閉じたまぶたの裏側で

櫻井音衣

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嫉妬する資格なんかない

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七海との結婚の経緯をすべて話し終えると、勲は私の手を握った。

「七海とは離婚する」
「えっ……?」
「俺が好きなのは芙佳だけだ。芙佳と一緒に居られるなら俺は……」

その言葉はもっと早く聞きたかった。
できれば七海と結婚する前にすべてを打ち明けて欲しかった。
今更そんな事を言ったところで、勲が私ではなく七海と結婚したのは事実だ。
これはもう私と勲だけの問題じゃない。
どんな事情があったにせよ、勲は七海と『婚姻』という契約を結んだ時点で、その肩に多くの人の人生という責任を負っているのだから。

「もうやめよう……」

勲の言葉を遮って、私の口から無意識のうちにその言葉がこぼれ落ちた。

「芙佳……」
「今更そんな事してなんになるの?勲の両親や両親の会社に勤めている人たちの生活は?勲だって七海と離婚なんかしたら会社にはいられなくなるんだよ」
「それでもいい。何を犠牲にしても、俺は芙佳と一緒にいたい」
「私はもう……あなたに振り回されるのはイヤなの。今まで散々苦しんだ……。その上あなたの両親を不幸にしてまで、あなたといたいとは思えない」

握られた手から、大好きだった勲の手をそっとほどいた。

「もう……勲と一緒にはいられない……」
「芙佳は俺の事、もう好きでもなんでもないのか?」

私が今も勲を好きだと言えば、私たちはまた自分たちの求める幸せのために誰かを傷付ける。
これから先の長い人生を、その罪を背負って生きていくのはあまりにもつらすぎて、私にはきっと耐えられないだろう。
噛み合わなくなった歯車を無理やり動かそうとしても、軋んだ音を聞くたびに後悔して胸が痛んで、私も勲も幸せになんてなれるはずがない。

「私だって幸せになりたいの……。私だけを愛して……まっすぐに私のところに帰ってきてくれる人と、一緒になりたいの」
「だから俺は……」

そのさきに続く言葉を勲に言わせないように、私は首を横に振って、まっすぐに勲の目を見た。

「あなたが私を好きだと思ってくれるなら……私の幸せを願ってくれるなら……もう二度と来ないで。今度こそ終わりにしたいの」
「芙佳……」
「さよなら。奥さんの元へ帰って」



冷たいコンクリートの廊下を歩いて帰っていく勲の足音を、ドアにもたれ目を閉じて聞いていた。
いつも『帰らないで』と思いながらドア越しに聞いていたこの音を聞くのも、これで最後だ。

『もう二度と来ないで』

私がそう言った時の勲の悲しそうな顔が、閉じたまぶたの裏側に浮かんで涙が溢れた。
本当に好きだった。
肌を重ね合う時だけは私にすべてを預けてくれているような気がして、ずっと抱き合っていられたらいいのにと思っていた。
いつだって勲は、好きなのは芙佳だけだと言ってくれたけど、それなのに私だけの勲でない事が悲しかった。
何もかも捨てて私を選ぶと言ってくれた事は、本当はとても嬉しかった。
だけどもう、なんの迷いも疑いもなく勲と愛し合えたあの頃には帰れない。
勲は私を裏切り、私は勲を憎んだ。
あんなにつらかったはずなのに、一緒にいられて幸せだった日の勲の笑顔ばかりが浮かぶ。
優しく抱きしめてくれた手も、ケンカをして私が泣いた時の困った顔も、少し甘えた声も大好きだった。
閉じたまぶたから、とめどなく溢れた涙が頬を伝い、ポトリポトリと落ちて床を濡らす。

『芙佳、ごめん……。もう泣かないで……』

私が泣いた時の勲の言葉が、耳の奥に響いた。
どんなに泣いても、もう勲の手が私に触れることはない。
どれくらい涙を流せば、勲へのこの想いを忘れられるだろう?



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