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2 誰も駅から帰ってこない
第6話
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部長の居成が前日から出張で不在な上、ぽっかりと仕事が暇になっていた。
その上週末の金曜日とあって、フロアの空気は緩んだものになっていた。
栗饅頭以降すっかり和菓子にはまった紅緒は、近々遠方に水菓子を食べにいく計画を立てていた。何度も脳内でくり返し経路を確認している。当然手元の仕事は疎かである。
「如月くん、こちらどうぞ。また母からなんですが」
箱を抱えた中川が、如月にちいさな菓子を手渡す。紅緒は全身を耳にしてそれを聞いていた。
「三嶋さんもどうぞ」
紅緒にも寄越したそれは、ゆべしと書かれた個別包装の菓子だ。
「ありがとうございます」
時々配られる和菓子は、彼女の母親から流れてくるものだった。お取り寄せで買ってしまうが、全部は食べ切れない、と。
見知らぬ中川母の味覚に、紅緒は敬意を抱いている。
「如月くん、怪談話って興味ありますか?」
闇濡れ男に中川は笑顔を向けている。いまどきの可愛い子、という見た目で、さっさと如月もなびけばいいものを。
「ネットできさらぎ駅っていうのが有名で」
「きさらぎ駅?」
自分とおなじ名だ、彼の声が訝しげなものになってもおかしくない。
「知ってます? 如月くん」
「いえ、駅とか電車は詳しくなくて」
「噂話なんです。どこにもない駅なのに、たまに迷いこんじゃうひとがいるんだって」
「ああ、それで怪談話って」
「そうそう! そうなんです」
彼女が説明するに、電車でうたた寝をしたタイミングで、実在しない駅にたどり着いてしまうのだという。駅名はきさらぎ駅。そんな駅など存在せず、手持ちの携帯電話でも現在地を割り出せなくなる。
「最初にそこに迷いこんだひとは、帰ってこられなかったって」
「じゃあどうして、きさらぎ駅のことをほかのひとが?」
「きさらぎ駅に着いてから、スマホで相談所みたいなところに色々相談してたそうですよ。二十四時間誰かがいて話を聞いてくれるところが、ネットにあるんですって」
「それは便利ですね」
興味の薄そうな如月の声を耳に、紅緒はゆべしの包みを開いてみる。ほのかに甘いかおりがして、ひとりでうなずく。
「何人か迷いこむひとが出て、帰って来られたひともいるのかな、確か」
あやふやだ。
怪談話なら、あやふやなところがあってもおかしくない。
紅緒はゆべしを一口かじり、独特の歯ごたえとやんわりとした甘みを堪能する。噛むと甘みが強くなっていき、中川母に心底感謝した。
「で、興味のあるひとが集まって、きさらぎ駅にいかないかって企画があるんですよ」
「その駅、たまたまいける場所なんじゃ」
如月は心底興味のなさそうな声を出し、手元のゆべしの包みをはがしはじめた。
「ここじゃないか、って目星をつけたひとがいて、行こうって」
「大丈夫ですか? そのひと」
どういう意味での大丈夫なのかわからないが、ゆべしを食べた如月は「おいしい」と小声でつぶやいていた。
「鉄道好きの方が発起人なんです。おもしろそうだし、どうかなって」
「ああ、お知り合いの立てた企画ですか」
「知ってるひとではないんです。でも、うちの石津さんたちと参加してみようかって話をしてて」
広げたゆべしの包み紙をキーボードの横に置き、紅緒は石津を一瞥する。
こちらもいまどきの可愛い子だ。しかし中川と石津はタイプが違う。
中川はあまり化粧をしているように見せない化粧をするが、石津はきっちり化粧を見せてくる。どちらも毎日大変だろう。紅緒は感心していた。
「遠足みたいですね」
如月は興味がわかないらしい。そんな声だ。
インターネット上でその企画の告知があり、彼女は参加しようというのだ。どうにかなりたい相手を誘うには、ずいぶん色気がない。
中川と石津をはじめ、総務のメンバーから現在五名で出かける予定だという。
女性四人男性ひとり。
よりによって、企画開催は目前の明日だった。
手元のファイルを広げようとした紅緒は、如月の視線を感じる。
「三嶋さんはどうですか? 電車とかに興味は」
「楽しそうですね」
紅緒は笑顔を浮かべ、如月のとなりに立つ中川を見上げた。中川の目は笑っていない。
「よかったら後で写真見せてください。明日明後日と天気もいいみたいですから、楽しんできてくださいね――ゆべしおいしかったです」
「もちろんです、楽しみにしてて!」
中川は満面の笑顔で了解してくれた。
彼女はゆべしをさらにふたつくれて、紅緒は中川母だけでなく中川にも心から感謝したのだった。
その上週末の金曜日とあって、フロアの空気は緩んだものになっていた。
栗饅頭以降すっかり和菓子にはまった紅緒は、近々遠方に水菓子を食べにいく計画を立てていた。何度も脳内でくり返し経路を確認している。当然手元の仕事は疎かである。
「如月くん、こちらどうぞ。また母からなんですが」
箱を抱えた中川が、如月にちいさな菓子を手渡す。紅緒は全身を耳にしてそれを聞いていた。
「三嶋さんもどうぞ」
紅緒にも寄越したそれは、ゆべしと書かれた個別包装の菓子だ。
「ありがとうございます」
時々配られる和菓子は、彼女の母親から流れてくるものだった。お取り寄せで買ってしまうが、全部は食べ切れない、と。
見知らぬ中川母の味覚に、紅緒は敬意を抱いている。
「如月くん、怪談話って興味ありますか?」
闇濡れ男に中川は笑顔を向けている。いまどきの可愛い子、という見た目で、さっさと如月もなびけばいいものを。
「ネットできさらぎ駅っていうのが有名で」
「きさらぎ駅?」
自分とおなじ名だ、彼の声が訝しげなものになってもおかしくない。
「知ってます? 如月くん」
「いえ、駅とか電車は詳しくなくて」
「噂話なんです。どこにもない駅なのに、たまに迷いこんじゃうひとがいるんだって」
「ああ、それで怪談話って」
「そうそう! そうなんです」
彼女が説明するに、電車でうたた寝をしたタイミングで、実在しない駅にたどり着いてしまうのだという。駅名はきさらぎ駅。そんな駅など存在せず、手持ちの携帯電話でも現在地を割り出せなくなる。
「最初にそこに迷いこんだひとは、帰ってこられなかったって」
「じゃあどうして、きさらぎ駅のことをほかのひとが?」
「きさらぎ駅に着いてから、スマホで相談所みたいなところに色々相談してたそうですよ。二十四時間誰かがいて話を聞いてくれるところが、ネットにあるんですって」
「それは便利ですね」
興味の薄そうな如月の声を耳に、紅緒はゆべしの包みを開いてみる。ほのかに甘いかおりがして、ひとりでうなずく。
「何人か迷いこむひとが出て、帰って来られたひともいるのかな、確か」
あやふやだ。
怪談話なら、あやふやなところがあってもおかしくない。
紅緒はゆべしを一口かじり、独特の歯ごたえとやんわりとした甘みを堪能する。噛むと甘みが強くなっていき、中川母に心底感謝した。
「で、興味のあるひとが集まって、きさらぎ駅にいかないかって企画があるんですよ」
「その駅、たまたまいける場所なんじゃ」
如月は心底興味のなさそうな声を出し、手元のゆべしの包みをはがしはじめた。
「ここじゃないか、って目星をつけたひとがいて、行こうって」
「大丈夫ですか? そのひと」
どういう意味での大丈夫なのかわからないが、ゆべしを食べた如月は「おいしい」と小声でつぶやいていた。
「鉄道好きの方が発起人なんです。おもしろそうだし、どうかなって」
「ああ、お知り合いの立てた企画ですか」
「知ってるひとではないんです。でも、うちの石津さんたちと参加してみようかって話をしてて」
広げたゆべしの包み紙をキーボードの横に置き、紅緒は石津を一瞥する。
こちらもいまどきの可愛い子だ。しかし中川と石津はタイプが違う。
中川はあまり化粧をしているように見せない化粧をするが、石津はきっちり化粧を見せてくる。どちらも毎日大変だろう。紅緒は感心していた。
「遠足みたいですね」
如月は興味がわかないらしい。そんな声だ。
インターネット上でその企画の告知があり、彼女は参加しようというのだ。どうにかなりたい相手を誘うには、ずいぶん色気がない。
中川と石津をはじめ、総務のメンバーから現在五名で出かける予定だという。
女性四人男性ひとり。
よりによって、企画開催は目前の明日だった。
手元のファイルを広げようとした紅緒は、如月の視線を感じる。
「三嶋さんはどうですか? 電車とかに興味は」
「楽しそうですね」
紅緒は笑顔を浮かべ、如月のとなりに立つ中川を見上げた。中川の目は笑っていない。
「よかったら後で写真見せてください。明日明後日と天気もいいみたいですから、楽しんできてくださいね――ゆべしおいしかったです」
「もちろんです、楽しみにしてて!」
中川は満面の笑顔で了解してくれた。
彼女はゆべしをさらにふたつくれて、紅緒は中川母だけでなく中川にも心から感謝したのだった。
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