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第15話
2・そういうんじゃなくって
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「どこまで人を馬鹿にするつもりなのよ!」
両腕で突き放すと、ディランは「おっと」とよろける振りをして身を放した。琥珀は荒くなる息を胸に手をあてて整え、あたりを見回す。見覚えのある場所だった。圧迫感のある空間に、真っ二つに割れた岩がそのまま置かれている。
遠くのほうで、戦士たちの騒ぐ声が聞こえた。はっとして音を振り返った琥珀に、
「通路の落とし戸を閉めましたからね、しばらくは大丈夫よ」
華やかな黄金の巻き毛の少女が、きっぱりと請けあった。裸足のサンダルも、彼女に似合う錦糸の衣装も以前に会ったときと変わっていない。
「シアヴィル!」
「残念だわ、琥珀」
「え」
息を呑む琥珀に、シアヴィルは駆け寄り、呪いが解けて滑らかになった両手を握りしめた。
「ふっかふかの毛皮もぷにぷにの肉球も消えてしまったのね――もったいないわ、こんなにはやくもとに戻ってしまうなら、もう少しいじっておけばよかった!」
ものすごく残念そうに嘆かれると、琥珀も期待に応えられないのが申しわけなくなり、
「えっと……ごめんなさい」
「しようがないわ。神殿暮らしに不満があるわけではないけれど、ここで動物を飼うわけにはいかないんだもの。ああでも、なにもかも済んだあとにはもう一回くらい……」
恐ろしいことを呟きながら手を撫でてくるので、琥珀は背を引きつらせた。
「……シア」
割れた岩を背に、ディランがシアヴィルを見つめる。
「なぜ、おれたちの味方をする? 琥珀はともかく、おれの正体のことは――知っていたんだろうな。あんたが気づかないはずがない。もしかして、最初から」
「私は、ここの剣を抜いてくれるだれかが現れてくれたら、それだけでいいのよ。もう同じところに縛られているのはうんざりなのだもの。どの王もだめ、あなたもだめ、となると、言い伝え通りの子孫を見つけるしかないわ。英雄ルーの子孫、琥珀をね」
シアヴィルはドルイドの仲間ーー…ダナー神族の巫女だが、メイヴの味方はしないらしい。ただ琥珀に剣を抜いてもらえるならそれでよくて、あとのものは王であろうとも邪魔をさせたくないということだ。
琥珀はふと、気になったことがあった。
「ねえ、シア。ここにある剣を残したのが英雄ルーで、わたしのご先祖様なのよね」
「言い伝えによればね」
「でも、アルティオが言っていた――精霊使いの王と戦って、封印したのは……」
泥でできた人形の戦士だったはず。琥珀はディランを振り返ったが、ディランはまだ気づいていないのか、不思議そうに肩をそびやかしただけだった。
人形の戦士が、琥珀のご先祖だというのなら、つまり、
(子供も作れるっていうこと……かな。つまり、生きているのと変わらないっていうこと)
だとしたら、琥珀とディランとの結婚における悩みが一つ消えるわけだ……琥珀自身が十七人姉妹の末っ子なので、もちろん家族は多いほうが嬉しい。
「なんでおれをじろじろ見んだ?」
ディランが顎を撫でながら首を傾げる。
琥珀は顔を赤くして、「なんでもない」と首を振った。
「変なやつ」
(わたしにとっては大事な問題なんだもの!)
シアヴィルがふわふわと金髪を揺らしながら、琥珀とディランのあいだを抜けて割れた岩の奥の壁に向かった。迷路の向こうに、ほんものの剣がある――メイヴが言っていたことだ。シアヴィルが手をあてた壁には、眺めているとめまいがしてきそうな、巨大な迷路の地図が刻みこまれていた。
「古の王、バロールが封印された土地にこの神殿は建っているわ。ダナー族は、彼らが望まないときに剣に近づくものが現れないよう、まやかしの剣と迷路で道を塞いだの……この向こうに、真の剣はある。琥珀はそれを抜きたいのかしら。なんのために?」
迷路を目で追っていた琥珀は、問いかけに我に返る。シアヴィルは意地悪っぽく目を細めていた。
「なんのためにって……わたしは、これを抜くために呼ばれてきたのだもの」
「それが役目だからそうするの? それとも、ディランを王にしてあげたいのかしら。古代の魔法で彼を人間に変えられると思っている?」
「そういうんじゃなくって」
シアヴィルの答えはどれも正解のようでいて、しっくりこなかった。どう言えばわかってもらえるだろう。シアヴィルが華奢な指で地図をたどるので、琥珀も別の道を指でたどってみた。
ディランが近づいてきて、琥珀の肩に手を置く。
「メイヴを出しぬくためなんだろ。決まっているじゃねえか」
「そういうんでもなくってね」
琥珀はディランを振り返る。もちろん、メイヴにつけ狙われるのはうんざりだし、自分のすることが彼のためになったら嬉しいという気持ちはあるけれど、それだけじゃない。
「そこに宝箱があるのよ。わたししか開けられない……ずっと憧れていた魔法の国で、ここにしかない秘密があるなら触れてみたい。好奇心、なのかな。その秘密に入りこんで、わたしもこの国の人になりたい、そういうことなんだわ」
シアヴィルの辿っていた道は行きどまりだった。迷路から手を離し、ふわりと笑う。
「そういう答えもありかしらね。合格――この迷路を解いてごらんなさい。そうすれば真の剣への道は開かれるでしょう」
「ええっ?」
刻みつけられた迷路はやたらと巨大で、百通りもの道がありそうだった。焦る気持ちも手伝って、何度も道を間違えていると、ディランが呆れたように、
「おい、はやくしろよ」
(できることならやっています!)
指先が刻まれた通路に吸いつき、擦りむけてしまいそうだ。手が熱くなってきた……壁そのものが熱い。ディランはやっぱり優しくない。少しくらい手伝ってくれてもいいのに――と拗ねそうになったとき、真後ろで金属のぶつかりあう音が響いた。
(なにっ?)
振り向いたら道がわからなくなる。目を逸らせない。風と気配が琥珀の後ろで飛び交い、やがてディランの声が、
「邪魔すんじゃねえ! 琥珀に近づくな!」
「それはぼくの台詞だ。琥珀はぼくの婚約者だろう? きみは無関係の人間――いや、人形なのに」
アリルだ。真っ先に通路を抜けて、ここに辿りついてしまった。琥珀は焦る。いくつも重なった大きさの違う円が目のなかでぐるぐる回り、気が遠くなりそうだった。ここはどこ、わたしはだれ……彼はだれ。わたしは……。
(虹の国の王女、琥珀よ。わたしのご先祖様がこの国の出身――人形だったのかもしれないけれど、いつか故郷に戻りたいっていう気持ちはちゃんと、わたしのところまでつながれてきたわ)
迷路が中心に近づく。もう少し。
集中している琥珀の背に、ディランかアリルのどちらかがぶつかってきた。
「悪ぃ、琥珀。迷路はどうなったんだ」
「解けたわ」
直後――。
前ではなく後ろで、なにかが暴発した。琥珀がよろめき、手をついた同心円の中心部がくぼむ。かちりと音がして、神殿全体にいやな揺れが起こった。天井からぱらぱらと石が崩れてくる。そして壁が傾ぎ、琥珀は前に開いた空間に吸いこまれるように落ちていった。
「琥珀!」
ディランの手が琥珀の襟首をつかみ、庇うように抱き寄せる。神殿の地下に開けている空間は恐ろしく広く、深かった。空気が濃いのか、ただ落ちているだけのはずなのに、体が押しあげられているような気がする……いや、気のせいではなく、ディランと琥珀をさらに包むような透明な腕の存在があった。
(精霊がいるのかしら……)
「……ここは?」
ディランがいぶかる声をあげる。琥珀も落ちついてまわりに目を向け、そこに漂う淡い光を見つけた。以前、洞窟でディランを呼んでいた光に似ている。
――くす、くす、くす。
笑い声。
――あたしたちが見えているのかしら。見えている? まだ見えないわ、まだ王が目覚めていないもの……でももうじきよ、それっ。
無邪気な声が楽しそうに、琥珀とディランを中空に投げだした。二人が落ちた地面はふんわりした土を丈の高い草が覆っていて、朝でもないのに葉がしっとり濡れている。なんて、ぼうっとしている場合じゃない。琥珀はディランの腕のなかから身を起こした。
(剣はどこかしら。ほんものの、英雄ルーが残した剣は……)
「!」
探すまでもなく、それは目の前にそびえていた……おそらく、これがそうだと思うしかない。
巨大な、剣のかたちをした樹木。
真横に伸びた幹から数えきれないほどの気根が垂れ下がり、組み紐のように絡みあって地面に届いている。
刃の部分の高さだけで三十尋はあるだろうか。それに重なって古木といっていい木が堂々と柄の形をつくっていた。
巨木の周囲は、息苦しいほど深い森だった。長いあいだ地上に現れることがなくても、ここだけで循環し、時を紡いできた森なのだ。生きものの姿はなくても、そこかしこになにかがいるのがわかる。恐れさえ抱かせるほどの、強いなにか、だ。
琥珀は息をつき、ディランにしがみついた。
「……これが、封印の剣なんだろう。抜かないのか」
「抜くっていったって、どれが剣なの。この古い木を? どんなに力持ちだって抜けっこないわ。それより、ディラン。ここってきっと、大昔の世界のままなのね。ダナーが力を使い尽くす前の土地は、きっとこんなふう……」
首元に剣が突きつけられた。琥珀は目を剥き、ディランを見つめ返す。
にやりと笑ったディランは頬に怪我を負っていた。肉が裂け、そこから黒いものが滴って草むらに落ちる。血ではなかった。
「あなた……アリルなの?」
「名前を覚えていてくれたんだね。光栄だよ、琥珀」
「ディランはどうしたの!」
琥珀が声を張りあげたとき、
「おれはここだ!」
頭上で声が響き、アリルがぱっと飛びのいた。一瞬前まで彼がいた場所に鉄の剣が突き刺さる。
振り仰ぐと、本物と思しきディランが巨木の根から根へと飛び移りながら、琥珀のほうへ向かってきた。そのディランの足もとを小さな爆発が追ってくる。ようやく、琥珀の前に降りたったディランは体のところどころが焦げてくすぶっていた。
「ひどい格好だわ。どうしたの」
「どうもこうもねえよ、あの、くそババアのせいだ!」
ババア、といえば。顔をあげた琥珀を、ディランが横からさらうようにして地面に突き倒した。ディランが投げた剣に稲光が落ちる。
「うわっ」
まさか自分が巻きこまれるとは思わなかったのだろう。反応が遅れたアリルが衝撃でなぎ倒された。顔を庇った腕に火が燃え移り、炎を叩き落としたところ、肉がぼろりと崩れる……骨がない。溢れ出す血のような液は、タール。アリルも、人形なのだ。
散らばる土と草の葉の向こうに、炎の色をした美女の姿があった。
「……母上!」
刺されたあとはマントで隠しているのでわからないが、メイヴは一応の若さを取り戻していた。
「母上、ぼくの腕が……これはどういうことなのですか」
「美しい姿に傷がついてしまったのね。もったいない、アリル。わらわはそなたをディランの代わりにするつもりだったのよ」
悲しげに溜息をついて、メイヴは手をかざした。ざわりと空気が震え、怯えた表情のアリルの顔がみるみるうちに土くれと化していく。
「母上…………なぜ……」
「……こ、の、やろおおお! なんてことしやがる!」
ディランが地面から剣を引き抜き、メイヴめがけて投げた。しかし今度は、メイヴは軽く腕を振るだけで剣の軌道を変えてしまう。勢いを増して戻ってきた剣の柄に腹を打たれ、ディランは真後ろに吹っ飛ぶ。
さらに手をかざすメイヴの前に、琥珀は立ちはだかった。
「メイヴ、あなたはいったい――どうして自分の息子の人形をつくるの。どうしてそれを大切にしてあげないの!」
「わらわに息子などいないからじゃ」
「え――……」
「そなたにはわかるまい。コルマクに預けてやった人形が、なぜ壊してやったのにまだ動いているのか知らないが、いまはもう、ささいなことに構っていられぬ。わらわの欲しいものはそこにあるのだから」
メイヴの赤い爪が横にそれ、巨木に向けられる。まさか、と琥珀が息を呑んだとき。
爆音とともに、木が燃えあがった。
両腕で突き放すと、ディランは「おっと」とよろける振りをして身を放した。琥珀は荒くなる息を胸に手をあてて整え、あたりを見回す。見覚えのある場所だった。圧迫感のある空間に、真っ二つに割れた岩がそのまま置かれている。
遠くのほうで、戦士たちの騒ぐ声が聞こえた。はっとして音を振り返った琥珀に、
「通路の落とし戸を閉めましたからね、しばらくは大丈夫よ」
華やかな黄金の巻き毛の少女が、きっぱりと請けあった。裸足のサンダルも、彼女に似合う錦糸の衣装も以前に会ったときと変わっていない。
「シアヴィル!」
「残念だわ、琥珀」
「え」
息を呑む琥珀に、シアヴィルは駆け寄り、呪いが解けて滑らかになった両手を握りしめた。
「ふっかふかの毛皮もぷにぷにの肉球も消えてしまったのね――もったいないわ、こんなにはやくもとに戻ってしまうなら、もう少しいじっておけばよかった!」
ものすごく残念そうに嘆かれると、琥珀も期待に応えられないのが申しわけなくなり、
「えっと……ごめんなさい」
「しようがないわ。神殿暮らしに不満があるわけではないけれど、ここで動物を飼うわけにはいかないんだもの。ああでも、なにもかも済んだあとにはもう一回くらい……」
恐ろしいことを呟きながら手を撫でてくるので、琥珀は背を引きつらせた。
「……シア」
割れた岩を背に、ディランがシアヴィルを見つめる。
「なぜ、おれたちの味方をする? 琥珀はともかく、おれの正体のことは――知っていたんだろうな。あんたが気づかないはずがない。もしかして、最初から」
「私は、ここの剣を抜いてくれるだれかが現れてくれたら、それだけでいいのよ。もう同じところに縛られているのはうんざりなのだもの。どの王もだめ、あなたもだめ、となると、言い伝え通りの子孫を見つけるしかないわ。英雄ルーの子孫、琥珀をね」
シアヴィルはドルイドの仲間ーー…ダナー神族の巫女だが、メイヴの味方はしないらしい。ただ琥珀に剣を抜いてもらえるならそれでよくて、あとのものは王であろうとも邪魔をさせたくないということだ。
琥珀はふと、気になったことがあった。
「ねえ、シア。ここにある剣を残したのが英雄ルーで、わたしのご先祖様なのよね」
「言い伝えによればね」
「でも、アルティオが言っていた――精霊使いの王と戦って、封印したのは……」
泥でできた人形の戦士だったはず。琥珀はディランを振り返ったが、ディランはまだ気づいていないのか、不思議そうに肩をそびやかしただけだった。
人形の戦士が、琥珀のご先祖だというのなら、つまり、
(子供も作れるっていうこと……かな。つまり、生きているのと変わらないっていうこと)
だとしたら、琥珀とディランとの結婚における悩みが一つ消えるわけだ……琥珀自身が十七人姉妹の末っ子なので、もちろん家族は多いほうが嬉しい。
「なんでおれをじろじろ見んだ?」
ディランが顎を撫でながら首を傾げる。
琥珀は顔を赤くして、「なんでもない」と首を振った。
「変なやつ」
(わたしにとっては大事な問題なんだもの!)
シアヴィルがふわふわと金髪を揺らしながら、琥珀とディランのあいだを抜けて割れた岩の奥の壁に向かった。迷路の向こうに、ほんものの剣がある――メイヴが言っていたことだ。シアヴィルが手をあてた壁には、眺めているとめまいがしてきそうな、巨大な迷路の地図が刻みこまれていた。
「古の王、バロールが封印された土地にこの神殿は建っているわ。ダナー族は、彼らが望まないときに剣に近づくものが現れないよう、まやかしの剣と迷路で道を塞いだの……この向こうに、真の剣はある。琥珀はそれを抜きたいのかしら。なんのために?」
迷路を目で追っていた琥珀は、問いかけに我に返る。シアヴィルは意地悪っぽく目を細めていた。
「なんのためにって……わたしは、これを抜くために呼ばれてきたのだもの」
「それが役目だからそうするの? それとも、ディランを王にしてあげたいのかしら。古代の魔法で彼を人間に変えられると思っている?」
「そういうんじゃなくって」
シアヴィルの答えはどれも正解のようでいて、しっくりこなかった。どう言えばわかってもらえるだろう。シアヴィルが華奢な指で地図をたどるので、琥珀も別の道を指でたどってみた。
ディランが近づいてきて、琥珀の肩に手を置く。
「メイヴを出しぬくためなんだろ。決まっているじゃねえか」
「そういうんでもなくってね」
琥珀はディランを振り返る。もちろん、メイヴにつけ狙われるのはうんざりだし、自分のすることが彼のためになったら嬉しいという気持ちはあるけれど、それだけじゃない。
「そこに宝箱があるのよ。わたししか開けられない……ずっと憧れていた魔法の国で、ここにしかない秘密があるなら触れてみたい。好奇心、なのかな。その秘密に入りこんで、わたしもこの国の人になりたい、そういうことなんだわ」
シアヴィルの辿っていた道は行きどまりだった。迷路から手を離し、ふわりと笑う。
「そういう答えもありかしらね。合格――この迷路を解いてごらんなさい。そうすれば真の剣への道は開かれるでしょう」
「ええっ?」
刻みつけられた迷路はやたらと巨大で、百通りもの道がありそうだった。焦る気持ちも手伝って、何度も道を間違えていると、ディランが呆れたように、
「おい、はやくしろよ」
(できることならやっています!)
指先が刻まれた通路に吸いつき、擦りむけてしまいそうだ。手が熱くなってきた……壁そのものが熱い。ディランはやっぱり優しくない。少しくらい手伝ってくれてもいいのに――と拗ねそうになったとき、真後ろで金属のぶつかりあう音が響いた。
(なにっ?)
振り向いたら道がわからなくなる。目を逸らせない。風と気配が琥珀の後ろで飛び交い、やがてディランの声が、
「邪魔すんじゃねえ! 琥珀に近づくな!」
「それはぼくの台詞だ。琥珀はぼくの婚約者だろう? きみは無関係の人間――いや、人形なのに」
アリルだ。真っ先に通路を抜けて、ここに辿りついてしまった。琥珀は焦る。いくつも重なった大きさの違う円が目のなかでぐるぐる回り、気が遠くなりそうだった。ここはどこ、わたしはだれ……彼はだれ。わたしは……。
(虹の国の王女、琥珀よ。わたしのご先祖様がこの国の出身――人形だったのかもしれないけれど、いつか故郷に戻りたいっていう気持ちはちゃんと、わたしのところまでつながれてきたわ)
迷路が中心に近づく。もう少し。
集中している琥珀の背に、ディランかアリルのどちらかがぶつかってきた。
「悪ぃ、琥珀。迷路はどうなったんだ」
「解けたわ」
直後――。
前ではなく後ろで、なにかが暴発した。琥珀がよろめき、手をついた同心円の中心部がくぼむ。かちりと音がして、神殿全体にいやな揺れが起こった。天井からぱらぱらと石が崩れてくる。そして壁が傾ぎ、琥珀は前に開いた空間に吸いこまれるように落ちていった。
「琥珀!」
ディランの手が琥珀の襟首をつかみ、庇うように抱き寄せる。神殿の地下に開けている空間は恐ろしく広く、深かった。空気が濃いのか、ただ落ちているだけのはずなのに、体が押しあげられているような気がする……いや、気のせいではなく、ディランと琥珀をさらに包むような透明な腕の存在があった。
(精霊がいるのかしら……)
「……ここは?」
ディランがいぶかる声をあげる。琥珀も落ちついてまわりに目を向け、そこに漂う淡い光を見つけた。以前、洞窟でディランを呼んでいた光に似ている。
――くす、くす、くす。
笑い声。
――あたしたちが見えているのかしら。見えている? まだ見えないわ、まだ王が目覚めていないもの……でももうじきよ、それっ。
無邪気な声が楽しそうに、琥珀とディランを中空に投げだした。二人が落ちた地面はふんわりした土を丈の高い草が覆っていて、朝でもないのに葉がしっとり濡れている。なんて、ぼうっとしている場合じゃない。琥珀はディランの腕のなかから身を起こした。
(剣はどこかしら。ほんものの、英雄ルーが残した剣は……)
「!」
探すまでもなく、それは目の前にそびえていた……おそらく、これがそうだと思うしかない。
巨大な、剣のかたちをした樹木。
真横に伸びた幹から数えきれないほどの気根が垂れ下がり、組み紐のように絡みあって地面に届いている。
刃の部分の高さだけで三十尋はあるだろうか。それに重なって古木といっていい木が堂々と柄の形をつくっていた。
巨木の周囲は、息苦しいほど深い森だった。長いあいだ地上に現れることがなくても、ここだけで循環し、時を紡いできた森なのだ。生きものの姿はなくても、そこかしこになにかがいるのがわかる。恐れさえ抱かせるほどの、強いなにか、だ。
琥珀は息をつき、ディランにしがみついた。
「……これが、封印の剣なんだろう。抜かないのか」
「抜くっていったって、どれが剣なの。この古い木を? どんなに力持ちだって抜けっこないわ。それより、ディラン。ここってきっと、大昔の世界のままなのね。ダナーが力を使い尽くす前の土地は、きっとこんなふう……」
首元に剣が突きつけられた。琥珀は目を剥き、ディランを見つめ返す。
にやりと笑ったディランは頬に怪我を負っていた。肉が裂け、そこから黒いものが滴って草むらに落ちる。血ではなかった。
「あなた……アリルなの?」
「名前を覚えていてくれたんだね。光栄だよ、琥珀」
「ディランはどうしたの!」
琥珀が声を張りあげたとき、
「おれはここだ!」
頭上で声が響き、アリルがぱっと飛びのいた。一瞬前まで彼がいた場所に鉄の剣が突き刺さる。
振り仰ぐと、本物と思しきディランが巨木の根から根へと飛び移りながら、琥珀のほうへ向かってきた。そのディランの足もとを小さな爆発が追ってくる。ようやく、琥珀の前に降りたったディランは体のところどころが焦げてくすぶっていた。
「ひどい格好だわ。どうしたの」
「どうもこうもねえよ、あの、くそババアのせいだ!」
ババア、といえば。顔をあげた琥珀を、ディランが横からさらうようにして地面に突き倒した。ディランが投げた剣に稲光が落ちる。
「うわっ」
まさか自分が巻きこまれるとは思わなかったのだろう。反応が遅れたアリルが衝撃でなぎ倒された。顔を庇った腕に火が燃え移り、炎を叩き落としたところ、肉がぼろりと崩れる……骨がない。溢れ出す血のような液は、タール。アリルも、人形なのだ。
散らばる土と草の葉の向こうに、炎の色をした美女の姿があった。
「……母上!」
刺されたあとはマントで隠しているのでわからないが、メイヴは一応の若さを取り戻していた。
「母上、ぼくの腕が……これはどういうことなのですか」
「美しい姿に傷がついてしまったのね。もったいない、アリル。わらわはそなたをディランの代わりにするつもりだったのよ」
悲しげに溜息をついて、メイヴは手をかざした。ざわりと空気が震え、怯えた表情のアリルの顔がみるみるうちに土くれと化していく。
「母上…………なぜ……」
「……こ、の、やろおおお! なんてことしやがる!」
ディランが地面から剣を引き抜き、メイヴめがけて投げた。しかし今度は、メイヴは軽く腕を振るだけで剣の軌道を変えてしまう。勢いを増して戻ってきた剣の柄に腹を打たれ、ディランは真後ろに吹っ飛ぶ。
さらに手をかざすメイヴの前に、琥珀は立ちはだかった。
「メイヴ、あなたはいったい――どうして自分の息子の人形をつくるの。どうしてそれを大切にしてあげないの!」
「わらわに息子などいないからじゃ」
「え――……」
「そなたにはわかるまい。コルマクに預けてやった人形が、なぜ壊してやったのにまだ動いているのか知らないが、いまはもう、ささいなことに構っていられぬ。わらわの欲しいものはそこにあるのだから」
メイヴの赤い爪が横にそれ、巨木に向けられる。まさか、と琥珀が息を呑んだとき。
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小学校五年生の涼暮ミナは、父の知り合いの詩人・松風洋さんの住む東北に夏休みを利用して東京からやってきた。同い年の洋さんの孫のキカと、その友達ハヅキとアオイと仲良くなる。洋さんが初めて書いた物語を読ませてもらったミナは、みんなでその小説の通りに街を巡り、その中でそれぞれが抱いている見えない未来への不安や、過去の悲しみ、現実の自分と向き合っていく。
「時あかり、青嵐が吹いたら、一気に走り出せ」
合言葉を言いながら、もう使われていない古い鉄橋の上を走り抜ける覚悟を決めるが──
ひと夏の冒険ファンタジー
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