上 下
20 / 97
第二章 燃える冬の夕景

2-9 戦場に馳せる意志  ……ヤンネ

しおりを挟む
 燃える雪原に、灰と雪の舞う夕景に、極彩色の風が吹き荒れる。

 黒騎兵オールブラックスの指揮の下、動き出した極彩色の馬賊ハッカペルが、戦場に狩りの狂騒を奏でる。

 二百騎の手勢を引き連れ駆けるヤンネの前に、月盾の軍旗が翻る。千騎ほどの月盾騎士団ムーンシールズの人馬が、行く手を阻もうと向かってくる。足止めのためだろうか、身を粉にしても遮ろうとする意志が、ひしひしと伝わってくる。

「見ろ! 鈍間のろまな〈教会〉の豚どもだ! 馬は傷つけることなく分捕れ! 馬上の奴らは好きに殺せ!」

 父オッリの笑い声に呼応し、極彩色の馬賊ハッカペルの戦士たちが殺意を滾らせる。
 野蛮人め──父の背に嫌悪感を抱きながら、しかしヤンネもあとに続く。
 迫る馬蹄が、その圧力を増していく。
 互いの前衛が射撃体勢を取る。騎士たちが歯輪式拳銃ホイールロックピストルを、極彩色の馬賊ハッカペルが弓矢を構える。
 接敵を前に、銃弾が撃ち鳴らされ、硝煙を矢が切り裂く。
 唸りをあげる矢が、月盾の騎士たちを次々に射抜く。対して、敵の銃弾は空を切るばかりで、ほとんど命中していない。熟達した弓馬の腕と、弾幕頼りの銃火、それも短銃身の拳銃とでは、命中精度がまるで違う。

 前衛の騎射に続き、騎馬群が交錯する。

 「「叩き殺せ!!」」──猛然と襲いかかる極彩色の馬賊ハッカペルの雄叫びが、大地を震わす。

 すれ違い様、血が風に舞う。
 父を先頭に、極彩色の戦士たちが月盾の騎士たちを馬上から叩き落す。確固たる意志を持った殺意を、さらに狂猛な殺意が鏖殺おうさつする。

「仕留めきれなくとも、そのまま前に駆け抜けろ! 乱戦に持ち込ませるな!」
 配下の者たちを鼓舞しながら、ヤンネもサーベルを振るう。
 きらめく剣身が、厳めしい甲冑が、眼前に迫り来る。剣先を躱し、その剣を持つ腕を斬り落とす。掴みかかろうとする敵は、甲冑か馬腹を蹴り飛ばし、地面に転がす。戦いながらも疾駆の勢いは緩めず、人馬の隙間を駆け抜ける。
 敵の多くは半甲冑を着、剣と拳銃で武装した汎用騎兵である。足を止められ、殴り合いに持ち込まれた場合、軽装の極彩色の馬賊ハッカペルはやや分が悪い。だが機動戦ならば、〈東の王プレスター・ジョン〉の末裔である騎馬民に勝る者はそうはいない。

 そう、たとえ装備は劣っていても、野蛮人だと思われていても、自分たちは名ばかりの騎士などよりも強いのだ──その自負が、ヤンネの心を燃やす。

 極彩色の風が、月盾の騎士たちを穿つ。

 敵の隊列を突破する。麾下の二百騎も、しっかりとついてきている。
 反転しての再攻撃は必要なかった。雪煙舞う背後では、黒騎兵オールブラックスが残存する月盾の騎士たちを早くも包囲し始めていた。

 同じ帝国軍第三軍団の騎兵、漆黒の胸甲騎兵の姿を、ヤンネは羨望の眼差しで見た。

 ヤンネはずっと、黒騎兵オールブラックスに、それを率いるマクシミリアン・ストロムブラード隊長に憧れていた。上官であり、師でもあるストロムブラード隊長のことを、ヤンネは本当の父親のように思っていた。

 もちろん生みの親はいるし、ローペのような部族の守り役もいる。しかし親身になって面倒を見てくれたのは、ストロムブラード隊長と、その妻のユーリア夫人レディ・ユーリアである。父には事あるごとに折檻され、母には放置されて生きてきたヤンネにとって、育ての親は紛れもなくストロムブラード夫妻だった。
 没落した下級貴族の出身ながら、己が力で第三軍団の騎兵隊長にのし上がった騎士殺しの黒騎士は、その出自や異名ゆえ、旧家や名家の王侯貴族からは煙たがられていたが、しかしヤンネにとっては最も身近な英雄だった。

 身分が低くても、卑賎の身でも、〈帝国〉と皇帝のために戦う者には、平等に道は拓かれている──。

 〈東の王プレスター・ジョン〉の末裔である自分も、同じようになれると思った。そして〈東からの災厄タタール〉から二百年経った今でも、敵味方から蛮族扱いされる極彩色の馬賊ハッカペルを、もっと気高く誇りある部隊に変えたかった。

 だが父がいる限り、それは到底果たせない夢だった。

 極彩色の馬賊ハッカペルを率いる父オッリは、確かに強き北風ノーサーの二つ名に違わぬ猛将ではあったが、同時に傍若無人を絵に描いたような蛮人だった。王や貴族や上官に一切の敬意を払わず、兵士だろうが民衆だろうが気の赴くままに嬲り殺し、女を見つければ奪い犯す。仕える〈帝国〉を毛嫌いし、その無学で粗暴な言動により、自分たちが嘲られていることに気づきもしない。
 部族の大半の大人たちも同様で、特に父の取り巻きの多くは、酒場の悪漢にも劣る畜生である。ヤンネ隊の副官で、ヤンネの曾祖父の顔も知る鋼の戦人バトルメタルのローペも、今でこそ落ち着いた人物だが、〈帝国〉に臣従する前は手の施しようがない悪漢だったらしい。

 父のことが、部族の大人たちが、ヤンネは大嫌いだった。ストロムブラード隊長は父のことを戦友と呼ぶが、なぜこんな野蛮人と仲がいいのか、なぜこんな野蛮人たちと共闘してくれるのか、理解ができなかった。

 本当は黒騎兵オールブラックスの兵士として戦いたかったが、父は部族の後継者であるヤンネにそれを許さなかったし、ストロムブラード隊長にも時期尚早だと断られた。

 光は未だ遠くにある。それでも、ヤンネは諦めていなかった。

 いつかきっと、ストロムブラード隊長と、その妻であるユーリア夫人レディ・ユーリアに、〈帝国〉で生きるための術を授けてくれた育ての親である二人に、恩返しをする。弟や妹たちのため、部族の未来のため、志を同じくする戦友たちのため、何より自分自身のため、この〈大祖国戦争〉で戦功を上げ、その力を示すのだと──。

 ヤンネは決意を新たに、視線を前方に戻した。

 冬の夕景に、教会遠征軍の姿が現れる。
 その敵は後退こそしているが、背を向けて逃げ出してはいなかった。
 天使の錦旗を中心に、第六聖女親衛隊は方陣を組んでいる。鈍重な動きの古臭い密集方陣だが、それは一目で崩せないとわかるほど強固であり、そばには月盾騎士団ムーンシールズの軍旗がはためいている。
 ふと、ヤンネは父に目をやった。
 血を噴き出す首を弄びながら、父は頬を歪めていた。それは獲物を前に狂喜する、獣の笑みだった。
「ヤンネ! 騎士団の背中に回り込め! 味方が砲を準備する間、月盾騎士団ムーンシールズを攪乱しろ! 豚どもを親衛隊の方陣から引き剥がせ!」
 ヤンネは命令を承服すると、部族伝統の杯を交わすポーズは取らず、帝国軍人として敬礼した。
「行け! 狩りの前の余興だ! 〈東の王プレスター・ジョン〉のため、遥かなる地平線に血の雨に降らせろ!」
 何が血の雨だ。何が〈東の王プレスター・ジョン〉だ──ヤンネは父の声に振り返ることなく、馬腹を蹴り駆け出した。

 眼前に、月盾の軍旗が翻る。第六聖女の天使の錦旗を守る四千騎ほどの月盾騎士団ムーンシールズは、敗勢の中でも雄々しく、勇ましく見えた。
「よっしゃあ! 次も一番槍は俺が貰うからな!」
 接敵を前に、ヤンネと同年の戦友で、子供のように小柄なコッコが、手斧を振り上げ発奮する。
「落ち着け! 俺たちの役目は敵の攪乱と、後続の歩兵隊の援護だ! 規律を守って行動しろよ!」
「わかってらぁ! 〈教会〉の騎士どもを皆殺しにして、俺たちの力を帝国人どもに見せつけてやろうぜ!」
 ヤンネはコッコを諫めたが、当の本人は興奮状態で聞いていなかった。ヤンネと同じく帝国人の軍装をする同年代の戦友たちも、コッコの気勢に当てられたのか、勝ち戦の勢いゆえか、冷静さを失っているように見える。
「若殿は部隊の指揮に専念なされ。コッコや新兵どもの面倒は、わしが見ますゆえ」
 副官の鋼の戦人バトルメタルのローペが、コッコらを叱咤しながら、熱の籠った手でヤンネの背中を叩く。
「みな遅れを取るなよ! 我らが大将、強き北風ノーサーの前で、その武勇を示すのだ!」
 鋼の戦人バトルメタルの老人が叫ぶその二つ名は、反吐が出るほど嫌いだったが、しかしヤンネの思いとは裏腹に、その言葉は兵たちを勢いづかせる。

 ヤンネは唇を噛み締めた。
 鬱屈する思いに苛まれるまま、馬上で弓を引き絞り、つがえる矢に力を込める。
「〈帝国〉の地を踏み躙る侵略者どもを許すな! 完膚なきまでに叩きのめせ!」
 ヤンネは吼え、そして月盾の騎士に向かい矢を放った。
しおりを挟む

処理中です...