79 / 130
幕間
或る女の犯行計画3
しおりを挟む
女は素早く、そして力強くベビーカーを掴んだ。
気づかれた時の言い訳は一応考えてある。
ごめんなさい、この下にある商品を見たくて。
母親は気づかなかった。
ベビーカーは、ツルツルに磨かれたフロアを音もなく滑らかに進んだ。
赤ちゃんは大人しいままだ。
無我夢中で進んだら偶然エレベーターに行き当たり、タイミングを計ったように扉が開いた。
乗ったのは女だけだった。
行き当たりばったりで降りたのは食料品のフロアだ。
ここまで来てしまったら、用意していた言い訳はもう通じない。
気が逸る。
女はとにかく出口へ向かった。
突然の喧騒と人波に押し流される。
菓子のタイムセールだ。
その混乱に乗じて、女はついに目立つことなく外へ出た。
外へ出て初めて、ベビーカーに乗っているのが可愛い女の子だと知った。
女は歩き続けた。遠い。
でも、絶対に成し遂げる。
あと少しで、望んでいた幸せが確実に手に入るのだ。
赤ちゃんは、ベビーカーの振動に揺られて初めは眠っていたが、あと少しのところでむずかって泣き出した。
あと少し。あと少し──。
それは想像していたよりも、ずっと温かかった。
女は、腕の中で懸命にミルクを飲む赤ちゃんへ愛おしげな眼差しを向ける。
あの時、一歩を踏み出して本当に良かった。
たくさんの偶然が味方してくれた。
偶然?
違う。
女は思った。運命だと。
神様が贈り物をくれたのだと。
もう、生きることを辞めようなんて思ったりしない。
何があっても守ってあげる。
そうして。
たくさんたくさん、幸せにしてあげる──。
その後の生活は容易いものだった。
この街は、女が以前住んでいた街によく似ている。
人が、街全体が女を包み隠してくれた。
もう、隣町の遠いショッピングセンターへ行くこともない。
ベビーカーを押して歩けば、どこから見ても普通の母娘だ。
そんなありふれた光景を、誰も気に留めることはなかった。
***
十一月初旬、早朝。
ある病院が、極秘裏に警察関係者を招き入れた。
他の入院患者に気づかれないよう、病棟からいちばん離れたカウセリングルームが用意される。
部屋には既に、幾人かの待ち人があった。
行方不明になっている岩崎梨奈ちゃんの家族だ。
心労が重なり、母親がこの病院に入院している。
警察関係者が、とある赤ちゃんと家族を引き合わせた。
梨奈ちゃんにそっくりだ。
しかし。
色めき立つ岩崎家の面々の中で、母親だけが表情を変えなかった。
母親は窶れた身体をシャンと伸ばし、真っ直ぐ赤ちゃんを見つめて言った。
「違う。梨奈じゃない」
と──。
気づかれた時の言い訳は一応考えてある。
ごめんなさい、この下にある商品を見たくて。
母親は気づかなかった。
ベビーカーは、ツルツルに磨かれたフロアを音もなく滑らかに進んだ。
赤ちゃんは大人しいままだ。
無我夢中で進んだら偶然エレベーターに行き当たり、タイミングを計ったように扉が開いた。
乗ったのは女だけだった。
行き当たりばったりで降りたのは食料品のフロアだ。
ここまで来てしまったら、用意していた言い訳はもう通じない。
気が逸る。
女はとにかく出口へ向かった。
突然の喧騒と人波に押し流される。
菓子のタイムセールだ。
その混乱に乗じて、女はついに目立つことなく外へ出た。
外へ出て初めて、ベビーカーに乗っているのが可愛い女の子だと知った。
女は歩き続けた。遠い。
でも、絶対に成し遂げる。
あと少しで、望んでいた幸せが確実に手に入るのだ。
赤ちゃんは、ベビーカーの振動に揺られて初めは眠っていたが、あと少しのところでむずかって泣き出した。
あと少し。あと少し──。
それは想像していたよりも、ずっと温かかった。
女は、腕の中で懸命にミルクを飲む赤ちゃんへ愛おしげな眼差しを向ける。
あの時、一歩を踏み出して本当に良かった。
たくさんの偶然が味方してくれた。
偶然?
違う。
女は思った。運命だと。
神様が贈り物をくれたのだと。
もう、生きることを辞めようなんて思ったりしない。
何があっても守ってあげる。
そうして。
たくさんたくさん、幸せにしてあげる──。
その後の生活は容易いものだった。
この街は、女が以前住んでいた街によく似ている。
人が、街全体が女を包み隠してくれた。
もう、隣町の遠いショッピングセンターへ行くこともない。
ベビーカーを押して歩けば、どこから見ても普通の母娘だ。
そんなありふれた光景を、誰も気に留めることはなかった。
***
十一月初旬、早朝。
ある病院が、極秘裏に警察関係者を招き入れた。
他の入院患者に気づかれないよう、病棟からいちばん離れたカウセリングルームが用意される。
部屋には既に、幾人かの待ち人があった。
行方不明になっている岩崎梨奈ちゃんの家族だ。
心労が重なり、母親がこの病院に入院している。
警察関係者が、とある赤ちゃんと家族を引き合わせた。
梨奈ちゃんにそっくりだ。
しかし。
色めき立つ岩崎家の面々の中で、母親だけが表情を変えなかった。
母親は窶れた身体をシャンと伸ばし、真っ直ぐ赤ちゃんを見つめて言った。
「違う。梨奈じゃない」
と──。
0
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユニークアイテムな女子(絶対的替えの効かない、唯一無二の彼女)「ゆにかの」
masuta
キャラ文芸
恋と友情、そして命を懸けた決断。青春は止まらない。
世界を股にかける財閥の御曹司・嘉位は、U-15日本代表として世界一を経験した天才投手。
しかし、ある理由で野球を捨て、超エリート進学校・和井田学園へ進学する。
入学式の日、偶然ぶつかった少女・香織。
彼女は、嘉位にとって“絶対的替えの効かない、唯一無二の存在”だった。
香織は、八重の親友。
そして八重は、時に未来を暗示する不思議な夢を見る少女。
その夢が、やがて物語を大きく動かしていく。
ゴールデンウィーク、八重の見た夢は、未曾有の大災害を告げていた。
偶然か、必然か……命を守るために立ち上がる。
「誰も欠けさせない」という信念を胸に走り続ける。
やがて災害を未然に防ぎ、再びグラウンドへと導く。
その中で、恋もまた静かに進んでいく。
「ずっと、君が好きだった」告白の言葉が、災害と勝負を越えた心を震わせる。
それぞれの想いが交錯し、群像劇は加速する。
一人ひとりが主人公。人生に脇役はいない。
現代ファンタジーとリアルが交錯する青春群像劇。
本作は小説家になろう、オリジナル作品のフルリメイク版です。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる