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第八章 大雪のなかで
しおりを挟むリアは『Lucia』を持ってスタッフルームから出た。蓮は店内の内装を熱心に写真におさめていた。リアは、静かに蓮の背後へと進んだ。
彼女は、蓮が二ページ目に書き込んだ最後の行を、確認するように、そっと口に出した。
「When you finally notice this page, I’m certain your eyes will be on me.」
蓮のカメラを持つ手が、ゆっくりと下がった。彼は振り返り、リアを見た。
「読んだんですね」
蓮はそう言って、感情を消すことなくリアを見つめた。
リアは蓮の瞳に映る自分の姿を見た。その瞳の中の自分は、今にも泣きそうだった。
「……これを書いて、私にどうしたかったの? 私を憐れみたいの? こんな変な状態に生まれて、かわいそうですねって」
リアは、涙を流した。それは、自分が抱える孤独に蓮が共鳴してくれたことへの喜びではなく、この唯一理解者であろうとしてくれる蓮に向かって、素直になれない自分への怒りだった。
「憐れみとか、そういう意味で書いてないんだけど……」
蓮は動けずにいた。目の前にいる、核心を突かれたことで感情を爆発させたリアを、衝動的に抱きしめたかった。しかし、抱きしめたら、きっと誤解される。彼女の傷に触れ、憐れみだと断罪されるだろう。
「……もう、取材はいいでしょう。私、あなたといるとおかしくなるの。リアでもロウでもない、違う自分が出てくるみたいで嫌なの。……今日はもう帰って」
リアは、逃げるように入り口に目をやった。蓮もそれにつられて入り口を見る。入り口近くの窓ガラスは、吹雪によって白く覆われ始めていた。
「電車動いてるか調べますね」
蓮はそう言ってスマホを取り出し、運行状況を調べた。電車は既に止まっており、道路も渋滞で、一部は大雪のため閉鎖されているらしかった。
「電車……動いてた?」
リアは、不安に駆られ、蓮のスマホを覗き込んだ。その拍子に、リアは一瞬バランスを崩し、次の瞬間、腰に腕を回され、そっと蓮に抱き寄せられていた。
蓮は、理性を超えた衝動に突き動かされていた。
「……動いてませんよ」
蓮は、リアの耳元で囁いた。
「え、あ、いや、今あなた動いたじゃない、こうやって私を抱き寄せて」
リアは混乱していた。
「違う。電車が動いてないってこと」
蓮に抱き寄せられ、リアは何も言えなかった。心臓の鼓動が耳元でうるさく鳴り響いている。リアはなんとか平静を装おうとしたが、顔が火照って、思考が停止しそうだった。
蓮は、そんなリアを見て、頭の中がパニックと歓喜で溢れていた。可愛い。とにかく可愛い。とりあえず衝動的に抱き寄せてみたけれど、こんなにも純粋な反応が見れるなんて思ってもいなかった。
しかし、蓮には一つの疑問が浮かんだ。
「俺に抱き寄せられて、こんなに焦ってて、可愛い……なのに、『恋』を感じたりはしないんですか? ほら、サウナのときみたいに」
ロウに戻らないのはなぜか? それは、蓮にとってルシアが自分と同じ特異体質を持つという認識から来る、純粋な疑問だった。
「今、生理だから……ロウには戻れない」
リアは、絞り出すように答えた。
「なるほど。……生物学上は女性なんですね」
蓮はそう言うと、リアから離れ、窓から外の雪景色を眺めた。
「これは……積もりそうですね」
「……どうするの? 積もらないうちに帰る?」リアは、微かな期待を抱きながら尋ねた。
「もう帰れないですね。……リアさんは?」
「私も、帰れない」
リアはため息を漏らす。こんなことになるなんて。でも、この隔離された状況は、もしかしたら聞きたかったことを聞けるチャンスかもしれない。
「……ストーブ、つけようか」
リアは閉店作業で消してしまった石油ストーブのスイッチを押した。それは、ここで二人きりで一晩を明かすことの覚悟だった。リアはストーブの近くに座り込む。温かい風が足に当たった。
「……リアさん、隣いいですか」
蓮も隣に座り込む。二人の間には、拳一個分ほどの距離が空いた。その距離感が、かえって緊張を深める。
しばらく、沈黙が続いた。ストーブの稼働音と、外の吹雪の音しか聞こえない。コーヒーでもいれようかとリアが立ち上がろうとした瞬間、蓮は口を開いた。
「……リアさんは可愛いですね」
「ちょっと、い、いきなり何?」
リアは立ち上がれず、もう一度その場に腰掛けた。顔が熱い。
「教えてくれませんか? どうして性別を変えられるのか、今まで、どうやって生きてきたのか。これは取材じゃないんで、俺が知りたいだけです」
蓮は、そっとリアの手を取り、軽く握った。その温かさに、リアは冷たい態度など取れなかった。
「……わかった。なぜ性別が変えられるのかは、私もわからない。16歳の誕生日に、私は突然男の姿になった。男になり、昨日まで女の私がいた世界はなくなり、男の私がいる世界に変わってた。親も、友達も、それが当たり前のように接してきて、怖かった」
リアがそう打ち明けると、蓮はリアから目を逸らした。
同じだ。16歳の誕生日に初めて変化が起きる――そんなところまで同じだ。蓮は、目の前にいるリアが、自分と全く同じ、世界の孤独を受け入れてきたんだと思うと、手を握る力がさらに強くなった。
「……わかってくれる?」
リアは涙目で蓮の顔を覗いた。蓮は目を伏せている。やっぱり、信じてもらえないのかな。
「……わかります。その日から、リアさん、いや、『ルシア』さんは、男の姿と女の姿を使い分けてきたわけですね」
「そう。……すごく非科学的だから、理解できないと思うけど、そうなの」
「わかりますよ。それがどんなに苦しいか、どんなに孤独か。……ルシアさんのこと、もっと知りたい」
蓮は心の震えが止まらなかった。ルシアのことは、自分と同じ「同類」だと思って、それに興味が湧いているのだと思っていた。でもなんだか違う。蓮は単純に、目の前の彼女のことが知りたかった。そして、これがきっと『恋』なのだと、蓮にはわかった。
リアは、蓮に全てを打ち明けるのは怖いと思った。恐れられ、拒絶されるかもしれない。しかし、それでもいいと思った。すべてを話し、蓮に嫌われてもいい。多分、蓮は私のすべてを知ったところで拒絶はしないだろうという深い安心感もあった。
リアは、もう片方の手も、握っている蓮の手にそっと重ねた。彼が、彼女の世界の全てを知る、唯一の人間になることを許した瞬間だった。
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