9 / 20
第3章
9
しおりを挟む
それからというもの、仕事とはこんなに平和でいいものなのか、と貴弥は笑顔を引き攣らせる。
小学生の登下校を見守り、おばあさんの介助をし、道案内もした。買い物の手伝いや店に出た害虫の駆除まで、本当に仕事の範囲は広い。
「……平和だよなぁ」
とても特務機関とは思えない仕事内容だ。貴弥は自宅で料理をする久詞を眺めながら、そう呟いた。ちなみに、遊は野暮用と言って、それを済ませてからここに来るらしい。三人一緒に寝ることにも慣れてきて、こんなはずじゃなかったのにな、と貴弥は内心肩を落とす。
「給料泥棒って言われるのわかったよ。ほかの課は要人の護衛とか、事件とかを解決してるんだろ?」
それに比べれば、四課は平和ボケと言われても仕方がない。こんなのでいいのか、とため息をつく貴弥に、久詞は包丁を動かしながら答えた。
「平和が不満か?」
「いや、そういう訳じゃ……。そっか、……そうだよな」
久詞の一言で彼が何を言いたいのか気付き、貴弥は納得する。
「俺らの出番がないほうがいいんだ」
「うん……」
実際、見回りに出ることも無駄じゃない。意外にも久詞はタワービルの外では慕われているようだし、貴弥がここに来たとき、協力してくれたのも外の人だという。それに、人助けをして感謝されるのも悪くはない。
「でも、宝の持ち腐れ感がすごくする」
貴弥はそう言ってキッチンに入り、皿を用意した。久詞はフッと笑うと、切っていた肉を皿に盛る。
「元々、遊は一課の人間だったからな。能力を持て余しているのは本当かもしれん」
「え……」
できたローストビーフをテーブルに運びながら、貴弥は久詞を振り返った。遊の意外な過去に、どうして今は四課にいるのだろう、とすぐに疑問が浮かぶ。
(でも、神津さんやほかの職員さんとも、仲が良さそうには見えなかったな)
「……まぁ、本人が話したがったら聞いてやってくれ」
貴弥は頷いた。そのひと言と声音で、こちらから聞くには少しナーバスな話になるのだと悟る。はたしてあの遊が本音を話してくれるか、と思うが、こればかりは本人次第というところだろう。
「あとは? やることある?」
「ありがとう。そこのサラダをテーブルに出してくれるか?」
「わかった」
久詞の指示通りに、貴弥はボウルに入ったサラダをテーブルに置いた。久詞は温めたスープをスープ皿に注いでいて、そのあとにはバゲットとワイングラスも出てきたので、パーティーみたいだな、と貴弥は笑う。
すると久詞は一瞬動きを止めた。そしてくすりと笑って「そうだな」とバゲットをダイニングテーブルに置く。何がおかしかったのだろう? と貴弥は首を傾げた。
「遊は……帰ってきたな。全部テーブルに運ぶぞ」
「うん」
耳をすました久詞は、スマートな動きで料理を運んでいった。久詞と遊のワイングラスには、てっきり酒が注がれるのかと思いきや、出てきたのは瓶入りの葡萄ジュースだ。
「え、何それ……」
見るからに高級そうなそれに、今から飲むのか、と貴弥が聞くと、葡萄ジュースは嫌いか? と久詞は聞いてくる。
そういうことではないけれど、と貴弥は返す。
なんだか今日の夕飯はお洒落で豪華だ。何かあったのだろうか、と考えを巡らせるけれど、何も思い当たらない。
「ただいま~。久詞、取ってきたもの冷蔵庫に入れとくな~」
陽気に入ってきた遊は、箱を冷蔵庫に入れた。貴弥が見た感じ、その箱はケーキが入っているような箱だった。すぐ着替えてくるからという遊がリビングを出ると、貴弥は久詞を見上げる。
「……ケーキ?」
「ああ。今日は貴弥の誕生日だろう?」
「……」
貴弥は言葉が出てこなかった。そんな話したっけ、と思い返すけれど記憶はなく、どうして、と思えばあることに気付く。
久詞は事前に貴弥に関する情報を手に入れていた。もしかしてそれを覚えていたのでは、と思ったのだ。
唐突に父親の言葉が蘇る。
――ごめんなぁ貴弥、うちはケーキを買うお金がないんだよ。
そう言って、二本目のビール缶を開けた父親。当時の貴弥は、そんな彼を見ないように過ごしていた。
「……」
貴弥はギュッと拳を握る。
貴弥の父親は、貴弥に明確な嫌がらせをしていたわけじゃない。のらりくらりとして、面倒なこと、嫌なことから逃げていただけだ。
父親が貴弥の誕生日を祝わなかったのは、面倒だったからなのだと思う。だから誕生日パーティーなんてものは、裕福で暇を持て余した人たちがするものなのだと、貴弥は思っていた。
久詞たちは、この手間が面倒ではないのだろうか。ここに来てから彼らは、閑職ながらも真面目に働いていたように見える。いつどこでそんな準備をしていたのだろう? 自分の誕生日を祝う余裕が、彼らのどこにあったのだろうか。
「……迷惑だったか?」
ハッとして、貴弥は再び久詞を見上げる。無言で首を振ると、遊が戻ってきた。
「遅なって悪かったなぁ。始めよか、家族団欒の誕生日パーティー」
そう言って肩を叩かれた貴弥は、やはり声を出せなかった。ただただ思考が固まってしまい、上手く言葉が出てこない。
「あら、もしかして、びっくりしすぎて固まっとる?」
「え? ……そう、なの、かな……?」
自分でも、どうして反応ができないのかわからない。これが驚いているというのなら、そろそろお礼を言うなり、喜んだりしなくてはいけないのに。
「あ……ごめん、リアクション薄くて」
「ええよええよ。さ、お兄ちゃんとパパがバースデーソング歌ってやるさかい」
茶化す遊に背中を押されて、貴弥は久詞と遊に抱きしめられる。戸惑ったのは一瞬で、すぐに二人の意識が流れ込んできた。
『俺は貴弥が大事だからな。喜ぶことはなんでもしたい』
『なんやろ……やっぱこの子のこと好きや』
「……」
二人の腕の中で、貴弥は目を閉じる。そして感じるのだ。この二人はこれが手間だとかは考えていなくて、貴弥に喜んで欲しいからしているのだと。
素直に二人の気持ちが嬉しい。
「……ありがとう、二人とも」
「ああ……」
ちゅ、と頭上でリップ音がした。触れたのは頭だったけれど、貴弥は勢いよくキスをした犯人を見上げる。すると久詞は表情も変えずに視線を逸らした。
「……悪い、つい。親愛の挨拶だ」
「ずーるーいー! なら俺もやる!」
「いや、やめろっ!」
なぜか遊は貴弥の頬を両手で包み、顔を近付けてくる。それは挨拶じゃない、と喚きながら、彼の顔面を手で押しやった。
『『笑ってる顔がいい』』
二人の身体が離れる直前、そんな彼らの心の声が聞こえる。普段は張り合っている二人が、同じことを思っていたことに笑えた。
そして、素直に彼らの好意を受け入れてみようと思ったのだ。自分のためにここまでしてくれるなら、好意は本物だと信じられる。
「食べようよ。冷めたらもったいない」
貴弥は微笑んでそう言うと、久詞も遊も笑った。そして思う。人が笑うのはいいものだな、と。
(久詞と遊が俺を想ってくれてるように、俺も二人に何かで返したい)
それなら、やはりここに来た意味はあるだろう。自分の能力で、久詞と遊を笑顔にすることだ。
今まで、【ガイド】としての能力を使うことに躊躇いがあった。けれど初めて、自分から能力を使いたいと思ったのだ。
それから、久詞が作った料理をみんなで食べる。けれど正直、ローストビーフなんてオシャレな料理はお腹が膨れない。そう思っていたら、久詞が「まだあるぞ」と言ってパエリアを出してくれた。やはり彼が作った料理は味付けが繊細でどれも美味しく、貴弥は満面の笑みでお礼を言うと、遊が口を尖らせる。
「なんや思い切り差をつけられた感じするなぁ。せや、お背中流しましょか? 貴弥」
「いらない」
笑顔で身体を寄せてくる遊に、貴弥は即答で返した。なんでや、と泣き真似をする遊に、貴弥は冷ややかな視線を向ける。
「遊は、俺を快楽で落とそうとするから」
遊がやたらと距離を近づけたり、隙あらば身体に触れてきたりするのは貴弥も気付いていた。久詞はオープンに好意を示してくるが、距離の詰め方は優しい。それに比べ遊は正反対だ。一見優しくて頼れる兄貴風だが、距離の詰め方は遠慮がない。心の距離を詰めるのに快楽が手っ取り早いと思われているなら、ハッキリとここで断らないといけないだろう。
もちろん貴弥は、恋愛するなら性別はどちらでもいいと考えているけれど、プライベートな部分に触れられるのは、当然親密な仲になってからの話だ。
すると遊は口に手を当て、わざとらしく肩を震わせた。
「……これが【ガイド】のテレパスか……恐ろしや……」
「んなもん、あれだけベタベタされたらわかるだろっ」
能力など使わなくても、久詞や遊の好意はわかる。施設で働いていたころも、そういう人がいないわけではなかったから、対処に慣れているだけだ。
「なるほどなるほど。つまりはそこまで許せるほどには、俺は受け入れられてるんやな?」
「……まぁ、遊は『お兄ちゃん』だし?」
貴弥はそう言うと、彼は声を出して笑った。
「ここで『お兄ちゃん』を念押しするかぁ。意外と頑固やな」
「そりゃもう。じゃなきゃ俺もヘタレ親父と一緒になるからな」
貴弥の父親はずっと反面教師だった。でもそれを言葉にして言えたのは、まともに好いてくれる二人がいるからこそだ。
「……改めてありがとう。さっきは言葉が出なくて戸惑ったけど、嬉しいよ」
素直に感謝を告げると、二人は微笑む。その視線、表情からは、やはり自分を少なからず好きだという気持ちが見えた。
そのあと、遊がケーキも食べようと言い出し、三人で仲良く王道のショートケーキを食べる。ホールと言えども小ぶりのものだったが、やはり三人で食べるのは多くて、食べきった時は妙な達成感があり、なぜか貴弥は笑った。
こんなふうに、仲がいい人と同じものをシェアするのは楽しい。そう貴弥が言うと、どうしてか二人は髪をくしゃくしゃにするほど撫でてきたけれど。
すっかり楽しみ、余韻に浸りながら家事やら寝支度をしてベッドに入る。久詞と遊もいつも通り入ってきて、やっぱり一緒に寝るんだな、と遠い目になった。
「貴弥、ほらこっち」
「いや、こっちだ」
しかもベッドの上で、二人とも貴弥を自分のほうへ引き寄せようとする。はいはい、と貴弥は無感情に返事をして、二人に抱きつかれながら目を閉じた。
すぐに寝息が聞こえてきたのは遊だ。普段あれだけ寝起きが悪いのに、寝付きはすごく良くて面白いな、と思う。
対して久詞は普段から大人しいせいか、目を閉じていても、寝ているのか寝ているふりなのか、わからない。静かにしているから落ち着いているのだろう、と思い、貴弥はしばらく寝付くまで目を閉じていた。
「……」
けれど、いくら眠ろうとしても眠れない。お祝いが嬉しくてまだ興奮しているのか、少しも睡魔が襲ってこない。
貴弥は小さくため息をつく。【センチネル】が不安定な時は自分の能力でケアができるけれど、自分のケアは自分の能力ではどうすることもできない。
続いてこっそり時計を見てみる。遊が寝てから一時間半は経っており、こんなに眠れないことはなかったのにな、と起き上がった。
とりあえず、リラックスできるように温かいものでも飲もう。そう思ってベッドから慎重に抜け出し、キッチンに向かう。一度冷蔵庫を覗き、飲みたいと思えるものがなかったので、白湯にしようと片手鍋を出したところで声をかけられた。
「どうした、眠れないのか?」
「久詞……」
うん、と頷くと、鍋を貸せ、と言うので渡す。
「悪い、起こしたか?」
「いや。俺は貴弥がどこにいるか、寝ていてもわかるからな」
「……ほんとストーカーだな。その発言、やばいって自覚ある?」
相性の良さの弊害だ、と久詞は笑った。嫌味も効果がないと諦め、貴弥はため息をつく。
久詞は鍋に水を入れると、コンロに置いて火をつけた。電気ポットもあるけれど、今はなんだか手間がかかるほうがありがたい、と貴弥はシンクに凭れる。
「パントリーの中に、俺が買ったお茶がある。飲むか?」
「うん」
貴弥の返事を聞いて、久詞はお茶の葉を出してきた。そのパッケージを見て、貴弥は声を上げる。
「ほうじ茶? ってか、久詞は飲まないのか?」
俺はいい、と言う久詞。途端に申し訳なくなった貴弥は、あとは自分でやる、と久詞をコンロ前から退かせようとした。しかし久詞は聞く気も、動く気もないようだ。
「黙って甘やかされてろ」
「なんでだよ、嫌だよ」
自分のためだけに起きてもらい、お茶を煎れてもらうのは居心地が悪い。自分でできることを人にやってもらうつもりはない。そう思って、貴弥はマグカップを二つ出し、鍋に水を足して、ティーバッグももう一つ出す。
「久詞も」
「……ありがとう」
クスクスと笑う久詞に気まずくなりながら、貴弥は元にいた場所に戻った。すると、久詞の手が伸びてきて、手のひらが頭に乗る。またこの人は、と貴弥は彼を見上げた。
(あ……)
いつものように目を細めて頭を撫でている久詞なのに、いつもより目が優しいと感じたのだ。それは遊がいないからなのか、夜だからなのか、はたまた貴弥と二人きりだからなのか、理由はわからない。
そして、どうしてだろうと思いながらも、貴弥もそんな久詞の手を払うことができなかった。優しく頭の上を動く大きな手に、今までになかった心地良さを感じて、慌てて視線を落とす。なんだか恥ずかしい。
「眠れなくなるほど、嬉しかったのか?」
上から低く心地良い声が降ってきた。その間も頭にある手は動いていて、貴弥はなぜか振り解けない上に落ち着かない。
「夕飯の時からずっと、緊張しているようだ」
「また……、そういうのは口に出さなくていいから……」
なんでだろう、どうしてだろう、と貴弥は自問自答しつつ、反論する口調に勢いはない。
久詞が父親で、自分がもっと子供だったら、この光景は傍から見ても不自然ではなかっただろう。けれど自分はもう、一人で生きていける年齢になってしまった。
――こういう親子関係を、築けていられたらなぁ、と思ってしまったのだ。そして久詞は、貴弥がその絆を得られなかったことを知っていて、心の奥底で愛情を求めていることに気付いている。
「久詞」
お湯が沸騰し始めた音がした。貴弥は頭にあった彼の手を取り握ると、そっと見上げる。
「俺も、久詞たちが笑ってるのがいい。だから今日、ここで……四課で自分の能力を活かそうと思った」
「……無理はするなよ」
「うん」
【ガイド】としての道を避けてきたけれど、貴弥は初めて、人のために力を使いたいと思ったのだ。家族の代わりになろうとしてくれる、久詞と遊の好意へのお返しに。自分も、ある程度は久詞たちのことが好きだから。
「……さぁ、飲んで寝るぞ」
「ん」
久詞が火を止める。ティーバッグを入れたマグに熱湯を注ぐと、ほうじ茶の香ばしい香りが立ち上がってくる。
それなのに、貴弥はいつもより早く脈打つ心臓の音が収まらなくて、それを久詞に聞かれているかもと思ったら、いたたまれなかった。
小学生の登下校を見守り、おばあさんの介助をし、道案内もした。買い物の手伝いや店に出た害虫の駆除まで、本当に仕事の範囲は広い。
「……平和だよなぁ」
とても特務機関とは思えない仕事内容だ。貴弥は自宅で料理をする久詞を眺めながら、そう呟いた。ちなみに、遊は野暮用と言って、それを済ませてからここに来るらしい。三人一緒に寝ることにも慣れてきて、こんなはずじゃなかったのにな、と貴弥は内心肩を落とす。
「給料泥棒って言われるのわかったよ。ほかの課は要人の護衛とか、事件とかを解決してるんだろ?」
それに比べれば、四課は平和ボケと言われても仕方がない。こんなのでいいのか、とため息をつく貴弥に、久詞は包丁を動かしながら答えた。
「平和が不満か?」
「いや、そういう訳じゃ……。そっか、……そうだよな」
久詞の一言で彼が何を言いたいのか気付き、貴弥は納得する。
「俺らの出番がないほうがいいんだ」
「うん……」
実際、見回りに出ることも無駄じゃない。意外にも久詞はタワービルの外では慕われているようだし、貴弥がここに来たとき、協力してくれたのも外の人だという。それに、人助けをして感謝されるのも悪くはない。
「でも、宝の持ち腐れ感がすごくする」
貴弥はそう言ってキッチンに入り、皿を用意した。久詞はフッと笑うと、切っていた肉を皿に盛る。
「元々、遊は一課の人間だったからな。能力を持て余しているのは本当かもしれん」
「え……」
できたローストビーフをテーブルに運びながら、貴弥は久詞を振り返った。遊の意外な過去に、どうして今は四課にいるのだろう、とすぐに疑問が浮かぶ。
(でも、神津さんやほかの職員さんとも、仲が良さそうには見えなかったな)
「……まぁ、本人が話したがったら聞いてやってくれ」
貴弥は頷いた。そのひと言と声音で、こちらから聞くには少しナーバスな話になるのだと悟る。はたしてあの遊が本音を話してくれるか、と思うが、こればかりは本人次第というところだろう。
「あとは? やることある?」
「ありがとう。そこのサラダをテーブルに出してくれるか?」
「わかった」
久詞の指示通りに、貴弥はボウルに入ったサラダをテーブルに置いた。久詞は温めたスープをスープ皿に注いでいて、そのあとにはバゲットとワイングラスも出てきたので、パーティーみたいだな、と貴弥は笑う。
すると久詞は一瞬動きを止めた。そしてくすりと笑って「そうだな」とバゲットをダイニングテーブルに置く。何がおかしかったのだろう? と貴弥は首を傾げた。
「遊は……帰ってきたな。全部テーブルに運ぶぞ」
「うん」
耳をすました久詞は、スマートな動きで料理を運んでいった。久詞と遊のワイングラスには、てっきり酒が注がれるのかと思いきや、出てきたのは瓶入りの葡萄ジュースだ。
「え、何それ……」
見るからに高級そうなそれに、今から飲むのか、と貴弥が聞くと、葡萄ジュースは嫌いか? と久詞は聞いてくる。
そういうことではないけれど、と貴弥は返す。
なんだか今日の夕飯はお洒落で豪華だ。何かあったのだろうか、と考えを巡らせるけれど、何も思い当たらない。
「ただいま~。久詞、取ってきたもの冷蔵庫に入れとくな~」
陽気に入ってきた遊は、箱を冷蔵庫に入れた。貴弥が見た感じ、その箱はケーキが入っているような箱だった。すぐ着替えてくるからという遊がリビングを出ると、貴弥は久詞を見上げる。
「……ケーキ?」
「ああ。今日は貴弥の誕生日だろう?」
「……」
貴弥は言葉が出てこなかった。そんな話したっけ、と思い返すけれど記憶はなく、どうして、と思えばあることに気付く。
久詞は事前に貴弥に関する情報を手に入れていた。もしかしてそれを覚えていたのでは、と思ったのだ。
唐突に父親の言葉が蘇る。
――ごめんなぁ貴弥、うちはケーキを買うお金がないんだよ。
そう言って、二本目のビール缶を開けた父親。当時の貴弥は、そんな彼を見ないように過ごしていた。
「……」
貴弥はギュッと拳を握る。
貴弥の父親は、貴弥に明確な嫌がらせをしていたわけじゃない。のらりくらりとして、面倒なこと、嫌なことから逃げていただけだ。
父親が貴弥の誕生日を祝わなかったのは、面倒だったからなのだと思う。だから誕生日パーティーなんてものは、裕福で暇を持て余した人たちがするものなのだと、貴弥は思っていた。
久詞たちは、この手間が面倒ではないのだろうか。ここに来てから彼らは、閑職ながらも真面目に働いていたように見える。いつどこでそんな準備をしていたのだろう? 自分の誕生日を祝う余裕が、彼らのどこにあったのだろうか。
「……迷惑だったか?」
ハッとして、貴弥は再び久詞を見上げる。無言で首を振ると、遊が戻ってきた。
「遅なって悪かったなぁ。始めよか、家族団欒の誕生日パーティー」
そう言って肩を叩かれた貴弥は、やはり声を出せなかった。ただただ思考が固まってしまい、上手く言葉が出てこない。
「あら、もしかして、びっくりしすぎて固まっとる?」
「え? ……そう、なの、かな……?」
自分でも、どうして反応ができないのかわからない。これが驚いているというのなら、そろそろお礼を言うなり、喜んだりしなくてはいけないのに。
「あ……ごめん、リアクション薄くて」
「ええよええよ。さ、お兄ちゃんとパパがバースデーソング歌ってやるさかい」
茶化す遊に背中を押されて、貴弥は久詞と遊に抱きしめられる。戸惑ったのは一瞬で、すぐに二人の意識が流れ込んできた。
『俺は貴弥が大事だからな。喜ぶことはなんでもしたい』
『なんやろ……やっぱこの子のこと好きや』
「……」
二人の腕の中で、貴弥は目を閉じる。そして感じるのだ。この二人はこれが手間だとかは考えていなくて、貴弥に喜んで欲しいからしているのだと。
素直に二人の気持ちが嬉しい。
「……ありがとう、二人とも」
「ああ……」
ちゅ、と頭上でリップ音がした。触れたのは頭だったけれど、貴弥は勢いよくキスをした犯人を見上げる。すると久詞は表情も変えずに視線を逸らした。
「……悪い、つい。親愛の挨拶だ」
「ずーるーいー! なら俺もやる!」
「いや、やめろっ!」
なぜか遊は貴弥の頬を両手で包み、顔を近付けてくる。それは挨拶じゃない、と喚きながら、彼の顔面を手で押しやった。
『『笑ってる顔がいい』』
二人の身体が離れる直前、そんな彼らの心の声が聞こえる。普段は張り合っている二人が、同じことを思っていたことに笑えた。
そして、素直に彼らの好意を受け入れてみようと思ったのだ。自分のためにここまでしてくれるなら、好意は本物だと信じられる。
「食べようよ。冷めたらもったいない」
貴弥は微笑んでそう言うと、久詞も遊も笑った。そして思う。人が笑うのはいいものだな、と。
(久詞と遊が俺を想ってくれてるように、俺も二人に何かで返したい)
それなら、やはりここに来た意味はあるだろう。自分の能力で、久詞と遊を笑顔にすることだ。
今まで、【ガイド】としての能力を使うことに躊躇いがあった。けれど初めて、自分から能力を使いたいと思ったのだ。
それから、久詞が作った料理をみんなで食べる。けれど正直、ローストビーフなんてオシャレな料理はお腹が膨れない。そう思っていたら、久詞が「まだあるぞ」と言ってパエリアを出してくれた。やはり彼が作った料理は味付けが繊細でどれも美味しく、貴弥は満面の笑みでお礼を言うと、遊が口を尖らせる。
「なんや思い切り差をつけられた感じするなぁ。せや、お背中流しましょか? 貴弥」
「いらない」
笑顔で身体を寄せてくる遊に、貴弥は即答で返した。なんでや、と泣き真似をする遊に、貴弥は冷ややかな視線を向ける。
「遊は、俺を快楽で落とそうとするから」
遊がやたらと距離を近づけたり、隙あらば身体に触れてきたりするのは貴弥も気付いていた。久詞はオープンに好意を示してくるが、距離の詰め方は優しい。それに比べ遊は正反対だ。一見優しくて頼れる兄貴風だが、距離の詰め方は遠慮がない。心の距離を詰めるのに快楽が手っ取り早いと思われているなら、ハッキリとここで断らないといけないだろう。
もちろん貴弥は、恋愛するなら性別はどちらでもいいと考えているけれど、プライベートな部分に触れられるのは、当然親密な仲になってからの話だ。
すると遊は口に手を当て、わざとらしく肩を震わせた。
「……これが【ガイド】のテレパスか……恐ろしや……」
「んなもん、あれだけベタベタされたらわかるだろっ」
能力など使わなくても、久詞や遊の好意はわかる。施設で働いていたころも、そういう人がいないわけではなかったから、対処に慣れているだけだ。
「なるほどなるほど。つまりはそこまで許せるほどには、俺は受け入れられてるんやな?」
「……まぁ、遊は『お兄ちゃん』だし?」
貴弥はそう言うと、彼は声を出して笑った。
「ここで『お兄ちゃん』を念押しするかぁ。意外と頑固やな」
「そりゃもう。じゃなきゃ俺もヘタレ親父と一緒になるからな」
貴弥の父親はずっと反面教師だった。でもそれを言葉にして言えたのは、まともに好いてくれる二人がいるからこそだ。
「……改めてありがとう。さっきは言葉が出なくて戸惑ったけど、嬉しいよ」
素直に感謝を告げると、二人は微笑む。その視線、表情からは、やはり自分を少なからず好きだという気持ちが見えた。
そのあと、遊がケーキも食べようと言い出し、三人で仲良く王道のショートケーキを食べる。ホールと言えども小ぶりのものだったが、やはり三人で食べるのは多くて、食べきった時は妙な達成感があり、なぜか貴弥は笑った。
こんなふうに、仲がいい人と同じものをシェアするのは楽しい。そう貴弥が言うと、どうしてか二人は髪をくしゃくしゃにするほど撫でてきたけれど。
すっかり楽しみ、余韻に浸りながら家事やら寝支度をしてベッドに入る。久詞と遊もいつも通り入ってきて、やっぱり一緒に寝るんだな、と遠い目になった。
「貴弥、ほらこっち」
「いや、こっちだ」
しかもベッドの上で、二人とも貴弥を自分のほうへ引き寄せようとする。はいはい、と貴弥は無感情に返事をして、二人に抱きつかれながら目を閉じた。
すぐに寝息が聞こえてきたのは遊だ。普段あれだけ寝起きが悪いのに、寝付きはすごく良くて面白いな、と思う。
対して久詞は普段から大人しいせいか、目を閉じていても、寝ているのか寝ているふりなのか、わからない。静かにしているから落ち着いているのだろう、と思い、貴弥はしばらく寝付くまで目を閉じていた。
「……」
けれど、いくら眠ろうとしても眠れない。お祝いが嬉しくてまだ興奮しているのか、少しも睡魔が襲ってこない。
貴弥は小さくため息をつく。【センチネル】が不安定な時は自分の能力でケアができるけれど、自分のケアは自分の能力ではどうすることもできない。
続いてこっそり時計を見てみる。遊が寝てから一時間半は経っており、こんなに眠れないことはなかったのにな、と起き上がった。
とりあえず、リラックスできるように温かいものでも飲もう。そう思ってベッドから慎重に抜け出し、キッチンに向かう。一度冷蔵庫を覗き、飲みたいと思えるものがなかったので、白湯にしようと片手鍋を出したところで声をかけられた。
「どうした、眠れないのか?」
「久詞……」
うん、と頷くと、鍋を貸せ、と言うので渡す。
「悪い、起こしたか?」
「いや。俺は貴弥がどこにいるか、寝ていてもわかるからな」
「……ほんとストーカーだな。その発言、やばいって自覚ある?」
相性の良さの弊害だ、と久詞は笑った。嫌味も効果がないと諦め、貴弥はため息をつく。
久詞は鍋に水を入れると、コンロに置いて火をつけた。電気ポットもあるけれど、今はなんだか手間がかかるほうがありがたい、と貴弥はシンクに凭れる。
「パントリーの中に、俺が買ったお茶がある。飲むか?」
「うん」
貴弥の返事を聞いて、久詞はお茶の葉を出してきた。そのパッケージを見て、貴弥は声を上げる。
「ほうじ茶? ってか、久詞は飲まないのか?」
俺はいい、と言う久詞。途端に申し訳なくなった貴弥は、あとは自分でやる、と久詞をコンロ前から退かせようとした。しかし久詞は聞く気も、動く気もないようだ。
「黙って甘やかされてろ」
「なんでだよ、嫌だよ」
自分のためだけに起きてもらい、お茶を煎れてもらうのは居心地が悪い。自分でできることを人にやってもらうつもりはない。そう思って、貴弥はマグカップを二つ出し、鍋に水を足して、ティーバッグももう一つ出す。
「久詞も」
「……ありがとう」
クスクスと笑う久詞に気まずくなりながら、貴弥は元にいた場所に戻った。すると、久詞の手が伸びてきて、手のひらが頭に乗る。またこの人は、と貴弥は彼を見上げた。
(あ……)
いつものように目を細めて頭を撫でている久詞なのに、いつもより目が優しいと感じたのだ。それは遊がいないからなのか、夜だからなのか、はたまた貴弥と二人きりだからなのか、理由はわからない。
そして、どうしてだろうと思いながらも、貴弥もそんな久詞の手を払うことができなかった。優しく頭の上を動く大きな手に、今までになかった心地良さを感じて、慌てて視線を落とす。なんだか恥ずかしい。
「眠れなくなるほど、嬉しかったのか?」
上から低く心地良い声が降ってきた。その間も頭にある手は動いていて、貴弥はなぜか振り解けない上に落ち着かない。
「夕飯の時からずっと、緊張しているようだ」
「また……、そういうのは口に出さなくていいから……」
なんでだろう、どうしてだろう、と貴弥は自問自答しつつ、反論する口調に勢いはない。
久詞が父親で、自分がもっと子供だったら、この光景は傍から見ても不自然ではなかっただろう。けれど自分はもう、一人で生きていける年齢になってしまった。
――こういう親子関係を、築けていられたらなぁ、と思ってしまったのだ。そして久詞は、貴弥がその絆を得られなかったことを知っていて、心の奥底で愛情を求めていることに気付いている。
「久詞」
お湯が沸騰し始めた音がした。貴弥は頭にあった彼の手を取り握ると、そっと見上げる。
「俺も、久詞たちが笑ってるのがいい。だから今日、ここで……四課で自分の能力を活かそうと思った」
「……無理はするなよ」
「うん」
【ガイド】としての道を避けてきたけれど、貴弥は初めて、人のために力を使いたいと思ったのだ。家族の代わりになろうとしてくれる、久詞と遊の好意へのお返しに。自分も、ある程度は久詞たちのことが好きだから。
「……さぁ、飲んで寝るぞ」
「ん」
久詞が火を止める。ティーバッグを入れたマグに熱湯を注ぐと、ほうじ茶の香ばしい香りが立ち上がってくる。
それなのに、貴弥はいつもより早く脈打つ心臓の音が収まらなくて、それを久詞に聞かれているかもと思ったら、いたたまれなかった。
31
あなたにおすすめの小説
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
たとえば、俺が幸せになってもいいのなら
夜月るな
BL
全てを1人で抱え込む高校生の少年が、誰かに頼り甘えることを覚えていくまでの物語―――
父を目の前で亡くし、母に突き放され、たった一人寄り添ってくれた兄もいなくなっていまった。
弟を守り、罪悪感も自責の念もたった1人で抱える新谷 律の心が、少しずつほぐれていく。
助けてほしいと言葉にする権利すらないと笑う少年が、救われるまでのお話。
竜王陛下、番う相手、間違えてますよ
てんつぶ
BL
大陸の支配者は竜人であるこの世界。
『我が国に暮らすサネリという夫婦から生まれしその長子は、竜王陛下の番いである』―――これが俺たちサネリ
姉弟が生まれたる数日前に、竜王を神と抱く神殿から発表されたお触れだ。
俺の双子の姉、ナージュは生まれる瞬間から竜王妃決定。すなわち勝ち組人生決定。 弟の俺はいつかかわいい奥さんをもらう日を夢みて、平凡な毎日を過ごしていた。 姉の嫁入りである18歳の誕生日、何故か俺のもとに竜王陛下がやってきた!? 王道ストーリー。竜王×凡人。
20230805 完結しましたので全て公開していきます。
【完結】下級悪魔は魔王様の役に立ちたかった
ゆう
BL
俺ウェスは幼少期に魔王様に拾われた下級悪魔だ。
生まれてすぐ人との戦いに巻き込まれ、死を待つばかりだった自分を魔王様ーーディニス様が助けてくれた。
本当なら魔王様と話すことも叶わなかった卑しい俺を、ディニス様はとても可愛がってくれた。
だがそんなディニス様も俺が成長するにつれて距離を取り冷たくなっていく。自分の醜悪な見た目が原因か、あるいは知能の低さゆえか…
どうにかしてディニス様の愛情を取り戻そうとするが上手くいかず、周りの魔族たちからも蔑まれる日々。
大好きなディニス様に冷たくされることが耐えきれず、せめて最後にもう一度微笑みかけてほしい…そう思った俺は彼のために勇者一行に挑むが…
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる