愛されすぎて困ってます!?

佐倉 紫

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1巻

1-1

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   プロローグ


 いくつもの国々がひしめくひとつの大陸がある。
 そのちょうど中央に位置する小国――それがフォルカナ王国だ。
 国土も狭く、四方を多くの国に囲まれた弱小国ではあったが、七年ごとに行われるある慣習により、戦争や侵略といったき目からは長く遠ざかっている。
 そして、その慣習――俗に『大陸会議』と呼ばれるもよおしが、再び幕を開けようとしていた。


「そろそろ国内外からの来賓らいひんが広間へ集まる時刻です。王城の者一同、気を引き締めて、決して粗相そそうのないように!」
「グラスの数が足りない! 早急に運ぶように!」
「料理もまだ運べないのか? 気の早い来賓はそろそろ客室から出てくるぞ!」
「急げ、急げ!」

 大陸中の国々の要人が一堂に会する『大陸会議』。その初日である今日は、フォルカナ王城を訪れた人々を歓迎するための舞踏会が開催される。
 この日のために、城の者たちはそれこそ数ヶ月前から支度を始めているのだが、当日ともなれば必ず上を下への大騒ぎとなる。
 数え切れないほど多くの蝋燭ろうそく瑞々みずみずしい生花で飾り立てられた大広間には、早朝から多くの人々が出たり入ったりと実に忙しい。
 だが、王城の奥にしつらえられた後宮もそれと同じくらいに慌ただしく、特に『薔薇ばらの間』と呼ばれる豪華な部屋では、部屋のあるじの甲高い声がひっきりなしに響いていた。

「そろそろ開場の時間よ! ぐずぐずしないで急ぎなさいよ!」

 部屋の主の名はエメラルダ。このフォルカナ王国の王女のひとりで、父である国王にもっとも可愛がられている娘だ。
 緑色の瞳が印象的な美少女だが、外見と同じく内面も美しいかと言われればそうではない。

「髪飾りは真珠がついたものだと言ったでしょう!? どうしてわからないのよ!」
(――言われていないのだから、わかるはずがないわ)

 エメラルダのいつもながらの高慢さに、髪飾りを差し出した侍女――セシリアは、思わずため息をつきたくなる。
 だがそんな内心はおくびにも出さず、神妙に謝って身をかがめた。
 ――そのとき、彼女のいたんだ髪が一房、肩を滑って落ちる。
 鏡越しにそれを見やったエメラルダは、猫が鼠をいたぶるように目元をゆがめた。

「相変わらず冴えない髪をしているわね。せっかくの銀髪が台無しじゃない?」

 セシリアは答えず、真珠の髪飾りを取り出し、エメラルダの癖の強い髪に留める。
 その反応がおもしろくなかったのか、フンと鼻を鳴らしたエメラルダは、軽く手を払って他の侍女たちに下がるよう合図した。
 部屋にエメラルダとふたりきりになったセシリアはげんなりする。こういうとき、この王女様はたいていセシリアのことをねちねちといたぶりにかかるのだ。
 案の定、鏡越しにこちらを見つめるエメラルダは楽しげに語り出した。

「あなた知っていて? 今夜の舞踏会で隣の大国アルグレードの王太子殿下が、我がフォルカナ王国の王女に求婚するのですって。お父様から聞いたお話だから間違いないわ」

 色を塗った爪を見つめるエメラルダからは、まぎれもない優越感が見て取れる。大国の王太子に求婚されるのが自分だと信じて疑っていないのだろう。
 いつにも増してピリピリしているエメラルダを不思議に思っていたが、そういうわけか。謎が解けてすっきりした一方、セシリアの胸にかすかないきどおりが湧き上がってきた。

(大国の王太子様だかなんだか知らないけれど、わざわざ『大陸会議』の歓迎舞踏会で求婚しようなんて……)

 なんてはた迷惑な、とついつい思ってしまう。支度をする側はおかげで大忙しなのだから。
 髪飾りをつけ終えたセシリアは、扇を収めた大きな箱を引っ張り出す。
 ふたを開けた状態で箱を差し出すと、エメラルダはゆっくりと扇を選び始めた。

「まだ誰が選ばれるかわからないということだけど、お父様はわたしに、特に美しく装うようにとおっしゃったわ。それだけで答えはわかったようなものじゃない? 今頃、他の王女たちも精一杯着飾っているかと思うと、滑稽こっけいすぎて笑えるわ。……ああ、でも」

 手にした扇を放るように箱に戻し、エメラルダはにたりと笑った。

「この後宮には、母親が死んで後ろ盾もない、かわいそうな王女がひとりいたんだったわね。舞踏会に出るためのドレスも作れず、つぎはぎだらけのお仕着せを着て、同じ年の王女に仕えている気の毒なお姫様が……」

 そう言って、エメラルダは組んだ手にあごを載せて鏡越しにセシリアを見つめる。
 セシリアはと言えば、重い箱を持ち続ける腕がぷるぷる震えてきて、答えるどころではない。
 その様子に気づいているのだろう。エメラルダはもったいぶって、箱の中の扇を手にとっては戻すを繰り返した。

「でも仕方ないわよね。同じ年の王女と言っても、あなたの母親は貧乏男爵家の娘で、たまたま陛下のお手つきになっただけ。それに比べてわたしのお母様は、国内有数の侯爵家出身の王妃ですもの。最初から格が違うのよ、格が。それを充分にわきまえて過ごすなら、嫁いだあともあなたのことを侍女として取り立ててやってもよくってよ」

 ようやく扇を選んだエメラルダは上機嫌に立ち上がる。
 彼女に言われた内容はともかく、ようやく箱を下ろせることにセシリアはほっとした。
 だが次の瞬間、腕をバシッと強く叩かれ、大きくよろめく。

「あっ……!」

 色とりどりの扇が音を立てて床に落ちる。そのうちのいくつかが落ちた弾みでばらばらになると、エメラルダが「まぁ!」とわざとらしく声を上げた。

「なんてことをしてくれるのよ! この扇ひとつでどれだけすると思っているの!」
「も、申し訳……」
「これだからおまえはグズだというのよ。そうやってお仕着せ姿で床にいつくばっているのがお似合いだわ!」

 手にした扇で再びセシリアの腕を打ちえ、エメラルダは高笑いしながら部屋を出て行った。
 パタンと扉が閉まる音を聞いて、セシリアはゆっくり肩から力を抜く。
 毎度のこととはいえよくきないものだと、散らばった扇を片付けながらふーっとため息をついた。
 ――エメラルダの言う通り、セシリアも一応はこの国の王女だ。
 後ろ盾もなく、ほとんど忘れ去られた王女ではあるが。
 彼女の母は男爵家の出身で、行儀見習いとして王城に上がった際、国王陛下のお手つきになりセシリアを身ごもったそうだ。
 しかし大勢の妃が暮らす後宮の中で、身分の低い母の存在はあってないようなもの。そのため母子ともども国王陛下にかえりみられることはなかった。
 さらに母が病で亡くなると、セシリアは後宮内で完全に孤立する。
 そんなセシリアに目をつけたのがエメラルダだった。
 彼女いわく、自分の侍女に取り立てることでセシリアに後宮での居場所を与えてやりたいということだったが、実際はさ晴らしのためにそばに置いているとしか思えない。
 なにが気に入らないのか、エメラルダは幼い頃からセシリアに嫌がらせをしてきた。おかげでセシリアは多少のことでは動じない強い心臓を手に入れたわけだが、だからといってしいたげられることに慣れたわけではないのだ。
 ヒリヒリ痛む腕をさすり、扇を片付けていると、閉じた扉が控えめに開けられた。

「あの……セシリア、様。エメラルダ様が会場についてくるようにとおっしゃっていますが」

 先に退室していた侍女のひとりがそう伝えてくる。
 れ物にさわるような態度に苦笑を覚えつつ、セシリアは「わかったわ」と頷いた。
 さんざん『グズ』だと言いながら、エメラルダは舞踏会や晩餐会があれば必ずセシリアを同行させる。
 ――おそらく華やかな場所にセシリアを引っ張り出すことで、さらにみじめな思いを味わわせようとしているのだろう。我が異母妹ながら、本当に陰険なお姫様である。
 急いで片付けを終え、セシリアは後宮から大広間へと急ぐ。
 多くの使用人とすれ違ったが、さすがに会場となる広間の入り口ではそういった慌ただしさは見受けられない。代わりに、盛装に身を包んだ来賓らいひんが楽しげに入場していくのが見えた。

「なにをしているのよ、セシリア! さっさといらっしゃい」

 人いきれの中、エメラルダを探してきょろきょろしていると、当の本人から呼びつけられる。慌てて近寄れば「本当にグズなんだから」とまた毒づかれた。

「広間に入ったら、わたしには王女としての社交の務めが待っているから。おまえは女官と一緒にはしに控えていなさい」

 扇の陰でひそひそと指示を伝えてから、とびきりの笑みを浮かべたエメラルダは堂々と会場入りしていく。
 そのあとに続く形で大広間に足を踏み入れたセシリアは、目に飛び込んできたきらびやかな光景に思わず息を呑んだ。
 七年に一度の特別仕様で飾られた大広間は、まさに圧巻の一言に尽きた。
 数え切れないほどの蝋燭ろうそくと生花でいろどられた会場は、既に多くの参加者でにぎわっている。
 広間のきらびやかさもさることながら、社交にいそしむ人々の装いもまばゆいほどだ。

(なんて豪華……七年前もこんなふうだったかしら?)

 七年前は、セシリアも王女のひとりとして、きちんとドレスを着て参加していた。
 だがそのときの様子はおぼろげにしか思い出せない。例によってエメラルダに嫌がらせをされたことは、なんとなく覚えているのだが。
 そこでふと、別の記憶が頭をよぎってセシリアは眉を寄せる。
 頭に浮かんだ光景はきらびやかな広間ではなく、薄暗い中庭のようなところだった。

(そういえばエメラルダに嫌がらせをされたあと、庭を通って部屋に戻ったのだわ)

 きっとそのときの記憶だろう。
 疑問を早々に結論づけたセシリアは、広間の隅を移動して、壁伝いに控える女官たちの列に加わる。
 参加者の細々こまごまとした用を聞くための女官は、いずれも若い者ばかりだ。彼女たちも初めて見るであろうこの場の雰囲気にすっかり興奮して頬を赤く染めている。

(本当に、こんな綺麗な会場を見られるだけでも役得だと思わないとね)

 その国独自の衣装に身を包む人々を見るのは楽しいし、次々に運ばれる飲み物や料理を目にするだけでもわくわくする。反対側の壁際では楽団がゆるやかな音楽を奏でていて、参加者たちのおしゃべりをより楽しいものにいろどっていた。
 そうしてすっかり夢見心地にひたりそうになっていた頃。
 会場入りする参加者たちを吟味していた年頃の令嬢たちが、きゃあっと華やいだ声を上げる。

「見て、アルグレード王国の王太子殿下よ!」

 その声を聞きつけた舞踏会の参加者たちが、一斉に大広間の入り口を振り向き、ほぅっと感嘆のため息をらした。
 同じようにそちらを向いたセシリアも、現れたそのひとに目が釘付けになってしまう。

(なんて凜々りりしい方なのかしら……)

 すらりと背の高いその人物は、盛装ではなく軍服に身を包んでいた。
 つややかな茶褐色の髪は綺麗に整えられ、前髪からのぞく目元は涼やかで印象的だ。すっと通った鼻筋や、頬からあごにかけてのラインが美しく、胸にいくつも並んだ勲章の力強さと相まって、惚れ惚れするほどの男ぶりである。

(あの方がアルグレードの王太子殿下……)

 なるほど、エメラルダが身支度に力を入れるわけだ。
 大国の次期国王であれほどの美青年が相手となれば、目の色を変えるのも頷ける。
 セシリアは会場を見回しエメラルダを探した。きっと王太子殿下の入場を知って、我先にと声をかけに行くはずだ。
 思った通り、会場の奥で談笑していたエメラルダが姿を見せた。淑女らしく滑るように移動しているが、その顔は期待で輝いている。見ているとエメラルダだけでなく、なんとフォルカナ国王まで出迎えにやってきた。

「これはアルグレードの王太子殿下、ようこそおいでくださった! 今宵こよいの舞踏会で我が娘たちから花嫁を選ぶと聞いて、待ちわびておったのですぞ!」

 わざとらしく大声で挨拶する父に、セシリアは思わず眉を寄せる。
『大陸会議』の主催国のおさとして、また舞踏会の主催者として挨拶に向かうのはまだいいとしても、続く言葉はあまりに品がない。他国からの参加者も何人かそう思ったらしく、セシリア同様に眉をひそめている。
 だがほとんどの人々はアルグレードの王太子が『花嫁を選ぶ』と聞いて、真偽を確かめるように王太子殿下を見つめていた。
 軍服姿ながら、この広間の誰よりも存在感のある王太子殿下は、フォルカナ国王の無礼にもにこりと笑顔を返し、胸に手を当てて一礼した。

「フォルカナ国王陛下、お招きいただきありがとうございます。事前に文書でお伝えした通り、今宵こよい、貴国の王女より我が花嫁を選びたいと思っております」
「おお……っ、我が国にとってはまたとない栄誉。ささ、どうぞお選びください。未婚の姫は全員この舞踏会に参加しておりますゆえ」

 そう言いながら、父王がさりげなく前に出したのはエメラルダだ。当然選ばれるつもりでいる彼女も、頬を紅潮させ王太子に熱い視線を送っている。
 秀麗な美貌を裏切ることのないさわやかな笑みを浮かべた王太子は、エメラルダを含む未婚のフォルカナ王女たちをぐるりと見回した。
 王女たちはもちろん、会場全体が固唾かたずを呑んで彼の言葉を待っている。
 が、彼は王女たちからついと視線を外すと、なぜか居並ぶ他の参加者たちに目を向けた。
 フォルカナの王女たちがざわつく中、たっぷり時間をかけて会場中を見回した彼は――

「――見つけた」

 そうつぶやくと、なんと隅に控えていた女官たちの一団に向かって歩き出したのだ。
 会場中の視線が集まり、そのあまりの迫力に女官たちがぎょっと一歩退しりぞく。セシリアもつられて後退した。しかし次の瞬間、こちらに向けられた王太子の視線が強くなり、セシリアはい止められたように動けなくなる。
 自分のそんな反応に驚き、混乱しているあいだに、王太子殿下が大股でこちらに近づいてきた。
 マントがはためき、肩から下がる飾緒しょくちょが明かりを受けてキラキラ輝く。見惚みとれるほど美しい姿なのに、セシリアはなぜか背中に冷や汗が伝うのを感じた。
 果たして、王太子の足はセシリアの正面でぴたりと止まる。女官たちが慌ててセシリアのそばから離れたことで、ぽっかり空いた空間にふたりだけになった。

「えっ。あ、あの……?」
「フォルカナ王国第七王女、セシリア・エルマ・ステイン=フォルカナ姫」

 王太子殿下の力強い呼びかけに、セシリアは息を呑む。
 それは間違いなくセシリアの王女としての名前であり、ここ数年誰にも呼びかけられることのなかったものだ。
 そばにいた女官たちはもちろん、後宮住まいの妃や王女たちですら忘れ去っていたその名を、なぜ異国の王太子殿下が知っているのか――

「突然求婚する無礼をお許し願いたい。一刻も早く、あなたを妃にしたかったもので」

 驚きのあまり言葉をなくして立ち尽くすセシリアの前に、王太子殿下は片膝をついた。
 そしてつぎはぎだらけのお仕着せのスカートをそっと持ち上げると、その裾にうやうやしく口づける。
 ただの侍女にしか見えない娘に、凜々りりしい王太子がひざまずく。
 本来ならあり得ない事態に、会場中が呆然と見守る中、当の王太子殿下は朗々と言い切った。

「セシリア王女、どうかアルグレード王国王太子クレイグ・アレンの妃として、我が国に嫁いできてほしい」

 突然の、それも予想外の申し出に、セシリアの頭の中は真っ白になった。



   第一章 思いがけない旅立ち


 ――七年に一度開催される『大陸会議』。
 その名の通り、各国の要人たちが大陸中央部に位置するフォルカナ王国に集まり、国際情勢にからむ様々なことについて議論する催事である。
 約二ヶ月に及ぶ長期的な会議のあいだ、会議以外のもよおし事も多く開かれる。舞踏会や狩猟など、国同士の親睦を深めることを目的としており、そこで婚姻の話が進むことも少なくはない。
 なので、会議期間中の舞踏会で、一国の王太子が参加国の姫に求婚すること自体は、さしてめずらしくもない光景だ。
 しかし、その求婚相手がとても王女には見えない……というより、どう見ても侍女にしか見えない娘であったことは大問題であった。
 国の醜聞しゅうぶんにもなりかねない事態を前に、フォルカナ王国の中枢はひどく混乱し、困惑した。
 ほぼ強制的にその渦中かちゅうに放り込まれたセシリアも動揺していたが、それ以上に彼女の頭を痛くさせていたのは、他でもないエメラルダとその母――この国の王妃の存在であった。

「――納得いきませんわ!! なぜ王太子殿下はわたしではなくセシリアを選んだのです! こんな生まれもいやしく侍女と大差ない小汚い娘、なにかの間違いとしか思えませんッ!」

 髪を振り乱してそうまくし立てたエメラルダは、直後わああっと声を上げてその場に泣き伏した。
 しゃくり上げる娘の肩を抱きながら、王妃が剣呑けんのんなまなざしでセシリアをにらみつける。
 寵愛ちょうあいする妃と娘のなげきように国王はたじろいでいたが、うしろに控える臣下たちは幾分冷静だった。

「しかし先方から言われたのは『フォルカナ王国の王女の中から伴侶を選ぶ』ということだけで、それがエメラルダ様とは一言も言われておりませんよね?」
「結果的に大国とえにしつながれば、どなたが嫁がれることになっても我が国としては万々歳ばんばんざいです」

 ぼそぼそとつぶやかれる意見は正論であったが、感情的になっているエメラルダと王妃には逆効果である。

「この女はわたしが王太子殿下に選ばれたがっていることを知っていたわ! だからわたしへの当てつけに、王太子殿下をたぶらかしたのよ。会場入りする前に殿下とお会いして色目を使ったに違いないわッ!」
「まぁっ、なんと卑しいことを。王女の所行しょぎょうとは思えませんわ!」

 ふたりから向けられるあまりに的外まとはずれな非難に、さすがのセシリアもげんなりしてきた。
 あの求婚劇のあと、慌てて出てきた宰相や大臣たちによって、「突然のことに王女も混乱しているから」と、大広間から連れ出されて早数時間。
 空き部屋に押し込められていたセシリアのもとに、父王を始めとする国の重臣たちがやってきたのはつい先ほどのことだ。
 セシリアは待っているあいだ、これはきっと夢に違いない、そのうちめるはず……と半ば現実逃避をしていたが、やはりこの事態はまぎれもない現実のようだ。
 目の前で泣き崩れる異母妹を前にして、セシリアもとうとう認めざるを得なくなった。

(『どうしてなの』と叫びたいのはこちらのほうよ……)

 だが泣こうがわめこうがこの決定はくつがえらない。他でもない大国の王太子が、衆人環視しゅうじんかんしの中で堂々と求婚し、宣言したのだ。セシリアを妃に迎えると。
 驚きのあまりあの場で返事をすることもできなかったが、大国であるアルグレードに対して、小国のフォルカナに断る権利など、はなからないに等しい。
 それにエメラルダたちはどうあれ、国政をになう重臣たちはこの婚姻を前向きに受け入れているようだ。
 ――その証拠に、老齢の宰相が口髭くちひげでながら話をまとめにかかった。

「とにかく、アルグレードの王太子殿下のご要望を最優先にすべきです。王太子殿下はセシリア姫をお求めになった。それがすべてです。国王陛下、このお話、とお返事してもよろしいですね?」
「うむ、まぁ……それしかないであろうな」

 王妃とエメラルダから強烈な抗議の視線を受けながらも、そこは一国の国王、渋々と宰相の言葉に頷いた。

「ひとまず、セシリア姫に急ぎ後宮の部屋をご用意いたしましょう。身の回りのものと侍女も必要ですね」
「聞いたところ、王太子殿下は『大陸会議』が終わり次第、花嫁を連れて帰国なさるそうです。それまでに、セシリア姫には取り急ぎ大国の妃にふさわしい教育を受けていただかねば。陛下、よろしいですね?」

 さっそくてきぱきと動き出す重臣たちを見やり、国王は重々しくため息をついた。そしておもむろにセシリアに向き直る。

「セシリアよ」
「は、はい」

 国王である父にこうして名前を呼ばれるのは、もしかしたら初めてのことかもしれない。動揺して危うく声が裏返りそうになった。

「今よりそなたは正式に、アルグレードに嫁ぐ身となった。『大陸会議』終了までの二ヶ月、勉学にはげみ、この国の王女として恥ずかしくない教養を身につけるように。よいな?」

 それはもはや命令に他ならない。セシリアはぎこちなく頷いた。

「……承知いたしました、国王陛下」

 お仕着せのスカートをつまみ、片足を引いたセシリアは精一杯淑女らしい礼をする。
 エメラルダが噛みつかんばかりの目でこちらをにらみつけているのがわかったが、他にどう答えることができただろう。

(わたしが大国アルグレードの王太子妃に……)

 あまりに予想外の転身に、セシリアも途方に暮れるしかなかった。


 翌朝から、セシリアは王太子妃にふさわしい淑女教育を叩き込まれることになった。
 なにせ嫁ぎ先はこの大陸でも一、二を争う大国、アルグレード。当然ながら妃に求められる教養も大陸一となる。まともな淑女教育を受けてこなかったセシリアのために、さっそく対策要員が集められた。
 ところが、対策要員のひとりとしてセシリアのもとを訪れた王妃は、彼女へのいらだちを隠そうともしない。
 セシリアに問題を解かせながらトントンと神経質に机を叩き、時折舌打ちまで響かせるのだ。普通ならたちまちすくみ上がってしまうほど威圧的な態度だった。
 だが幼い頃から数々の嫌がらせを受けてきたセシリアは、この程度のことですくみ上がったりするほど弱い心臓をしていない。今も平常心を保ったまま、黙々と問題用紙と向き合っている。

「言っておきますけど、まともな姫君であれば余裕で満点を取れる常識的な問題を集めています。この程度の問題も解けないようでは嫁いだところで苦労をするだけ。ああっ、わたくしの娘であれば未来の王妃として、嫁ぎ先でも上手うまくやっていけたでしょうに……」

 エメラルダそっくりの嫌味な口調でまくし立てる王妃に、セシリアは「できました」と短く言って答案用紙を渡す。
 大儀そうに受け取った王妃は背後に控えていた侍女に採点を命じ、自身はお茶に手を伸ばした。

「いくら陛下のご命令とはいえ、こんないやしい娘に淑女教育をほどこすなんて。まったく……。時間の無駄になるのではなくって?」

 こんな調子で延々えんえんと皮肉を語られる。セシリアが神妙な態度でそれを聞き流すこと数分。
 採点を終えた答案用紙を目にした王妃は、お茶のカップを取り落としそうになった。

「ど、どういうこと? 満点ですって?」
(……暇に任せて図書室に入りびたっていたのが、こんなところで役に立つとは思わなかったわ)

 驚愕きょうがくする王妃を横目に、セシリアはほっと胸をで下ろした。
 本来ならセシリアにも王家の姫として必要な教育がされるはずだった。
 だが出自の低い母親が早くに亡くなり後ろ盾もなかったこと、エメラルダを始めとする兄弟姉妹が揃ってセシリアをいじめていたことにより、やがて大人たちからも存在を無視されるようになってしまったのだ。
 そんな王女に教育を施そうとする物好きはおらず、セシリアは本来勉強にてられていた時間を城の図書室で過ごしていた。
 そのおかげでセシリアは、自国を含む大陸諸国の歴史や文化、産業についてなど、一介の王女とは比べものにならないほど深い知識を身につけたのである。

(王妃様はわたしが全問正解するなんて思っていなかったのでしょうね)

 それどころか「王子だって苦戦するような問題なのに……」などとつぶやいている。わざと難しい問題を解かせて、苦戦するセシリアを王太子の相手にふさわしくないとでも言うつもりだったのかもしれない。

(本当に、母子揃って……)

 その思いを敏感に感じ取ったのか、王妃が大きな声でまくし立てた。

「んまぁっ、ひどい顔だこと。淑女たる者、むやみに感情をあらわにすることは許されません。エメラルダなら絶対にそんなことはしないのに。やっぱり生まれの差なのかしらね。こんな娘が王太子に嫁ぐなんて、なんたる悪夢……」

 セシリアは内心で盛大なため息をつき、頭の中を意識的に空っぽにした。聞きたくない話を流すにはこれが一番よい方法なのである。
 だが延々えんえんと続くかと思われた王妃の嫌味は、軽快なノックの音に止められた。
 むっとした王妃が、とげのある声で「お入り!」と告げる。

「失礼いたします、王妃様。あのぅ……」
「なんです。さっさとおっしゃい!」

 気が立っている王妃を前に、女官は恐縮したように肩をすぼめる。
 ――王妃がさらに眉を吊り上げたとき、「失礼いたします」と耳慣れない男性の声が聞こえた。

「セシリア王女殿下のお部屋はこちらで間違いないでしょうか?」

 女官のうしろからひとりの青年が姿を見せた。装いこそ簡素だが、端整な顔立ちにがっしりとした立派な体格の若者だ。
 男子禁制の後宮に突然現れた男性に、王妃は驚きのあまり「きゃっ」と声を上げる。

「なっ、なっ、なんですおまえはっ!」
「わたしはアルグレード王国王太子クレイグ殿下の側近で、マティアスと申します」

 そう名乗った青年は、柔和にゅうわな笑みを浮かべて丁寧に礼をする。
 だが王妃の様子に気づいて、彼は少し申し訳なさそうに眉尻を下げた。



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