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1 鼻つまみ うつむく先に 拾う神
1-7 気分転換
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それは近隣の氏神さまの神社で、先客の姿はなかった。
ちいさいころ、年始のお詣りは家族でそこに出かけていた。仲のいい友達との集合場所もそこだった。
そういった思い出がよみがえるなか到着した神社は、これまでの公園などとおなじく、とてもちいさく寂れたものに変化していた。
当時のおさない百合には気にならなかったのか、時間が流れ、傷み朽ちようとしていくところに百合がやってきたのか。
まず手水場で手と口を清め、お参りをすませる。
見たところ誰かが掃除はしているようだが、ちいさな社や手水場の屋根などは色が後退してしまっていた。
ベンチは見当たらず、それは昔からそうだった。
境内の敷地内、木立で影ができる場所には無造作に置かれた不揃いの石があり、昔のように百合はそこに腰を下ろした。
さっそくコロッケパンを取り出し、百合は大きくかじりつく。
ざくり、さくりと小気味のいい音がした。
口のはじについたソースを指先でぬぐい、囓ったばかりのコロッケパンに目を落とす。まだコロッケの具からかすかな湯気が上がっていた。
「おいしい」
辛めのソースと甘いコロッケの相性がいい。コロッケのなかにミックスベジタブルが入っていて、昔と味が変わっていなかった。ぎゅうぎゅう詰めになったキャベツがこぼれ落ちそうで、指に力が入ってパンに痕がついていく。
片手を受け皿のようにしながら半分ほど食べ進め、お茶を口にしたころには、肩の力がすっかり抜けていた。
見回した周囲にはやはり人影もない。穴場を見つけたかもしれない。
コロッケパンをひざに置くと、堂々と百合は自分のにおいを嗅いでみた。
「……ソースのにおいしかしてない、よね」
「確かに」
「えっ」
応じるような声に、百合はとっさに立ち上がっていた。
「ああ……」
男性の落胆混じりの声と、コロッケパンが地面を転がる音とが重なった。
「悪かった、驚かせたか」
驚いた――誰もいないと思っていたのに、間近にひとが立っていた。後方にまで気がまわっていなかったようだ。
「え、あの……っ」
彼と対峙して、百合はさらに驚いていた。
それは目を見張るほどに整った顔立ちをした男性だった。
神社の関係者だろうか、二十代半ばくらい、百合よりわずかに年上だろうという青年は、裁付袴を履いた和装で腕を組み笑っていた。
髪も目も色素が薄く、しかし肌は健康的に焼けている。立ち上がった百合が見上げるほど背丈があるが、肩が薄いためか威圧感はなかった。
「うまそうに食っていた」
指さされ、百合は慌てて地面で無残な様子になっているコロッケパンを拾い上げた。
「あ……」
「もったいなかったな、すまん」
手がのびてきて、百合から砂と土にまみれたコロッケパンを引き受ける。神社の関係者なら、それを捨てておいてくれるというのか――百合は素直に渡していた。
「あの、すみません、お願いしても……」
そう口にしながら、百合は彼から甘いかおりが漂っていることに気がついた。しつこく主張せず、嗅ぎ取ったかと思うと薄れている。
「謝るな、こっちこそすまない」
近づいてくる足音や気配に気がつかなかった。そのくらいコロッケパンに夢中になっていたというのは、さすがに恥ずかしくなってしまう。
「勝手に入って、すみません、あの……お昼をいただけるところがほかに思い当たらなくて」
「謝るなといってる。急に後ろから声がかかれば、驚きもするだろう?」
そういった彼の目が動き、百合たちから離れた場所を見た。
つい百合もそちらを追い、見知ったひとがいて息を飲んだ。
――上司の九重清巳がいる。
声が出ないよう百合は口を押さえ、九重の動きを見守った。
神社の本殿に用があるのか、ゆっくりそちらに向かい、裏手のほうに消えていく。さほど広くない敷地だ、百合と青年に気がついてもよさそうだったが、九重がこちらを気にした様子はなかった。
「清巳か」
「お……知り合い、ですか?」
彼の口から九重の名が出て、百合はそう尋ねていた。
「ああ、そうだな」
百合はお茶のペットボトルをカバンにしまい、そっと後ろに引く。
「それじゃ、私は……」
できれば上司の九重に見つかりたくなかった。
ばたばたと会社を出てから、まだ二時間と経っていない。
百合は気分が悪いといって会社を出ている。体調不良と受け取っているはずだ。
その当事者が、神社でのんびりコロッケパンをかじっている――あまり知られたくないことだった。
午後も打ち合わせがあるといっていた九重は、この近隣に用事があるのかもしれない。人手のすくない事務所だ、室長とはいえ九重のスケジュール管理は、彼本人がおこなっている。
「清巳に挨拶はしなくていいのか?」
「わ、私ちょっといまは都合が……失礼します、すみません」
小走りに去るなか、百合は一度後方を振り返っていた。
片手にコロッケパンを持ち、青年は百合を見送っている。
足を止め会釈をしようとしたとき、青年はきびすを返していた。
背を見せた彼は、どこかへと足を動かしはじめている。すると九重が神社のほうからやってきて、青年と合流していた――ふと百合と九重が知り合いだと、なぜ青年が知っていたのか。不思議になる。
九重に見つかりたくないと思っていたのに、百合は足を止めそこで彼らを見守った。
長身のふたりが顔を合わせ、なにやら話している。九重の視線は青年の手元に注がれ、なにか笑っているようだった。コロッケパンはともかく、百合のことが話題に出ないことを祈った。
距離は離れても、九重が視線を動かせばすぐに百合は見つかってしまう。
足を動かしながら、百合は青年の顔立ちを思い起こしていた。
ずいぶんきれいな顔だった、と珍しいものに行き当たった気分になっている。
神社に務めている方なのか――またここを訪れてみようか。
短い石階段を降り、百合は足早に神社を離れていったのだった。
ちいさいころ、年始のお詣りは家族でそこに出かけていた。仲のいい友達との集合場所もそこだった。
そういった思い出がよみがえるなか到着した神社は、これまでの公園などとおなじく、とてもちいさく寂れたものに変化していた。
当時のおさない百合には気にならなかったのか、時間が流れ、傷み朽ちようとしていくところに百合がやってきたのか。
まず手水場で手と口を清め、お参りをすませる。
見たところ誰かが掃除はしているようだが、ちいさな社や手水場の屋根などは色が後退してしまっていた。
ベンチは見当たらず、それは昔からそうだった。
境内の敷地内、木立で影ができる場所には無造作に置かれた不揃いの石があり、昔のように百合はそこに腰を下ろした。
さっそくコロッケパンを取り出し、百合は大きくかじりつく。
ざくり、さくりと小気味のいい音がした。
口のはじについたソースを指先でぬぐい、囓ったばかりのコロッケパンに目を落とす。まだコロッケの具からかすかな湯気が上がっていた。
「おいしい」
辛めのソースと甘いコロッケの相性がいい。コロッケのなかにミックスベジタブルが入っていて、昔と味が変わっていなかった。ぎゅうぎゅう詰めになったキャベツがこぼれ落ちそうで、指に力が入ってパンに痕がついていく。
片手を受け皿のようにしながら半分ほど食べ進め、お茶を口にしたころには、肩の力がすっかり抜けていた。
見回した周囲にはやはり人影もない。穴場を見つけたかもしれない。
コロッケパンをひざに置くと、堂々と百合は自分のにおいを嗅いでみた。
「……ソースのにおいしかしてない、よね」
「確かに」
「えっ」
応じるような声に、百合はとっさに立ち上がっていた。
「ああ……」
男性の落胆混じりの声と、コロッケパンが地面を転がる音とが重なった。
「悪かった、驚かせたか」
驚いた――誰もいないと思っていたのに、間近にひとが立っていた。後方にまで気がまわっていなかったようだ。
「え、あの……っ」
彼と対峙して、百合はさらに驚いていた。
それは目を見張るほどに整った顔立ちをした男性だった。
神社の関係者だろうか、二十代半ばくらい、百合よりわずかに年上だろうという青年は、裁付袴を履いた和装で腕を組み笑っていた。
髪も目も色素が薄く、しかし肌は健康的に焼けている。立ち上がった百合が見上げるほど背丈があるが、肩が薄いためか威圧感はなかった。
「うまそうに食っていた」
指さされ、百合は慌てて地面で無残な様子になっているコロッケパンを拾い上げた。
「あ……」
「もったいなかったな、すまん」
手がのびてきて、百合から砂と土にまみれたコロッケパンを引き受ける。神社の関係者なら、それを捨てておいてくれるというのか――百合は素直に渡していた。
「あの、すみません、お願いしても……」
そう口にしながら、百合は彼から甘いかおりが漂っていることに気がついた。しつこく主張せず、嗅ぎ取ったかと思うと薄れている。
「謝るな、こっちこそすまない」
近づいてくる足音や気配に気がつかなかった。そのくらいコロッケパンに夢中になっていたというのは、さすがに恥ずかしくなってしまう。
「勝手に入って、すみません、あの……お昼をいただけるところがほかに思い当たらなくて」
「謝るなといってる。急に後ろから声がかかれば、驚きもするだろう?」
そういった彼の目が動き、百合たちから離れた場所を見た。
つい百合もそちらを追い、見知ったひとがいて息を飲んだ。
――上司の九重清巳がいる。
声が出ないよう百合は口を押さえ、九重の動きを見守った。
神社の本殿に用があるのか、ゆっくりそちらに向かい、裏手のほうに消えていく。さほど広くない敷地だ、百合と青年に気がついてもよさそうだったが、九重がこちらを気にした様子はなかった。
「清巳か」
「お……知り合い、ですか?」
彼の口から九重の名が出て、百合はそう尋ねていた。
「ああ、そうだな」
百合はお茶のペットボトルをカバンにしまい、そっと後ろに引く。
「それじゃ、私は……」
できれば上司の九重に見つかりたくなかった。
ばたばたと会社を出てから、まだ二時間と経っていない。
百合は気分が悪いといって会社を出ている。体調不良と受け取っているはずだ。
その当事者が、神社でのんびりコロッケパンをかじっている――あまり知られたくないことだった。
午後も打ち合わせがあるといっていた九重は、この近隣に用事があるのかもしれない。人手のすくない事務所だ、室長とはいえ九重のスケジュール管理は、彼本人がおこなっている。
「清巳に挨拶はしなくていいのか?」
「わ、私ちょっといまは都合が……失礼します、すみません」
小走りに去るなか、百合は一度後方を振り返っていた。
片手にコロッケパンを持ち、青年は百合を見送っている。
足を止め会釈をしようとしたとき、青年はきびすを返していた。
背を見せた彼は、どこかへと足を動かしはじめている。すると九重が神社のほうからやってきて、青年と合流していた――ふと百合と九重が知り合いだと、なぜ青年が知っていたのか。不思議になる。
九重に見つかりたくないと思っていたのに、百合は足を止めそこで彼らを見守った。
長身のふたりが顔を合わせ、なにやら話している。九重の視線は青年の手元に注がれ、なにか笑っているようだった。コロッケパンはともかく、百合のことが話題に出ないことを祈った。
距離は離れても、九重が視線を動かせばすぐに百合は見つかってしまう。
足を動かしながら、百合は青年の顔立ちを思い起こしていた。
ずいぶんきれいな顔だった、と珍しいものに行き当たった気分になっている。
神社に務めている方なのか――またここを訪れてみようか。
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