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後日談『あれから僕らは…』 [2]
しおりを挟む「とりあえず、ご依頼のあった件については、お答えするべきことには答えたと思いますので……もういいでしょうか? リハーサルの時間が迫っているものですから、そろそろ行かないと……」
それを告げた途端、ハッとした表情になって、目の前で彼女も弾かれたように立ち上がる。
「ああ、そうですね! ウッカリしてました、申し訳ありません! 本当に、コンサートの前でお忙しいところ、今日はどうもありがとうございました! 雑誌が出来上がりましたら、真っ先にお送りしますね!」
そして、慌てたようにペコリと深く一礼。
仮にもハタチそこそこでしかない若輩者の自分よりも年上の女性に、そう深々と頭を下げられると……なんだかミョーに居た堪れない。
きまりが悪くなって僕は、「では失礼します」とだけ告げると、挨拶もソコソコに、そのまま部屋の外へと逃げ出そうとした。
「…あ、最後に一つだけ、伺ってもよろしいですか?」
踵を返した途端に投げ掛けられた、その言葉。
僕は、思わず足を止めて振り返った。
下げていた頭を上げて僕を真っ直ぐに見つめていた彼女は、「あ、ごめんなさい」と、まず急に呼び止めてしまったことを詫びて。
そして躊躇いがちに、口を開く。
「あの……竹内さんにとって、もうクラシックは全く不必要なものでしか無いんでしょうか……?」
その言葉は、ナゼか淋しそうな響きでもって僕の耳まで届いた。
次の瞬間、ハッと我に返ったように彼女が「すみません失礼なこと訊いてしまって…!」と、慌てたように口にしたけど。
僕は、その言葉にも返答を返せず、ただただ、黙って彼女を見つめていることしか出来なかった。
焦ったように僕を見つめる表情にも……言葉に響いた色と同じ、淋しさのカケラを、見たような気がして……、
「――そんなこと、ないですよ……」
咄嗟に僕の口が、そんな返答を返していた。
驚いたように、彼女の表情が僕を真正面から捉える。
そんな彼女を見つめ返して、僕は、にこやかに穏やかに、言葉を選びながら続けた。
「『不必要』だなんて…そんなことは絶対に無いんです。なぜなら、クラシックが僕の“原点”だから。僕がピアノを弾いていなければ、今の仲間たちにも出逢えなかった。ロックという音楽にも出会えなかった。あらゆる意味で、“今”の僕を作り上げてくれたのはクラシックだから……切り離して考えることなんて出来ないんです。こうやって、たとえ今の僕は別の道を歩んでいても。でも常に僕の中に在るんです、クラシックは。いつも常に」
捨てても捨て切れない“絆”。――それが、僕とクラシックとの関係だった。
僕の音楽は、もともとクラシックの中で育まれてきたのだ。
そのクラシックがベースに在ったからこそ、今現在、僕が奏でるキーボードがある。
「僕の中では、クラシックもロックも、何も変わりない。その二つを隔てる“境界線”なんて、どこにも無い。――ただ等しく、それは共に“音楽”である、ということに違いは無いんです」
ロックの世界に身を置いていても、常にクラシックも存在しており。
その逆も言える。――たとえクラシックの世界に身を置いたとしても、きっと僕の中にロックは鳴り響き続けていることだろう。
これからの人生を歩んでいくうえで、もっと多種多様な“音楽”に触れ、僕の中に鳴り響く音楽も、また増えていくかもしれない。
「だから、僕は“決め付けたくない”んです」
――そう、いつか“ヤツ”に言われたように。
「まだ僕はハタチそこそこの若輩者でしかないので、音楽だけじゃない、人生の何もかもにおいて、まだまだ知らないことだらけですから。この先、生きていく上で、そういう“知らないこと”に触れていくうちに、これからの僕に何が起こってくるか分からない。たとえ今の僕はこうでも、でも“今”は決して永遠じゃない。だから、その時その時で一番やりたいことをやろう、って、そう決めてるんです。…ただ、それだけのことなんです」
“気持ち”さえあれば、『幾らでも変われる』『好きなように好きなだけ自分を変えていける』と……そう、アイツは言ったから。
だから後悔をしないよう、精一杯生きようと決めたんだ。
“これからの僕”のために―――。
「“今”の僕の“一番やりたいこと”は、ロックである、という、それだけのことなんですよ」
やんわりと、それを告げて微笑んでみせると。
「そう…なんですか…」と、軽く俯きながら、彼女は小さく呟くように応えた。
「それでも……私は、竹内さんの弾くクラシックに、本当に感動したんです」
心から残念そうな言葉。そして声音。
その淋しげな姿に、少しだけ申し訳なさを覚える。
だって僕は、解ってしまったから。その言葉で。――彼女が、僕の弾くピアノに期待をかけてくれていたことが。
「僕のピアノを認めてくださって、本当にありがとうございます」
言って、僕は彼女に頭を下げた。
音楽雑誌のライターなどをしているくらいだから、本当にクラシックが好きなのだろう。
きっと彼女には…いや、クラシックを愛する人間にとって僕は、厚顔で不遜きわまりない人間に、見えていることだろう。せっかく世間にも認めてもらえたクラシックピアノの演奏技術を持っているというのに、それを生かさないどころか無下に捨てるにも等しい道を、選ぼうとしているのだから。
けれど彼女は、そんな僕に『感動した』とまで、言ってくれた。
そのことが本当に嬉しくて。また、何だか誇らしい気持ちにもなれた。
だから、そんな彼女のために、かけてくれた期待を裏切るようなことなんて、したくはないと思った。
だから僕は、それを言った。
「出来ることなら……今度は、ロックバンドでキーボードを弾いている僕の演奏も、認めていただけたら嬉しいです」
「え……?」
「音楽のジャンルがクラシックからロックに変わったところで、どちらにしても、その時その時の僕の精一杯の演奏であることには、何の変わりも無いですから。僕は僕です。僕の奏でる音楽についても同様です。何も変わることなんて無い」
「…………」
「表現する音楽の形は変わっても……また違った形で感動していただけるのなら、とても嬉しいです」
――ひととき訪れた沈黙の中。
「じゃあ、これで」と、改めて僕は一礼し、踵を返した。
今度は、もう引き止める声は投げ掛けられなかった。
そのままドアを開けようとノブに手をかけてから……おもむろに、そこで振り返る。
「よろしければ、今日のコンサートもゼヒ観てってくださいね」
「え、でも……」
「これが、“今”の僕の音楽、ですから―――」
そして今度こそ、「失礼します」とだけ最後に言い置いて。
僕はドアを押し開くと、そのまま部屋から飛び出した。
「――よぉ、天才ピアニスト!」
そそくさと廊下に出、今まで居た控え室のドアを閉めて歩き出した途端。
僕に向けて投げかけられた、からかうような、そんな声。
聞こえてきた方向を振り返ると……コチラに向かってタラタラと歩いてくる、やたら背の高い男性の姿があった。
「まーたインタビュー受けてたんだってー? さっすが有名人!」
その表情は、いかにも“からかってマス!”って言いたげにニヤニヤ~とした人の悪い笑みを浮かべていて。
…でも、そんなイヤミ口調と悪人ヅラが本心からのものじゃないってこと、僕はもう、充分に知っている。
「そういう葉山は、ヒマそうだね? なんなら僕の代わりにインタビューでも受けてみる?」
やっぱりニヤリとした笑みと共に、それを返してやった途端。
僕の目の前まで来て立ち止まったソイツ――葉山は、苦虫を噛み潰したような表情になって、ムッツリ僕を見下ろした。
「オマエ、最近トコトン可愛くないよな」
「別に、葉山に可愛いって思われても仕方ないし」
「…ったく、減らず口ばかり上手くなりやがって」
「うつったんだろ、葉山の口の悪さが」
「ああそうかよ悪かったなァどーせ育ちが悪いもんでー」
「今さら言われなくても知ってるよ」
「……おい、テメエ、フォローくらいしやがれよコノヤロウ?」
「で、なんの用?」
「………おいコラ、せっかく人が時間だから呼びに来てやったっていうのに、言うに事欠いて『なんの用』だとぉ?」
それを言われてからハッとして、思わず自分の腕時計に目を遣った。
――ヤバイ、既にリハーサルの五分前だ。
「うわー全然気が付いてなかった……! ごめん、悪かったよ」
素直に謝ってみせると葉山は、そこで軽くフンと鼻を鳴らし、「わかりゃいーんだよ、わかりゃーな」と、僕を小突いた。
小突かれる謂われまでは無いような気もしたが……とりあえず、ここは腹立ちを腹の中だけに収めておくことにする。
「もう、みんなスタンバってる?」
「ま、ボチボチな」
言いながら、歩いていた廊下の角を曲がった途端。
――ふいに懐かしい光景が、視界に映えた。
「ミツル……?」
思わず、僕は小さく声を上げていた。
真っ直ぐ前に開けた視線の先には……会場で、既にスタンバっているハズの、仲間の姿。
ミツルが壁に寄りかかるようにして立っている。まるで立ち尽くしているかのような風情で。――あるドアの横で。
葉山と二人、彼に向かって近付いていくと。
ミツルも、こちらに気付いて軽く片手を上げて合図する。
――そこに、微かに聞こえてくる……それは“音楽”。
ふいにフラッシュバックする、――中学時代に歩いた廊下の風景。
微かなのに…より大きく僕の耳を打ち、そして響いていた、あのメロディ。
昔から変わらない……サトシの“唄”が、聴こえてくる―――。
そこは、扉上部に緑色の光が点っている、『非常口』と書かれていたドアで。
僅かに開かれていた隙間から、非常階段で空に向かって叫ぶように唄っているサトシの背中が見えた。
あの時と違って、今日は伴奏も何もないアカペラで。
でも……その声は普段よりもずっとずっと力強く、僕の胸にこだました。
『落ち込んだりとか…何か挫けそうなことがあるたびに、オレはこの歌を唄うんだ。誰に聴かせるためでもなく、ただ自分のためだけに。何度も何度も、気の済むまで繰り返し、叫んで叫んで、唄い続けて……そうやって再び立ち上がれるパワーを貰うんだ』
いつだったか、彼の言った言葉を思い出す。
――そう、だから“今日”も。
今日というこの日を迎えて……きっとサトシは、唄わずにはいられなかったんだ。自分を奮い立たせるために。
この歌を。――『僕が僕であるために』。
サトシだけじゃない。もちろん僕も。それに葉山もミツルも、皆が皆、何かせずにはいられないくらいに緊張して落ち着かなくなっている。
そして興奮してる。たまらなくワクワクしてる。それこそ叫び出したいくらいに。
「――さあ、行こうか。俺たちの初舞台が待ってるぜ!」
唄い終えて非常階段から戻ってきたサトシを囲んで、僕たちは共に歩き出す。
すぐそこに準備万端で控えてる、ステージへと向かって。
僕たちがメジャーデビューしてから初めて迎えたコンサートツアー。――その初日である今日。
目指す栄光への第一歩を、あの時、僕たちは共に歩み出した。
今日ここで、そのカケラを掴み取る。
そのために、僕らは今、ここに居るんだ。
僕たちの“伝説”は、今日ここで、また新たなるスタートを切ることが出来る。
僕たちの時間は……まだまだ、これからも終わらない―――。
【終】
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