「紫に還る日」千年越しの贖罪と、優しい恋の始まり

睦月 真悠 (むつき まゆ)

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第6話「昔から知っている感覚」

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それは、朝倉光哉が「みずいろ堂」を三度目に訪れた、静かな午後のことだった。
店内には他の客の姿はなく、棚の間を通り抜ける春風の気配だけが静かに揺れていた。

店の奥では、遥が和綴じの古書を丁寧に手入れしていた。
入り口のベルが鳴り、顔を上げると、朝倉がゆっくりと扉を閉めていた。

「こんにちは。またお邪魔してしまいました」

「先生……こんにちは」

遥の表情が、ほんのわずかに和らぐ。

今日の朝倉は、先日とは打って変わって、穏やかな空気をまとっていた。

「こちら、先生が探しておられた注釈の初版本とそれに似た資料が見つかったので、お取り置きしておきました」

「これは……ありがとうございます。状態も素晴らしいですね」

本を手にした朝倉の瞳が、輝きを帯びる。

「こうして実際に拝見すると、こちらの店は本当に目利きですね。
 質の良い本が、丁寧に揃えられている。……正直、驚いています。ここは、ちょっとした宝箱のようだ。」

遥は照れたように笑った。

「そんな大したことは……でも、気に入っていただけたなら、うれしいです」

「はい。……実は、今後も文献を探す機会が増えそうでして。
 もし差し支えなければ、何かあった時にご連絡できるよう、連絡先を交換させていただけませんか?」

遥は少し驚いたように瞬きをしたが、すぐに頷いた。
「もちろん。」

朝倉が連絡先を書いた名刺を差し出し、遥も控えめにスマートフォンを手にした。

お互いに名前と番号とメールアドレスを打ち込み、確認の着信音がふたつ重なった。

「いつでもご相談ください。私の方でも先生のお役に立てそうな本を探しておきますね」

「ありがとうございます。
 ……でも、正直なところ、理由はそれだけではなかったのかもしれません」

「え?」

朝倉は店内を見渡しながら、言った。

「このお店の雰囲気はとても落ち着きますね。
 こういう空気の中にいると、時間が巻き戻るような気がします。」

「巻き戻る……?」

「そしてあなたと話していると、いつもどこか、懐かしい気持ちになります。昔から知っているような感覚を覚える。」

その言葉に遥は一瞬、呼吸を止めた。

朝倉もそれに気づいたのか、そこで言葉を切った。  二人の間に、静かな沈黙が落ちる。

静かな店内に、また風が通り抜けた。

「あなたは?
あなたは、僕を見て、僕と話していて、そういう感覚になることはありませんか?


遥の肩が、ほんのわずかに揺れた。

「いえ。」一言そう言うと、黙って、彼の目を見つめる。
その瞳の奥にある“問い”に気づいていながら、それを拾わない。

朝倉もただ、黙って、遥の目を見つめ返した。

(やっぱり……君も、覚えているんじゃないのか?)

(それでもなぜ、何も言わない? なぜ気づかないふりをする?)

言葉にできない焦りが、胸を締めつけた。

けれど、今はまだ、踏み込んではいけない気がして。

「……すみません。変なことを聞いてしまいました」

朝倉はそれ以上何も言わず、ただ静かにその場を後にした。

遥はその背中を見送ってから、ひとりごとのように呟いた。
「……気づいていたのね。でも何も言わないでいてくれて、ありがとう。今世では、ただの“客と古書店の店主”の関係で終わらせたいの。」

第7話に続く
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