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第6章
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そのあと、遊はまた一課に行かなければならないとかで、慌ただしく家を出ていく。入れ替わりにリビングに来た久詞に心配されたが、貴弥は穏やかな笑みで返した。
「ってか、一課と四課は仲悪いのに遊を呼び出すのな?」
「遊は優秀だからな。それに人命がかかっていることも多い」
久詞の言葉に、貴弥は笑う。なんだかんだいって、久詞も遊も、お互いに認めているのは心地いい。そしてそんな二人に、自分も役に立ちたいとやっぱり思う。
「……何を話してた?」
「ん? ってか、聞こえてたんじゃないのか?」
いくらこの家が気密性、防音性に優れていたとしても、一枚ドアを隔てたところにいたのなら聞こえそうなものだ。けれど久詞は首を小さく横に振る。
「いや、貴弥は遊に向けて声を発していただろう。ケアをしている時は聞こえにくい」
意外な言葉に貴弥はそんなものなのか、と納得した。確かに、誰に向けて話しているか、というのは重要なのかもしれない。
「そっか。……なら、内緒」
「……」
聞こえていなかったならそれでいい。遊の葛藤を久詞に話す必要はないし、自分の気持ちは――自覚したばかりでまだ整理がついていない。ただ、悪いことではないと示すために笑顔で言うと、久詞は無言で頭を撫でてきた。
「……よく撫でてくれるよな。俺そんなに子供っぽい?」
「愛おしいと思ったからだ。迷惑ならやめる」
ストレートな久詞の言葉に、貴弥は小さく首を振る。そういえば、彼は最初から貴弥が好きなことを隠そうともしなかった。そして自分も、最初は嫌だったのに今は心地いいと感じている。
「さあ、出勤するぞ」
「ん、すぐに支度する」
貴弥はすぐに寝室に戻り着替える。
久詞とのこの空気感は、家族に留まらない甘いものになっていると自覚している。多分久詞も、貴弥が受け入れるようになってからは、スキンシップにほんのり情欲が乗るようになってきた。
けれど、貴弥は肝心な言葉を言えないでいる。
さきほどの遊との会話で、久詞が好きなのかという彼の言うことは、その通りだと思った。けれど、自分は流されていただけではないのか、とか、家族愛に飢えているから久詞に撫でられたいと思うのか、とか考えてしまうのだ。
それでも、久詞は急かすでもなく、貴弥から言葉を引き出そうとするでもなく、いつも通り穏やかにいてくれる。それがありがたいと思うし、そんな態度からでも愛を感じてしまうのだ。
(ちゃんと、自分で考えて気持ちを固めるから。待ってて欲しい)
そう思いながら貴弥はシャツの袖に腕を通す。
身支度をして戻ると、久詞も準備万端で待っていた。
「忘れ物はないか?」
「ん」
なぜだろう? 触れてもいないのに心が繋がっている気がする。ケア以外でこんな感覚になるのは初めてだ。
貴弥は温かくて心地よく締めつけられる胸を押さえつつ、玄関のドアを開けた。
◇ ◇ ◇
その日の午前中は、平和だった。見守りも声かけもだんだん楽しくなってきたし、この平和を守るのも、正義のヒーローっぽくてワクワクするようになった。
「本当に、毎日こうならいいのに」
「そうだな」
遊がいないからか、会話はポツポツだ。けれど居心地の悪さはないし、むしろ安心さえしている。
自分たちの出番がないほうがいい。それは街を歩いていれば、本当にそうだと感じる。
よからぬことを考えている人は、どこにでも潜んでいるのだ。それを見守りや声かけで未然に防ぐことができると、身をもって知った。
「……なぁ、あのタワービルにいる人たちは、訓練を受けてるんだろ? 俺も久詞たちみたいに……」
「それはだめだ」
全部言っていないにも関わらず、想像以上に強く言われて貴弥は固まってしまう。そして自分の気持ちが否定された気分になり、顔が熱くなった。
ここで【ガイド】として、久詞たちの役に立ちたいと宣言もしたのに、と久詞を見上げる。
「なんで?」
自分でも、思ったより鋭い声になった。しかし彼はいつも通り冷静で、辺りに異常がないか確認している。
「俺は貴弥を危険な目に遭わせるつもりはない」
「なんだよそれ」
半ば無理やりここに連れてきたくせに、危険な目に遭わせたくないとはどういうことだろう。だったら初めから、借金の肩代わりなんてせずに、放っておけばよかったのに。
「まさか、俺が借金を返したらここを追い出すつもりなんじゃ……」
「貴弥だって、初めはそのつもりだっただろう」
なんだよそれ、ともう一度貴弥は唇を噛む。
「それなら、どうして信頼関係が大事だって言った? 俺がここに残る可能性は考えなかったのか?」
「……俺は貴弥が大事なだけだ」
いつも通りの平静な顔で、そんなことを言う久詞にムカついた。仲良くなれば、離れがたくなるのは想像しなかったのか。
――いい子だもんなぁ貴弥は。俺がいなくてもやっていけるよな?
父親の言葉が脳内で響く。
(まさか久詞も、俺を突き放そうとしてる……?)
心臓が嫌な感じに跳ね上がった。いくら願っても得られなかった愛情が、ここに来てやっと手に入れられると思っていたのに。
大事なら、そばにいるのが普通だと思っていたけれど、久詞はそうじゃないのか。
『助けて!!』
すると突然女性の声が聞こえて、貴弥はハッと顔を上げる。今のは耳から聞こえた声ではない。これは――【センチネル】の心の声だ。
「久詞」
「駅のほうがザワついているな。行くぞ」
どうやら久詞も気付いたらしい。貴弥は頷くと、駆け出した久詞のあとを付いていく。
正午に差し掛かる時間なので、朝のラッシュ時よりはマシだけれど、それでも人は大勢いた。その中を、久詞は迷いなく走っていく。
話は中途半端になってしまったけれど、それどころじゃない。周りの人は気付いていないのか無関心なのか、走る貴弥たちを見ることもない。
(……すごいな。どこにいるのか、もうわかってるんだ)
今まで落ち着いた姿しか見たことがなかったけれど、久詞はやはり足も速い。それでも、貴弥が付いていける速さで走っているのに気付き、なんだか複雑な気分になる。
『苦しい! ……どうしてみんな助けてくれないの!?』
走るにつれ、女性の声が大きくなってきた。近付いている証拠だと思うのと同時に、女性の息苦しさが貴弥にも伝わってくる。
すると駅の構内でちょっとした人だかりができていた。その中心に胸を押さえてうずくまる女子高生らしき人と、声掛けをしている壮年の女性がいる。周りには心配そうにチラチラ見ている人がいるけれど、積極的に関わろうとする人は、その女性以外にいない。
「苦しいですね。大丈夫、俺は【ガイド】です」
貴弥は駆け寄って極力穏やかに言うと、久詞が寄り添っていた女性を女子高生から離した。背中を撫でると途端に、今までの比じゃないほど胸が苦しくなり、グッと息を詰める。
『なにあれ? パニック?』
『【ガイド】って聞こえたけど、じゃああの子は【センチネル】?』
『こんなところで騒ぐとかいい迷惑だ。ケアの相手いないのかよ』
女子高生から、彼女が何を感じているのかが伝わってくる。私だって好きでこうなってるんじゃない、とそれらの声に反応する女子高生に、貴弥はそうだね、と意識的に息を吐き出した。
『聞こえる? 俺の声だけ聞いて?』
『……あなた誰?』
女子高生は今貴弥の存在に気付いたようだ。そのせいか、心臓がまたありえないほど速く脈打ったけれど、落ち着いて、と貴弥は伝え続ける。
このまま発狂して自分が自分でいられなくなるのではないか、苦しくて呼吸ができないから死んでしまうのではないか。そんな思考が女子高生の頭の中を占めていく。
『……だ、やだ、怖い! 離れて!』
「……っ」
女子高生は強い力で貴弥を叩く。貴弥はその手を掴んで両手で握った。息苦しさで顔を歪めるけれど、彼女のほうが苦しいのだ、なんとかしてあげたい。
「大丈夫だから。ちゃんと治まるから」
握った手はカタカタと震えていた。力を込めると、女子高生は涙を流しながら激しい呼吸を繰り返している。
貴弥はおかしいと感じ始めた。いつもなら身体に触れたら大抵はすぐに落ち着いていくのに、彼女の症状はなかなか治まらないのだ。
嫌な予感がよぎる。もしかして、あの時のようにケアを拒否されているのでは、と。
「貴弥」
すると久詞がそばにしゃがむ。女子高生の様子を少し眺めて言った。
「多分、能力の制御は成功してる。……原因は別だ」
そう言われてハッとする。貴弥は注意深く彼女の意識を読み取ると、「怖い」「苦しい」と叫んでいた。
ゆっくりと、貴弥は深呼吸する。
「ゆっくり呼吸しよう? 俺も手伝ってあげるから」
貴弥は手を握り直した。こっちを見てと促すものの、苦しいのか彼女はボロボロと涙を流すだけだ。その苦しさが貴弥にも伝わってくる。喘ぎそうになる呼吸を意識的にゆっくりにし、女子高生に呼びかけた。
「大丈夫だよ。六秒で息吐いて? いち、にぃ……」
高齢者がいる施設では、認知症などによるパニック発作を起こす人もいなくはなかった。苦しそうだがこちらを見てくれた女子高生に、貴弥は微笑む。
「うん、こっち見てくれてありがとう。……今度はゆっくり四秒で吸うよ?」
経験と知識があって良かったなと思った。しかし女子高生は貴弥の言う通りにしようと頑張ってくれるものの、思い通りにいかなくてまた喘ぎ始める。途端に貴弥も胸が燃えるように熱くなり、息を詰めた。
(そうだ、俺が不安になっちゃ、この子にも伝わる)
貴弥はあれこれと方法を考えた。大丈夫、呼吸はできているから問題ないと声をかけ、今何が聞こえるかを聞いてみる。
「なに、も……聞こえ、ない……っ」
「そう? 足音とか聞こえない?」
貴弥は指先に力を込めた。徐々に彼女の能力をセーブして、雑踏だけが聞こえるまでに抑える。
「足音、きこ、える……」
「うん。ほかには?」
【センチネル】のケアとパニック発作の対処の合わせ技だ。一般人ほどまでに能力を抑えれば、安心できる環境を作りやすい。
不安や恐怖から意識を逸らすことができれば、落ち着くのも早いのだ。女子高生の呼吸は次第に安定し始め、彼女から「大丈夫です」と言われた時には心底安心した。
気がつくと、いつの間にか救急隊員がそばで待機していて、貴弥が手を離すと「あとは私たちで」と隊員に言われた。女子高生を彼らに任せ、立ち上がるとふらつく。息苦しさがあとを引いているのか、そのまままた座り込むと、久詞が背中を撫でてくれた。
「あの子、病院に行くの?」
「ああ。そのあとセンチネル支援の人が面会するだろう。だから大丈夫だ」
貴弥は顔を顰める。あれだけ敏感に周りの音に反応していたということは、能力が高いということだ。ゾーンになって発狂、暴走するよりかはマシだったものの、あの子は発作としばらく付き合わなければならないだろう。そして、パートナー探しも早急に行われるはずだ。
「俺らのところに来るかな?」
「さあ? それはあの子が決めることだ」
貴弥は大きく息を吐き出した。初めてケアを試みて昏睡状態に陥ったあと、自分もそういう支援者が来たことを思い出したのだ。やたらと【ガイド】として働くことを勧められ、いくら断ってもしつこかった覚えがある。
(……あれ?)
しかしある日を境に、それがピタリと止んだ記憶があるのだ。そして、今までそれを忘れていたことにも気付く。どうして忘れていたのだろう?
「貴弥」
「え? ……ぅわぁ!」
そんなことを考えていると、そばで久詞の声がして膝を掬われる。軽々と立ち上がった久詞は、貴弥を抱いて歩いていくではないか。
「え、ちょ、降ろせっ」
「あそこで座り込んでたら目立つ」
「いや今のほうが目立つだろ!」
長身の堅物そうな男が男をお姫様抱っこをしているほうが、明らかに悪目立ちするだろう。そう反論するけれど、久詞はスルーだ。
「ってか、一課と四課は仲悪いのに遊を呼び出すのな?」
「遊は優秀だからな。それに人命がかかっていることも多い」
久詞の言葉に、貴弥は笑う。なんだかんだいって、久詞も遊も、お互いに認めているのは心地いい。そしてそんな二人に、自分も役に立ちたいとやっぱり思う。
「……何を話してた?」
「ん? ってか、聞こえてたんじゃないのか?」
いくらこの家が気密性、防音性に優れていたとしても、一枚ドアを隔てたところにいたのなら聞こえそうなものだ。けれど久詞は首を小さく横に振る。
「いや、貴弥は遊に向けて声を発していただろう。ケアをしている時は聞こえにくい」
意外な言葉に貴弥はそんなものなのか、と納得した。確かに、誰に向けて話しているか、というのは重要なのかもしれない。
「そっか。……なら、内緒」
「……」
聞こえていなかったならそれでいい。遊の葛藤を久詞に話す必要はないし、自分の気持ちは――自覚したばかりでまだ整理がついていない。ただ、悪いことではないと示すために笑顔で言うと、久詞は無言で頭を撫でてきた。
「……よく撫でてくれるよな。俺そんなに子供っぽい?」
「愛おしいと思ったからだ。迷惑ならやめる」
ストレートな久詞の言葉に、貴弥は小さく首を振る。そういえば、彼は最初から貴弥が好きなことを隠そうともしなかった。そして自分も、最初は嫌だったのに今は心地いいと感じている。
「さあ、出勤するぞ」
「ん、すぐに支度する」
貴弥はすぐに寝室に戻り着替える。
久詞とのこの空気感は、家族に留まらない甘いものになっていると自覚している。多分久詞も、貴弥が受け入れるようになってからは、スキンシップにほんのり情欲が乗るようになってきた。
けれど、貴弥は肝心な言葉を言えないでいる。
さきほどの遊との会話で、久詞が好きなのかという彼の言うことは、その通りだと思った。けれど、自分は流されていただけではないのか、とか、家族愛に飢えているから久詞に撫でられたいと思うのか、とか考えてしまうのだ。
それでも、久詞は急かすでもなく、貴弥から言葉を引き出そうとするでもなく、いつも通り穏やかにいてくれる。それがありがたいと思うし、そんな態度からでも愛を感じてしまうのだ。
(ちゃんと、自分で考えて気持ちを固めるから。待ってて欲しい)
そう思いながら貴弥はシャツの袖に腕を通す。
身支度をして戻ると、久詞も準備万端で待っていた。
「忘れ物はないか?」
「ん」
なぜだろう? 触れてもいないのに心が繋がっている気がする。ケア以外でこんな感覚になるのは初めてだ。
貴弥は温かくて心地よく締めつけられる胸を押さえつつ、玄関のドアを開けた。
◇ ◇ ◇
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「本当に、毎日こうならいいのに」
「そうだな」
遊がいないからか、会話はポツポツだ。けれど居心地の悪さはないし、むしろ安心さえしている。
自分たちの出番がないほうがいい。それは街を歩いていれば、本当にそうだと感じる。
よからぬことを考えている人は、どこにでも潜んでいるのだ。それを見守りや声かけで未然に防ぐことができると、身をもって知った。
「……なぁ、あのタワービルにいる人たちは、訓練を受けてるんだろ? 俺も久詞たちみたいに……」
「それはだめだ」
全部言っていないにも関わらず、想像以上に強く言われて貴弥は固まってしまう。そして自分の気持ちが否定された気分になり、顔が熱くなった。
ここで【ガイド】として、久詞たちの役に立ちたいと宣言もしたのに、と久詞を見上げる。
「なんで?」
自分でも、思ったより鋭い声になった。しかし彼はいつも通り冷静で、辺りに異常がないか確認している。
「俺は貴弥を危険な目に遭わせるつもりはない」
「なんだよそれ」
半ば無理やりここに連れてきたくせに、危険な目に遭わせたくないとはどういうことだろう。だったら初めから、借金の肩代わりなんてせずに、放っておけばよかったのに。
「まさか、俺が借金を返したらここを追い出すつもりなんじゃ……」
「貴弥だって、初めはそのつもりだっただろう」
なんだよそれ、ともう一度貴弥は唇を噛む。
「それなら、どうして信頼関係が大事だって言った? 俺がここに残る可能性は考えなかったのか?」
「……俺は貴弥が大事なだけだ」
いつも通りの平静な顔で、そんなことを言う久詞にムカついた。仲良くなれば、離れがたくなるのは想像しなかったのか。
――いい子だもんなぁ貴弥は。俺がいなくてもやっていけるよな?
父親の言葉が脳内で響く。
(まさか久詞も、俺を突き放そうとしてる……?)
心臓が嫌な感じに跳ね上がった。いくら願っても得られなかった愛情が、ここに来てやっと手に入れられると思っていたのに。
大事なら、そばにいるのが普通だと思っていたけれど、久詞はそうじゃないのか。
『助けて!!』
すると突然女性の声が聞こえて、貴弥はハッと顔を上げる。今のは耳から聞こえた声ではない。これは――【センチネル】の心の声だ。
「久詞」
「駅のほうがザワついているな。行くぞ」
どうやら久詞も気付いたらしい。貴弥は頷くと、駆け出した久詞のあとを付いていく。
正午に差し掛かる時間なので、朝のラッシュ時よりはマシだけれど、それでも人は大勢いた。その中を、久詞は迷いなく走っていく。
話は中途半端になってしまったけれど、それどころじゃない。周りの人は気付いていないのか無関心なのか、走る貴弥たちを見ることもない。
(……すごいな。どこにいるのか、もうわかってるんだ)
今まで落ち着いた姿しか見たことがなかったけれど、久詞はやはり足も速い。それでも、貴弥が付いていける速さで走っているのに気付き、なんだか複雑な気分になる。
『苦しい! ……どうしてみんな助けてくれないの!?』
走るにつれ、女性の声が大きくなってきた。近付いている証拠だと思うのと同時に、女性の息苦しさが貴弥にも伝わってくる。
すると駅の構内でちょっとした人だかりができていた。その中心に胸を押さえてうずくまる女子高生らしき人と、声掛けをしている壮年の女性がいる。周りには心配そうにチラチラ見ている人がいるけれど、積極的に関わろうとする人は、その女性以外にいない。
「苦しいですね。大丈夫、俺は【ガイド】です」
貴弥は駆け寄って極力穏やかに言うと、久詞が寄り添っていた女性を女子高生から離した。背中を撫でると途端に、今までの比じゃないほど胸が苦しくなり、グッと息を詰める。
『なにあれ? パニック?』
『【ガイド】って聞こえたけど、じゃああの子は【センチネル】?』
『こんなところで騒ぐとかいい迷惑だ。ケアの相手いないのかよ』
女子高生から、彼女が何を感じているのかが伝わってくる。私だって好きでこうなってるんじゃない、とそれらの声に反応する女子高生に、貴弥はそうだね、と意識的に息を吐き出した。
『聞こえる? 俺の声だけ聞いて?』
『……あなた誰?』
女子高生は今貴弥の存在に気付いたようだ。そのせいか、心臓がまたありえないほど速く脈打ったけれど、落ち着いて、と貴弥は伝え続ける。
このまま発狂して自分が自分でいられなくなるのではないか、苦しくて呼吸ができないから死んでしまうのではないか。そんな思考が女子高生の頭の中を占めていく。
『……だ、やだ、怖い! 離れて!』
「……っ」
女子高生は強い力で貴弥を叩く。貴弥はその手を掴んで両手で握った。息苦しさで顔を歪めるけれど、彼女のほうが苦しいのだ、なんとかしてあげたい。
「大丈夫だから。ちゃんと治まるから」
握った手はカタカタと震えていた。力を込めると、女子高生は涙を流しながら激しい呼吸を繰り返している。
貴弥はおかしいと感じ始めた。いつもなら身体に触れたら大抵はすぐに落ち着いていくのに、彼女の症状はなかなか治まらないのだ。
嫌な予感がよぎる。もしかして、あの時のようにケアを拒否されているのでは、と。
「貴弥」
すると久詞がそばにしゃがむ。女子高生の様子を少し眺めて言った。
「多分、能力の制御は成功してる。……原因は別だ」
そう言われてハッとする。貴弥は注意深く彼女の意識を読み取ると、「怖い」「苦しい」と叫んでいた。
ゆっくりと、貴弥は深呼吸する。
「ゆっくり呼吸しよう? 俺も手伝ってあげるから」
貴弥は手を握り直した。こっちを見てと促すものの、苦しいのか彼女はボロボロと涙を流すだけだ。その苦しさが貴弥にも伝わってくる。喘ぎそうになる呼吸を意識的にゆっくりにし、女子高生に呼びかけた。
「大丈夫だよ。六秒で息吐いて? いち、にぃ……」
高齢者がいる施設では、認知症などによるパニック発作を起こす人もいなくはなかった。苦しそうだがこちらを見てくれた女子高生に、貴弥は微笑む。
「うん、こっち見てくれてありがとう。……今度はゆっくり四秒で吸うよ?」
経験と知識があって良かったなと思った。しかし女子高生は貴弥の言う通りにしようと頑張ってくれるものの、思い通りにいかなくてまた喘ぎ始める。途端に貴弥も胸が燃えるように熱くなり、息を詰めた。
(そうだ、俺が不安になっちゃ、この子にも伝わる)
貴弥はあれこれと方法を考えた。大丈夫、呼吸はできているから問題ないと声をかけ、今何が聞こえるかを聞いてみる。
「なに、も……聞こえ、ない……っ」
「そう? 足音とか聞こえない?」
貴弥は指先に力を込めた。徐々に彼女の能力をセーブして、雑踏だけが聞こえるまでに抑える。
「足音、きこ、える……」
「うん。ほかには?」
【センチネル】のケアとパニック発作の対処の合わせ技だ。一般人ほどまでに能力を抑えれば、安心できる環境を作りやすい。
不安や恐怖から意識を逸らすことができれば、落ち着くのも早いのだ。女子高生の呼吸は次第に安定し始め、彼女から「大丈夫です」と言われた時には心底安心した。
気がつくと、いつの間にか救急隊員がそばで待機していて、貴弥が手を離すと「あとは私たちで」と隊員に言われた。女子高生を彼らに任せ、立ち上がるとふらつく。息苦しさがあとを引いているのか、そのまままた座り込むと、久詞が背中を撫でてくれた。
「あの子、病院に行くの?」
「ああ。そのあとセンチネル支援の人が面会するだろう。だから大丈夫だ」
貴弥は顔を顰める。あれだけ敏感に周りの音に反応していたということは、能力が高いということだ。ゾーンになって発狂、暴走するよりかはマシだったものの、あの子は発作としばらく付き合わなければならないだろう。そして、パートナー探しも早急に行われるはずだ。
「俺らのところに来るかな?」
「さあ? それはあの子が決めることだ」
貴弥は大きく息を吐き出した。初めてケアを試みて昏睡状態に陥ったあと、自分もそういう支援者が来たことを思い出したのだ。やたらと【ガイド】として働くことを勧められ、いくら断ってもしつこかった覚えがある。
(……あれ?)
しかしある日を境に、それがピタリと止んだ記憶があるのだ。そして、今までそれを忘れていたことにも気付く。どうして忘れていたのだろう?
「貴弥」
「え? ……ぅわぁ!」
そんなことを考えていると、そばで久詞の声がして膝を掬われる。軽々と立ち上がった久詞は、貴弥を抱いて歩いていくではないか。
「え、ちょ、降ろせっ」
「あそこで座り込んでたら目立つ」
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