閑職特務機関の華・センチネルバース

大竹あやめ

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第5章

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 それから、遊は貴弥の部屋に来なくなった。賑やかしだった彼がいないことで、家に帰っても静かで、何か物足りない。それが五日目になると、貴弥は心配になって思わず久詞に聞いてしまう。

「なぁ、遊戻ってこないな」

 朝食を食べながらの会話。相変わらず綺麗な所作で食事をしていた久詞は箸を止めた。

「立て込んでいるんだろう。自分の家には帰っているようだから大丈夫だ」

 気になるのか、と聞かれたので、貴弥は正直に頷く。そのあとの沈黙が耐えられなくなって、ご飯を味噌汁で流し込んだ。今までこんなふうに考えたこともなかったのに、妙に二人きりということを意識してしまう。

(家族は……こんなに意識しないよな)

 久詞と二人でいるのが苦痛というわけではない。むしろ仲良くしたいと思っている。なのに、遊がいないだけで落ち着かないのだ。

「……明日、休みだろう。一緒にどこかへ出かけるか?」
「え……」

 意外な発言に貴弥は顔を上げると、柔らかい視線でこちらを見ている久詞がいた。貴弥はすぐに視線を外し、残りの味噌汁を飲み干す。

「なんでまた急に……」
「ここに来てから、休日らしい休日を送ってないだろう」

 息抜きだ、と言う久詞は、それ以上の意味を含ませてはいないようだ。
 確かに、ここに来てからは必要なものを買え揃えたり、「特別な手続き」をして借りていた部屋を解約したりして、まともに休めていなかったなと思う。でもそれも久詞と遊は付き合ってくれていたし、彼らも同じなのだから自分にかまっている場合じゃないのでは、とも思った。

「それを言うなら久詞も。一人時間とか欲しくないのか?」

 ずっと付き合ってもらうのは申し訳ない。家族と思えばいいというのはあくまで例えであって、仕事がスムーズにいくための方便だろう。それに、家族であっても一人時間は必要だ。

「ほら、例えば彼女とか。デートは定期的にしないと……」

 そう言ってから、貴弥はどうしてこんな例えをしてしまったんだと後悔した。久詞に彼女がいるかなんて聞いたことがないし、決めつけにも程があるだろう、と。

(確かに、凛々しい顔してるし、モテなくはなさそうだけど)

 貴弥は今のなし、と両手を振った。そういえば久詞のプライベートなことなんて、ほとんど知らないことに気付いたのだ。余計なお世話だった、と席を立ち、片付けを始めると、久詞も立ち上がる。

「彼女はいない」

 静かな彼の声に貴弥はドキリとした。動揺を悟られないようにしようと腹に力を込める。

「そ、そうなんだ! 意外だなぁ。久詞男前だし、とーぜんいるものだと……!」

 力を込めすぎたせいか思ったより大きな声が出た。それが恥ずかしくて黙ると、久詞は貴弥が持っていた食器を奪う。

「俺が大事にしたいのは、貴弥だけだ。……出会った時から、ずっと」
「……っ」

 まるで愛の告白のような言葉に、貴弥は硬直してしまった。そして、今までこんなに真っ直ぐに、自分を想ってくれた人はいただろうか、と胸が熱くなる。でも、それと同時に酷く動揺した。大事にされて嬉しいのに、それを素直に受け取ることができなかったのだ。

「出会ったって……つい最近だろ?」
「忘れたか? 前に一度会ってる」

 そう言われて、貴弥はすぐに思い出す。確かに、久詞にどこかで会っていないか、と聞いたことがあった。いつだったのか、貴弥はまだ思い出せていないけれど。

「その時から、俺は貴弥のために生きると決めた」
「……なんで……」

 思わず口から出たのは質問だ。前に会っていると言われても、貴弥にはまったく記憶がない。それなのに、こんなに熱い言葉をかけられる理由がわからないのだ。

「思い出せないならいい。貴弥にとって良くない思い出だろうから」
「……」

 貴弥は今度は言葉も出なかった。確か、久詞と前にもこうしたことがある、と思った場面は彼のケアをした時だったなと思う。思い出しかけた嫌な記憶を振り切るように、貴弥は思いつくまま言葉を繋いだ。

「ど、どのみち、男の俺にじゃなくて、女の子に言えよ、そういうのは……」

 もしかして、という動揺と、久詞の真っ直ぐな眼差しを向けられて動揺し、貴弥は台拭きを持ってきてテーブルをガシガシ拭いた。愛の告白みたいだぞと言うと、そうだが、といつものトーンで返されて、思わず手を止めてしまう。

「貴弥がまだ受け止めきれないのなら待つ。俺は貴弥が幸せなら、なんだっていい」
「え、……ちょ……」

 あまりの衝撃に、貴弥はとうとう思考も動きも止まってしまった。今までも冗談だろ、と躱していたはずなのに、まさかずっと本気だったとは思わず固まる。

「ひょ、ひょっとして、あれか? 遊に対抗してる……とか?」
「貴弥が遊を選ぶというなら受け入れよう。けど、奴が貴弥を泣かせるようなら容赦はしない」

 貴弥は口を開けたまま久詞を見つめる。先程からうるさい心臓は、落ち着くどころかもっと大きく脈打っている。どうやら本当に本気らしいとわかり、どうしていいのかわからなくなった。
 そもそも男同士だし、とか歳も結構離れているし、とか考えたけれど、多分久詞は関係ないと言うだろう。真顔で人をからかいはするものの、ここまでのことを冗談でするような人ではない。

(俺は、どうしたいんだ?)

 確かに、久詞には父親に対する憧憬をほんのり向けていたことは認めよう。でも、恋愛と家族愛は違う。
 すると、フッと久詞が笑った。

「すまない、困らせるつもりはなかった」

 ポン、と頭を撫でられ、そのあとスッと離れていく久詞を貴弥は見上げる。
 ――貴弥はいい子だなぁ俺と違って。俺がいなくても大丈夫だな。
 唐突に、そんな父親の言葉が蘇った。貴弥はヒュッと息を飲み、反射的に久詞のシャツの裾を掴む。

「あ……」

 振り返った久詞を見て貴弥は我に返った。どうしてこんなことをしてしまったのだろうと思うけれど、掴んだシャツは離せない。

「ごめ、なんか……」

 ぎこちなく謝ると、すぐに長い腕に囲まれた。すると久詞の感情が、貴弥の中へと流れ込んでくる。
 ――大事にしたい。
 ――笑っていて欲しい。
 ――俺が支えたい。
 また胸が熱くなった。それは苦しいほど強い感情で、貴弥は彼の腕の中でギュッと目を閉じる。
 ガラガラと、自分の中で何かが崩れたような音がした。貴弥は自らも腕を回し、久詞の広い背中でギュッとシャツを握る。
 こうして、自分を想って支えてくれる存在が、ずっと欲しかったのだといまさら気付いた。けれど、また父親のようにいつの間にかいなくなることが怖くて、求めることを諦めていたのだと、痛む目頭を目を閉じてやり過ごす。

「……甘えていいぞ」
「……」

 返事の代わりに腕に力を込めた。なぜここまで久詞がしてくれるのかはわからない。でも、自分でも気付かなかった身内を永遠に失う恐怖を、彼はわかってくれている。それだけでいい。
 若いのに偉いね、とよく言われてはいた。仕方がない、仕方がないと選択肢を狭められ、その中でも強くなってやろうと決めたのに。
 どうしてきつく閉じた目から涙が滲むのだろう?

「……今日、サボるか?」
「なんでだよ……嫌だよ……」

 貴弥が最優先だ、と言われて首を振る。その代わり、恐る恐る久詞の胸に擦り寄った。

(あったかい……)

 人肌って、こんなに安心するものだったのか、と貴弥はそっと息を吐く。久詞の手が後頭部にきて、優しく撫でられた。

『――戻ってこい』

 不意にそんな声がして、ハッと久詞を見る。そして貴弥は酷く動揺した。なぜならそれは、貴弥が【ガイド】として発現した時の記憶だったからだ。

「あ、……あれ……?」

 貴弥は久詞から離れると、自分の両腕を抱きしめる。

「やっぱ久詞、前に会ったの……俺の能力が発現した時……?」
「……」

 久詞は何も言わない。彼は以前に質問した時には否定しなかった。貴弥の味方だと言われて、詳しい話ははぐらかされたことに気付く。
 思えば久詞のケアはどこか既視感があったのだ。忘れているというなら、記憶がないその時期を真っ先に疑えばいいのに、それをしなかったのはあの時の恐怖が蘇るからだ。

「無理に思い出さなくていい。貴弥のトラウマになっているなら、なおさら」

 思い出さなくても、貴弥の味方であることは変わらないから、と久詞は言う。
 確かにそれはありがたいし嬉しい。けれど理由もわからずそう言われるのは気持ち悪い。
 そんなことを考えていると、リビングのドアが開いた。驚いてそちらを見ると、遊が疲れた様子で入ってくる。

「あ……遊、おかえ……」

 貴弥が挨拶をして彼を迎え入れると、遊は真っ直ぐ貴弥の所まで来て、貴弥を抱きしめた。力強い抱擁に戸惑った貴弥は、彼の背中を軽く叩くと、途端に息苦しくなる。

(何これ……遊?)

 この息苦しさは、遊のものだ。共感能力と読心能力で、遊が感じているものが貴弥にも移っているらしい。

「あ、遊……?」

 何も言わない彼に戸惑っていると、久詞が静かにリビングを出ていった。遊は疲れているみたいだし、ケアが必要なのかなと察し、ゆっくりと彼の背中を撫でる。

「疲れたのか?」
「貴弥だと回復が断トツなんや。……すまん、もう少し……」
「ちょ……っ」

 そういうやいなや、遊は抱きついたまま貴弥をリビングに連れていった。貴弥はそのままソファーに押し倒され、身体全体を押し付けられる。

「重い……っ」
「貴弥……!」

 文句を言おうとした口は、遊の悲痛な声に止まってしまった。

「なぁ、俺と契約してくれ。不自由はさせへん、一緒にここを出ようや……」

 どうして、という前に、貴弥の脳裏に破裂音が響く。驚いて大きく身体を震わせ息を詰めると、目の前に血を流した女性が見えた。そして、すぐにその人を抱きとめる遊の姿――……。
 遊が周りをめつけた瞬間、ある方向に向かって彼は銃を発砲する。そしてすぐさま女性が撃たれた箇所を手で押さえ、叫んだ。

『おい! なんで無茶したんだ!?』

 標準語だ、と貴弥は思う。これは遊の記憶なのだろうか? そう思いながら様子を見ていると、女性は血を流しながらも、苦しそうに微笑んだのだ。

『撃つより盾になったほうが早い思て……』
『だからってこんな……! ダメだ、敵に囲まれる前にここから離れないと!』
「……まさか」

 貴弥は思わず呟く。その様子に遊は気付いたのだろう、はあ、と深いため息をついた。

「……読んだんか?」
「……少し。関西弁の女の人……」

 貴弥がそう言うと、遊はまた長いため息をつく。この短い記憶だけでも、遊と女性は信頼していた間柄だったのだとわかる。しかし遊の様子からして今しがた見た光景が、良い結末を迎えているとは思えなかった。

「俺の、【ガイド】だったんや……。そして、……大切な人やった」

 大切な人、と発した遊の声音は、今までにないくらい柔らかい。それだけで、遊が本当に彼女のことが好きだったんだな、と貴弥は胸が締めつけられる。
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