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第四章 ぶつかり合う風
4-8 再びの邂逅② ……ミカエル
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極彩色の獣が冬に踊る。
現れた強き北風が、討ち取った首を振り回しながら、悠々と雪原を駆け回る。
冬の空気が凍る。教会遠征軍有利の空気が、完全に一変する。
誰もが固唾を飲む中、強き北風のオッリが、ハベルハイムの軍勢の前を、そして月盾騎士団の眼前を駆ける。その背後には、百騎ほどの極彩色の馬賊が、臨戦態勢で群れの主を歓呼する。
強き北風のオッリが殿軍となる間に、算を乱していた帝国軍は隊伍を組み直すと、負傷者を接収しつつ、枯れた森へと退避していく。
「ハハッ! こんちは! 誰か暇潰しに遊ばねぇーか!?」
熊髭の大男が、あからさまな挑発を仕掛けてくる。続けて、一騎打ちを誘うように、口汚い野次を飛ばしてくる。
古めかしい直剣を握る手に、怒りが籠る──できることなら、嬲り殺しにしてやりたい──しかしミカエルは動けなかった。
ミカエルと同じように、月盾の騎士たちも固まっている。
月盾騎士団の誰もが、そのべらぼうな蛮勇を、比類なき強さを、身をもって理解している。攻勢を一瞬で挫かれたハベルハイムの騎兵も、相当に警戒しているのだろう。後続の歩兵を待つように、守りを固めている。
「痛み分け……、ですかな」
ミカエルの横で、ディーツが苦虫を噛み潰したように呟く。
「あれのおかげで、敵は敗走すれども、一方的な負けを払拭できます。迂闊に手出しし、こちらに犠牲が出た場合を考えると、このまま動かない方が得策かと」
「敵の大部分は逃げてる。あの蛮族が強いとはいっても、所詮は一騎と、数百の金魚の糞。ハベルハイムと連携し、全軍で攻撃すればいいだろう」
赤銅の刺剣に手をかけ、臨戦態勢を取るアンダースの言葉に、ディーツが首を横に振る。
「全軍で包囲しようとしても、奴はすぐに逃げるでしょう。何より、一騎打ちを所望する一騎を寄って集って攻撃したとなれば、月盾の騎士の名誉に傷がついてしまいます」
「こんなときに何が名誉だ……」
アンダースが呆れたように溜息をつく。弟は麾下の銃騎兵に待機を指示すると、それ以上は口を閉ざした。
ボフォース周辺の戦闘において、教会遠征軍の勝利は間違いない。帝国軍の前衛部隊は総退却しており、大勢は決している。しかし、強き北風の再来により、局地的には振り出しに戻ってしまっている。
一騎打ちで強き北風のオッリを討ち取ることができれば、それはそれで朗報である。しかしディーツの言葉通り、もし一騎打ちでこちらに犠牲が出た場合、士気は完全に挫かれ、今日の勝利そのものが水泡に帰す恐れもある。
風が静寂を運ぶ。ディーツも、配下の者たちも、誰もがミカエルの号令を待つ。
しかし、騎士団最強の男は黙っていなかった。
鉄塊の如き鎧を着込んだ人面甲のリンドバーグが、闘志をたぎらせ大剣を抜く。
「リンドバーグ! 止せ!」
ミカエルは叫んだが、人面甲の騎士は、仲間たちを押し退け馬を進める。
「再戦を望むお前の気持ちは痛いほどわかる! しかし今はまだそのときではない! 堪えてくれ!」
ミカエルはリンドバーグの前に馬を乗り入れ、その巨体を押し止めた。副官のディーツ、戻ってきたアナスタシアディスも、ミカエルと一緒にリンドバーグを止める。
人面甲の奥から、歯軋りが聞こえる。ミカエルもまた、やり場のない怒りと恐怖を抑え込む。
リンドバーグはなおも闘志を燃やしていたが、しかし仲間たちの制止する声に、馬を止めてくれた。
その様子を見ていたのか、強き北風のオッリは遠巻きに一笑いすると、おもむろに馬上で矢をつがえた。
風切り音が、冬空を裂く。
放たれた矢が粉雪を切り裂き、飛んでくる。空を裂く一矢は、綺麗な放物線を描き、そしてヴィルヘルムの持つ月盾の騎士団旗を貫いた。
軍旗を貫いた矢が、雪原に突き刺さる。
騎士団旗を傷つけられ、旗手のヴィルヘルムが烈火の如く怒る。その一矢に、敵の嘲笑に、騎士たちもにわかに殺気立つ。乗り手の圧に当てられ、馬も激しく嘶く。
怒り、憎悪、恐怖……、ない交ぜになるあらゆる感情が、高まり、渦巻き、燃え広がろうとする。
ディーツやアナスタシアディスがなおも止めようとする一方、ミカエル自身は揺れ動いていた。
月盾の長という肩書きがなければ、このまま、衝動に突き動かされるまま、駆け出してしまいたかった。馬の手綱を、古めかしい直剣を握り締める手には、力がみなぎっていた。
そのとき、再び放たれた矢が、また空を切り裂いた。
放たれた矢は、綺麗な放物線を描き、そして極彩色の一騎の頭上に降り注いだ。
強き北風がウォーピックを振り、返された一矢を弾き飛ばす。しかし、事もなく捌いたその笑顔には、はっきりと怒気が滲んでいた。
強き北風が目の色を変え、矢を放った者を睨む。その視線の先、月盾の騎士たちの合間では、安物の革鎧を着た小汚い中年男が、弓の弦をのほほんといじっていた。
一触即発の空気が、冷たさを増していく。
しかし、それが臨界点を迎える前に、退避した帝国軍から退却の鐘が鳴り響く。大多数の黒竜旗は、すでに姿を消している。
その音に、強き北風のオッリは思いのほか素直に従った。
熊髭を歪ませ、唾を吐き捨て去っていく強き北風に続き、百騎の極彩色の馬賊も、踵を返し去っていく。やがて〈帝国〉の黒竜旗と極彩色の獣たちは姿を消し、雪原に静寂が戻ってきた。
何とも言えない空気感が、騎士団を包む。
帝国軍が去ると、ミカエルは矢を放った者を呼び、問い質した。
「何者だ?」
「我が部隊の将校、ルクレールです」
「どうも閣下。お見知りおきを」
アンダースに紹介された中年男性が、軽くお辞儀する。
その薄汚い恰好と、締まりのない顔つきを見て、ミカエルは思い出した。この男は、アンダースが虐殺を行った際、民衆の首吊りを指揮していた者である。
「傭兵出身者か?」
感情を気取られぬよう訊ねると、ルクレールは二つ返事で「はい」と頷いた。
月盾騎士団を構成する騎士や従士の多くは、ロートリンゲン家の門閥か、縁故のある貴族の子弟である。基本的に、紹介された者を父やミカエルが選抜する方式で入団する。ウィッチャーズのような貴族でもない傭兵上がりは稀である。
しかし、アンダースの部隊は例外だった。弟は騎士団に参加するに際し、麾下の士官を自ら選び、取り立てた。その中には、名もない下級貴族や流れ者、ルクレールのようなどこの馬の骨とも知れぬ傭兵もいた。
「その弓は?」
「自前のです。若い頃、東部入植地で騎馬民からぶん捕った物ですけど」
「先ほどは見事な一矢だった。しかし、君は下級将校だろう。勝手な行動は慎みたまえ」
「すいません。ちょっと空気が重かったんで、気晴らしになればと」
ミカエルの叱責にも、ルクレールはどこ吹く風といった感じだった。その態度は、弟のアンダースに似ていた。
「もしあのままあの化け物と一騎打ちになっても、元傭兵の下級将校が一人死ぬだけですし、どうってことないでしょうよ。それに、ロートリンゲン家が誇る気高い騎士様方が、蛮族一人にボコボコにされたら、それはそれで困るでしょ」
ルクレールが軽口を叩き、口元をつり上げる。
ミカエルは思わず眉をしかめた。この男は確かにロートリンゲン家の騎士を示す月盾の徽章をしているが、その人を食ったようなふざけた態度は全く好きになれなかった。隣にいるディーツも、嫌悪感を露わにしている。
独断行動をしたルクレールの処分は、部隊の上官であるアンダースに任せた。ミカエルはハベルハイムに伝令を出すと、セレンのいるボフォースの古城へと行軍を開始した。
月盾の軍旗が、静かにはためく。力なき馬蹄が、雪原を駆ける。
みな、無言だった。強き北風の姿が消えても、少し前まで酔っていた勝利の味が戻ってくることはなかった。
屈辱感、安堵感、様々な思いが去来しては、心をささくれさせる。
それでも、それらを秘め、たぎらせ、燃やす──静かな意志を胸に、ミカエルは第六聖女の天使の錦旗を目指した。
現れた強き北風が、討ち取った首を振り回しながら、悠々と雪原を駆け回る。
冬の空気が凍る。教会遠征軍有利の空気が、完全に一変する。
誰もが固唾を飲む中、強き北風のオッリが、ハベルハイムの軍勢の前を、そして月盾騎士団の眼前を駆ける。その背後には、百騎ほどの極彩色の馬賊が、臨戦態勢で群れの主を歓呼する。
強き北風のオッリが殿軍となる間に、算を乱していた帝国軍は隊伍を組み直すと、負傷者を接収しつつ、枯れた森へと退避していく。
「ハハッ! こんちは! 誰か暇潰しに遊ばねぇーか!?」
熊髭の大男が、あからさまな挑発を仕掛けてくる。続けて、一騎打ちを誘うように、口汚い野次を飛ばしてくる。
古めかしい直剣を握る手に、怒りが籠る──できることなら、嬲り殺しにしてやりたい──しかしミカエルは動けなかった。
ミカエルと同じように、月盾の騎士たちも固まっている。
月盾騎士団の誰もが、そのべらぼうな蛮勇を、比類なき強さを、身をもって理解している。攻勢を一瞬で挫かれたハベルハイムの騎兵も、相当に警戒しているのだろう。後続の歩兵を待つように、守りを固めている。
「痛み分け……、ですかな」
ミカエルの横で、ディーツが苦虫を噛み潰したように呟く。
「あれのおかげで、敵は敗走すれども、一方的な負けを払拭できます。迂闊に手出しし、こちらに犠牲が出た場合を考えると、このまま動かない方が得策かと」
「敵の大部分は逃げてる。あの蛮族が強いとはいっても、所詮は一騎と、数百の金魚の糞。ハベルハイムと連携し、全軍で攻撃すればいいだろう」
赤銅の刺剣に手をかけ、臨戦態勢を取るアンダースの言葉に、ディーツが首を横に振る。
「全軍で包囲しようとしても、奴はすぐに逃げるでしょう。何より、一騎打ちを所望する一騎を寄って集って攻撃したとなれば、月盾の騎士の名誉に傷がついてしまいます」
「こんなときに何が名誉だ……」
アンダースが呆れたように溜息をつく。弟は麾下の銃騎兵に待機を指示すると、それ以上は口を閉ざした。
ボフォース周辺の戦闘において、教会遠征軍の勝利は間違いない。帝国軍の前衛部隊は総退却しており、大勢は決している。しかし、強き北風の再来により、局地的には振り出しに戻ってしまっている。
一騎打ちで強き北風のオッリを討ち取ることができれば、それはそれで朗報である。しかしディーツの言葉通り、もし一騎打ちでこちらに犠牲が出た場合、士気は完全に挫かれ、今日の勝利そのものが水泡に帰す恐れもある。
風が静寂を運ぶ。ディーツも、配下の者たちも、誰もがミカエルの号令を待つ。
しかし、騎士団最強の男は黙っていなかった。
鉄塊の如き鎧を着込んだ人面甲のリンドバーグが、闘志をたぎらせ大剣を抜く。
「リンドバーグ! 止せ!」
ミカエルは叫んだが、人面甲の騎士は、仲間たちを押し退け馬を進める。
「再戦を望むお前の気持ちは痛いほどわかる! しかし今はまだそのときではない! 堪えてくれ!」
ミカエルはリンドバーグの前に馬を乗り入れ、その巨体を押し止めた。副官のディーツ、戻ってきたアナスタシアディスも、ミカエルと一緒にリンドバーグを止める。
人面甲の奥から、歯軋りが聞こえる。ミカエルもまた、やり場のない怒りと恐怖を抑え込む。
リンドバーグはなおも闘志を燃やしていたが、しかし仲間たちの制止する声に、馬を止めてくれた。
その様子を見ていたのか、強き北風のオッリは遠巻きに一笑いすると、おもむろに馬上で矢をつがえた。
風切り音が、冬空を裂く。
放たれた矢が粉雪を切り裂き、飛んでくる。空を裂く一矢は、綺麗な放物線を描き、そしてヴィルヘルムの持つ月盾の騎士団旗を貫いた。
軍旗を貫いた矢が、雪原に突き刺さる。
騎士団旗を傷つけられ、旗手のヴィルヘルムが烈火の如く怒る。その一矢に、敵の嘲笑に、騎士たちもにわかに殺気立つ。乗り手の圧に当てられ、馬も激しく嘶く。
怒り、憎悪、恐怖……、ない交ぜになるあらゆる感情が、高まり、渦巻き、燃え広がろうとする。
ディーツやアナスタシアディスがなおも止めようとする一方、ミカエル自身は揺れ動いていた。
月盾の長という肩書きがなければ、このまま、衝動に突き動かされるまま、駆け出してしまいたかった。馬の手綱を、古めかしい直剣を握り締める手には、力がみなぎっていた。
そのとき、再び放たれた矢が、また空を切り裂いた。
放たれた矢は、綺麗な放物線を描き、そして極彩色の一騎の頭上に降り注いだ。
強き北風がウォーピックを振り、返された一矢を弾き飛ばす。しかし、事もなく捌いたその笑顔には、はっきりと怒気が滲んでいた。
強き北風が目の色を変え、矢を放った者を睨む。その視線の先、月盾の騎士たちの合間では、安物の革鎧を着た小汚い中年男が、弓の弦をのほほんといじっていた。
一触即発の空気が、冷たさを増していく。
しかし、それが臨界点を迎える前に、退避した帝国軍から退却の鐘が鳴り響く。大多数の黒竜旗は、すでに姿を消している。
その音に、強き北風のオッリは思いのほか素直に従った。
熊髭を歪ませ、唾を吐き捨て去っていく強き北風に続き、百騎の極彩色の馬賊も、踵を返し去っていく。やがて〈帝国〉の黒竜旗と極彩色の獣たちは姿を消し、雪原に静寂が戻ってきた。
何とも言えない空気感が、騎士団を包む。
帝国軍が去ると、ミカエルは矢を放った者を呼び、問い質した。
「何者だ?」
「我が部隊の将校、ルクレールです」
「どうも閣下。お見知りおきを」
アンダースに紹介された中年男性が、軽くお辞儀する。
その薄汚い恰好と、締まりのない顔つきを見て、ミカエルは思い出した。この男は、アンダースが虐殺を行った際、民衆の首吊りを指揮していた者である。
「傭兵出身者か?」
感情を気取られぬよう訊ねると、ルクレールは二つ返事で「はい」と頷いた。
月盾騎士団を構成する騎士や従士の多くは、ロートリンゲン家の門閥か、縁故のある貴族の子弟である。基本的に、紹介された者を父やミカエルが選抜する方式で入団する。ウィッチャーズのような貴族でもない傭兵上がりは稀である。
しかし、アンダースの部隊は例外だった。弟は騎士団に参加するに際し、麾下の士官を自ら選び、取り立てた。その中には、名もない下級貴族や流れ者、ルクレールのようなどこの馬の骨とも知れぬ傭兵もいた。
「その弓は?」
「自前のです。若い頃、東部入植地で騎馬民からぶん捕った物ですけど」
「先ほどは見事な一矢だった。しかし、君は下級将校だろう。勝手な行動は慎みたまえ」
「すいません。ちょっと空気が重かったんで、気晴らしになればと」
ミカエルの叱責にも、ルクレールはどこ吹く風といった感じだった。その態度は、弟のアンダースに似ていた。
「もしあのままあの化け物と一騎打ちになっても、元傭兵の下級将校が一人死ぬだけですし、どうってことないでしょうよ。それに、ロートリンゲン家が誇る気高い騎士様方が、蛮族一人にボコボコにされたら、それはそれで困るでしょ」
ルクレールが軽口を叩き、口元をつり上げる。
ミカエルは思わず眉をしかめた。この男は確かにロートリンゲン家の騎士を示す月盾の徽章をしているが、その人を食ったようなふざけた態度は全く好きになれなかった。隣にいるディーツも、嫌悪感を露わにしている。
独断行動をしたルクレールの処分は、部隊の上官であるアンダースに任せた。ミカエルはハベルハイムに伝令を出すと、セレンのいるボフォースの古城へと行軍を開始した。
月盾の軍旗が、静かにはためく。力なき馬蹄が、雪原を駆ける。
みな、無言だった。強き北風の姿が消えても、少し前まで酔っていた勝利の味が戻ってくることはなかった。
屈辱感、安堵感、様々な思いが去来しては、心をささくれさせる。
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