【完結】改稿版 ベビー・アレルギー

キツナ月。

文字の大きさ
78 / 130
幕間

或る女の犯行計画2

しおりを挟む
 「今回は厳重注意にしときますがねぇ。
 困るんですよ、こういうことは」

 女は、少なくともこの店では初犯のようだった。
 反抗的な様子も見られない。

 いささか冷静すぎるように見えなくもないが……元々こういう女なのか。
 と、彼は訝しんだ。

 「迎えに来れる人はいます?
 旦那は?」
 
 まったく。
 こんなに可愛い赤ん坊がいるってのに、何が満たされないんだ?

 彼は、先程はチラリとしか目をくれなかった赤ん坊を覗き込んだ。

 「……」


 待てよ?
 この子、何処かで──。


 「あぁあッ!」

 彼は仰天した。
 椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。

 直後、女の頰に一筋の涙が光った。


 ***


 女は天涯孤独だった。

 親しい友はいない。
 それで良かった。

 誰も信じない。
 物心ついた頃から虐げられてきた女の心は、分厚い氷で閉ざされていた。

 ある時期、恋人と呼べる男が存在したことがある。
 やがて女の金が目当てであったことが露見すると、男は悪びれもせず去って行った。

 これといって感情は動かなかった。
 強いて言えば、事務上の不備をチェックし終えた時の感覚に似ていた。



 きっかけは、一着のベビー服だった。
 ある日の帰り道、駅に直結した地下街。
 いつもは足早に素通りする雑踏の中で、それを見つけた。

 白地に赤のパイピング。
 おどけた顔で玉乗りをするゾウのイラストが、細かく散りばめられている。

 女にはそれが、特別な物に思えた。


 「小さい……」


 女は、この小さな服に袖を通すであろう者の温もりを想像する。

 弱々しい。
 でも温かい。

 この世でいちばん純粋で、いちばん罪のない存在。

 「贈り物ですか?」

 にこやかな女性店員が声をかけてくる。

 「いえ。自宅用で」

 女は、いつになく微笑んでいた。



 それからだった。小さな服を集めることが心の安らぎになった。
 服だけでは飽き足らず、玩具や食器なども探して回るようになった。
 いつもひとつだけ、気に入った物を買った。

 使い道はない。
 それで良かった。買った物を見ていると幸せになれるのだ。

 やっぱり、女の子がいいかな──。

 しかし、女は気がついた。
 帰っても女を待つ家族はいない。
 暗い部屋に、使われないままの品物が積まれていく。
 心が安らぐのは、ほんの一時だけなのだ。


 あの時、あの服を手に取ったばかりに。
 ほんの少し、望みを抱いてしまったばかりに。

 生きているのが嫌になった。
 仕事も辞めた。
 この先、餓死しようとどうなろうと構わない。

 自分がいなくても社会は回る。

 人一人の存在など、ちっぽけなものだ。
 どうしてもっと早く楽になろうとしなかったのか。
 女は苦笑した。

 ほどなくして、女の姿は街から消えた。



 九月二十七日。
 女が立ち入ったのは、とあるショッピングセンターであった。


 「遅くなって悪かったって。
 仕方ないじゃん、買い忘れがあったんだから」

 ある女性が、せかせかと通り過ぎて行く。
 彼女が押すのは、今どき珍しい旧式の乳母車だ。
 カゴの部分に大きな紙袋が二つ乗っている。

 赤ちゃんに語りかけるにしては、ちょっと変わっていると思った。
 しかし、それはそれで懸命さが伝わるというか、微笑ましくもある。

 時刻は正午近く。
 売り場内の客はまばらだ。

 時期的に秋冬物が出始めている。
 無心に商品を見て回っていると、客も店員もいない、ちょっと寂しいスペースに行き当たった。
 大人の背丈ほどの陳列棚には、小さな靴下や帽子などが所狭しと吊り下げられている。


 棚の反対側に人の気配がした。
 商品を選ぶ振りをしながら、さり気なく移動して様子を窺う。

 女性が帽子を選んでいた。片手をベビーカーに添えている。
 母親なんだ。

 女は、その若い母親の満ち足りた表情に圧倒された。
 幼い頃から心に秘めていた疑問を、もう一度思い起こさずにはいられない。
 とっくの昔に諦めたことを。


 世の中は、何故こんなに不公平なんだろう。


 母親は、夢見るような目で帽子を選んでいる。
 色違いやサイズの確認に熱中するあまり、周囲が見えていないようだ。

 母親の手がベビーカーから離れる。
 女は、嘲るように口の端を持ち上げた。

 そうよね。
 あなたは、そんなにたくさん幸せじゃなくて良い。

 熱に浮かされたように、女は足を前に出した。

 だって、幸せが流れ出てる。そこら中に。
 ねえ。勿体無いじゃない。

 あなたに引きかえ、このうつわはどうだろう。
 汚れてひび割れて。
 ずっと、この亀裂から零れ出る泥混じりの雨水すら惜しむような日々を送ってきた。

 なのに。
 あなたはそうやって、平気で幸せを振り撒いていく。



 ねえ。勿体無いじゃない──。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ユニークアイテムな女子(絶対的替えの効かない、唯一無二の彼女)「ゆにかの」

masuta
キャラ文芸
恋と友情、そして命を懸けた決断。青春は止まらない。 世界を股にかける財閥の御曹司・嘉位は、U-15日本代表として世界一を経験した天才投手。 しかし、ある理由で野球を捨て、超エリート進学校・和井田学園へ進学する。 入学式の日、偶然ぶつかった少女・香織。 彼女は、嘉位にとって“絶対的替えの効かない、唯一無二の存在”だった。 香織は、八重の親友。 そして八重は、時に未来を暗示する不思議な夢を見る少女。 その夢が、やがて物語を大きく動かしていく。 ゴールデンウィーク、八重の見た夢は、未曾有の大災害を告げていた。 偶然か、必然か……命を守るために立ち上がる。 「誰も欠けさせない」という信念を胸に走り続ける。 やがて災害を未然に防ぎ、再びグラウンドへと導く。 その中で、恋もまた静かに進んでいく。 「ずっと、君が好きだった」告白の言葉が、災害と勝負を越えた心を震わせる。 それぞれの想いが交錯し、群像劇は加速する。 一人ひとりが主人公。人生に脇役はいない。 現代ファンタジーとリアルが交錯する青春群像劇。 本作は小説家になろう、オリジナル作品のフルリメイク版です。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...