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第一部
番外編.月の約束
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ルア視点。
―――――――――
季節は冬。
万物が凍てつく死と眠りの銀世界だ。
アンリィリル王国の冬は長い。
1人の少年が乗った静かな馬車は、小さな村々をいくつも越えて北へと向かう。
ふぅ、と少年が息を吐いた。
眉目秀麗とはこのことを言うのだろう。
艶のあるミッドナイトブルーの髪。
少し寂しげな黒曜石の瞳。
まだ11歳だというのに纏う雰囲気は大人びており、周囲を惹きつける魅力があった。
『ねえ少年』
おそらく、誰しも一度は経験するだろう。
それが人か物か、あるいは言葉か。
良いものか悪いものかの違いであって。
『その少年って呼び方やめろ』
『知ってる。クロウも嫌なんでしょ』
『……ああ』
『だから、名前を考えたの』
運命というものは存在すると彼は思っている。
『ルア』
彼―――今はルアと呼ばれる少年にとって、それは未来を変える一筋の光だった。
『ルアはどう? 素敵でしょ?』
月を意味するその名前は、ルアがその人のために生きると決めるのに十分だった。
闇に染まらず、暖かな光の下で生きることを願って与えられたその名は、ルアに大きな変化をもたらした。
『ルア』
いつからだったか。
彼女に名を呼ばれるたび、愛おしさを感じるようになった。
『ルア』
彼女はルアのすべてだった。
そして幸せは、突然に終わりを告げた。
『あ……ああああああああああぁぁぁっ』
本当に突然のことだった。
声のした先を見ると、そこには血を流して倒れ込んでいるユリアーナがいた。
そしてその隣には、先程までユリアーナに守られていた少女が、不気味に嗤っていた。
『ごしゅじんさま……っ!!?』
『っ!? まさか、あいつ……!!』
その時、ルアとユリは敵襲を退けるため戦っていたため、すぐにユリアーナに駆け寄ることはできなかった。
腹部から多量の血を流し苦しそうに顔を歪ませる姿は、とても痛々しかった。
『―――放せ……っ!!』
ルアの怒りと憎悪の剣撃は―――届かなかった。
『っ……!?』
物理攻撃を防ぐ結界によってルアは弾き飛ばされる。
強い衝撃だ。
骨が何本か折れたのが分かった。
【治癒】で治すが、体力は戻らない。
なんとかして立ち上がり、また剣を構えた。
『もー。血気盛んなのはいいけど、もうちょっと頭使いなよ。正面突破できるわけないでしょ?』
5歳くらいの少女だった。
ルアよりもずっと年下の少女だ。
しかし見た目で判断してはいけない。
現にルアたちは騙され、傷を負った。
『2人してそんな怖い顔しないでよ。フリフリメイドのおねえさんはユリ、だっけ? おねえちゃんの複製体さんだ。さっき私を殺そうとしたおにいちゃんはルアって言ってたけど、『常闇の鴉』だよね? 有名だから知ってる』
『……何故、俺のことを知っている』
『だから、有名なんだってば。ノイア・ノアールの暗殺者さん。……あ、今は“元”か』
ノイア・ノアールはルアが昔、常闇の鴉と呼ばれていた時に所属していた裏社会の組織の名前だ。
そのことを知っているということは―――
『……あんた、裏社会の人間か』
『うん。そうだよ。私はマナ・ライアー。よろしくね』
あっさりと認めた少女―――マナは、そばで血を流して倒れているユリアーナを蹴った。
『っ!? おまえ……っ!!』
『あと2、3回蹴ったら死ぬね。―――こんなに弱いのに、護衛《あなたたち》はそばを離れてたの?』
それは、思ってもいない言葉だった。
『……え、うそ。無自覚で離れてたの? そりゃ同い年の他の子と比べればおねえちゃんは強いだろうけど……近距離戦じゃ絶対負けるよ? なのに、おねえちゃんなら大丈夫だと思って離れたんだ。―――馬鹿にもほどがあるよ』
ルアは忘れていた。
人間の体は弱い。
特に女性は弱い。
鍛錬していない人はもっと弱い。
なのに―――魔法の才があるからというだけで強いと思い込んでいた。
ユリアーナの力を過信していた。
『おねえちゃんは、強くなんかないよ。強いふりをして、周りを安心させてるだけだよ』
強者からずっと遠く離れた人なのに。
『っ……死ね!!』
痛みに耐えてルアは一歩踏み出す。
『ちゃんと私の話、聞いてた? ……ま、いっか。どうせ聞いても弱いことに変わりはないんだもんね……おっと』
マナは壊れかけている結界を修復する。
このままだとルアに押し切られると判断したのか、結界の強化を図る。
『―――させません』
『っ……!』
だが、そこで大きな音とともに結界にヒビが入った。
ユリが一撃を入れたのだ。
『ごしゅじんさまを、返してもらいます』
『できるもんならやってみなよ。仮に取り返せても、遅いけどね』
『なんだと……?』
マナは勝ち誇ったように言った。
『もうすぐ私の呪いがおねえちゃんを殺す。それまで粘れば私の目的は達成するの。そのあとは別に私、死んでもいいし。それに―――あのお方のために死ねるなら本望よ』
陶酔しきったマナに、ルアとユリはゾッとした。
このままでは、負ける。
そう、悟った時だった。
『……あぇ?』
マナの口から阿呆な声が出る。
それと同時に、鮮血が散った。
『なん、で……』
マナの背後から1人の男が現れた。
夜空のような髪。
闇を閉じ込めた瞳。
一目見れば忘れることのない容姿の持ち主。
『随分と派手に暴れましたね』
『なんで、あなたが……』
彼は会えば死を意味する存在から、裏社会では『終焉の死神』と呼ばれている。
ルアの異母兄にして裏社会の住人、エヴァはマナの結界を破り、初めて一撃を与えた。
この男の力は本物だ。
ユリやルアよりも、何段も格上である。
エヴァに腹部を貫かれたマナはふらついた足取りで距離をとる。
エヴァは重症のユリアーナに【治癒】を施しマナを一瞥する。
そして―――
『っ……!?』
マナの全身から血が舞った。
『が、は……っ』
マナは膝から崩れ落ちた。
知れば誰もが理解する単純な攻撃だ。
エヴァはただ、魔力をぶつけただけだ。
それで、この威力を持っていた。
『両手両足を二箇所ずつ、計八箇所を骨折させました。ユリ、魔力封じの枷と縄で四肢を拘束しなさい』
『っ、わかりました』
そこからは手際良く事を終えた。
拘束したマナは【転移】でノイア・ノアールの監禁室へ移送され、重傷を負ったユリアーナはエヴァの【治癒】と彼女の母親による〈精霊の加護〉により命を取り留めた。
マナによる呪いはエヴァと同じノイア・ノアールの幹部の呪術師が対処することになり、ひとまずは安心できた。
だが―――ルアは何もできなかった。
『醜いな』
【治癒】で体は治っているものの、ルアの体はボロボロだった。
そんなルアを見て、エヴァはそう言い放った。
『半端な力で半端に強くなった結果がこれか』
ユリアーナを治療しながらエヴァは話した。
エヴァ曰く、先刻、ユリから連絡があって、それで急いで来たらしい。
元からこの兄弟は仲が悪い。
会話もほとんどしてこなかった。
力量差も大きい。
年齢が、時間が、2人の間を大きく隔ててしまった。
―――守るって、言ったのに。
命に変えてでも、ルアはユリアーナを守るつもりだった。
―――守れなかった。
しかし現実は違う。
『約束通り、あんたのことは俺が守る』
そう約束したはずなのに。
―――なのに、俺は……。
深い後悔に襲われるルアをさらに苦しくしたのはディールの言葉だった。
『なにも、おまえだけの責任じゃない』
罵られ、蹴られ、殴られ、瀕死状態にされるだろう―――そんな予想は外れた。
ディールは怒らなかった。
それどころか慰めのような言葉をかけた。
ルアは、自分の無力さを恨んだ。
なんのために稽古をしてもらった。
なんのためにユリアーナのそばにいた。
なんのために強くなろうとした。
―――ぜんぶ、襲撃のためじゃなかったのか?
そのはずなのに。
そのはずだったのに。
ルアは、何もできなかった。
―――死んでしまいたい。
唐突にそう思った。
何故自分は生きているのか。
果たして生きる価値はあるのか。
思考が悪い方へと傾いた時―――
『ルア』
エリアーナが現れた。
エリアーナは深く深呼吸をして、まっすぐな瞳を向けて言った。
『死んだら許さないから』
まるで心を読んだかのような言葉だった。
『どういう、意味ですか』
『そのままの意味だよ。死んだら許さない。自殺しないでってこと』
『……死にませんよ、俺は』
『うそつき』
エリアーナは確信した声で言った。
『ルア、うそついてるでしょ。少なくとも、死にたいと思ってる』
『っ……なんで……』
『そういう顔してたよ』
心情が表情に出ていた。
気が緩んでるなとルアは思った。
『言っとくけど、死ぬのは逃げだからね。現実から目を逸らしてる証拠。現実と向き合おうとしないのは許さないから』
『……』
嗚呼、とルアは思った。
―――俺は、逃げてるのか。
現実から、弱さから、ルアは逃げている。
『ルアは、これからどうしたい?』
『どう、とは……?』
『色々あるだろうけど、要は、強くなりたいかってこと』
そんなの決まっている。
『強くなりたいです』
今度こそユリアーナを守りたい。
そのためには、力がいる。
エリアーナはルアの言葉に頷くと、『これは知る人ぞ知るお話なんだけど……』と話し始めた。
『! 本当ですか?』
『うん。本当だよ』
エリアーナの情報により、ルアのすすむべき道は決まった。
『ありがとうございます、エリアーナ様』
『どういたしまして』
それからのルアの行動は早かった。
エヴァにユリアーナとの眷属契約の破棄をしてもらい、ディールとフェーリにこれからすることの許可をもらった。
そして旅立ちの日。
『ルア様はよろしいのですか?』
『ユリ……?』
『ごしゅじんさまと離れることになって、本当によろしいのですか?』
『……ああ。それが俺の罰でもある』
『……そうですか』
ユリは哀しそうに目を伏せた。
同じ従者のような関係だったユリは、ルアの気持ちを理解できる。
だが、主人であるユリアーナのことを考えると、ルアの決断は正しいものなのかと考えてしまう。
きっと、優しい主人はルアを庇い、ルアと離れることを悲しむだろうから。
『……ごしゅじんさまの代理として、ひとつだけ言わせてください』
ユリは黒髪黒目のメイド姿から美しい白髪碧眼の少女―――ユリアーナへと姿を変えると、ルアの瞳を見つめて言った。
『必ず、生きて戻ってきて』
まるで、ユリアーナがそこにいるかのような錯覚を受けた。
背丈、声、眼差し……そのすべてはユリアーナそのものだ。
『そしてこれは私からのメッセージです』
ユリは姿を戻すと柔らかに微笑んだ。
『ルア様の居場所はいつだってごしゅじんさまの隣です。不在の間は私が責任を持ってお守りします。どうか、安心してください』
『っ……』
すると、下の階からルアを呼ぶ声がした。
出発の時間だ。
『もうお別れのようですね。それでは……』
『ま、待ってくれ!』
『?』
『……必ず、生きて帰ってくる。約束する』
それは自分自身の願いでもある。
『ルアの名にかけて誓う。絶対だ』
『! ……どうか、お気をつけて』
ユリはそう言うと、姿を消した。
ユリアーナの元へと戻ったのだろう。
―――強くなろう。
今度こそ、ユリアーナを守るために。
今度こそ、約束を守るために。
こうしてリンドール邸から旅立ったルアは、南へ進むこと約1週間。
辺境の地に存在する目的地が見えたのは、陽光で目覚めた朝方のことだった。
―――あれが……。
別名、白と黒の要塞。
「あれが、ルミエール学院……」
9歳~18歳までの男女が通う全9学年・全寮制の名門校。
優秀な騎士の家系、ルミエール家が運営するルミエール学院・通称ルミエールは、剣はもちろん、弓や槍など幅広く学ぶことができる。
『ルミエール学院っていう学校があってね、そこには国内はもちろん、外国からも強さを求める人が通う武の学校なの。お父様も昔、そこに通っていたのよ』
エリアーナが教えたのは、ルミエールの存在だった。
『強くなるには騎士団の次にルミエールがいいと言われてるの。普通に入学すれば9年間通うことになるけど、ルミエールは飛び級制度を設けてるから、うまくいけば7年とかで卒業できるらしいよ』
外部との接触手段は年に何度かの校外行事と2週間ちょっとの冬休みくらい。
ルミエールからリンドール邸までは1週間ほどかかるので、卒業するまでユリアーナとは会えないことになる。
また、仮に7年で卒業できても、ユリアーナがどこかの学校に入るのは7年後―――入れ違いになる可能性もある。
―――つまり、うまくいっても7年で卒業なのに、俺は6年で卒業しなきゃいけない。
それは不可能に近いことだ。
だが、諦める理由にはならない。
―――やってやる。
ユリアーナの隣に立つためなら、どんなことだってやるつもりだ。
それがたとえ不可能と思われることでも関係ない。
『月』の名をもらった時から、それは永遠に変わらないことだ。
―――――――――
著者から/
エピソードタイトルの『月の約束』には2つの約束を指しています。1つはユリアーナを守ること、もう1つは必ず生きて帰ってくることです。
ルミエールについてですが、いずれ本編でまた紹介します。今はルミエール=騎士学校だと思ってくださればそれで大丈夫です。
―――――――――
季節は冬。
万物が凍てつく死と眠りの銀世界だ。
アンリィリル王国の冬は長い。
1人の少年が乗った静かな馬車は、小さな村々をいくつも越えて北へと向かう。
ふぅ、と少年が息を吐いた。
眉目秀麗とはこのことを言うのだろう。
艶のあるミッドナイトブルーの髪。
少し寂しげな黒曜石の瞳。
まだ11歳だというのに纏う雰囲気は大人びており、周囲を惹きつける魅力があった。
『ねえ少年』
おそらく、誰しも一度は経験するだろう。
それが人か物か、あるいは言葉か。
良いものか悪いものかの違いであって。
『その少年って呼び方やめろ』
『知ってる。クロウも嫌なんでしょ』
『……ああ』
『だから、名前を考えたの』
運命というものは存在すると彼は思っている。
『ルア』
彼―――今はルアと呼ばれる少年にとって、それは未来を変える一筋の光だった。
『ルアはどう? 素敵でしょ?』
月を意味するその名前は、ルアがその人のために生きると決めるのに十分だった。
闇に染まらず、暖かな光の下で生きることを願って与えられたその名は、ルアに大きな変化をもたらした。
『ルア』
いつからだったか。
彼女に名を呼ばれるたび、愛おしさを感じるようになった。
『ルア』
彼女はルアのすべてだった。
そして幸せは、突然に終わりを告げた。
『あ……ああああああああああぁぁぁっ』
本当に突然のことだった。
声のした先を見ると、そこには血を流して倒れ込んでいるユリアーナがいた。
そしてその隣には、先程までユリアーナに守られていた少女が、不気味に嗤っていた。
『ごしゅじんさま……っ!!?』
『っ!? まさか、あいつ……!!』
その時、ルアとユリは敵襲を退けるため戦っていたため、すぐにユリアーナに駆け寄ることはできなかった。
腹部から多量の血を流し苦しそうに顔を歪ませる姿は、とても痛々しかった。
『―――放せ……っ!!』
ルアの怒りと憎悪の剣撃は―――届かなかった。
『っ……!?』
物理攻撃を防ぐ結界によってルアは弾き飛ばされる。
強い衝撃だ。
骨が何本か折れたのが分かった。
【治癒】で治すが、体力は戻らない。
なんとかして立ち上がり、また剣を構えた。
『もー。血気盛んなのはいいけど、もうちょっと頭使いなよ。正面突破できるわけないでしょ?』
5歳くらいの少女だった。
ルアよりもずっと年下の少女だ。
しかし見た目で判断してはいけない。
現にルアたちは騙され、傷を負った。
『2人してそんな怖い顔しないでよ。フリフリメイドのおねえさんはユリ、だっけ? おねえちゃんの複製体さんだ。さっき私を殺そうとしたおにいちゃんはルアって言ってたけど、『常闇の鴉』だよね? 有名だから知ってる』
『……何故、俺のことを知っている』
『だから、有名なんだってば。ノイア・ノアールの暗殺者さん。……あ、今は“元”か』
ノイア・ノアールはルアが昔、常闇の鴉と呼ばれていた時に所属していた裏社会の組織の名前だ。
そのことを知っているということは―――
『……あんた、裏社会の人間か』
『うん。そうだよ。私はマナ・ライアー。よろしくね』
あっさりと認めた少女―――マナは、そばで血を流して倒れているユリアーナを蹴った。
『っ!? おまえ……っ!!』
『あと2、3回蹴ったら死ぬね。―――こんなに弱いのに、護衛《あなたたち》はそばを離れてたの?』
それは、思ってもいない言葉だった。
『……え、うそ。無自覚で離れてたの? そりゃ同い年の他の子と比べればおねえちゃんは強いだろうけど……近距離戦じゃ絶対負けるよ? なのに、おねえちゃんなら大丈夫だと思って離れたんだ。―――馬鹿にもほどがあるよ』
ルアは忘れていた。
人間の体は弱い。
特に女性は弱い。
鍛錬していない人はもっと弱い。
なのに―――魔法の才があるからというだけで強いと思い込んでいた。
ユリアーナの力を過信していた。
『おねえちゃんは、強くなんかないよ。強いふりをして、周りを安心させてるだけだよ』
強者からずっと遠く離れた人なのに。
『っ……死ね!!』
痛みに耐えてルアは一歩踏み出す。
『ちゃんと私の話、聞いてた? ……ま、いっか。どうせ聞いても弱いことに変わりはないんだもんね……おっと』
マナは壊れかけている結界を修復する。
このままだとルアに押し切られると判断したのか、結界の強化を図る。
『―――させません』
『っ……!』
だが、そこで大きな音とともに結界にヒビが入った。
ユリが一撃を入れたのだ。
『ごしゅじんさまを、返してもらいます』
『できるもんならやってみなよ。仮に取り返せても、遅いけどね』
『なんだと……?』
マナは勝ち誇ったように言った。
『もうすぐ私の呪いがおねえちゃんを殺す。それまで粘れば私の目的は達成するの。そのあとは別に私、死んでもいいし。それに―――あのお方のために死ねるなら本望よ』
陶酔しきったマナに、ルアとユリはゾッとした。
このままでは、負ける。
そう、悟った時だった。
『……あぇ?』
マナの口から阿呆な声が出る。
それと同時に、鮮血が散った。
『なん、で……』
マナの背後から1人の男が現れた。
夜空のような髪。
闇を閉じ込めた瞳。
一目見れば忘れることのない容姿の持ち主。
『随分と派手に暴れましたね』
『なんで、あなたが……』
彼は会えば死を意味する存在から、裏社会では『終焉の死神』と呼ばれている。
ルアの異母兄にして裏社会の住人、エヴァはマナの結界を破り、初めて一撃を与えた。
この男の力は本物だ。
ユリやルアよりも、何段も格上である。
エヴァに腹部を貫かれたマナはふらついた足取りで距離をとる。
エヴァは重症のユリアーナに【治癒】を施しマナを一瞥する。
そして―――
『っ……!?』
マナの全身から血が舞った。
『が、は……っ』
マナは膝から崩れ落ちた。
知れば誰もが理解する単純な攻撃だ。
エヴァはただ、魔力をぶつけただけだ。
それで、この威力を持っていた。
『両手両足を二箇所ずつ、計八箇所を骨折させました。ユリ、魔力封じの枷と縄で四肢を拘束しなさい』
『っ、わかりました』
そこからは手際良く事を終えた。
拘束したマナは【転移】でノイア・ノアールの監禁室へ移送され、重傷を負ったユリアーナはエヴァの【治癒】と彼女の母親による〈精霊の加護〉により命を取り留めた。
マナによる呪いはエヴァと同じノイア・ノアールの幹部の呪術師が対処することになり、ひとまずは安心できた。
だが―――ルアは何もできなかった。
『醜いな』
【治癒】で体は治っているものの、ルアの体はボロボロだった。
そんなルアを見て、エヴァはそう言い放った。
『半端な力で半端に強くなった結果がこれか』
ユリアーナを治療しながらエヴァは話した。
エヴァ曰く、先刻、ユリから連絡があって、それで急いで来たらしい。
元からこの兄弟は仲が悪い。
会話もほとんどしてこなかった。
力量差も大きい。
年齢が、時間が、2人の間を大きく隔ててしまった。
―――守るって、言ったのに。
命に変えてでも、ルアはユリアーナを守るつもりだった。
―――守れなかった。
しかし現実は違う。
『約束通り、あんたのことは俺が守る』
そう約束したはずなのに。
―――なのに、俺は……。
深い後悔に襲われるルアをさらに苦しくしたのはディールの言葉だった。
『なにも、おまえだけの責任じゃない』
罵られ、蹴られ、殴られ、瀕死状態にされるだろう―――そんな予想は外れた。
ディールは怒らなかった。
それどころか慰めのような言葉をかけた。
ルアは、自分の無力さを恨んだ。
なんのために稽古をしてもらった。
なんのためにユリアーナのそばにいた。
なんのために強くなろうとした。
―――ぜんぶ、襲撃のためじゃなかったのか?
そのはずなのに。
そのはずだったのに。
ルアは、何もできなかった。
―――死んでしまいたい。
唐突にそう思った。
何故自分は生きているのか。
果たして生きる価値はあるのか。
思考が悪い方へと傾いた時―――
『ルア』
エリアーナが現れた。
エリアーナは深く深呼吸をして、まっすぐな瞳を向けて言った。
『死んだら許さないから』
まるで心を読んだかのような言葉だった。
『どういう、意味ですか』
『そのままの意味だよ。死んだら許さない。自殺しないでってこと』
『……死にませんよ、俺は』
『うそつき』
エリアーナは確信した声で言った。
『ルア、うそついてるでしょ。少なくとも、死にたいと思ってる』
『っ……なんで……』
『そういう顔してたよ』
心情が表情に出ていた。
気が緩んでるなとルアは思った。
『言っとくけど、死ぬのは逃げだからね。現実から目を逸らしてる証拠。現実と向き合おうとしないのは許さないから』
『……』
嗚呼、とルアは思った。
―――俺は、逃げてるのか。
現実から、弱さから、ルアは逃げている。
『ルアは、これからどうしたい?』
『どう、とは……?』
『色々あるだろうけど、要は、強くなりたいかってこと』
そんなの決まっている。
『強くなりたいです』
今度こそユリアーナを守りたい。
そのためには、力がいる。
エリアーナはルアの言葉に頷くと、『これは知る人ぞ知るお話なんだけど……』と話し始めた。
『! 本当ですか?』
『うん。本当だよ』
エリアーナの情報により、ルアのすすむべき道は決まった。
『ありがとうございます、エリアーナ様』
『どういたしまして』
それからのルアの行動は早かった。
エヴァにユリアーナとの眷属契約の破棄をしてもらい、ディールとフェーリにこれからすることの許可をもらった。
そして旅立ちの日。
『ルア様はよろしいのですか?』
『ユリ……?』
『ごしゅじんさまと離れることになって、本当によろしいのですか?』
『……ああ。それが俺の罰でもある』
『……そうですか』
ユリは哀しそうに目を伏せた。
同じ従者のような関係だったユリは、ルアの気持ちを理解できる。
だが、主人であるユリアーナのことを考えると、ルアの決断は正しいものなのかと考えてしまう。
きっと、優しい主人はルアを庇い、ルアと離れることを悲しむだろうから。
『……ごしゅじんさまの代理として、ひとつだけ言わせてください』
ユリは黒髪黒目のメイド姿から美しい白髪碧眼の少女―――ユリアーナへと姿を変えると、ルアの瞳を見つめて言った。
『必ず、生きて戻ってきて』
まるで、ユリアーナがそこにいるかのような錯覚を受けた。
背丈、声、眼差し……そのすべてはユリアーナそのものだ。
『そしてこれは私からのメッセージです』
ユリは姿を戻すと柔らかに微笑んだ。
『ルア様の居場所はいつだってごしゅじんさまの隣です。不在の間は私が責任を持ってお守りします。どうか、安心してください』
『っ……』
すると、下の階からルアを呼ぶ声がした。
出発の時間だ。
『もうお別れのようですね。それでは……』
『ま、待ってくれ!』
『?』
『……必ず、生きて帰ってくる。約束する』
それは自分自身の願いでもある。
『ルアの名にかけて誓う。絶対だ』
『! ……どうか、お気をつけて』
ユリはそう言うと、姿を消した。
ユリアーナの元へと戻ったのだろう。
―――強くなろう。
今度こそ、ユリアーナを守るために。
今度こそ、約束を守るために。
こうしてリンドール邸から旅立ったルアは、南へ進むこと約1週間。
辺境の地に存在する目的地が見えたのは、陽光で目覚めた朝方のことだった。
―――あれが……。
別名、白と黒の要塞。
「あれが、ルミエール学院……」
9歳~18歳までの男女が通う全9学年・全寮制の名門校。
優秀な騎士の家系、ルミエール家が運営するルミエール学院・通称ルミエールは、剣はもちろん、弓や槍など幅広く学ぶことができる。
『ルミエール学院っていう学校があってね、そこには国内はもちろん、外国からも強さを求める人が通う武の学校なの。お父様も昔、そこに通っていたのよ』
エリアーナが教えたのは、ルミエールの存在だった。
『強くなるには騎士団の次にルミエールがいいと言われてるの。普通に入学すれば9年間通うことになるけど、ルミエールは飛び級制度を設けてるから、うまくいけば7年とかで卒業できるらしいよ』
外部との接触手段は年に何度かの校外行事と2週間ちょっとの冬休みくらい。
ルミエールからリンドール邸までは1週間ほどかかるので、卒業するまでユリアーナとは会えないことになる。
また、仮に7年で卒業できても、ユリアーナがどこかの学校に入るのは7年後―――入れ違いになる可能性もある。
―――つまり、うまくいっても7年で卒業なのに、俺は6年で卒業しなきゃいけない。
それは不可能に近いことだ。
だが、諦める理由にはならない。
―――やってやる。
ユリアーナの隣に立つためなら、どんなことだってやるつもりだ。
それがたとえ不可能と思われることでも関係ない。
『月』の名をもらった時から、それは永遠に変わらないことだ。
―――――――――
著者から/
エピソードタイトルの『月の約束』には2つの約束を指しています。1つはユリアーナを守ること、もう1つは必ず生きて帰ってくることです。
ルミエールについてですが、いずれ本編でまた紹介します。今はルミエール=騎士学校だと思ってくださればそれで大丈夫です。
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ヒロインは、お父様の再婚相手の連れ子な義妹、特に何もされていないが、今後が大変そうだからひとまず、ごめんなさい。プロローグは肩慣らし程度の攻略対象者の義兄。わかっていれば対応はできます。
まず乙女ゲームって一人の女の子が何人も男性を攻略出来ること自体、あり得ないのよ。ヒロインは天然だから気づかない、嘘、嘘。わかってて敢えてやってるからね、男落とし、それで成り上がってますから。
みんなに現実見せて、納得してもらう。揚げ足、ご都合に変換発言なんて上等!ヒロインと一緒の生活は、少しの発言でも悪役令嬢発言多々ありらしく、私も危ない。ごめんね、ヒロインさん、そんな理由で強制退去です。
でもこのゲーム退屈で途中でやめたから、その続き知りません。
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