かぐわしいかな、黄泉路の薫香 ~どうにか仕事に慣れたけど どうかしてると思います!

日野

文字の大きさ
6 / 48
1 鼻つまみ うつむく先に 拾う神

1-6 なつかしいにおい

しおりを挟む
 空腹も手伝ってか、歩きはじめた百合は、ふと民家の間にあった揚げもの屋を思い出していた。
 百合が小学生のころからある店である。
 パンチパーマの店主がいるため、地元小学生の間ではそのまま『パンチ』と呼ばれていた店だ。本来の店名は『こまつ屋』だが、百合をふくめその名を口にするのを聞いたことはなかった。
 こまつ屋は純然たる揚げもの屋だった。
 その場でコロッケや唐揚げをどんどん揚げていき、破格の値付けのため引っ切りなしの客足で商品が売れていく店である。
 最近会社帰りに店の前を通ったことがあり、そこには店主の姿もあった。白髪交じりのパンチパーマであり、甲斐甲斐しい働きっぷりも健在だった。
 それを思い出すと、揚げものが食べたくなってくる。
 自然と百合の足は、こまつ屋へと向けられていた。
 昼時とあって、店頭がにぎわっているのが遠目にもわかった。自転車がたくさん止まり、なかをのぞきこむ買いもの客の姿が見られる。
 そこは以前は店が鈴なりの商店街だったが、現在は店の数がめっきり減ってしまっている。それでも暮らすための生鮮食品などは、通りを行き来すればそろえられる規模の商店街となっていた。
「いらっしゃいませー!」
 こまつ屋の混雑のなかに、百合は身を投じる。
 満員電車とまではいかないが、買いもの客で身動きは取りづらい。入口は開け放されているが、ひとが密集していることと、店頭で揚げものを用意しているためか、ほどなくして暑くなってきていた。
 店内で百合は首をのばし、並べられた商品をざっと一望する。
 売り場と調理場とを区切る対面式カウンターには、所狭しとたくさんの料理が大皿で展示されている。どれも大盛りで、揚げものばかりという印象が強かったが、煮物などの惣菜も複数肩を並べていた。
 注文の列のすぐ横、壁際に棚があり、そこでは弁当が売られている。
 副菜は揚げものが中心だが、みっしりと白米が詰めこまれた弁当は、見るからにボリュームがあった。容器が歪んでいるほどの量だが、店頭をのぞいた百合の目の前でどんどん売れていっている。
「コロッケパン出まーす!」
 声を上げ、大きなトレイを掲げた店員が奥から出てきた。
 見守る百合の前、弁当が売れてできた棚の隙間に、新たな商品を押しこむようにして店員がコロッケパンを陳列する。
「コロッケパンできたてでーす! 店内混み合ってますので、足下お気をつけくださーい!」
 大きなコッペパンにコロッケとキャベツがはさまっている。ラップでみっちりと包まれた姿はいかにもおいしそうで、方々から手がのびてきた――そのなかには百合の手もふくまれている。
 手に取ったそれはずっしりと重く、温かかった。
 会計の列の対応も手慣れたもので、どんどんとひとが捌けてはけていく。
「夜もお弁当とかコロッケパンは扱ってますか?」
 硬貨を渡しながら尋ねると、パンチパーマの店主にそっくりな老婦人は首を振った。
「それお昼だけなの。でも電話くれたらお取り置きするからね、よかったらはやめに電話ちょうだい」
 レジの脇にあったチラシを、商品と一緒にビニール袋に入れた。老婦人の目は、すでに百合の後ろに向けられている。
 流れ作業で会計されていく店内は、百合が路上に出るまでずっと混雑したままだった。
 道に出ると、こまつ屋目当てのひととぶつかりそうなる。
「あ、すみません」
 おたがい会釈をして通り過ぎる。
 歩きはじめた百合は、大きく胸を上下させて呼吸をした。
 店内でも道でもすれ違ったひとは、誰ひとりとして百合を気にした様子はなかった。
 自分でもわかっている――いま、なんら悪臭を発していない。
「……なんでだろ」
 どうしてそんなことになっているのか、その理屈は一切わからない。だが気は楽になっていた。
 会社のことを考えそうになったが、百合は頭から追い出す。
 百合のなかでは、会社にいる間だけなぜか悪臭が漂う、とそう結論づいてきていた。
 事務所を飛び出すように出てきたのは、つい先ほどのことなのだ。手のひらを返すように、においがさっぱり消えているのは不思議なことだった。
 考えてみるが、こたえは出てこない。
 ――ひとまず今日はゆっくり過ごそう。
 先に買っていたお茶もあり、のぞきこんだビニール袋のなかには、コロッケパンが鎮座している。
 お昼には十分なメニューである。
 せっかく買ったコロッケパンだ、百合は温かいうちに食べたくなっていた。自室に帰ったころにはコロッケパンは冷め、ラップのなかで湿気てしまいそうである。
 どこか公園でもあれば、と記憶のなかの地図を頼りに、百合は歩きはじめた。
 ちいさなころの記憶では、それなりの大きさの公園がいくつかあった――はずなのだが、どれほど足を進めてみても、小振りな公園や空き地がいくつかあるばかりだ。その上、記憶のなかとスケールも変わっている。
 通り過ぎた公園や空き地のいずれにも、仕事の休憩と思われるひとや、ピクニックシートを広げた子連れのグループが羽をのばす姿があった。
 残念なことに、ベンチにも木陰のどこにも、百合が入りこめる余地はなさそうだ。
 この際だから、歩きながらかじってみようか――足を動かし、百合はビニール袋の口を開いた。
 なかから温かい油とパンのにおいが漂って、口元が緩みかける。もし自分から漂ったものがこんな芳香だったら、誰もいやな顔などしなかっただろうか。
 K駅の反対側では区画整理がおこなわれて以降、風景が様変わりし、機能的な開けた場所となっている。
 しかし百合が足を進める一帯は、そういったものから取り残された風景だった。
 道には舗装が劣化している箇所が見られ、うっかりすると足を取られて転んでしまいそうだ。建物もやけに古びたものが多い。木造の家とブロック塀を左右にする道が続いていた。
 もう住人がいないのか、朽ちかけた生け垣のなかでは、かたむいたフェニックスがそびえている。
 枯れかけているようだが、百合には懐かしい光景だった――昔この近所に住んでいたのだ。
 道を二本ほどずれた場所に、小学生だったころ家族と暮らしていた家があった。
 百合たちがとなりの市に引っ越す際に売却され、大きなマンションになると聞いていたが、実際のところを目にしていない。
 どこからか季節外れの風鈴の音が聞こえたとき、百合は近くに神社があることを思い出していた。
「神社なら、お昼食べてもいいんじゃ」
 名案だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

処理中です...