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第二章
月の価値
しおりを挟む部屋の移動は少々面倒くさいが、前回の順位が11位以下であり、今回の順位も11位以下であるとき、つまりは部屋の階級が全く変わらないとき、かつパートナーが変わらないときは部屋を変える必要がないため移動もしなくてよい。これは当然特別部屋にも当てはまることであり、10位以上をキープできれば、ずっと同じ部屋にいることになる。
圧巻だ。
入口は普通部屋と変わらないものの、一足踏み入れると空間の広さが違うことが、五感で感じることができる。テレビ、机、こげ茶色のソファ、デジタル時計でさえも普通部屋の1.5倍はある気がするくらいであった。当然のように部屋は白色を基調としているが、壁、床、天井には照明パネルが組み込まれているため、単調に色を変えたり、簡単な模様であれば自分でセッティングすることができる。この点に関しては普通部屋とお金の掛け方が全く違う。正直、これだけ広く、豪華でも意味がないように侑輝は感じたほどである。そして共有スペースには近衛乙月が言っていたように無駄に広いキッチンが付いていた。冷蔵庫は勿論のこと、簡単な料理器具が常備している。食器は無いものの食器洗浄機や食器棚はあった。
侑輝は驚嘆しながらも、荷物を置くために自身の寝室に入った。寝室に関しても普通部屋より少し広く、照明パネルが組み込まれている。またベッドも通常よりすこしだけ大きいみたいである。どれだけお金をかけているんだろうか。
共有スペースに戻るとすでに近衛乙月がキッチンで何やら確認していた。
「あ、侑輝さん」
「どうしたの?」
「食器がないのが問題ですね」
「ああ、なるほど」
食器は基本的に持参するか、購入するしかないみたいである。明日から授業が始まるためゆっくり買うこともできない。侑輝は時計を見る、現在時刻10時20分。
「今日、買いにいこうか」
「はい」
近衛乙月は花咲くように返事をした。
食堂で昼食を簡単に済ませ、ショッピングモールに移動する。お小遣いが5万になるといはいえ、これからは食費もかかるため食器は安いものにした。当然のように近衛乙月は全く同じものを所望し購入。その後、食材を揃える。
「侑輝さん、今日の夜ごはん何にしますか?」
「なんでもいいよ」
「では、ロールキャベツにしますね?」
「え!?」
侑輝は自身の好物をぴたりと当てらたことに驚いたが、すぐに食堂でのことを思い出した。
「近衛さん、覚えていたんだね」
「当然です」
侑輝は少し恥ずかしく思ったが、口角が無意識に上がってしまった。近衛乙月は迷いのない手つきで食材と調味料を選び学生証をタッチして会計を済ませ籠の中に入れる。またロールキャベツ以外に使用する食材も手際よく籠に入れていくと、店を出た。
「早いね」
侑輝は率直な感想を言った、というのも中学のころまで偶にではあるが、母親の荷物持ちとして一緒にスーパーに行っていたが母親はかなりの時間をかけるほうであった。
「そうですか?欲しい食材以外のものは適当に安いものを購入します。それに私はできるだけ侑輝さんと2人で部屋にいたほうが落ち着くので…」
「そう…だな」
侑輝は少し顔を赤くしながら同意した。侑輝もどちらかというと外にいるよりは家の中でくつろぐほうが好きなのである。また、今ではいろいろな意味で注目を浴びてしまうため落ち着かないのは一緒であった。結局1時間くらいで買い物は終わり、部屋に戻ったのであった。部屋に戻った侑輝はたどたどしい動きで食器棚に食器をいれ、近衛乙月は食材を冷蔵庫に入れた。
「ふう」
小さく息を吐くと異常に大きなソファにどっしりと体重を乗せた。ソファは侑輝の身体を模るように凹む。数十秒後に侑輝のすぐ隣でもう一つの身体によってソファが凹んだ。
「お疲れ様です」
「そんなに疲れてはいないんだけどね。明日から授業が始まると思うとね」
「確かに、そうですね。ずっとこうしているほうが私も好きです」
侑輝は身体を少し沈め天井を見た。侑輝は白い照明パネルを見ながら、今日までのことを思い出した。一番初めに思い出したのは病院の白い天井であった。目をつぶるといつもの甘く心地よい香りが侑輝の鼻をくすぐる。次に思い出すのは病院に入ってきた近衛乙月であった。そのあとに思い出すのは近衛乙月のことであり、その後ずっと近衛乙月関連のことしかないだろう。いろいろなことがあったが、総合的に見て侑輝は満足していた。
冷静に考えてみると、学園一番の美少女と一緒に過ごしているのである。片腕がなくなったとしてもオートメイルが手に入るわけでプラスマイナスゼロ、否プラスくらいにはなっているはずである。侑輝はオートメイルという言葉を思い出して、再度自身の端末の中の説明書を見ようとした。
「侑輝さん、それは頂くことになっているオートメイルの説明書ですか?」
「そう…あっ」
侑輝は説明書のファイルに入っている近衛乙月のデータのことを思い出した。当然見せるべきものでもない。しかし、一つ気になるのは村木恵介が推測していたことであった。学園に来るまで近衛乙月はどのように生きていたのか、どのような環境で育ってきたのかということであった。近衛乙月が一人で居るときに大きなストレスを感じるようになった原因がそこにあるかもしれないということである。そもそも解決できるものなのか。村木恵介の口調から解決は難しそうな気がした。いや、解決しなければならないものなのか。
「侑輝さん?」
「え?ああ…なんでもないよ」
いつの間にか手を止めていた侑輝を心配するように近衛乙月は見ていた。
「嘘です!」
「え?」
「私にはわかります、何か悩みがあると。知りたいんです。教えてください。きっとお力になります」
きょとんとした侑輝を見る近衛乙月は真剣な眼差しであった。
「えっと、ほらオートメイルって届いたら俺も料理手伝えるようになるかなと思って…。近衛さんばかりに負担をかけると心配で…」
焦りを隠すようにできるだけ冷静に答える。
「そうなんですか。でも大丈夫ですよ。男の人はキッチンに入る必要はありませんから。大事な大事な私の役目なんです」
少し安心したように優しく答える。
侑輝はいつの時代の人間だと心の中で突っ込んだ。
「いや、そういうわけにはいかないって。きっとオートメイルが届けば随分と近衛さんの負担が減ると思うし、時間短縮にもなるから」
「しかし…」
近衛乙月は不安そうな、困った顔をしながら侑輝の裾を掴み小さな声で聞こえるようにつぶやいた。
「侑輝さん。私の役目を、いえ…生きがいをあまり減らさないでほしいです…」
…
…
3秒、いや5秒くらい時間が静かに止まった。あれこれと回転していた侑輝の頭の中は電力を失った洗濯機の様に回転を遅くさせ止めた。憔悴している近衛乙月から放たれた「生きがい」という言葉に侑輝は恥じた。それは赤く染まった恥ではなく、黒い罪のような恥だった。…今まで近衛乙月の何を見てきたんだろうか。侑輝は黒を払拭するように自身を震わせた。近衛乙月の左手を右手でそっとつかんだ。近衛乙月の手は柔らかく、細く、白い。短く切られた5か所の爪は付け根のほうで月を描き、時季外れにも侑輝の手と比較して冷たい。
「やっぱり…」
落ち着いた声で囁き始めた侑樹を悲しそうな顔の近衛乙月は見た。
「やっぱり、料理は近衛さんに任せようかな。オートメイルが故障すると困るから。それに説明書を見た感じ、万能でもなさそうだから、近衛さんには多分、これからも沢山迷惑かけるかもしれないけど…いいかな?」
みるみると近衛乙月から不安の色が無くなっていく。近衛乙月は侑輝の右手を再度両手で包むと優しい声で答えた。
「はい、喜んで」
侑輝は温かい近衛乙月の手を感じながら「生きがい」という言葉を頭の中で反復させていた。
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