陰陽絵巻お伽草子

松本きねか

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式神への思い

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十数年の年月が過ぎたある日のこと

忠保はいつものように陰陽寮で仕事を終えて帰宅しようとしていた。
その時とある人物から声をかけられた。

「忠保様」

「綾乃月殿」

忠保より5歳年下で天文道担当であり名を綾乃月雪明という。

「少しよろしいでしょうか」

その時雪明の後ろで何かが動いた。
忠保は困ったなという顔をして返事をした。

「なに?」

同じ部屋にいる光忠がピクリと反応したのを感じて、忠保はチラリと視線を向けて答えた。
忠保の息子の光忠もすでに同じように陰陽寮で仕事を共にして、修行に励んでいる。
声をかけてきたのは自分の同僚であり、ある意味弟子として一緒に仕事をしている人物だった。

「折り入ってご相談したいことがあり、この後私の家の方に来ていただきたいのですが」

「いいよ」

「ありがとうございます」

雪明はにこりと微笑むと立ち去ろうとした。
そこへ忠保がコソコソと声をかけた。

「お前さ、どうしてそんな式神を連れ歩いているの?」

雪明は式神と顔を見合わせる。

「やはり見えておりましたか?」

「当たりまえだろ、ここ数日仕事中にもフワフワフラフラしていて気が散って仕方ない」

忠保に睨みつけられて、式神は雪明の後ろにそそと隠れてしまった。

「邪魔はしないように言いつけておりますよ。今日はずっと外で待たせておきましたし」

実はその式神とは、人型、しかも若い女人の姿をしているのである。
見える人間にしか見えない存在。
姿かたちがまるで女の幽霊のような気もしてくる。
雪明の言うことを聞いたり役割を果たしたりしているような所は式神そのものではあるが。
陰陽寮にも他にそういった存在を見えるものはいるので、綾乃月殿は変な式神を連れて歩いていると噂にもなっている。

「み、光忠が、そのう、アレが…気になるって…言っていて、な…ごにょごにょ」

語尾を濁したのは言いにくさもあったのだが、

「ああ、やはり、光忠殿にも見えておりましたね、その辺りをお話差し上げたいのです」

「…ということは」

「はい、光忠殿にも来ていただきたいのです」

「分かった、光忠と後で向かう」

「忠保様、それでは後ほど」

雪明はそそくさと陰陽寮を後にした。
帰り道に式神がふわりと声をかけてきた。

『どうしてあの人達をお呼びしたのですか?』

「うん、それは、今あやめが持っている飾り紐がね…」

あやめと呼ばれた式神は手のひらを広げた。
手の中には一つの飾り紐がある。

『これ?』

「あやめ、それ、光忠殿からもらったでしょう?」

『雪明と同じに光っていた人?』

「うん、その人」

『お守りですって渡されました』

「それ精密な呪詛なのだよ」

『でも渡される時、雪明止めなかったよね』

「うん、あの方の意思は遮る事はできないから…」

『龍の神様の声、聞こえたの?』

「ごめんね」

『どうして謝るの?』

「あやめ、私はねあなたが人間になってくれればいいなってずっと龍の神様に願ってきました」

『?』

「だけどね、もしあやめが人間になったとしても、ずっと私といられることは無いのかもしれないなって」

雪明は寂しそうに微笑んだ。
あやめという式神は不安そうな顔になった。


「さて、家に着いたよ。お二人をお迎えする準備をしなければいけないね」

『あれ?』

不思議な事に先程まで手の中にあった飾り紐が跡形もなく消えていた。



それから一時間ほどして、薄暗闇の中、雪明の自宅の前で牛車が止まる音がして、忠保と光忠が松明の灯りに照らされながら現れた。

「ようこそお越しくださいました」

大きな屋敷ではないにしろ、庭付きの一軒家である。
月が見える部屋に通された二人が座につくのを見計らって、雪明も座り食事と酒がふるまわれる。
持ってきたのは人型の式神。

光忠は珍しそうにキョロキョロと視線を動かしていた。
忠保は慣れているらしく動じずに注がれた酒をチビリと舐めた。
雪明の家には使用人はいないようだった。
本人曰く日常の生活は式神で事足りるのだとか。
常人にとってはちょっとゾッとするようなもてなしである。

「光忠殿は我が家が初めてでしたね」

ニコリと笑いかけながら雪明は光忠に声をかけた。
光忠はソワソワした様子で雪明に尋ねた。

「雪明殿、厠をお借りしたいのですが」

隣に座っている忠保が視線をチラリと向ける。

「ああ、厠ね、案内させましょう」

雪明が近くにいる式神に声をかけると、光忠とその式神とで部屋から出て行った。
忠保は光忠が部屋から出て行ったのを見届けてから、口を開いた。

「話とは何だ?」

雪明は酌をしていた式神に向かってパチリっと指を鳴らした。
かき消えるように式神が消えて人型の紙がひらひらと落ちる。
月明かりが二人の影を作り出す。

「うちのをひとり、貰ってやってくれませんか?」

手酌で杯に酒を注ぎ、忠保はまたチビリと飲む。

「はあー…」

ため息交じりに視線を天井に向けて、

「何を言い出すのかと思えば、昼間のあの式神のことか?」

「はい、あれは式神であって式神にあらず」

「?」

「とある神様にお願いして私が作った式神なのです」

「何故お前が作った式神を私がもらい受けなければならないの?」

「忠保様、誤解なさらないでください」

「?」

「あれが式神ならね、私も手放したり致しませんので…」

その時光忠が一人で部屋に戻ってきた。

「父上…そろそろ帰りませんか?」

なにやら疲れた様子である。

「光忠、どうかしたのか?」

忠保は光忠の傍に寄り添う。

「ちっ」

そっと雪明が舌打ちした。

片膝をついて座り込む光忠がニヤリと口元を歪めた。

「雪明、失礼させてもらうよ」

「そうした方がよろしいですね」

「あの話は…」

「成り行きとなりましょう」

忠保が言いかけたのを遮るように雪明が答えた。


見送りながら、雪明は光忠の事をずっと睨みつけていた。

「父上、面白い事になりますよ」

肩を貸しながらそんな光忠の言葉に忠保は訳の分からない顔で牛車に乗り込んだ。


二人の客が帰った後。
雪明の屋敷では異変が起こっていた。

「あーあ、やってくれたよな」

宴とは別の奥まった部屋の入口で立ちすくむ。
中の様子は几帳も倒れ、調度も散らばっている。
部屋の奥にはあの式神、あやめが横たわっていた。
雪明には厠に立った光忠が何をするのか見当はついていた。
ただ、ここまでやるとはと軽んじていたことを後悔した。
部屋の中には見える人には見える、様々な結界がとんでもなく張り巡らされているのだった。
倒れているあやめの元に行くには数々の結界を解除していかなければならない。
ふいに耳元で小さな声がした。

『制限時間は夜明けまで…』

目の前に紙形がヒラリと落ちてきた。
光忠が残していった式神だった。

「時間制限付きとはね…いいでしょう受けてたちますよ、光忠殿」






丁度その頃、忠保と光忠は自邸に戻っていた。
帰宅するなり光忠は自室に閉じこもり、忠保は父親である憲忠の部屋に呼び出された。

「父上、お呼びでしょうか?」

憲忠は書き物をしていた手を止めた。
文机の上には矩や規、そして占いの道具が並んでいる。

「雪明の屋敷に行っていたと聞いたよ」

「はい、変な相談をされまして…」

困り顔の忠保に対して、憲忠は静かな目をむける。

「光忠がなにやら結界を張ってきたようだな、力が働いた気配を感じた」

「やはり…」

忠保はやれやれとため息をつく。
そんな忠保の様子に反して憲忠は一本の蝙蝠扇を差し出した。

「雪明が結界を全て解いた暁には…これを渡しておけよ」

「この蝙蝠扇は…」

その蝙蝠扇は、在御門家の能力者として認められる物で、漢字の『一』という文字が一文字だけ書かれている。
つまり免許皆伝の証。

「私から渡すのですか?」

納得いかない所があるのは昔のわだかまりを思い浮かべたからだった。

「雪明を引き取って陰陽師に育て上げたのはなにも私一人だけじゃない」

「父上は私にとっても雪明にとっても師匠ですが」

「私はそろそろ引退という位の年だから、次期当主であるお前が渡しなさい」

「はい」

忠保は憲忠から蝙蝠扇を受け取ると、腑に落ちない様子で顔をしかめた。
憲忠はさらに話を続けた。

「それと話して無かったと思うが…『龍』という存在は知っているね」

ぼんやりとした灯りが憲忠の顔に影を作る。

「はい、古来より伝承もありますから、それなりには」

「伝承には龍の所業しか記されてはおらんがね」

一体父上は何が言いたいのだろうかと、忠保は目線を漂わせてからまっすぐ憲忠の顔を見た。

「私が知り得たことは、龍は善行と悪行の両方起こす存在だと、調伏するにも手間がかかるとも」

「龍の性格は気難しいものだ…それなりの龍になればなるほど調伏も難しくなる」

「それなりの龍?」

「龍には力の大小によって『格』というものがある。格が高くなればなるほど龍神という存在になっていくようだ。それは式神と同じだが、丁重に接することも重要になる。ただ、龍神に気に入られると契約によっては、式と同じように後押しを得ることができる。使役するまでになるには、人間的な霊格を上げて認めてもらわないと無理だろう。そのような陰陽師は数えるほどしかおらん」

「もともと陰陽道の御祖は、赤山大明神だと小さき頃から教えて頂きました」

「世の中は何が起こるか分からない、先の怨霊騒ぎも、私が未だに挑んでいる葛白真一殿の御霊も…龍の存在がある」

「人ひとりの力では限りがある…でしょうか?」

「陰陽道の方はどうかな?」

「おかげさまで…」

「これからも先祖から引き継いだものを大切にしていって欲しい」

「はい、心得ております」



忠保は憲忠の部屋を出ると蝙蝠扇を片手に物思いにふけった。
自室に戻ってからは時が来るまで寝ずに待っていた。

『これから雪明の判定か…、あいつ、昔から天才とは聞かされてきたけど…教えてない技なんてホントに解けんのかよ』

幼少時から父に指導を受けてきた間柄ではあるが、やはりそれなりにライバル心というか納得いかない所もあったのが事実だった。
それは忠保自身が正当な継承者だと優越的に思っているからに他ならない。
雪明に対しての思いは、忠保は年を重ねている分それ程表に出しはしないが、光忠は若い分ライバル心をむき出しにするところがあって納めるのに少し困ることもあった。



ところ変わって綾乃月家。

雪明はずっと光忠の結界に挑んでいた。
かれこれ数時間はたったろうか…


一つ一つ解除していくのだが、あやめに近づいていくほど難易度が上がっていく。
しかし、解除しなければ前に進むことができない。
まるで幾重にも鍵のかけられた扉が存在するようなのである。
雪明も昔から在御門家親子からの嫉妬には気が付いていたが、生まれ持っての才能を隠して生きていけるほど器用なわけでもなかった。
特に最近は光忠からのライバル心を強く感じていた。
元々在御門家の人間は、鬼や不思議な存在を見たり感じたりする力を持って生まれてくると言われている。
しかも当主になればなるほど能力を伸ばすように育てられる。
雪明が憲忠に才能を見込まれたのは幼少の頃。
それからは養子として忠保と同じように教育を受けて育てられた。
雪明自身では自分の能力が忠保を超えているとは思ってはいない。
どこの世界でも正統な血筋というのは中々に因縁も深いものだ。
自分のようなよそ者がその血筋に入ってくるのを一番嫌がるのは、やはり次期当主としての自覚を持っている人たちだと思う。
現にあの家に入ってすぐはよく嫌がらせを受けたものだ。
それが嫌で必死で勉強し実力をつけた。
ただ、と雪明は思う。
忠保も光忠も自分の事は認めてくれているのだろうなと。
でなければとっくの昔に潰されているだろう。
師匠の憲忠は実力主義な所があって、自分の血筋の者でも実践で使えなければ切り捨てる無情な所もあった。
切り捨てるといっても道を替えさせるという意味合いでなのだが、それだけ裏稼業の調伏業務がどれだけ命と向き合っているかを思い起こさせる。
怨霊に憑りつかれて廃人同然になることだってあり得ないことではない。

『一片の躊躇が命取りになる!怨霊には同情するな!』

と、よく言われたものだ。

今目の前にある試練は、最終試験なのだろうな。
雪明は全力を尽くす思いでいた。

「まさか最後の結界がこんなに美しいものだとは思わなかったな」

今目の前にあやめが横たわっている。
その上には陰陽の印がほのかに輝きながらゆっくりと回っていた。
光忠はあの年でこの結界を作り出したのだ。
末恐ろしさと共に、在御門家の正統継承者としてのプライドも感じさせた。

雪明には明かされていない結界。
夜明けまでの時間はまだ1時間はある。
荒かった呼吸を静かにさせるべく息を整える。

頭に浮かぶイメージ、そしてそのイメージが龍の形になって漆黒の中に浮かび上がった。
自分には分かるのだ、その解除方法が、教わらずとも。

『どうするの? 雪明』

その時頭の中に同時に二つの声が響いた。
一つは闇に浮かぶ龍からのもの。
もう一つは今の今まで気が付かなかった、存在を消して部屋の入口に佇んでいる忠保であった。
忠保からの問いかけは分かっていた。
自分はその結界の解除には1時間はかかるから、ここでどうするか決めろ! という事なのだろう。
そして龍からの問いかけは、あやめの中に存在する御霊からの声でもあった。

雪明をここまで育ててくれた憲忠始め在御門家に対する思いがぐるぐると思い起こされる。
憲忠だけでなくて、忠保や光忠、在御門家の人間に恩義ももちろん感じていた。
しかし、これを解けば手に入るであろうものとは、自分の理想の思いそのものだったから。
そして同時に陰陽道を学ぶものなら誰でも手に入れたい宝物。
すぐにでも手に入れたい、そして自分にはすぐに解除できると確信していた。

雪明は自分で自分の能力を認めた。
それは忠保や光忠よりも上の力なのだということになる。
だが、と雪明は考える。


外では辺りが薄く色を取り戻しはじめていた。
満月を一日過ぎた十六夜月の光がだんだんと薄くなっていく。

『そろそろ時間だな…』

部屋の入口に佇んでいた忠保は、改めて部屋の中を見回した。
自分にはキラキラと解除された結界の破片が輝いているのが見える。
光忠も十分能力を引き継いでいるなと感じていた。
今は、自分はやるべきことをやらなければならない。

『蝙蝠扇は父上にお返ししなければならないかな…』

雪明に声をかけようとした、その時、部屋の奥で小さな光が煌めいた。
それは忠保自身がゆっくりとその解除を試みた時に見た事のある光と同じだった。
しかし、あっという間だった。

『早い…』

能力を見せつけられ目の当たりにしたのだが、
悔しさよりも驚きの方が強い。

「忠保様、いらっしゃるのでしょう」

雪明は忠保に背を向けた状態で口を開いた。
忠保も気を取り直してその背に声をかけた。

「十六夜月のためらい…か?」

「違います!」

十五夜より1時間遅れて、ためらいながら上る十六夜の月のように…
忠保はからかってみたのだ、雪明が自分の中の何かと闘って、どまどって小一時間悩んでいたのだとしたら、ハッキリ言ってそれだけの人間だったと見下してもいいと。
しかし、雪明は自分の能力をあからさまに見せつけた上に、光忠を立てて恩義として返した。

『そこまで早く結界解除が出来るのなら、1時間前にさっさとやってしまえばいいものを。わざわざ約束の時間をほんの数刻過ぎてから行うとはね…お前らしいよ…』

未だに微動だにしない雪明に対して忠保はそう思った。
烏帽子は吹っ飛んで、衣も乱れ気味で必死で取り返そうとしたのが良くわかる形相だった。

「見事だった」

忠保は持ってきた蝙蝠扇を一の文字が見えるようにパラリと広げると佇む雪明の横にそっと置いた。

「中庸、そして全てを知ること、それは始まりともなる…」

雪明が静かに呟いた。
忠保は立ったまま雪明に話しかけた。

「ただし、約束は約束だ。最善の方法を選んだ意思には敬意を表する。光忠もね、似ているところがあるよ」

雪明はうつむいて小刻みに震えていた。
忠保に話を持ち掛けた時に一度は手放す決心もした式神だった。
自然に涙が浮かぶ、悔しさと悲しさと諦めきれなかった思いと…何だか分からない感情も。

「驚かれるだろうね、きっと…」

「忠保様、時が来るまで、大切にしてください…」

忠保は雪明の前で穏やかに眠っているあやめを優しく抱き抱えた。

「宝物だと思って接するよ」

「はい」

雪明の嗚咽が聞こえるのを後にして、忠保は待たせていた牛車に乗り込んだ。
もちろん眠ったままのあやめを抱きかかえたまま。
牛車を走らせながら、忠保は帰路で思う。

『雪明の態度を見ていた手前ああは言ったけれど…』


時は少し前に遡る。

忠保が雪明の屋敷に向かおうとした時だった。
そっと光忠が部屋にやってきた。

「父上、雪明殿のアレ。私は式神でもいいので、嫁にしたいのですが」

大真面目に言うので驚いた。
いくら何でも後のち当主になる身であるのに、あんな式神なんぞを嫁にしたいなどと、正気の沙汰ではない。

「なっ、正気か光忠、あれは式神だぞ」

つい語尾が荒くなる。
それでも冷静なままの光忠。

「ああ、たぶん人間ですよ、あれ」

「人?」

「あれね、不思議で強い力を感じていたので昼間ちょっと呪詛をかけたのですよ」

「なっ、何をしたのお前」

「正体を知りたかったから…見事に破られましたけど」

光忠は悔しそうに爪をかじる。

「呪詛を破った?」

「はい、結構強力に練ったのですけどね」

「私にはたいしたことない式神にしか感じないが…」

「ま、おかげで分かったことも多かったですけど。ああ、なんなら父上の後妻にどうぞ」

忠保は急な展開に目を白黒してしまう。

「な、な、何を言うのだ」

うろたえる忠保に光忠は真剣な目を向けた。

「あれは在御門家にとって後ろ盾に必要な力です」

「?」

それじゃよろしくと、光忠は自室に帰ってしまった。

「な、なんで私が…」

訳の分からない面倒くさい思いが沸き起こるが、
父から言われた役割もこなさなければならない。

それから、忠保は腑に落ちないまま蝙蝠扇を持って雪明の元へ向かったのだった。


今腕の中にはすやすやと安心しきった顔で眠っている一人の女人がいる。
とりあえず光忠の言う通り連れ帰ってきた。

「確かに人だよな…」

人間らしい重さもある。
じゃあ昼間見たあの女の式神は一体…
雪明は『あやめ』と呼んでいたが、確かにあの式神と瓜二つだった。
その時車輪が大きな石に触れたらしく牛車が少し傾いだ。
そして腕の中のあやめもパチリと目を覚ました。

「あ…」

忠保は何て声をかけたらいいのか分からず、とりあえず腕から降ろす。
その突如、あやめが牛車から飛び降りようとした。
忠保は慌てて止める。

「帰らせていただきます!」

「ちょ…走っている牛車から飛び降りるのは危ないですからっ、いろんな意味で…」

牛車はゆっくり走っているとはいえ高さもある。
それに明け方とはいえ人気のない道を女一人で外に歩かせるのも危険なのである。

「雪明の敵の所で使われるくらいなら、飛び降りてでも帰ります!」

「だからってこんな時間に女人が外に一人でいたら危ないですから」

どうも雪明に対しての忠保の反応があやめにとっては『嫌な奴』らしく、牛車の中で暴れまくり、なだめるのが在御門邸に着くまで続いた。

「若殿、到着しました…大丈夫ですか?」

「だいじ…ない」

牛車から出てきた忠保は、衣が乱れ烏帽子はぐしゃぐしゃに、牛飼い童に心配されるほどになってしまっていた。

あやめはと言えば野生の獣のように怒っていた。
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