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雨に濡れても
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少し待てば、雨やむかな。
小降りになったら走って行こうか。
だけどなかなかやみそうにない。
そんなことを考えながら、街を行き交う人々をバックに降りしきる雨の粒を目で追った。
雨はやむどころか、どんどんその勢いを増すばかりだ。
傘を持たない人たちは蜘蛛の子を散らしたように、雨から逃れる場所を求めて駆けていく。
ビルの入口や店の軒下で雨宿りをする人たちは、不安そうに黒い夜空を見上げている。
濡れた路面を蹴る足音を響かせて、私がいる店の隣の店の軒下に若いカップルが飛び込んだ。
「急に降ってくるんだもん、ビックリしたぁ。服がビショビショ」
カップルの若い女の子の鼻にかかった甘い声が聞こえた。
突然の雨にデートの邪魔をされたらしい。
それでも好きな人と一緒にいるからなのか、彼女の声はどこか楽しそうだ。
「ああ、かなり濡れたな」
聞き慣れた男の人の声がして視線だけをゆっくりとそちらに向けた時、彼は雨に濡れた前髪をかき上げた。
その横顔は間違いなく應汰で、少し離れた場所にいる私には気付く様子もなく、ポケットからハンカチを取り出し彼女の顔や髪についた水滴を優しく拭き取っている。
「服が濡れて胸んとこ透けてる」
「えー、恥ずかしい。これじゃ電車乗れないよー、どうしよう」
「どっかで休んで服乾かすか」
「うふふ。それだけ?」
彼女が誘うような視線で見上げると、應汰は彼女の腰を抱き寄せて笑った。
「そんなわけないじゃん。おまえはそれでいいの?」
……ああ、なんだ。
應汰が彼女に甘くないなんて嘘だ。
確か相手によるとか、言ってたもんね。
私、自惚れてた。
應汰は私だけに特別優しくしてくれたんだと、都合よく勘違いなんかして。
私が好きになるまでしつこく食い下がるなんて言葉も、単なる口説き文句だったんだ。
……バカらしい。
雨に濡れたからなんだって言うの。
いつやむかもわからないのに、こんなところで立ち止まっているだけ時間の無駄だ。
帰ろう。
激しさを増した雨の中に身を投じて、應汰と彼女の前を素通りした。
應汰が誰と何をしようが、私には関係ない。
それから私は降りしきる雨の中をひたすら歩いた。
こんなにずぶ濡れじゃ電車にも乗れない。
どうせ濡れているんだから、家まで歩いて帰ろう。
心の中のいろんなわだかまりを、この雨が涙と一緒に洗い流してくれそうな気がする。
勲を好きだった事も、二人で過ごした幸せな日々も、虚しかった不毛な関係も、寂しくて一人で泣いた夜も、全部忘れてしまおう。
勲を想って應汰の胸で泣いた事も、勲を思い浮かべながら應汰に抱かれた事も、そんな私を好きだと言って優しく抱きしめてくれた應汰に溺れていた私も、何もかも、なかった事にしてしまおう。
──なんて、そんなことが簡単にできれば苦労はしない。
忘れたくても忘れられない。
忘れたいけど、忘れたくない。
覚えていてもつらいだけなのに、忘れない、好きだから忘れたくないと心が叫ぶ。
『好きだった』じゃなくて、今も好きだから、終わったふりをするのは苦しい。
その苦しい胸の内を受け止め、抱きしめてくれた優しい手を、私はなくした。
私は一体、どちらが悲しくて泣いているんだろう。
自宅にたどり着く頃には、雨はすっかり上がっていた。
雨と涙で濡れた頬を手の甲で拭いながら、雨上がりの夜空を見上げる。
雨に濡れても、私は自分の足で歩いていける。
立ち止まっても振り返っても、また歩き出す。
やまない雨はない。
小降りになったら走って行こうか。
だけどなかなかやみそうにない。
そんなことを考えながら、街を行き交う人々をバックに降りしきる雨の粒を目で追った。
雨はやむどころか、どんどんその勢いを増すばかりだ。
傘を持たない人たちは蜘蛛の子を散らしたように、雨から逃れる場所を求めて駆けていく。
ビルの入口や店の軒下で雨宿りをする人たちは、不安そうに黒い夜空を見上げている。
濡れた路面を蹴る足音を響かせて、私がいる店の隣の店の軒下に若いカップルが飛び込んだ。
「急に降ってくるんだもん、ビックリしたぁ。服がビショビショ」
カップルの若い女の子の鼻にかかった甘い声が聞こえた。
突然の雨にデートの邪魔をされたらしい。
それでも好きな人と一緒にいるからなのか、彼女の声はどこか楽しそうだ。
「ああ、かなり濡れたな」
聞き慣れた男の人の声がして視線だけをゆっくりとそちらに向けた時、彼は雨に濡れた前髪をかき上げた。
その横顔は間違いなく應汰で、少し離れた場所にいる私には気付く様子もなく、ポケットからハンカチを取り出し彼女の顔や髪についた水滴を優しく拭き取っている。
「服が濡れて胸んとこ透けてる」
「えー、恥ずかしい。これじゃ電車乗れないよー、どうしよう」
「どっかで休んで服乾かすか」
「うふふ。それだけ?」
彼女が誘うような視線で見上げると、應汰は彼女の腰を抱き寄せて笑った。
「そんなわけないじゃん。おまえはそれでいいの?」
……ああ、なんだ。
應汰が彼女に甘くないなんて嘘だ。
確か相手によるとか、言ってたもんね。
私、自惚れてた。
應汰は私だけに特別優しくしてくれたんだと、都合よく勘違いなんかして。
私が好きになるまでしつこく食い下がるなんて言葉も、単なる口説き文句だったんだ。
……バカらしい。
雨に濡れたからなんだって言うの。
いつやむかもわからないのに、こんなところで立ち止まっているだけ時間の無駄だ。
帰ろう。
激しさを増した雨の中に身を投じて、應汰と彼女の前を素通りした。
應汰が誰と何をしようが、私には関係ない。
それから私は降りしきる雨の中をひたすら歩いた。
こんなにずぶ濡れじゃ電車にも乗れない。
どうせ濡れているんだから、家まで歩いて帰ろう。
心の中のいろんなわだかまりを、この雨が涙と一緒に洗い流してくれそうな気がする。
勲を好きだった事も、二人で過ごした幸せな日々も、虚しかった不毛な関係も、寂しくて一人で泣いた夜も、全部忘れてしまおう。
勲を想って應汰の胸で泣いた事も、勲を思い浮かべながら應汰に抱かれた事も、そんな私を好きだと言って優しく抱きしめてくれた應汰に溺れていた私も、何もかも、なかった事にしてしまおう。
──なんて、そんなことが簡単にできれば苦労はしない。
忘れたくても忘れられない。
忘れたいけど、忘れたくない。
覚えていてもつらいだけなのに、忘れない、好きだから忘れたくないと心が叫ぶ。
『好きだった』じゃなくて、今も好きだから、終わったふりをするのは苦しい。
その苦しい胸の内を受け止め、抱きしめてくれた優しい手を、私はなくした。
私は一体、どちらが悲しくて泣いているんだろう。
自宅にたどり着く頃には、雨はすっかり上がっていた。
雨と涙で濡れた頬を手の甲で拭いながら、雨上がりの夜空を見上げる。
雨に濡れても、私は自分の足で歩いていける。
立ち止まっても振り返っても、また歩き出す。
やまない雨はない。
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