鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔

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第十一章「信康切腹」

第五十七話「酒井左衛門尉」

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遠江国 浜松城

「左衛門殿」
拙者は、前方を歩く酒井左衛門尉(さえもんのじょう)忠次殿に声をかける。
拙者の声に気づき振り返る左衛門殿。
「おう、半蔵ではないか。久しいな・・・ん」
左衛門殿は、普段とは様子が違う拙者に首を傾げる。
「何じゃ、如何致した?」
拙者は、真剣な面持ちで左衛門殿に告げる。
「お聞きしたい事がございまする」
そして、拙者は左衛門殿を連れ出す。
「こちらへ」
移動した先は浜松城の南西に位置する作左衛門曲輪。その名の通り、家康公の命を受け、『鬼作左』こと本多作左衛門重次殿がこの年の二月に作った新しい曲輪でございまする。
「何じゃ、こんな所に連れて来て」
無理矢理連れ出され迷惑がる左衛門殿に拙者は淡々と告げる。
「信康様の件でお聞きしたい事がございまする」
その言葉に左衛門殿の表情が一変する。
「・・・お主には関係のない事じゃ」
冷たく言い放つ左衛門殿に、拙者は左衛門殿の瞳をまじまじと見詰める。
「徳川家中におる者で関係ない者がおりましょうか?」
「・・・」
何も答えない左衛門殿に、拙者はさらに問い質す。
「何故、織田信長の要求に釈明されなかったのですか?」
拙者の言葉に左衛門殿はゆっくりと口を開く。
「言える訳がなかろう・・・相手は、あの織田信長ぞ。もし、何か言うたとしても機嫌を損ねられるだけじゃ」
「しかし」
拙者が反論しようとするも、左衛門殿は血相を変えてそれを遮る。
「ええい、やかましい!お主に政(まつりごと)はわかるまい。今、織田と戦になったとて我らに勝ち目はない」
「それは、やってみなければ・・・」
「やらずともわからぬか!?」
左衛門殿は目を血走らせながら語りかける。
「我ら徳川が三河と遠江の二ヶ国に対し、織田は十ヶ国以上を有しておるのだぞ。そんな相手と戦っても結果はわかっておろう・・・いや、むしろ織田にとっては好都合かもしれん。徳川を滅ぼし三河、遠江を手に入れるいい機会になる。そうならんためにも・・・今は、耐えねばならんのだ」
左衛門殿の話が終わると、拙者は静かに自分の意見を述べる。
「・・・つまり、徳川を守る為に信康様を見殺しにしたと?」
「口が過ぎるぞ、半蔵!」
そう言って左衛門殿がこちらを睨みつけるも拙者はさらに続ける。
「いくら徳川の為とはいえ、主君の御子息を犠牲にするとは納得がいきませぬ」
「黙れ黙れ黙れ!」
激昂する左衛門殿。そして、拙者は左衛門殿に止めの一言を言い放つ。
「よもや、御自分の為ではありませぬな?」
冷たく言い放たれたその言葉に左衛門殿は拙者の胸倉を掴む。
「お主、儂が己の利の為だけに信康様を見殺しにしたと申すか?」
「違うのですか?」
睨み合う両者。しばらくして左衛門殿は拙者の胸倉から手を離す。
「お主に何と言われようとも構わん。儂は儂の信ずる道で徳川を守るだけじゃ」
拙者の目をしかと見詰め、そう語る左衛門殿に拙者は問う。
「・・・そのお言葉、嘘偽りはございませぬか?」
「当然じゃ」
力強くそう答える左衛門殿を拙者はまじまじと見詰める。その様子から、おそらく嘘はついていないでありましょう。
しばしの沈黙があった後、左衛門殿がゆっくりと口を開く。
「そもそも、よく考えてみよ。いくら儂が筆頭家老とはいえ、儂の一存で主君の御子息を殺せる訳がなかろう」
「では・・・」
「信康様の一件は、殿も御納得の上での事じゃ」
納得?
拙者は、左衛門殿に尋ねる。
「・・・つまり殿が自らの意志で、御自身の子である信康様を殺したと?」
「そうは言ってはおらん。あくまでも信康様の切腹を決めたのは、殿御自身ということじゃ」
「・・・」
「殿の御命令を我々家臣が覆す訳にもいかんであろう」
確かに徳川家中では、時折あの御二人が不仲なのではないかとの噂もあるが、しかし・・・。
そこまで考えたところで、拙者は左衛門殿に声をかけられる。
「半蔵よ。此度の件、これ以上探らんのがお主の為でもあるぞ」
拙者は左衛門殿をじっと見詰めた後、そのまま一礼をして背を向ける。
・・・結局、真相は闇の中か。
背後に左衛門殿の視線を感じながらも拙者はその場を後にする。
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