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第23話

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 結局、めまいが治まったところで帰るよう指示され、トボトボと家に帰る。大丈夫だと言い張ったが聞いてもらえず、仕事の続きは明日にしなさいと上司に言われてしまった。同僚ならまだしも、さすがに上司に言われてしまっては従うほかない。

 玄関のドアを開けると、中はしんとしていた。友嗣はもう出勤しているはずだから、当然と言えば当然だけれど、一気に不安と寂しさが襲ってきてすぐに着替えて出かける準備をする。

(会って、少しでも……ハグくらいできたら……)

 そう思って家を出た。こんな時間に行ったら迷惑だろうか、とか今更ながら思うけれど、もう自分ではどうしようもできない。
 早歩きで【ピーノ】に向かう。ビルが見えるとさらに焦燥感が増し、階段を上る。二階から三階へ続く階段を上りかけたところで、友嗣の声がしてホッとした。

「将吾の言う通りだった。シュンが優しいだなんて信じてなかったけど。将吾、ありがとう」

 やっぱり将吾は誰よりも特別だ、と笑う友嗣。駿太郎は思わず立ち止まってしまった。

(え、なに? どういうこと?)

 自分たちが付き合い始めたのは、将吾のひと言がきっかけなのはわかっている。だから自分と同じように、友嗣も自分を信用していないのは気付いていた。あの夜をきっかけにそれがひっくり返った感じがしたけれど、と胸を押さえる。

「……でもね、やっぱり荷が重いかなって思うんだ」
「それは……お前がちゃんとシュンと話すしかないだろ」

 そう言った二人は、店のドアの開閉音と共に気配をなくした。どうやら店の中に入ったらしい。
 どういうことだろう、と駿太郎は思う。友嗣は駿太郎を特別だと言う同じ口で、将吾も特別だと言う。そして、荷が重いというのは、駿太郎が重いということだろうか。

「……ははっ、……そういうことかよ……」

 乾いた笑いが漏れた。
 所詮、自分は友嗣にとって、大勢いる中のひとりだったということだ。特別だと言う友嗣を軽々と信用し、彼となら上手くやれるかもしれないなんて、浮かれて本質を見誤っていた。――やっぱり友嗣は、節操なしだ。
 思えばしばしば会話に出てくる、将吾は特別という言葉。それは本当なのだとわかる。友嗣には将吾が絶対的な存在で、将吾かそれ以外か、という区別しかないのだろう。
 そうでなければ、自分のことを荷が重いだなんて言わない。
 駿太郎が誰かを好きになったら、重くなるのは友嗣も知っていた。最初はそれを馬鹿にしたような発言もあった。本音はそちらだったんだと思う。

(けど、特別な将吾サンが言うから、仕方なく俺と同棲を始めた。将吾サンが言うから、俺のことを特別だと言い始めた……)

 初めから、その片鱗は見えていた。友嗣と将吾はなんでも話せる仲で、それだけでも特別親密な仲なのは知っていたのに。友嗣は将吾のために、駿太郎に付き合っていたのだ。
 それなのに、友嗣の甘い言葉に呆気なく警戒心を解いて……。

「馬鹿だな、俺は……」

 そう呟いて、踵を返す。
 怒る気力もなかった。裏切られたのだと思ったら、相手を信用してしまった自分が情けない。
 ――家に帰ったら、勝手だけど友嗣の荷物をまとめておこう。そして帰ってくるまで待って、出ていけと言えばいい。多分友嗣は、いつものように緩く笑って「わかった」と言うだろうから。

「……っ」

 息が詰まった。目頭が熱くなるけれど涙は出ない。こんなところで泣いてたまるか。自分は、ゲイでも堂々と生きると決めたのだから。
 田舎の長男として産まれ、両親は古いしきたりや考えに迎合していたし、周りは反発する駿太郎を許してくれなかった。環境の良さもあり、世間からは「ハイスペック」と呼ばれる職業とキャリアにいる親戚たちに、引けを取らないように努力してきたつもりだ。ゲイでも人間的には何も劣らないと。……恋愛以外は真面目に生きていると。

「……情けねぇなぁ……」

 こんな姿を光次郎が見たら激昂するだろう。親戚に負けるなと、彼はなぜか対抗意識を持っていた節もある。そういえば正月に無理やり帰ってから、連絡が来ていない。いよいよ本格的に呆れられたのだろう。

「……嫌だ……」

 ポツリと出てきた声は、震えていた。本当は、今すぐにでも友嗣に縋りつきたい。家族にも、嫌われるのは嫌だ。
 人肌がないと眠れないという友嗣。実は駿太郎もそうなのだ。だからベッドに入ってくる友嗣を拒めなかった。気を紛らわすために真面目なルーティンをこなし、想い人一色にならないように自制して。だから、友嗣との夜で一気に箍が外れたのは良かったと思っていた。
 全部、ちっぽけで弱い自分を隠すためのものだったのだ。本当は、他人の意見なんかものとせず生きていきたいのに、憂いている自分がいる。大丈夫、気にすることじゃない、と言ってくれる人が……駿太郎に寄り添ってくれる人がずっと欲しかった。
 自分には、他人に誇れるものなど何もないから。
 自分の弱音や本心を韜晦とうかいし、生きていくのはやはり辛い。

(辛い……そう、俺は辛かった)

 同性愛者だと気付いてから、親戚の何気ないひと言がさらに胸に刺さるようになった。表向きは迎合しているように見せていたけれど、それも辛くなっていた。そんな駿太郎に両親は気付いていたのだろう。光次郎はあからさまに嫌悪感を出していたから、それもしんどかった。
 どうして、好きになる人の性別を選べないのだろうと、何度思ったことだろうか。だから誰でも好きになれる友嗣が羨ましかったし、同時に嫌いでもあった。
 けれど、そんな友嗣もまともな恋愛をしていたようには見えなかったのだ。
 はぁ、とため息が出る。結局、そういうところが見え隠れする彼からは、自分は離れられないな、と感じてしまったのだ。

 自分と、なんとなく似ているな、と思ってしまうから。

 駿太郎は考えるのを止め、心を無にして真っ直ぐ家に戻った。
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