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第十一章「信康切腹」
第五十八話「切腹」
しおりを挟む遠江国 浜松城 二ノ丸
左衛門殿と話をした数日後、拙者は急遽家康公に呼ばれました。
応接の間にて軒先から庭を眺める家康公が拙者に話しかける。
「左衛門殿から聞いたぞ。信康の切腹について探っておるそうじゃな」
「・・・」
何も答えない拙者を余所に家康公は話を続ける。
「大方、七之助にでも頼まれたか?」
・・・全てお見通しと言う訳か。
「七之助は大分信康に傾倒しておったからな・・・信康の代わりに自分の首を信長殿に差し出せなど、よほどの覚悟がなければ言えぬわ」
こちらからは家康公の背中しか見えませんでしたが、その後ろ姿はどこか寂しげなものでございました。そんな中、拙者は意を決して家康公に問いかける。
「殿。殿は信康様の事を疎ましく思っておられたのですか?」
「そんな訳なかろう!」
顔だけこちらに向け強い口調でそう答える家康公。
「しかし、此度の件、親子の不仲が原因なのではないかとの噂もあります」
「親子の不仲など、我々だけの事でもなかろう。どこの家でも父と子はよう喧嘩をするものだ」
拙者は、ただ黙って家康公の話に耳を傾ける。
「ましてや、喧嘩が原因で親が子を殺そうなど考えるはずもなかろう」
そして、家康公は擦れるような声で静かに呟く。
「・・・儂も、信康の事は後悔しておる」
家康公の言葉に、拙者は思わず身を乗り出して尋ねる。
「では、何故!?」
「致し方ないのだ!・・・儂とて、辛かったのだ」
家康公の瞳に涙が浮かぶ。
「儂はな、半蔵。信康を守る為、織田と一戦交える覚悟であった」
「!」
家康公の突然の告白に、拙者は驚きのあまり声を失う。そんな拙者を余所に家康公は話を続ける。
「しかしな、あやつは信康は、そんな儂を諌(いさ)めた。今、織田と戦っても徳川に勝利はない、ここは自分の命で事が済むのであればそれでいい。そして、いつか必ずや父上が天下を取って下され、と・・・当の本人にそう言われてしまっては、儂はどうする事もできん」
そして、家康公は振り返り拙者の顔をまじまじと見詰める。
「のう、半蔵。儂は間違っておったのか?信康を殺さずに、織田と一戦交えるべきであったのだろうか?」
「・・・」
拙者は何も答えない。いや、答えられませんでした。家康公と、そして信康様お二人の間でこのような会話があったなど拙者は知る由もありませんでした。
家康公は、また庭の方を眺め独り言のように呟く。
「人の一生とは、わからぬものじゃ。儂は幼い頃に父を失った。そして、今はまさか自分の子を失う事になろうとは・・・儂は、不幸な男だ。いや、それとも儂が皆を不幸にしておるのか?」
「いえ、そんなことは・・・」
拙者が気を使おうとしたのを察したのか家康公はそれを制する。
「無理をせんでもよい」
拙者は思わず顔を俯ける。
「なあ、半蔵。自分の子を殺さねばならん状況においた儂は鬼なのであろうか?」
「・・・」
またしても拙者は何も答えられませんでした。その言葉から家康公自身が信康様を自害させねばならなかった事に自責の念を持っている事を十分に感じられたからでありまする。拙者が何とも言えない感情を抱いていると、家康公は先ほどまでの口調とは打って変わり力強い口調で言葉を発する。
「しかし、だからと言って我らはここで立ち止まる訳にはいかん。信康の為にも前に進まねばならんだ。あやつの想いを、願いを叶える為にも・・・故に、儂はもう迷わん。もうこれ以上、信康のような者を出さん為にも、この戦国の世を終わらせる。その為ならば、儂は鬼にもなろう」
その言葉から拙者は家康公の強い決意を感じました。
「半蔵よ」
名前を呼ばれ、拙者は顔を上げる。
「七之助に伝えよ。お主ももうこれ以上、信康に縛られる事はないと」
「・・・ははっ」
拙者は家康公に対し深々と頭を下げる。
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