれて、僕はため息をつきながら、焼却炉の方へ向かった。
第二章へ続く
棺を焼却炉に入れるころ、突然、頭上をかすめた何かに、一瞬、身を低くした。
また、何か厄介な妖怪の類かと、八枯れの方をふり返ったが、怠惰な鬼は、縁側で体を丸くして眠っていた。
相変わらず、使えない奴だ、と小さく舌打ちをして、顔を上げた。しかし、思っていたものとは異なり、それは目眩を覚えるほど、美しいものだった。
そいつは、錦の龍だった。入道雲の浮かぶ夏空を、大きく旋回し、長い体毛と、尻尾を振って舞っていた。
うろこは、赤や白や金にかがやき、青空に映えている。
これを、誰かが身にまとえば、さぞ美しい着物の流しとなるだろう、と感心した。錦の龍は、僕の頭上でくるりと回転し、目の前に降りてきた。僕が口を開く前に、落ち着いた声でしゃべりだす。どうにもその声には、聞き覚えがあった。
「戻りました。いま、戻りました」
錦の龍は、水色の瞳をうっすらと細めて、その頭を地につけた。
まるで、辞義をするような身振りに、僕はこの美しい錦の龍が、あの池の鯉なのだ、と思い到った。
僕は、困るやら、とまどうやら、珍しく狼狽した。なぜ、このように美しい生物を鯉だと思っていたのか、と苦笑するしかなかった。
「そうか、お前はばあさんの可愛がっていた鯉だったのか。それで、滝を登ってきたのか。なるほど。ははあ。いや、そうか。すまん」
ごまかすように、ぼりぼりと頭をかくと、錦の龍はキュウ、と鼻を鳴らした。
「生物の命尽きた後は、形も名も持ちませぬ。過去も未来もないのです。赤也が、わたしに名と姿を与えなければ、いつまでも池の周りを徘徊するだけの、矮小なものだったでしょう。ありがとう」
錦の龍は、頭を地にたらしたまま、そう穏やかな声で礼を言った。僕は、こうした殊勝な姿を、見習ってほしいものだと、縁側の上の黒い猫を見つめた。それににっこりと微笑んだ錦の龍は、僕の手のひらに顔をよせて、すりよってきた。
「どうか、わたしをお傍に。共に、守ります」と、厳かにはっきりと言った。
僕はそれにしばらく考え込んで、「うん、頼む」と微笑んだ。
「しかし」
「何でしょう」
僕は、錦の龍の立派な姿と、縁側で丸まっている八枯れを見比べて、ため息をついた。
「お前はもともと、ばあさんのものだからなあ」
これが、僕とばあさんの力の違いなのかと思うと、なんだか情けない気がした。こちらの思いなど知らず、八枯れは暖かな日差しに目を細めて、いびきをかいていた。
なんとも憎らしい気もしたから、その顔にあとでらくがきでもしてやろうと考える。お骨が焼けたわよ、と母さんに呼ばれて、僕はため息をつきながら、焼却炉の方へ向かった。
第二章へ続く
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