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第九章 旗印たちの狂宴

9-3 白炎  ……マクシミリアン

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 雪が、空が、血が、人が、あらゆるものが、白く燃える。

 男たちの雄叫びが白炎に轟く。皇帝を称える咆哮とともに、黒騎兵オールブラックスが戦場を駆け回る。

 血を! 勝利を! 栄光を! ──その雄叫びに乗って、マクシミリアンは敵戦列に突っ込んだ。

 どこからか血が流れる。あばら骨も多分折れている。それでも手足は動いた。馬も潰れていない。だから走った。
 馬腹を蹴るたび、サーベルを振るたび、体は軋み悲鳴を上げた。それでも、鳴り響く剣戟は、噴き出る敵の血は、冬を燃やす白炎は、体を熱くした。何よりも、身を切る風はどこまでも心地よかった。ただ、無条件に礼賛されるグスタフ帝の存在だけは相変わらず癇に障った。

 血を! 勝利を! 栄光を! ──また、帝国軍第三軍団の咆哮が轟く。歩兵も、騎兵も、砲兵も、誰もが目を輝かせ、死体の山を踏み越え、最前線へと向かっていく。皇帝を称える歓呼とともに逆襲に赴く兵たちの士気は、今や最高潮に達している。

 皇帝突撃の報せが、黒竜旗を掲げる者たちの意志を一つにした。帝国軍第三軍団は、今や完全に血に酔っている。
 ほとんど蛮勇に近い攻勢──それでもその軍靴と鼓笛は、規律を保っている。第三軍団を御するエイモット幕僚長は、荒ぶる兵たちの士気をきっちりと掌握している。支援もなく、手持ちの兵だけながら、クリスタルレイク西岸の戦線そのものを、エイモットは支配している。
 エイモットは残りの歩兵予備隊一千を繰り出すと、戦列を斜行させ、敵をクリスタルレイクの湖岸に追い込むように展開させた。
 凍っているとはいえ、背水の陣になるのを嫌がり、敵は足掻く。未だ動かぬ極彩色の馬賊ハッカペルのことも、露骨に警戒している。兵の疲労、補給の滞り、ハベルハイムと月盾騎士団ムーンシールズの連携の不備……。あらゆる事象が重なり、そして戦列は歪んでいく。
 黒騎兵オールブラックスは、湖岸から背後に回り込む動きを見せつつ、味方砲兵の攻撃に合わせ、敵戦列に突撃した。

 何度目か、数えるのはすでに止めている。とにかく、野戦砲の鉄球に穿たれた部分、弱気に見える部分を攻撃することだけを考える。

 死をも厭わぬ突撃──しかし、十字架旗の戦列は崩れない。指揮を執る深海の玉座の軍旗もまた、一歩も退かない。

 互いに死力を尽くしている。疲弊し、損害もそれなりに被っている。
 弾丸公ハベルハイム率いる教会遠征軍は、やはり強い。後手に回っても、強固に戦列を維持している。もちろん動揺は見えるし、焦りも見える。しかし地に足をつけ、踏み止まっている。
 ただ、以前のような覇気はない。歩兵戦列に圧はなく、砲兵の衝撃力もない。騎兵も息が上がっている。
 加えて、月盾騎士団ムーンシールズには明らかに厭戦感が漂っている。皇帝突撃の報せ後、一部の部隊が離脱したこともあり、残った部隊は戦力どころか脅威にすらなっていない。
「いいとこ育ちのボンクラどもが! いい加減、バテてきやがったな!」
「疲れているのはこちらも同じです! 無口な影スーサイド・サイレンスも死にました! 頼むから無茶はしないで下さい!」
 サーベルの血を拭いながら、アーランドンソンが駆け寄ってくる。朝から戦い続け、血と泥に塗れながらも、馬上の体躯はいつもと同様に堂々としている。
「それよりも兜はどうなされたのですか!? 何か被って下さい!」
 アーランドンソンに言われ、兜が無くなっていることに気づく。長年使ってきた物であり、愛着もあったが、戦場で遺失物が見つかるわけもないので諦めた。どうせ元々は、歩兵用のモリオン兜を自分なりに改造しただけの物である。また作ればいい。
 馬から降りる。その辺の死体から兜を剥ぎ取り、被る。
「どうせ、お互いジリ貧だ! 最後に誰かしら立ってりゃいいんだよ!」
 砲声に合わせ、再び走り出す。とにかく、戦列の穴を探す。
「隊長は後ろに! 次は我が隊が先鋒を!」
 アーランドンソン隊が足歩を上げ、先頭を担う。アーランドンソンも、弱っている戦列を目ざとく見つけては、そこに斬り込む。

 マクシミリアン、アーランドンソン、イエロッテの三隊による、波状攻撃を仕掛ける。
 とにかく動き続け、敵を休ませないようにした。ただ、一隊が攻撃中の僅かな時間でも、残りを休ませることは心掛けた。
 黒騎兵オールブラックスも限界が近い。人よりも先に、馬が潰れる可能性が高い。それでも、まだ極彩色の馬賊ハッカペルは温存した。

 極彩色の馬賊ハッカペルが動くタイミングは、全てオッリに任せていた。勝負を決めるその一瞬を、オッリは本能的に知っているがゆえに。


*****


 オッリと同じように、戦場こそが人生だった。しかし、彼我の力の差は縮まりこそすれ、埋まることはなかった。
 出会いから二十年を経て、立場は変わった。今では上官であり、目付役である。ただ、四十歳を迎え、兵士として、騎兵としては、もう年齢的に下り坂にある。しかしそれでも、マクシミリアンは未だ取り憑かれている。

 同じようになれないのはわかっている。それでも、戦場でなら……。戦争さえあれば……。俺も、いつかきっと……。

 かつて、まだ何者でもなかったマクシミリアンは、のちに強き北風ノーサーとなる大男に光を見た。そして今も、その光を追い続けている。

 いや、始まりは、もっと根深いのかもしれない。

 伝承に語られる、〈東からの災厄タタール〉と〈教会七聖女〉の物語……。
 人々は〈東からの災厄タタール〉を嘆き悲しみ、それを引き起こした〈東の王プレスター・ジョン〉とその末裔たちのことを、口汚く罵倒した。そして、古の〈教会七聖女〉と騎士たちの献身と武勇を讃え、〈神の奇跡ソウル・ライク〉なる大魔法に涙した。
 だがマクシミリアンにとって、聖女と騎士の美しい物語は、響かなかった。逆に、東からの英雄が発端となった破壊と殺戮の物語にこそ、光を見た。

 全てを力でねじ伏せる、男の中の男の生き様──それは望んでも、到底できる生き様ではない。

 〈東の王プレスター・ジョン〉は見方を変えれば間違いなく英雄だった。その血脈を継ぎ、野蛮と暴虐の限りを尽くすその生き様を愚直に貫こうとするオッリもまた、マクシミリアンにとってはやはり憧れだった。

 物心付いた頃から戦争は好きだったし、そこで縦横無尽に活躍する英雄たちにも憧れていた。だから戦いに身を投じることに迷いはなかった。……はずだった。

 戦争がなければ、父に見捨てられたまま、死んでいた……。
 戦争がなければ、父に復讐することもできなかった。
 戦争がなければ、ただの親殺しと蔑まれるだけだった……。
 戦争がなければ、オッリや妻のユーリアとも出会っていなかった。
 戦争がなければ、騎士殺しの黒騎士などと呼ばれることもなかった……。
 戦争がなければ、英雄が何たるかを知ることさえできなかった。

 始めから何も持っていなかった。失うものなきゆえに、高尚な騎士道も、戦火に苦しむ人々も、大陸の平和も、どうでもよかった。神も皇帝も国家もクソ喰らえと思って生きてきた。そして、焼かれた騎士の紋章を掲げ、叫んだ──『天も、地も、人も、全てに仇なし、悉くを焼き尽くす』と。友を、妻を、守る者を得てなお、心の奥底に潜むどす黒い感情は、未だにマクシミリアンを突き動かしている。


*****


 冬を燃やす白炎が、身と心を熱くする。
「俺が黒騎兵オールブラックスの指揮官だ! 〈教会〉のボンクラ騎士どもが! さっさと殺しに来やがれ!」
 感情の赴くまま、マクシミリアンは叫び、また敵中に斬り込んだ。
 マクシミリアンの罵声に反応したのか、僅かだが、敵が迫り来る。
 こんなところでくたばってたまるか──その一心で、マクシミリアンはサーベルを振った。
 剣戟が響く。振り抜くサーベルの刀身が、剣に、甲冑に、長槍パイクの穂先にぶつかり震える。
 依然として〈教会〉の十字架旗は行く手を塞ぎ、白炎の中に屹立している。だが、その戦列は確実に進退窮まっている。月盾騎士団ムーンシールズに至っては、ほとんど退却しかかっている。

 もう少し。もう一押し。その一瞬で、何かが、全てが変わる。そんな気がする。

(皇帝のクソ野郎! いつもいつもこんな汚れ仕事ばかりさせやがって! さっさと俺を英雄にしろ!)

 マクシミリアンは心の中で叫んだ。そのとき、強い北風が吹いた。

 笑い声が、大地を震わせる。矢が冬空を舞い、唸るやじりが〈教会〉の十字架旗を消し飛ばす。白炎に燃え、白炎をまとう騎馬の群れが、落ちる月盾騎士団ムーンシールズの背を蹴り飛ばす。

 また、視界に血が滲んだ。

 風が唸り、吹き荒ぶ。血を巻き上げる極彩色の風が、戦場を飛翔する──俺がずっと憧れ、ずっと追い求めたもの──強き北風ノーサーは、今まさに教会遠征軍の戦列を薙ぎ、踏み潰し、そして貫いた。
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