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伝えたい思いと契約と
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あの火龍の火災事件から三ヶ月が経った頃。
市井では、焼け跡を片付けたり、家屋を建て直し始めたりと、少しずつ復興が進められていた。
陰陽寮でも忙しい毎日が続いていた。
その最中、とある、屋敷の一室で、女人が独り天井を見つめてため息をついている。
その屋敷は、陰陽師、綾乃月雪明の自宅。
夜も遅くなっていて、隙間から月明かりが差し込んでいる。
ため息をついていた女人とは、あやめであった。
あやめをよく見ると、薄っすらと透けて向こうの壁が見える。
肉体のない霊体と同じ存在。
『はあ~』
再びため息をついた時、この屋敷の主が部屋に入ってきた。
『雪明』
「ただいま戻りました」
疲れが残る表情ではあるが、あやめに向かって二コリと微笑んだ。
『お忙しそうですね』
「そりゃあ、あの火災事件の後始末やらなんやらで…」
疲れを隠すように蝙蝠扇を取り出すと顔の前でパラリと開く。
「私はまだいい方かな…」
あやめを扇の端からチラリと見やる。
思い当たることがあって、あやめはじっと雪明を見つめていた。
既にあやめは人ではない。
雪明の式神に戻ったという訳なのである。
あやめ自身、大好きな雪明の元へ戻る事ができて、嬉しいハズだった。
なのに…
「気になりますか?」
雪明が誰の事を言っているのかも分かった。
あれから、在御門家に一度だけ行った。
その時は雪明の許可をもらって、式神として行ってきたのだ。
三人の子供達は? 在御門家の人達は?
なにより、忠保様は?
涙を流していても、皆で力を合わせて助け合っていこうと、話ているのが見えた。
その場に居るのに、式神に戻ったあやめの存在は誰一人として気が付かなかった。
『どうして? どうしてあの時雪明は、私に在御門家の人達が誰も気が付かないような術をかけたの?』
「どうしてだと思いますか?」
『…』
式神であったはずなのに、人のような心が芽生えてしまった。
あやめは、自分が人間であった時に、一緒に肉体に宿っていた三つの魂の存在を思い出した。
一つは龍様、もう一つは真一様、そして、もう一つは葵様。
雪明が龍様の力を借りて作り上げた肉人形には、元々二つの魂が入っていた。
厳密に言えば、真一様の御魂が封じられていたのだ。
それは、『あやめ』という人を生きていた時に、葵という人だった魂からの記憶が流れてきて気が付いた。
真一様と言えば、火龍となり怨霊騒ぎを起こした人物、その怨霊騒ぎの際、ある陰陽師によって、葵という人の中に封じられてしまったらしい。
そのいきさつも、本来封じるハズだった人ではなく、たまたま居合わせてしまった葵の体に入ってしまったらしいことも後で知った。
「また、戻りたいですか?」
『…』
ただ、雪明を無言で見つめているあやめに向かって、雪明は目を細めて寂しそうな微笑みを浮かべる。
「先日、在御門家に伺った時には、皆さま元気にしておりましたよ、お子様達も」
『そう…』
「ただお一人を除いては…」
あやめの肩がピクリと動く。
「今まで以上に、鬼のように仕事をなさるから、今日は私が仕事を代わって差し上げました、
まるで自分を痛めつけているようにも見えますよ、忘れようとしている様がね」
本当は雪明は心配しているのだ。
忠保様に今のあやめの存在が知られてしまったらの事を。
あの忠保様の事だから、龍様に頼んで昔の雪明のように再び『あやめ』を作り上げてしまうのではないか、と。
だから、会わせようとしない、させてくれない。
あれからずっと、あやめを結界の張ったこの部屋に閉じ込めている。
式神としても使役することもなく、ずっと。
『人としての時間が長かったせいなのかも…こんなに人のように心がざわつくなんて…』
雪明はあやめの傍に座り込んだ。
肉体の無いあやめには、触れることはできない。
「すまない、と思っているよ、人の心を持つ式神にしてしまって…
でも、忠保様の元には行かす事はできない、あなたはこの綾乃月雪明の式神なのだから」
あやめは遠い過去に思いを馳せた。
初めて雪明と出会って、契約をしたあの時を…
雪明も同じ思いだったらしく、ふふっと笑ってゴロンと横になった。
「在御門家の人達の式神には気を付けているよ、あの方々の式神は視える能力に長けているから」
あやめは透明な手で自然と雪明の頬を撫でた。
しばらく二人の間に沈黙が続く。
「あやめ…本当に人みたいだ、ね…」
肉体さえあれば、きっとまた人のような心を持った存在になれるのかもしれないな…
最後の方は聞き取れない、いつの間にか雪明は眠りの中に入ってしまった。
あやめはそんな雪明をじっと見つめていた。
市井では、焼け跡を片付けたり、家屋を建て直し始めたりと、少しずつ復興が進められていた。
陰陽寮でも忙しい毎日が続いていた。
その最中、とある、屋敷の一室で、女人が独り天井を見つめてため息をついている。
その屋敷は、陰陽師、綾乃月雪明の自宅。
夜も遅くなっていて、隙間から月明かりが差し込んでいる。
ため息をついていた女人とは、あやめであった。
あやめをよく見ると、薄っすらと透けて向こうの壁が見える。
肉体のない霊体と同じ存在。
『はあ~』
再びため息をついた時、この屋敷の主が部屋に入ってきた。
『雪明』
「ただいま戻りました」
疲れが残る表情ではあるが、あやめに向かって二コリと微笑んだ。
『お忙しそうですね』
「そりゃあ、あの火災事件の後始末やらなんやらで…」
疲れを隠すように蝙蝠扇を取り出すと顔の前でパラリと開く。
「私はまだいい方かな…」
あやめを扇の端からチラリと見やる。
思い当たることがあって、あやめはじっと雪明を見つめていた。
既にあやめは人ではない。
雪明の式神に戻ったという訳なのである。
あやめ自身、大好きな雪明の元へ戻る事ができて、嬉しいハズだった。
なのに…
「気になりますか?」
雪明が誰の事を言っているのかも分かった。
あれから、在御門家に一度だけ行った。
その時は雪明の許可をもらって、式神として行ってきたのだ。
三人の子供達は? 在御門家の人達は?
なにより、忠保様は?
涙を流していても、皆で力を合わせて助け合っていこうと、話ているのが見えた。
その場に居るのに、式神に戻ったあやめの存在は誰一人として気が付かなかった。
『どうして? どうしてあの時雪明は、私に在御門家の人達が誰も気が付かないような術をかけたの?』
「どうしてだと思いますか?」
『…』
式神であったはずなのに、人のような心が芽生えてしまった。
あやめは、自分が人間であった時に、一緒に肉体に宿っていた三つの魂の存在を思い出した。
一つは龍様、もう一つは真一様、そして、もう一つは葵様。
雪明が龍様の力を借りて作り上げた肉人形には、元々二つの魂が入っていた。
厳密に言えば、真一様の御魂が封じられていたのだ。
それは、『あやめ』という人を生きていた時に、葵という人だった魂からの記憶が流れてきて気が付いた。
真一様と言えば、火龍となり怨霊騒ぎを起こした人物、その怨霊騒ぎの際、ある陰陽師によって、葵という人の中に封じられてしまったらしい。
そのいきさつも、本来封じるハズだった人ではなく、たまたま居合わせてしまった葵の体に入ってしまったらしいことも後で知った。
「また、戻りたいですか?」
『…』
ただ、雪明を無言で見つめているあやめに向かって、雪明は目を細めて寂しそうな微笑みを浮かべる。
「先日、在御門家に伺った時には、皆さま元気にしておりましたよ、お子様達も」
『そう…』
「ただお一人を除いては…」
あやめの肩がピクリと動く。
「今まで以上に、鬼のように仕事をなさるから、今日は私が仕事を代わって差し上げました、
まるで自分を痛めつけているようにも見えますよ、忘れようとしている様がね」
本当は雪明は心配しているのだ。
忠保様に今のあやめの存在が知られてしまったらの事を。
あの忠保様の事だから、龍様に頼んで昔の雪明のように再び『あやめ』を作り上げてしまうのではないか、と。
だから、会わせようとしない、させてくれない。
あれからずっと、あやめを結界の張ったこの部屋に閉じ込めている。
式神としても使役することもなく、ずっと。
『人としての時間が長かったせいなのかも…こんなに人のように心がざわつくなんて…』
雪明はあやめの傍に座り込んだ。
肉体の無いあやめには、触れることはできない。
「すまない、と思っているよ、人の心を持つ式神にしてしまって…
でも、忠保様の元には行かす事はできない、あなたはこの綾乃月雪明の式神なのだから」
あやめは遠い過去に思いを馳せた。
初めて雪明と出会って、契約をしたあの時を…
雪明も同じ思いだったらしく、ふふっと笑ってゴロンと横になった。
「在御門家の人達の式神には気を付けているよ、あの方々の式神は視える能力に長けているから」
あやめは透明な手で自然と雪明の頬を撫でた。
しばらく二人の間に沈黙が続く。
「あやめ…本当に人みたいだ、ね…」
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最後の方は聞き取れない、いつの間にか雪明は眠りの中に入ってしまった。
あやめはそんな雪明をじっと見つめていた。
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