弾けないピアニストの俺が天使の羽根を奪うまで

ひぽたま

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12・恐怖

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 はじめての相手は、ピアノの師だった。子供の頃から教わっていた先生ではなく、とある地方主催のコンクールで二位の成績に終わったおり、審査員長だった高名なピアニストが自ら指導を申し出てくれたのだ。
『この子は教え方しだいでまだまだ伸びる。私が預かりましょう』
 と。
 母は喜び、週末ごとに俺を遠方にある師の邸宅へ送り届けることに同意した。師は七十歳を越えた老人であり、男で、独身だったが、大勢いる弟子たちが身の回りの世話をしてくれるため、子供一人預かるくらいはなんでもないのだと。
 そこでの時間が、いまの俺を形成したといっても過言ではない。
 教え自体は、ちゃんとしたものだった。ワンフレーズごとに止められ、修正され、弾き直す。苦手な箇所はすぐに見ぬかれ、ごまかしは許されなかった。それはいい。ただ、指導に熱が入ってくると師は決まって自分のピアノの前を離れ、俺の隣に座った。
 そして譜面を叩く代わりに俺の太腿に手を置き、ミントの香りの息を吹きかけながら、囁きだすのだ。
『さあ弾きなさい、トリルはこうだ。光の粉のように、しかし根底は力強く。小鳥のはばたきのように……こうするのだよ』
 老いてなお魔法のように動くピアニストの指が、子供の太腿を鍵盤に見立ててトリルする。俺はくすぐったさに堪えながら、頷き、師の指使いを真似ようとしながら手を鍵盤に滑らせた。
 出てきた音は、自分でも驚くほどに繊細な、粒の立ったトリルだ。
 ミントの息がさらに近づく。ほとんど頬に触れんばかりの位置で。
『そうだ、良い。そのままレガートに……滑らかに、指を滑らせていく。このようにだ』
 師の指が太腿と滑りあがり、俺の半ズボンの裾に潜っていく。足のつけ根を長い指で触れられるのは妙な心地だったが、俺は戸惑いながら自分が肌で感じた感じたレガートを指を使って再現してみせる。師は師は同じ動きを何度もくり返して、俺がレガートのトリルを弾けるようになったとわかると、満足そうに頷いた。
『そう……そうだ、良いね、結加。こちらを向きなさい、ご褒美をあげよう』
 ご褒美? 飴でも貰えるのだろうか? 言うとおりに横を向いた顔に、いきなり、ぐいっと老人の顔が押しつけられた。俺の口に重なっているのは、師の唇だ。空気の抜けた水風船のように柔らかくて、触れているだけなのにミントの辛さが伝わってくる。
 この行為をキスと呼ぶということくらいは知っていたが、どう反応していいのかわからなかった。
 どうして、先生が俺にキスを? これが『ご褒美』なのだろうか?
 すぐに嫌悪を抱いたわけではないが、嬉しかったはずもなかった。ただ黙って師が離れるのを待っていたが、固く結んだままの俺の唇に、師がミントの味のする唾液を溢れさせて、口移しに注ぎ込もうとしてくる。
(……嫌だ!)
 さすがに気持ち悪く、顔を背けようとしたのだが、すかさず腕を捕まれて、より深く顔を重ねられた。高名なピアニストだけあって、師は腕の力が強く、子供一人を抑えこむなど造作もなかった。抱きすくめられ、仰向かされて、どんどん口内に流しこまれる唾液。溺れそうになって諦めた俺は、涙目になりながらミントの匂いのそれを飲み下した。悪い毒でも混ざっていたように、抵抗する気力が萎えていく。俺が体の強張りを解いたところで、師はようやく顔を離してくれたが、なおも間近から目を覗きこみながら言うのだ。
『それでいい。そのようにしていつも逆らわず、与えられたものは素直に呑むのだよ、結加。次のレッスンはコールユーブンゲンにしよう。下着を脱いで、隣の部屋に行きなさい』
 コールユーブンゲンとは、声を出すレッスンだ。つまり……。
 その場で半ズボンと下着を脱がされ、指さされたドアをくぐる。
 そこは書斎兼寝室のような部屋だった。俺に、先にクイーンサイズのベッドに腰掛けるように命じておいて、師はドアに鍵をかける。
 お母さん、と、とっさに声をあげそうになった。助けて。
 だが、母は助けになど来てくれないことは、よくわかっていた。師は高名なピアニストであり、母は俺がピアノで成功することを願って、ここに送り込んだのだから。その日は土曜日であり、翌日の夕方まで迎えにすら来てくれない。俺は黙って、せめて、痛い思いをしなくて済むように祈るしかなかった。
 師は昔から美食家だったそうで、口のなかに自分の歯が一本も残っていなかった。弟子が大勢いて金に困っていないのだから、インプラントにすればいいのに、総入れ歯にしているのには理由があった。
 ベッドの上で、怯える俺の前でわざわざ入れ歯を外してみせ、皺の寄った口で笑う。、
『気味が悪いかえ? だがこれは、こうふるためにわざと、しているのだよ』
 近づいてくる真っ黒な口が、悪魔の潜む穴のようだと感じた。師はその暗い穴でまた俺にキスをし、唾液を飲ませた。今度はミントの匂いが薄れ、生臭い味がした。そうしながら俺の両膝をつかみ、外に広げさせる。剝き出しになった内腿が、ただただ頼りなかった。
キスをやめた師は唾液のたまった口をつぐんだまま、ゆっくりと顔をずり下げ、俺の足のあいだに近づけていく。
 逃げたくても逃げられない。師の手の力は強かった。唾液が敏感な部分に滴り、桃色の肉を濡らした。俺は必至で声を堪えていた。師が口を開け、舌を出して、その桃色の肉をゆっくりと、見せつけるようにしながら歯のない口のなかに迎え入れても、なお。
 ベッドが軋む。自分自身の体の一部が、他人に食まれる恐怖。まだ精通もしていない子供だったのに、師は執拗に俺を舐り続け、その部分が反応を示さないとわかると、いきなり後ろに指を入れた。
 あの瞬間の、尊厳が破られたと認識した感覚は、いまだに忘れようがない。
 だが俺は、泣かなかった。だって母は助けてくれないし、師は俺にピアノの指導をしてくれているはずなのだから。言うとおりにして、我慢をして、この時間さえ過ぎてしまえば――……その先に、どんな希望があったというのだろう?
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