圏ガク!!

はなッぱち

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学生の本分

夷川清春の夏休み事情

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「残留って、お前……マジでか?」

 補習のせいで知恵熱が出た皆元は、額に湿布みたいな冷却剤を貼り付け、頭痛もあるのか顔を激しく顰めながら、部屋に帰ってきた。スバルでなくとも逃げ出したくなる圧迫感を放つ今にもぶっ倒れそうな奴に、恐いモノ知らずの狭間が、一大事とばかりにオレの夏休み残留を告げると、半分ほど閉じられていた皆元の目がクワッと見開かれる。

「ヤバイだろ、それ。残留組、殆どあっち側の奴ばっかだぞ」

 あっち側とは、向田を中心とした自称生徒会の連中だ。皆元だけでなく、由々式と狭間も更に深刻そうな顔になる。

「普段連んどるのは一人も残らんのか?」

「あぁ、誰も残らないはずだ」

 皆元の言葉を聞くや、由々式はオレに向き直り観念しろとばかりに口を開いた。

「あいつらまともじゃねーべ。このまま学校に残ったら何されるか分からん。悪い事言わんから、誰かの所に寄せてもらうべ」

 真剣な顔でオレを見る由々式には悪いが、ホイホイとそんな都合の良い相手はいないのだ。

「ごめんね、ぼくの所は難しいかも……本当にごめん」

「おれの家も無理だ。妹が居るからな」

 由々式の言葉に、申し訳なさそうに二人が答える。

「別にいいって。残留するの、今回限りじゃないし……三年間ずっと続く事だから、誰かに頼る気ねぇよ」

 二人に気にするなと言うと、もう一人にいきなり「アホか」と罵られた。

「ずっと続くなら尚更だべ。しゃーねぇ、わしの家で我慢するべ、夷川。なーんもねぇ所じゃが、ここに居るよりマシだべ」

 由々式の顔を見ると、清々しいくらい満面の笑みが浮かんでいた。

「家族の人に迷惑だろ……丸一ヶ月以上だぞ」

「そんなもん問題ねーべ。わしの所にも妹がおるけど、そんな上等なモンじゃねーから、気にすんな。まあ、家の手伝いとかさせられるっちゅーオプション付きじゃがな」

 オレが答えられずに黙ってしまうと、由々式は先生に言ってくると、止める間もなく部屋を出て行ってしまった。

「夷川、ここは由々式に甘えとけ。夏中、あいつらと鬼ごっこはしたくないだろ」

 皆元はそう言うと、畳の上にゴロンと横になり、ものの数秒で鼾を掻きだした。

「僕のクラスでも、残るのは向田君と仲のいい人ばっかりだったよ。僕も、そうした方がいいと思う」

 狭間にまでそう言われると、ようやくオレの中にも危機感が芽生えてきた。普段からスバルやコウスケらと衝突を繰り返す、自称生徒会の連中とは折り合いが悪い。と言うか、目の敵にされている自覚がある以上、そいつらと過ごす夏休みは間違いなく『鬼ごっこ』になるだろう。オレ以外、全員が鬼、捕まれば生徒会式の罰ゲームだ。

 悪寒を振り払うようにオレが頷くと、狭間も少しホッとした顔を見せた。






 全校生徒の補習が終了した日、要するに終業式前日、夏休み開始前日。その日の夕方に、キャンプ準備の最終チェックを先輩の部屋でする事になった。

 少しだけマシになったテントを丁寧に畳んで、持ち歩けるようロープで縛り終えると、夏休み前に出来る事はなくなってしまい、オレは酷く悲しい気分になる。

 明日から丸々一ヶ月の間、先輩には会えないんだと思うと堪らなくて、黙々と作業をしていたのに、それすら終わってしまうと黙るしかなくなり、先輩が気遣うような眼差しをこちらに向けてくる。それを見つめ返すと、困ったように笑われてしまった。

 きっと、自分で見てしまったら、ぶん殴りたくなるような、情けない顔をしているのだと思う。

『どこにも行かないで欲しい』

 喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、オレは椅子の上で膝を抱えて座る。先輩も自分の椅子を引っ張ってきて腰を下ろすと、膝に顔を埋めるオレの頭をいつもみたいに優しく撫でてくれた。

「セイシュン、大丈夫か?」

 弱音を吐いてもいいんだと思わせる声が聞こえて、思わず顔を上げてしまったが、優しい顔を見せてくれる先輩をこれ以上困らせたくなくて、なけなしの気力を振り絞って「大丈夫」と答える。

「誰もいないマンションで、ずっと一人で過ごすより、残留の方がマシだと思うから……別に大丈夫」

 先輩が他の人とした約束を破らせる訳にはいかない。住み込みで働くって約束を先にしているんだから。

「でも……セイシュンと仲のいい奴、殆どいないんだろ?」

「それ誰が言ったの? そんな事ねぇよ。そりゃ少ないけど、いつも連んでる奴も何人か残ってるから、変な心配しなくていいし」

 そんな良いものじゃないな。先輩に約束を破らせるのが嫌なんじゃない。その約束とオレの頼みを天秤にかけられたくないんだ。だから必死に嘘も吐く。必死に余裕だと言わんばかりに笑いもする。

 けれど虚勢だと見破られてしまっている気がする。先輩の表情が全く晴れない。どうしたらいいのか分からない、そんな表情で先輩はポケットから財布を取り出すと、中身を全部引き抜き、オレの手を取って、それを握らせようとしてきた。

「足らないかもしれないけど、これやるよ。あと、ここに残ってる物も全部好きに使っていいからな」

 先輩の全財産っぽい紙幣が、オレの手の中でグシャリと潰れる。何かしてくれようとする気持ちは嬉しい。けど、手の中の感触は受け入れがたくて、そのまま先輩の胸に叩きつけた。

「金なんていらねぇーよ! ふざけんな!」

 叩きつけた勢いで、先輩のシャツを先輩の全財産ごと掴む。飲み込んだはずの言葉が、嗚咽のように込み上げてくる。

「―――っ!」

 下唇を噛んで我慢する。強がりを通り越して、先輩を睨み付けてしまう。即座に後悔して、心の中で何度も謝った。オレのせいで、先輩が辛い思いをする必要なんてないんだ。先輩の辛そうな顔は見たくない。

「一ヶ月くらい、すぐだから。その間、ジュース禁して待ってるからさ。約束した日にちゃんと帰って来いよな」

 先輩の手に全財産をしっかり握らせて、約束したその日を思うと自然と頬や口元が緩んだ。先輩は肩を落として、すっかりしょげてしまっていたが、素直に受け取り頷いてくれた。








 蝉の大合唱を窓辺で聞きながら、校門を出ていくバスを見送る。新館が視界を遮るから、出発を知らせるクラクションと壊れそうなエンジン音が遠ざかっていく気配しか分からないが、三年を乗せたバスは行ってしまった。

 溜め息一つ吐き、腰掛けていた窓から部屋に戻る。部屋には普段見慣れない大きなスポーツバッグが四つ転がり、これから暫く住人が不在になる事を黙って見送るみたいにガランとしているように思えた。物自体は普段より多いのに、狭間がこれでもかと掃除したせいか、すっかり空き部屋の様相だ。自分のスポーツバッグを引き寄せ、それを枕代わりにして横になった。

 今日から夏休みだ。ジッとしていても汗の滲む暑さの中、オレはこれから過ごす一ヶ月を思い体が少し冷たくなった。

 先輩が戻ってくるまでの一ヶ月間、オレは一人、圏ガクで過ごさなければならない。

 由々式に色々と世話をかけたと言うのに、オレはここに残る事になった。学校以外の場所で過ごすのを両親が了承しなかったせいだ。

 由々式は最後まで教師や自分の両親に掛け合ってくれたが、その悉くを母さんは切り捨てた。教師が由々式に伝えている内容を盗み聞く限り、学校側にだけでなく、オレの滞在を勧めてくれた由々式の家族にも、母さんはヒステリーをまき散らしたらしい。母さんのありえない対応については何も言わず、オレの残留を覆せなかった事を謝る由々式の気遣いがありがたくて、本気で少し泣きそうになった。

 由々式だけじゃなく、狭間も皆元も、夏休みで浮かれていてもおかしくないのに、最後の最後までオレの事を心配してくれていた。そんな奴らに景気の悪い顔を見せる訳にはいかないだろう。オレは大丈夫だと、精一杯の虚勢を張って大人しく夏休みをやり過ごそうとしていたのだが、オレの身を案じてくれていたのは、同室の奴らだけじゃあなかった。

 普段連んでいるスバルやコウスケたちだ。なんとこいつら、残留する一年を片っ端から闇討ちしやがった。どう考えても補習で溜まったストレスを発散させたかっただけだろうが! と思わずにはいられなかったが、スバルやコウスケを責めた所で後の祭り。

 向田の取り巻き共とは、極力関わらずに大人しく過ごそうと思っていた夏休みは、始まる前から計画を変更せざるを得なくなった。やられた分を何倍にも返してやろうと目論む奴らと、一つ屋根の下なのだ。暢気に自室など戻れるはずもなく、こうして残留だと言うのにオレも荷作りをする羽目になった。

 病院送りも数名出て、頭数が減ったとは言え、残った奴らの腫れ上がった顔とすれ違う度に向けられる敵意、むしろ殺意と言った方がいいくらいのあからさまな視線を浴び続け、さすがに身の危険を肌で感じるようになったのだ。

 皆元やスバルが側に居る時は感じないが、一人になると露骨な視線を向けて来る奴らの事だ。悠長に構えていると出遅れて即ゲームオーバーだろう。抑止力になっている奴らが学校を出る時が、鬼ごっこスタートの合図、そのつもりで既に準備を完了させている。
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