蒼空の向こう 〜キノの冒険譚〜

おにぎり

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第一章(前)【朝焼けに包まれて】・【スキルって何?】

3.少し留守にするけどいい?

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「なんでそうなるのよ!」
 叫んでいるのはキューレ。着ているエプロンを放り投げて俺に迫る。目にはうすら涙。レンガルが止めにかかるが、うるさいと言って跳ね除けた。俺がディエーム大学に行くと言ってからというものこの様だ。

「一旦落ち着こうよ。義兄さんも原因を突き止めたいだけなんだしさ」
 こんな状況でも冷静沈着なレンガルは、声色を変えずにキューレを諭す。
 それが効いたのだろうか。彼女はエプロンを拾うと、ドアを勢いよく開けてパオプルの畑に走って行った。

 深いため息。吐いた息は黒くて重たかった。やや気まずそうにこちらをみるレンガル。彼も思うところがあるかもしれない。これから新婚生活が始まるというのに、急に帰って来た義兄がこれなんだから。俺がもう少しでも諦めが良かったら。ここ数日はそんなことを考えることが多い。
 帰って来たのはついこの前。冒険者を辞めて家業の農家を手伝う日々。剣が農器具に変わるだけで、大したことはないと思ったあの頃が懐かしい。植物を相手にするのは、魔物のそれとは全く違う。ひどい筋肉痛で立ち上がれない日もあった。
 そんな俺だが、今はだいぶ慣れた動きができるようになった。


「お義兄さん、本当にディエーム大学に行くんですか?」

 レンガルの極めて慎重な声が聞こえる。気を遣っているのだろうか。椅子を持って来て、俺の後ろに置く姿が見えた。何か座らなければいけないような雰囲気になって、その椅子に腰を下ろした。
 キッチンとダイニングの間。キッチンでも、ダイニングでもない、座るには居心地が悪い場所。しかしレンガルは気にする様子もなく、もう一つ椅子を持って来て、俺の横に座った。彼は何かするわけでもなく、腹のあたりに置いた手を動かしている。君は、一体何がしたいんだ。

 沈黙。
 大きめの深呼吸をする。それに応えるように、隣の彼もまた鼻で息を吐いた。いつまで続ける気だ。
 いや、俺が立ち上がればこの気まずい時間が終わる話なのか……どうしたものか。


 俺が再びこの村を出たら、キューレはどうなるのだろう。不意にそんなことを考えた。本意ではないものの、俺はもう冒険者は引退した身だ。余生はパオプル農家として過ごすことになった。そんなタイミングで大学に行く必要があるのか?

『お主はスキルを獲得した可能性がある』
 エンリに言われた言葉。スキルを獲得していても、冒険者ではない俺にはもう関係のないことだ。それなのに、どうして俺は……



 結局、この沈黙はキューレが帰ってくるまで続いた。一体どれほどの時間が経ったかはわからない。昼ごはんの時間を過ぎても互いに動こうとせず、いつしか先に動いてはいけないと思うようになった。
 窓から差し込んでいたはずの陽の光は、今や反対側で筋を作っている。キューレが開けっぱなしにしていたドアから、子供達の声が近づいては去っていく。鳥の囀りで、俺の心はなぜか高揚した。


「ただいまー!」と元気に帰って来たキューレは洋服を買ったらしい。ドアを不思議そうに閉めて鼻歌まじりで歩いて来ると、並んだ俺たちを見た第一声は「え?……何やってるの?」であった。

 彼女のその不意を突かれたような表情に、レンガルも俺も吹き出してしまった。今の今までの時間は一体なんだったのか、そんなこと、考えるだけでつまらない。


「お兄ちゃん、今朝はごめんね?」
 口を尖らせて、買った服を肩に合わせる彼女はさりげなく言った。そしてすぐに「この服似合う?」と目を合わせる彼女。少し首を傾けて、栗色の髪が可愛げに動いた。

「うん……似合ってるよ」と、そう言うしかなかった。
 お前から何か言ってやれ。そんな目をしてレンガルを見たが、彼は耳を赤くしてキューレを見つめていた。ためだこいつ。そう思ったが、それはお互い様だと気がついた。


 ひどく大きな息が漏れる。しかし少しした頃には三人で笑っていた。机の上にはケーキ。キューレが買ったものだ。


「俺は、自分のことを知りたい。だから、大学に行こうと思っている」
 ケーキを一口残して、俺は言った。少しばかりの静寂が続いた後、「いってらっしゃい」の小さい声。

「体に気をつけてね。応援してる」
 続けてそう言った彼女に、俺の目元は熱くなった。
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