〜豊後切支丹王国奇譚〜

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炎の竜と清流の巫女

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「里までは足場が悪いが大丈夫か?」
「はい……、大丈夫……、です」
 清流の里へ先導しながら話しかけると、息も絶え絶えな声で返事が返ってきた。
「本当に大丈夫だろうな……」
 サルベエが足を止めてメルクリオの方を振り向くと、その背後から黒い影が這い寄ってくるのが見えた。
「メルクリオ殿! 後ろ!」
 と叫ぶと、メルクリオはのんびりと背後を振り向いた。這い寄る黒い影を目にしても驚く様子もない。
「……大丈夫、です」
 メルクリオは、その黒い何かを軽々と抱きかかえた。
「この子は、私の友達。サラマンドラと、言います」 
 メルクリオに大人しく抱かれている黒い影を、サルベエはしげしげと観察した。赤ん坊くらいの大きさの、トカゲのようなカエルのような生き物。黄色いマダラが毒々しい。
「山椒魚か?」
「日本では、サラマンドラのことを、そう呼ぶのですか」
「コレジオの書物で見たことがあるだけだ。俺も本物は初めて見るが……噛み付いたりしないだろうな」
「大丈夫です。この子は、おとなしいですから」
 そう言われても、ドス黒い生き物から睨まれるのは落ち着かない。サルベエはサラマンドラをチラチラと気にしながら里に向かって進んでいく。
「なぜ、殺さなかったのですか?」
 ふと、メルクリオが聞いてきた。
「何のことだ?」
「あなたは、強そうだ。山賊にも、勝てたはず。なぜ山賊たちを殺さなかったのですか?」
 メルクリオは不思議そうな顔をしていた。
「俺は殺生は好かんのだ」
 ぶっきらぼうにサルベエが答えると、メルクリオはきょとんとした顔になった。
「あなたは、侍 サムライですよね?」
「そうだが?」
「殺しが嫌いな侍とは、変わった人だ」
「お前こそ、南蛮人のくせにおかしな奴だ」
「私が?」
「殺せ殺せと物騒なことばかり言う。南蛮人の信条は、隣人を愛せ、だろう」
 メルクリオは一瞬、虚をつかれたような顔をした。が、すぐに破顔して笑い出した。サルベエも一緒に笑った。
 里までたどり着くと、サルベエは川から柄杓で水を汲んでメルクリオに渡した。
「ゆっくりしていくといい」
「こんなところに人が住んでいるとは、思いませんでした」
「おぬしは何故こんなところを歩いていたのだ?」
「私は肥後国から、府内に向かう途中です。気がつけば道に迷い、こんなところに」
「肥後から一人で山越えとは無謀なことだ。命が助かっただけありがたいと思うといい」
「そうですね。考えが甘かったようです」
 がぶがぶと水を飲むメルクリオ。そうとう疲労が溜まっているように見えた。
「もうじき日が傾く。一晩だけ泊まっていくといいだろう。里のはずれに朽ちた小屋がある。粗末で悪いが、あそこなら使っても構わんだろう」
 サルベエは廃屋にメルクリオを案内すると、
「ここは本来、余所者の立ち入れる土地ではない。明朝早々に出立なされよ」
 と、いい含めた。
「あなたは、本当に優しい人だ」
 感動の面持ちでメルクリオは言った。

 その夜、サルベエが三太の家で寝ていると、与平の声がした。
「サルベエ様! 山賊だ! 夜襲だ!」
 飛び起きた。
(昼間の意趣返しに来たか?)
 最低限の身支度をすると大刀をつかんで物見櫓のほうへ走った。三太も寝起きの着崩した格好のままサルベエの後を追う。
「これはこれは……」
 物見櫓から見下ろすと十数人の山賊が、柵の外側に居並んでいた。
「出てこんか! なまくら侍め! 出てこんと柵を破って押し入るぞ!」
 叫んでいるのは昼間に相対した重蔵だ。
「行っちきますか?」
「いや、待て」
 重蔵に気を取られている間に他の山賊が侵入してこないとも限らない。サルベエは大声で叫ぶ。
「重蔵とやら。一騎打ちといこうではないか。そのかわり他のものは下がらせよ」
 山賊の中でも示し合わせができていたのだろう。重蔵が合図をすると、他の山賊たちは森の中に姿を消した。
「これでよかろうもん!」
「うむ、よかろう」
 物見櫓から柵の外へと飛び降りる。立ち上がり様に大刀を鞘から抜いて正面に構えた。
「愚かな落ち武者め。おぬしでは勝てんのが分からんか?」
「やってみらにゃわからんめぇが」
 重蔵は昼間と同じく逆手の構え。
 物見櫓の松明だけが二人を照らしていた。
(暗いな。だが、それは相手も同じこと)
 そう思うや否や、重蔵が先に仕掛けてきた。
「!」
 暗闇で視界が定まらないにもかかわらず、その小太刀は正確にサルベエの喉元に迫る。上体を逸らして紙一重で躱したと思うと、今度は重蔵の姿が目の前からかき消える。
「後ろか!」
 振り向き様に刀を構えると、ギィンと金属を弾く音がした。振り向くの一瞬遅ければ重蔵の刃が届いていただろう。しかも、
(こやつ、心の臓を狙いおった)
 力任せに戦う武者の戦いかたとは違う。
「貴様、しのびの者か!」
 暗がりの中から急所を狙って数々の斬撃が繰り出される。サルベエはそれらを弾き返すだけで精一杯だった。
「サルベエ様がやられちょる……」
 物見櫓の上では与平とは三太が二人の戦いを見守っていた。
「三太よ、助太刀しちゃったほうがいいんやないかな?」
 はらはらしながら与平が三太の方を見ると、三太はポリポリポリポリ尻を掻いていた。
「……なんしよん?」
「ケツがかいい」
「ケツかかじっとる場合か!」
「そやなくて、なんかケツがムズムズするんよ。こりゃ、なんか悪いのことが起きちょる証拠や」
 尻をかきながら落ち着きなく周囲を見渡す三太。
「いかん、これはいかんぞ。俺、巫女さまんとこいっちくる」
 三太は柵の中に飛び降りると、白水神社のほうへ駆け出した。
「三太のやつ、どうしてしもうたんや?」
 与平は物見櫓のでポカンとするしかなかった。
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