学園と夜の街での鬼ごっこ――標的は白の皇帝――

天海みつき

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黎明

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 それから時は少し過ぎ。ここは第一都市に存在する真宮邸。巨大な敷地に建てられた建物の一つ、幼い頃に与えられた屋敷に聖月はいた。古めかしく和風な室内。敷き詰められた畳の上で、聖月は静かに正座をして目を伏せていた。

 「聖月」
 「あら。なかなか野性味あふれる顔になっているけど」

 すっと、音もたてずに襖を開けたのは深央。顔を出した男を振り向いた聖月は、吹き出した。深央の口元には大きな痣があった。嫌そうな顔でソレを撫でた深央はげんなりした顔で聖月を見下ろす。

 「そりゃどーも。素敵な性格をした女に、カッコよくして貰ったのさ」
 「男前が上がってるよ」

 クスクス笑った聖月は、そっと俯くとポツリと謝る。

 「ごめん」
 「ほざけ」

 深央が語らずとも察しが付く。大方、聖月を処分しろと命じていたはずが五体満足で真宮邸に辿り着いた事に激昂した万寿が、その勢いで深央を叩いたのだろう。贅と権力を糧に生きるあの女が、息子の真宮家当主就任を阻む最大障壁足り得る聖月の存在に我慢ならないのは周知の事実。

 昔からそれとなく庇ってくれる、唯一の敵ではない男。今回も庇われたことに聖月は感謝と罪悪感を覚える。そんな葛藤を見通している深央。一蹴する事で気にするなと更に気遣ってくれる。それが歯がゆい。

 「当主が呼んでいる」
 「遅かったね。ここに来て暫く経ってる。すぐに呼ばれると思ったんだけど」
 「あの女狐があれこれと妨害していたしな」
 「あはは。お陰で強制ダイエット中だよ」

 チラリ、と深央の瞳に痛みが走るのを見た聖月が、切なく笑う。ゆっくりと立ち上がった聖月は、そのまま深央の脇をすり抜けて廊下に出る。

 「大丈夫。少なくとも、アイツらに殺されることはないよ」

 そっと囁いた聖月は、あでやかに笑って見せる。

 「だって、自分の生死すらアイツらに握られてるなんて屈辱的だもん。それくらいは、自分で決める。それくらいの自由は守って見せるさ」
 「あっそ」

 人生をゆがめられようが、命位は自分の手のひらに。椿を失った時に立てた誓い。聖月は静かに背を向けると、母屋に向かって足を踏み出した。その細い背中を見つめる深央。そっと呟いた。

 「早まるんじゃねぇぞ」

 その呟きは空気に溶け、聖月には届かなかった。


 憎しみと嫉妬、そして少しの恐怖の入り混じる、腐臭に満ちた母屋。様々な視線に晒されながら、それでも背筋を伸ばして廊下を歩く聖月。目的の場所が視界に入り、その薄い唇を噛みしめる。障子の前で立ち止まり、そっと胸元を握りしめる。深呼吸をして目を閉じると片膝をつき、静かに声を掛けた。

 「失礼仕ります」
 「おお、聖月か。入りや」

 しわがれた老人の声。今にも枯れそうなくせに、妙な覇気が満ちて弾んでいる。すっと開かれた障子によって閉じた瞼越しに光が感じられた。音もなく入室した聖月はすっと頭を垂れた。

 「聖月、戻りました」
 「可愛い聖月や。こっちにきて顔を見せてくれ」

 招かれるままに近寄った聖月は顔を上げ、ゆっくりと目を開いた。そこに居たのは、今にも朽ち果てんばかりに痩せ細った老人。ぎょろりと陥没した眼窩が、異様な強い光を擁しているのが、異様に映る。己の運命を翻弄し続ける仇敵を前に、聖月の体が嫌悪感に震える。

 「これで真宮も安泰だ。高宮に対抗する頭脳。古宮に相対する度胸。ITと情報に長ける大宮にも劣らぬ手腕。武芸に特化した春宮をも圧倒する体術。全てを兼ねるお前がおれば安泰じゃ」
 「勿体なき事。されど、この家には既に直系の方がおられ、レールから外れし我が身は不相応かと」
 「その通りよ!」

 己の顎をとらえる老人に対し、どうにか逃げおおせないかと言葉を尽くす聖月。そこに割って入ったのは甲高い声。文字上は天の助けに等しく、実際は誰よりも命を狙われた相手。

 「何用だ。万寿」

 和風な屋敷とは相いれない真っ赤なドレスを着た妖艶な女が、怒りと屈辱に顔を歪めて立っていた。真宮万寿。真宮宗家の嫁にして、権力に目のくらんだ女狐がそこに立っていた。


 「呼んでおらぬ。下がりおれ」
 「聞けませんわ」

 かっと目を見開いた老人――嗣耀が唾を飛ばしながら怒鳴る。しかし、女もさるもの。ふん、と鼻息荒く拒絶する。そのまま嗣耀の枕元に座る聖月を、射殺さんばかりに睨みつける。流石にさからうのが得策ではないと判断した聖月は目を伏せて受け止める。その従順な姿も気に食わないのだろうか。万寿の顔が更に歪む。

 「お義父様。この様な者に真宮を継がせるわけにはいきませんわ。汚らわしくも分家の出で、しかも見つかった場所は第九学園だというではありませんか。あのごみ溜めに居たようなドブネズミになど」
 「黙らぬか!」
 「きゃあ!」

 そばにあった湯呑を掴んだ嗣耀が、そのまま万寿に投げつける。悲鳴を上げてへたり込んだ万寿。呆然とした顔が、屈辱に赤く染まっていく。

 「何をなさいますの!」
 「黙りや!お前こそ何様だ!お前があのような無能しか産めなかったからこのような事態になったのであろうが!恥を知れ!」
 「なっ!」

 睨み合う義親子。歯ぎしりする万寿に、嗣耀は鼻息荒く吐き捨てる。

 「憎き高宮に格の違いを見せつけなければならないというに、お前の息子は何をしておるか。あれでは使い物にならん」
 「いかなお義父様と言えど口が過ぎますわ!あの子は次期当主なのですから!」
 「笑止!無理だと言うておろうが!あれでは格の違いを見せつける所か、更に真宮が落ちぶれるわ!しかも、候補として集めた子供を片っ端から殺しおって。また最初からになったらどれだけ面倒だと思うておるか!」
 「あれはただの事故。私は関与しておりませんわ!」

 子供を子供としてみない発言。どこまでも家と欲望の為の道具に過ぎない身の上を改めて突き付けられ、聖月は必死に怒りと無力感を押し殺す。強い視線を感じてそっと視線を巡らせると、いつの間にか控えていた深央がじっと聖月を見つめていた。微かに振られた首を見て、聖月は再び目を伏せた。

 「ええい、煩い!兎に角お前にもお前の息子にも用はない!わしの血を引きながら使えない無能など、不要だ!……聖月や。第九などと言う汚らわしい場所には戻らんでええぞ。わしが手を回して第一学園に編入の手続きをしておいたからの」
 「何を!」
 「奥様。一旦落ち着いてくださいませ」
 「深央!お前がっ」
 「奥様。それ以上は御身にとってもよろしくないかと」

 万寿など目に入らないと言わんばかりにふるまう嗣耀。怒り狂う万寿を見かねた深央が窘める。危うく墓穴を掘りそうになった万寿は悔しそうに口を閉じるが、その眼を血走っている。燃え盛る火に投じられる燃料は尽きる事が無い様だ。聖月は諦めにも似た心情で、心を凍り付かせる。

 いつもの事だ。動じるな。期を窺え。従順な素振りで隙を探せ。全ては逃げ出す為に。これ以上、狂った家に人生を捻じ曲げられない為に。

 聖月はそっと口元に自嘲の笑みを刷く。竜崎達との絆の証拠を深央に握られた今、逃げ出す事の難易度が跳ねあがった。それでも逃げ出す事を諦められない自分を憐れむ。ツカレタナ、と思い、心から愛した不遜な笑みを脳裏に思い浮かべた。

 その時だった。

 「悪いが、その話。俺たちも首突っ込ませてもらってもいいかね、爺さん」

 強い意志を秘めた、低い声。聞き間違うことなどありえない、慣れ親しんだ愛おし声に、聖月は目を見開いた。ぱっと振り返ると、閉じられた障子の外に、幾つかの影。勢いよく開かれた障子が、ぱん、と威勢の良い音を立て。そこに現れたのは。

 竜崎を中心に、高宮と古宮の三人だった。背後に颯斗、怜毅、晴真、嵯峨野を控えた状態で。

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