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第一部
番外編.闇に潜む影
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『あるじ様』視点。
―――――――――
夜。
それは、闇の帷が降りた世界のことを指す。
ほぼすべての生物は眠りにつき、静かな時間が流れる。
それが夜。
だけど一部の人間にとって夜は活動時間で、少なくとも裏社会に住む人にとっての朝は夜で、夜は朝だ。
彼女がいつものように本を読んでいると、太陽のように明るい声がした。
冬の寒い夜のことだった。
「あるじ様~!」
闇に溶け込んだ黒髪。
きらりと光る赤い瞳。
薄い外套と服。
見た目よりも声は幼く聞こえ、愛らしいと形容するのが相応しい華奢な少女だった。
「マナ……!」
マナ、と呼ばれた少女は一層嬉しそうに顔を綻ばせる。
「あるじ様、ぎゅー!」
「!」
彼女―――あるじ様はマナを抱きしめる。
人肌の温もりがふたりを包む。
「生きていてよかったわ、マナ。ずっと心配していたの。必要なこととはいえ、危険なことをさせてごめんなさいね」
「そんなっ……! 謝るのはマナの方です、あるじ様」
マナは昔、あるじ様が拾った孤児だ。
「なんか呪術師に向いてそ~」と思って呪術を教えると、優秀な呪術師として育った。
そして―――異常なほどにあるじ様に忠誠と尊敬心を抱いた。
―――そんなすごい人じゃないんだけどね。
マナはあるじ様に依存している。
だからあるじ様の言うことはなんでも聞く。
忠実な下僕《しもべ》を作るために育てたわけではないのだが、気づいたらこうなっていた。
「マナ、あるじ様の言う通り、ユリアーナ・リンドールにあの呪いをかけました! あるじ様とユリアーナ・リンドールを夢の中でつなぐ呪いと、もうひとつ、ユリアーナ・リンドールを無力化できる呪い! ちゃんとできました! だから、だから、マナはあるじ様のお役に立てましたか……?」
「ええ。マナのおかげで助かったわ。ありがとう」
「~~っ!」
マナはあるじ様に頭を撫でてもらうと、上機嫌になった。
とてもかわいらしい。
―――裏社会にはあまりいてほしくないんだけどね……。
しかし、それは不可能に近い。
『みて、あるじさま~!』
呪術で人を殺し、返り血をかぶったまま『ほめて』と言ったあの日から、マナは裏社会でしか生きることができない子になってしまった。
普通の世界で生きることなんて、到底無理だろう。
常識が違う。
殺さなきゃ殺される実力主義の弱肉強食の世界で育ってしまったのだから。
「本当にありがとう、マナ」
そう言うと、あるじ様は後ろで待機している青年に視線を向けた。
「あなたもありがとう、ジュライ」
「……別に、暇だったし」
灰色の髪に金色の瞳をしたジュライは、ぶっきらぼうにそう言った。
闇に溶け込むのがうまく、かくれんぼをしていた時は、いつもジュライが勝ってマナが怒る……と言う構図が出来上がる。
ふたりとも大きくなってしまったから、もうそんなやりとりは見られないけど。
「あなたに頼んで正解だったわ。さすがジュライね」
「……俺以外もできる」
「そうね。でも、私はあなたを選び、あなたは私の願い通りにマナを連れ帰ってきてくれた」
「…………」
「ジュライ。ありがとう」
ジュライはそっぽを見つめる。
褒められるのが恥ずかしくて、素直に受け取れない時期にあるのだ。
それに、もともとジュライは素直な子じゃない。
そういうところが可愛いなとあるじ様は思った。
「ちょっとジュライ! あるじ様のお褒めの言葉に対して、その反応はなくない? 良い加減、素直になったらどうなの?」
「……はぁ? 俺が助けに行かなきゃ一生地獄の日々を過ごすはずだったお前に、なんでそんなこと言われなきゃならないんだよ」
「ふ、ふんっ。終焉の死神が現れなきゃ、捕まってなかったもん。幹部級が現れるなんて思ってなかったし、仕方ないじゃない」
「俺はお前を背負いながら幹部2人を相手にここまで逃げたが?」
「っ、ぐぬぬ……」
険悪な雰囲気になっている。
マナは呪術を発動させかけてるし、ジュライは応戦しようとしている。
これはよくない。
非常によろしくない。
「ふたりとも、そこまでよ」
「でもマナが仕掛けてきた」
「だってジュライが……!」
「“でも”も“だって”も言い訳よ。今、喧嘩したら他の子が起きちゃうでしょ?」
「「……」」
ふたりは黙り込む。
少しは冷静になってもらえただろうか。
「ふたりとも強いんだから、少しは感情を抑えることも覚えなさい。加減したって、人によっては死んじゃうんだから。わかってるでしょ?」
マナとジュライは強すぎる。
殺すつもりがなくとも、以前、殺してしまったことがあったので、ふたりには響くはずだ。
「命を大切にして」
「「……」」
「返事は?」
「……はぁい」
「……わかった」
どんなに実力がある人でも、どんなに権力がある人でも、命はひとりひとつ。
物理的に考えると人間の命は皆平等と言えるだろう。
すると―――
―――あれ……?
「その傷……」
「!」
マナの前髪の間から、切り傷のようなものが微かに見えた。
マナがすぐに両手で塞ぐが、あるじ様にははっきりと見えた。
あれは―――呪印だ。
「えっと、これは……」
「夢幻の呪術師から呪い返しを受けたんだよ」
「ちょっ……ジュライ!」
呪い返し。
呪われた者に刻まれる呪印から呪術者に同程度かそれ以上の呪いを返すことだ。
大抵、呪った相手に刻まれた呪印と同じ紋様、同じ位置に呪い返しの呪印は刻まれる。
ユリアーナ・リンドールの額に呪印を刻んだマナは、呪い返しにより、自分の額にも同じ呪印が刻まれたのだ。
「幸い、呪印と頭痛だけで呪い返しが終わったから、特に問題はない」
「あるに決まってんでしょジュライ! 同じ呪印が刻まれた同士が近くにいると、あのクッッッソ痛《い》ったい頭痛がするの! つまり、どんなに姿を変えても、私のことがバレちゃうの!」
「そんなの知ってるに決まってんだろ」
「なら、なんで『問題はない』なんて言うわけ!? 問題山積みだよ!! この呪印は夢幻の呪術師か、対の存在のユリアーナ・リンドールが死なないと消えないの! だから私、ユリアーナ・リンドールには近づけないんだよ!? 私、役立たずになっちゃった……っ」
マナが涙目になる。
ジュライはその理由を理解できない。
できているのはマナとあるじ様だけだ。
―――捨てられると思っているのね。
ユリアーナ・リンドールに近づけない。
それは一見あるじ様たちにとって深刻な問題だが、あるじ様の目的には今は支障のないことだ。
―――マナはちゃんとお姉ちゃんにあの呪いをかけた。それは絶対。
あるじ様がマナにユリアーナ・リンドールにあの呪いをかけさせたのは今後、ユリアーナ・リンドールがどうしても邪魔になった時の保険だ。
マナの今後の役割はあるじ様の目的が達成するまで生きることで、それ以外できなくても特に問題はない。
「マナ」
「っ、あるじ様……」
「マナ。あなたは役立たずなんかじゃないわ」
「……今の私にできることなんて……」
「マナは強いわ。だから、マナがいなくなってしまったら、私は弱いから、死んでしまうかもしれない」
「!」
「マナは私のこと、守ってくれないの?」
「守るっ!!」
「ずっと、生きててくれる? 私をひとりにしないでくれる?」
「うんっ! 私、ずっと生きる! あるじ様をひとりになんてさせない!」
「ほんと? ありがとう」
これで当分、マナは元気だろう。
うまくいってよかった、とあるじ様は心のうちでそう思った。
―――私が願えば、この子たちはなんでもしてくれる。
いなくなってほしい。
二度と視界に入れたくない。
死んでほしい。
そうあるじ様が思った人は全員、マナとジュライがこの世から存在を消し去る。
あるじ様が一言「ありがとう」と言えば喜び、その一言をもらうためにどんなことでも成し遂げる。
人を殺すことの恐怖や罪悪感がなかったわけではないだろう。
ただ、それ以上に「ありがとう」と言われる幸福が大きく、あるじ様に喜んでもらえることの嬉しさが自尊心を満たした。
―――依存している。
それはきっと悪いことだ。
―――私がこの子たちの将来を妨げた。
そして、縛りつけた。
―――もっと早くに光のもとにいけば。
真っ当な人間として生きられただろうか。
―――嗚呼、でも。
命を暴力で踏み躙り、奪っているマナとジュライがなんとも思わないのは、自分のお願いのせいだ。
もう、引き返すことはできない。
誰を犠牲にしようとも、あるじ様は目的を達成しなければならない。
―――これ以上、お姉ちゃんの好きにはさせないんだから。
ユリアーナ・リンドール。
彼女はあるじ様の前世の姉であり、あるじ様の目的を達成するのに邪魔な存在だ。
―――殺してもらうことも考えたけど……。
ユリアーナはあるじ様の目的に多く関わっており、彼女の死は目的を達成するのに大きな妨げとなる可能性が高い。
生かしても殺しても悪く影響するのだ。
面倒なことこの上ない。
―――ま、お姉ちゃんにはちゃんと脇役でいてもらうよう頼んだし、承諾してもらったし。きっとなんとかなるはず。
その楽観的な意見は、決してそこらの阿呆の無根拠なものではなく、確固とした理由のもとにある。
―――どんなにお姉ちゃんが派手に暴れても、この物語は正規の筋書きで終わらせる。
そのためならマナやジュライを利用することも躊躇わない。
それほどにあるじ様は目的を達成しなければならない理由があるのだ。
「マナ。ジュライ」
汚れ仕事をさせて、ごめんなさい。
「愛してるわ」
歪んだ愛で、ごめんなさい。
「ずっと、ずっと、」
こんな自分と一緒にいてくれるだろうか。
「あなたたちのことを愛してるわ」
あるじ様は心の底からふたりを愛している。
だけどそれは人としてではなく、駒としてであって。
ふたりはもう取り返しのつかない力を手に入れていて、それほど強い人はなかなかおらず、代えが少ないからであって。
―――私に依存していて、私のためならどんなことでもしてくれる人なんて、なかなかいないもの。
愛する理由が「利用価値があるから」なのは、とても残酷だ。
―――嫌われないように、逃げられないように、大事に大事にしないと。
呪いも傀儡も、手に入れてしまえば手放すことは不可能に近く、また、扱いが難しい。
それを自由自在に操ることができるふたりを失うのは大きな痛手となる。
あるじ様はマナもジュライも好きだ。
だが、この愛は純粋な家族愛ではない。
とても、とても複雑で、歪んでいる。
―――はじめはそうじゃなかった。
あるじ様がまだ真っ当だった頃は、ちゃんとふたりとも、光のもとに返すつもりだった。
自力で生きることのできる力を与えて、返すつもりだった。
―――でも、ふたりが予想以上に強くなっちゃっちゃったから。
惜しくなったのだ。
失うのが、惜しくなった。
次第にふたりとも自分にに依存しかけていると知って、もし、ふたりを依存させれば、自分が強大な力を手に入れたのと同じになると思って。
『愛してるわ』
最初は本心からだったが、だんだんと偽りの愛に変わった。
『愛してるわ』
いつしかあるじ様は自分のために戦ってくれる駒として、ふたりを見るようになった。
そのことが知られないように、十分に配慮して演技し続け、今に至る。
あるじ様の「愛してる」は「味方でいてくれるなら」という条件付きだ。
偽物の愛でも、マナとジュライにはなくては生きられない。
「マナもあるじ様のこと、大好き!」
―――っ……。
太陽のような眩しい笑顔が、心を抉《えぐ》る。
目的のためとは言え、騙していることに対する罪悪感は、ある。
―――それでも。
目的のためならどんな手段も選ばない。
たとえ、大事な人を失っても。
もし、愛する人を殺すことになっても。
目的の達成はあるじ様の絶対で、生きなければならない理由なのだ。
―――私は私のするべきことをするまで。
偽りの仮面を被ろうと。
―――できることを、全力でやるだけ。
嘘を吐き続けようと。
―――そうしたら……そうしたら、きっと。
いつか、きっと。
「心の底から、愛してるわ」
きっと、叶うはず。
―――こんな私でも、愛してくれますか?
―――――――――
補足/
ノイア・ノアールの幹部は全員人間離れした力を持つ実力者です。そんな幹部2人(ユギルとサラ)からマナを連れて帰ってきたジュライはすっごく強いです。超強いです。
マナは強いのですが、性格上、ユギルとサラとは相性が悪いです。ジュライは勝ちにこだわらないので守りつつ逃げるのが得意です。
・マナ…攻撃威力高め。やりすぎ
・ジュライ…攻撃力は普通。長期戦が得意。
まとめ/
①ユリアーナにかけられた呪いは2つ
②あるじ様はなんらかの目的のために動いている
③マナはオフィーリアから呪い返しを受けており、ユリアーナに近づくと互いに居場所がわかる
④ジュライはマナを連れてユギルとサラから逃げてきた
著者から/
いざあるじ様を書くと、想像以上に難しかったです。善人とも悪人とも言い難い、複雑な人です。
今日は3つ、投稿しています。この番外編3と、次のページにある人物まとめ、それと、近況ノートに載せたエヴァとフェーリの過去編です。
過去編はエヴァがユリアーナの専属教師になった経緯を書きました。ぜひ、こちらも見ていただけると幸いです。
―――――――――
夜。
それは、闇の帷が降りた世界のことを指す。
ほぼすべての生物は眠りにつき、静かな時間が流れる。
それが夜。
だけど一部の人間にとって夜は活動時間で、少なくとも裏社会に住む人にとっての朝は夜で、夜は朝だ。
彼女がいつものように本を読んでいると、太陽のように明るい声がした。
冬の寒い夜のことだった。
「あるじ様~!」
闇に溶け込んだ黒髪。
きらりと光る赤い瞳。
薄い外套と服。
見た目よりも声は幼く聞こえ、愛らしいと形容するのが相応しい華奢な少女だった。
「マナ……!」
マナ、と呼ばれた少女は一層嬉しそうに顔を綻ばせる。
「あるじ様、ぎゅー!」
「!」
彼女―――あるじ様はマナを抱きしめる。
人肌の温もりがふたりを包む。
「生きていてよかったわ、マナ。ずっと心配していたの。必要なこととはいえ、危険なことをさせてごめんなさいね」
「そんなっ……! 謝るのはマナの方です、あるじ様」
マナは昔、あるじ様が拾った孤児だ。
「なんか呪術師に向いてそ~」と思って呪術を教えると、優秀な呪術師として育った。
そして―――異常なほどにあるじ様に忠誠と尊敬心を抱いた。
―――そんなすごい人じゃないんだけどね。
マナはあるじ様に依存している。
だからあるじ様の言うことはなんでも聞く。
忠実な下僕《しもべ》を作るために育てたわけではないのだが、気づいたらこうなっていた。
「マナ、あるじ様の言う通り、ユリアーナ・リンドールにあの呪いをかけました! あるじ様とユリアーナ・リンドールを夢の中でつなぐ呪いと、もうひとつ、ユリアーナ・リンドールを無力化できる呪い! ちゃんとできました! だから、だから、マナはあるじ様のお役に立てましたか……?」
「ええ。マナのおかげで助かったわ。ありがとう」
「~~っ!」
マナはあるじ様に頭を撫でてもらうと、上機嫌になった。
とてもかわいらしい。
―――裏社会にはあまりいてほしくないんだけどね……。
しかし、それは不可能に近い。
『みて、あるじさま~!』
呪術で人を殺し、返り血をかぶったまま『ほめて』と言ったあの日から、マナは裏社会でしか生きることができない子になってしまった。
普通の世界で生きることなんて、到底無理だろう。
常識が違う。
殺さなきゃ殺される実力主義の弱肉強食の世界で育ってしまったのだから。
「本当にありがとう、マナ」
そう言うと、あるじ様は後ろで待機している青年に視線を向けた。
「あなたもありがとう、ジュライ」
「……別に、暇だったし」
灰色の髪に金色の瞳をしたジュライは、ぶっきらぼうにそう言った。
闇に溶け込むのがうまく、かくれんぼをしていた時は、いつもジュライが勝ってマナが怒る……と言う構図が出来上がる。
ふたりとも大きくなってしまったから、もうそんなやりとりは見られないけど。
「あなたに頼んで正解だったわ。さすがジュライね」
「……俺以外もできる」
「そうね。でも、私はあなたを選び、あなたは私の願い通りにマナを連れ帰ってきてくれた」
「…………」
「ジュライ。ありがとう」
ジュライはそっぽを見つめる。
褒められるのが恥ずかしくて、素直に受け取れない時期にあるのだ。
それに、もともとジュライは素直な子じゃない。
そういうところが可愛いなとあるじ様は思った。
「ちょっとジュライ! あるじ様のお褒めの言葉に対して、その反応はなくない? 良い加減、素直になったらどうなの?」
「……はぁ? 俺が助けに行かなきゃ一生地獄の日々を過ごすはずだったお前に、なんでそんなこと言われなきゃならないんだよ」
「ふ、ふんっ。終焉の死神が現れなきゃ、捕まってなかったもん。幹部級が現れるなんて思ってなかったし、仕方ないじゃない」
「俺はお前を背負いながら幹部2人を相手にここまで逃げたが?」
「っ、ぐぬぬ……」
険悪な雰囲気になっている。
マナは呪術を発動させかけてるし、ジュライは応戦しようとしている。
これはよくない。
非常によろしくない。
「ふたりとも、そこまでよ」
「でもマナが仕掛けてきた」
「だってジュライが……!」
「“でも”も“だって”も言い訳よ。今、喧嘩したら他の子が起きちゃうでしょ?」
「「……」」
ふたりは黙り込む。
少しは冷静になってもらえただろうか。
「ふたりとも強いんだから、少しは感情を抑えることも覚えなさい。加減したって、人によっては死んじゃうんだから。わかってるでしょ?」
マナとジュライは強すぎる。
殺すつもりがなくとも、以前、殺してしまったことがあったので、ふたりには響くはずだ。
「命を大切にして」
「「……」」
「返事は?」
「……はぁい」
「……わかった」
どんなに実力がある人でも、どんなに権力がある人でも、命はひとりひとつ。
物理的に考えると人間の命は皆平等と言えるだろう。
すると―――
―――あれ……?
「その傷……」
「!」
マナの前髪の間から、切り傷のようなものが微かに見えた。
マナがすぐに両手で塞ぐが、あるじ様にははっきりと見えた。
あれは―――呪印だ。
「えっと、これは……」
「夢幻の呪術師から呪い返しを受けたんだよ」
「ちょっ……ジュライ!」
呪い返し。
呪われた者に刻まれる呪印から呪術者に同程度かそれ以上の呪いを返すことだ。
大抵、呪った相手に刻まれた呪印と同じ紋様、同じ位置に呪い返しの呪印は刻まれる。
ユリアーナ・リンドールの額に呪印を刻んだマナは、呪い返しにより、自分の額にも同じ呪印が刻まれたのだ。
「幸い、呪印と頭痛だけで呪い返しが終わったから、特に問題はない」
「あるに決まってんでしょジュライ! 同じ呪印が刻まれた同士が近くにいると、あのクッッッソ痛《い》ったい頭痛がするの! つまり、どんなに姿を変えても、私のことがバレちゃうの!」
「そんなの知ってるに決まってんだろ」
「なら、なんで『問題はない』なんて言うわけ!? 問題山積みだよ!! この呪印は夢幻の呪術師か、対の存在のユリアーナ・リンドールが死なないと消えないの! だから私、ユリアーナ・リンドールには近づけないんだよ!? 私、役立たずになっちゃった……っ」
マナが涙目になる。
ジュライはその理由を理解できない。
できているのはマナとあるじ様だけだ。
―――捨てられると思っているのね。
ユリアーナ・リンドールに近づけない。
それは一見あるじ様たちにとって深刻な問題だが、あるじ様の目的には今は支障のないことだ。
―――マナはちゃんとお姉ちゃんにあの呪いをかけた。それは絶対。
あるじ様がマナにユリアーナ・リンドールにあの呪いをかけさせたのは今後、ユリアーナ・リンドールがどうしても邪魔になった時の保険だ。
マナの今後の役割はあるじ様の目的が達成するまで生きることで、それ以外できなくても特に問題はない。
「マナ」
「っ、あるじ様……」
「マナ。あなたは役立たずなんかじゃないわ」
「……今の私にできることなんて……」
「マナは強いわ。だから、マナがいなくなってしまったら、私は弱いから、死んでしまうかもしれない」
「!」
「マナは私のこと、守ってくれないの?」
「守るっ!!」
「ずっと、生きててくれる? 私をひとりにしないでくれる?」
「うんっ! 私、ずっと生きる! あるじ様をひとりになんてさせない!」
「ほんと? ありがとう」
これで当分、マナは元気だろう。
うまくいってよかった、とあるじ様は心のうちでそう思った。
―――私が願えば、この子たちはなんでもしてくれる。
いなくなってほしい。
二度と視界に入れたくない。
死んでほしい。
そうあるじ様が思った人は全員、マナとジュライがこの世から存在を消し去る。
あるじ様が一言「ありがとう」と言えば喜び、その一言をもらうためにどんなことでも成し遂げる。
人を殺すことの恐怖や罪悪感がなかったわけではないだろう。
ただ、それ以上に「ありがとう」と言われる幸福が大きく、あるじ様に喜んでもらえることの嬉しさが自尊心を満たした。
―――依存している。
それはきっと悪いことだ。
―――私がこの子たちの将来を妨げた。
そして、縛りつけた。
―――もっと早くに光のもとにいけば。
真っ当な人間として生きられただろうか。
―――嗚呼、でも。
命を暴力で踏み躙り、奪っているマナとジュライがなんとも思わないのは、自分のお願いのせいだ。
もう、引き返すことはできない。
誰を犠牲にしようとも、あるじ様は目的を達成しなければならない。
―――これ以上、お姉ちゃんの好きにはさせないんだから。
ユリアーナ・リンドール。
彼女はあるじ様の前世の姉であり、あるじ様の目的を達成するのに邪魔な存在だ。
―――殺してもらうことも考えたけど……。
ユリアーナはあるじ様の目的に多く関わっており、彼女の死は目的を達成するのに大きな妨げとなる可能性が高い。
生かしても殺しても悪く影響するのだ。
面倒なことこの上ない。
―――ま、お姉ちゃんにはちゃんと脇役でいてもらうよう頼んだし、承諾してもらったし。きっとなんとかなるはず。
その楽観的な意見は、決してそこらの阿呆の無根拠なものではなく、確固とした理由のもとにある。
―――どんなにお姉ちゃんが派手に暴れても、この物語は正規の筋書きで終わらせる。
そのためならマナやジュライを利用することも躊躇わない。
それほどにあるじ様は目的を達成しなければならない理由があるのだ。
「マナ。ジュライ」
汚れ仕事をさせて、ごめんなさい。
「愛してるわ」
歪んだ愛で、ごめんなさい。
「ずっと、ずっと、」
こんな自分と一緒にいてくれるだろうか。
「あなたたちのことを愛してるわ」
あるじ様は心の底からふたりを愛している。
だけどそれは人としてではなく、駒としてであって。
ふたりはもう取り返しのつかない力を手に入れていて、それほど強い人はなかなかおらず、代えが少ないからであって。
―――私に依存していて、私のためならどんなことでもしてくれる人なんて、なかなかいないもの。
愛する理由が「利用価値があるから」なのは、とても残酷だ。
―――嫌われないように、逃げられないように、大事に大事にしないと。
呪いも傀儡も、手に入れてしまえば手放すことは不可能に近く、また、扱いが難しい。
それを自由自在に操ることができるふたりを失うのは大きな痛手となる。
あるじ様はマナもジュライも好きだ。
だが、この愛は純粋な家族愛ではない。
とても、とても複雑で、歪んでいる。
―――はじめはそうじゃなかった。
あるじ様がまだ真っ当だった頃は、ちゃんとふたりとも、光のもとに返すつもりだった。
自力で生きることのできる力を与えて、返すつもりだった。
―――でも、ふたりが予想以上に強くなっちゃっちゃったから。
惜しくなったのだ。
失うのが、惜しくなった。
次第にふたりとも自分にに依存しかけていると知って、もし、ふたりを依存させれば、自分が強大な力を手に入れたのと同じになると思って。
『愛してるわ』
最初は本心からだったが、だんだんと偽りの愛に変わった。
『愛してるわ』
いつしかあるじ様は自分のために戦ってくれる駒として、ふたりを見るようになった。
そのことが知られないように、十分に配慮して演技し続け、今に至る。
あるじ様の「愛してる」は「味方でいてくれるなら」という条件付きだ。
偽物の愛でも、マナとジュライにはなくては生きられない。
「マナもあるじ様のこと、大好き!」
―――っ……。
太陽のような眩しい笑顔が、心を抉《えぐ》る。
目的のためとは言え、騙していることに対する罪悪感は、ある。
―――それでも。
目的のためならどんな手段も選ばない。
たとえ、大事な人を失っても。
もし、愛する人を殺すことになっても。
目的の達成はあるじ様の絶対で、生きなければならない理由なのだ。
―――私は私のするべきことをするまで。
偽りの仮面を被ろうと。
―――できることを、全力でやるだけ。
嘘を吐き続けようと。
―――そうしたら……そうしたら、きっと。
いつか、きっと。
「心の底から、愛してるわ」
きっと、叶うはず。
―――こんな私でも、愛してくれますか?
―――――――――
補足/
ノイア・ノアールの幹部は全員人間離れした力を持つ実力者です。そんな幹部2人(ユギルとサラ)からマナを連れて帰ってきたジュライはすっごく強いです。超強いです。
マナは強いのですが、性格上、ユギルとサラとは相性が悪いです。ジュライは勝ちにこだわらないので守りつつ逃げるのが得意です。
・マナ…攻撃威力高め。やりすぎ
・ジュライ…攻撃力は普通。長期戦が得意。
まとめ/
①ユリアーナにかけられた呪いは2つ
②あるじ様はなんらかの目的のために動いている
③マナはオフィーリアから呪い返しを受けており、ユリアーナに近づくと互いに居場所がわかる
④ジュライはマナを連れてユギルとサラから逃げてきた
著者から/
いざあるじ様を書くと、想像以上に難しかったです。善人とも悪人とも言い難い、複雑な人です。
今日は3つ、投稿しています。この番外編3と、次のページにある人物まとめ、それと、近況ノートに載せたエヴァとフェーリの過去編です。
過去編はエヴァがユリアーナの専属教師になった経緯を書きました。ぜひ、こちらも見ていただけると幸いです。
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