『逆行。』

篠崎俊樹

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第4話。

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 翌朝九時過ぎ、ゆっくりと自分のマンションのベッドから起き上がったジミーは、眠い目を頻りに擦りながら、どうやって甘利を殺そうか、ばかり考えていた。ジョーカーを葬るには、方法論というものがある。また、手法がある。
 甘利健吾は、喰えない男だった。汚職や不祥事のオンパレード。さて、どうやって、殺してやろうか?そういった感情が頭をもたげる。統合失調症だから、頭の回転が人一倍速い。元々、精神病で孤独な彼は、思索が好きで、親類縁者とも、疎遠なのだった。どうしても、他人と意見が合わず、同じ空間にいると、息が詰まるようだ。
 マンションは、狭いワンルームだ。一人暮らしだから、わびしい。でも、それなりに、一人を楽しんでいた。実際、この物件はネットで探して、三年前に越してきた。それまで、元在籍していた私大の近くのアパートにいた。実際、ここは、精神病の患者のような、神経が繊細な人間にとって、静かで、住みやすい物件だ。
 キッチンに行き、冷蔵庫を覗き込んで、右のポケットに入っていたミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。キャップを捻って、口を付けながら、喉を潤す。実際、狭いスペースに、いろんなものが詰め込んであるから、家具類は、定期的に模様替えとか、掃除をしている。
 右手に、重三を殺した時の、生ものを掴むような、気色悪い感触が、未だ残ったままだ。清潔で、潔癖症気味のジミーにとって、毒親のデスマスクは、吐き気がするほど、汚い代物だった。また、ジミーにとって、重三はリセットしてやっても、事足りないぐらい、汚らしく、地獄のどん底に叩き落してやりたい存在だった。いわゆる、長年の虐待の跡が、くっきりと残っている。それは、永遠に消えないだろう。だから、今回、リセットを決行した。生ゴミや汚物のように汚いものを、この世から、処理してやるために。
 あの時はもちろん、憎悪という感情もあり、一思いに縊り殺して、遺体に止めの蹴りまで入れて、損壊してやってから、遺棄した。遺棄した直後から、感情というものはなくなった。それが、統合失調症だ。だが、統合失調症で、潔癖な彼からすれば、レビー小体型認知症の毒親は、最低最悪の存在だった。だから、一思いに、消してやるしかなかった。
“また、あの感触を再び味わう必要があるのか?”
 電話が鳴ったので、辺りを見渡すと、部屋の固定電話ではなく、スマホだった。ポケットから取り出して、受信ボタンを押し、出た。着信は、相方からだ。タカという男は、裏堅気的存在である以上、いつでも、電話してくる。実際、寝ている時間だって、遠慮なしに、スマホや固定電話に掛けてくるのだ。
「もしもし」
 ――ああ、ジミーか?俺だ。 
「ああ」
 ――甘利を殺す覚悟は、できてるだろうな?
「いや。……まだちょっと躊躇ってる」
 ――肉親を殺したお前ならできるよ、きっと。
 お前の言ってることは、全くフォローになってねえぞと言ってやりたくなったが、言わなかった。ジミーは、言いたいことを言わないたちなのだ。その、文学的な頭脳をもってしても、言葉を紡ぐことが上手いだけで、人との交渉は下手だ。ジミーが作家になりたいと思っていたのは、元々、書くことが好きで、パソコンオタクだからでもある。こもることが好きなのだ。内向的な性格が、そうさせていた。実際、夜、睡眠導入剤を服用した後も、彼が寝る時間は、実際、四時間ほどだ。四時間経てば、自然と目覚めて、精神安定剤で寛解する。
 タカが、また会わないかと、誘い文句を巧みに切り出したので、場所を問うと、北新宿の喫茶店バルーンに、午後七時と言ってきた。実際、分かったと言うと、裏堅気の男は、スマホ越しににやにやと笑ったらしく、不敵な笑みが漏れる息の音が聞こえる。
 電話を切った後、急に頭痛が襲ってきた。元々、頭痛持ちで、精神安定剤と一緒に、痛み止めを医師からもらっている。カロナールを飲むと、痛みが治まった。
 ここ二、三日、頭痛はしつこく続く。そんな状態が、イラつきを誘った。いい加減、きついときは寝たい。それが、ジミーの正直な感情だ。
 二〇二二年の五月で、短い春も直に終わり、輝く夏が始まろうとしている。この季節から、徐々に暑くなってくる。ジミーも、水分を多めにとって、脱水症状に備えたかった。実際、酷暑は肉体をむしばむ。東京は、季節的に、地獄の様相を呈してくる。
 ジミーは、統合失調症の既往歴があってか、何かを追い込んでいくタイプだ。そう思える。実際、裏堅気であるタカとは、タイプが違う。タカは、裏でやって回る。汚い輩だ。でも、実際、この世は闇だ。散々、そんな中で苦労してきた。毒親の重三とも、不和を起こして、殺害してから、死体を損壊し、遺棄した。当然と思え、と思っていたのも事実だ。長年、虐待を受けてきたのだから……。
 腕に嵌めていたデジタル式の防水時計を見て、五月十五日の午前九時二十八分になっていることを確かめると、買い物に行こうと思った。マンションは、大久保にある。物件の駐輪場に停めてある電動自転車に乗って、近所のスーパーと、惣菜店に行った。スーパーで生活必需品である日用雑貨を買い終えて、惣菜店で食事を買い足したジミーは、大久保の雑踏の裏手を、自転車で駆け抜けて、自宅マンションに戻ってきた。
     *
 これから一人の部屋で、ゆっくりと食事だ。若いから、食べ盛りだ。弁当や総菜は、買っている分を食べても、食べ足りない時がある。実際、私大在籍時は、もっと、腹を空かせていた。
 ふっと、重三のデスマスクが脳裏に思い浮かぶ。汚らしい顔。あの死に顔は、実にリアルで、思い出すと、吐き気すら催す。汚物より汚い。実際、ジミーは潔癖症で、汚いものが大嫌いだった。
 死ぬ間際の、重三の血走った目付きと、ギョロっとこっちを睨み付けてきた眼を、今でも忘れることができない。あれは、この世のものとは思えなかった。それぐらい、汚らしかった。そして、不気味ですらあった。一思いに忘れてしまいたい、と思っても、忘れることができない。削ぎ落ちない記憶だった。
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