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1巻
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「理由がわからないことが理由です。あなたは悪くありません……なんて、思ってもいないことを言うつもりはないので、優しい言葉は期待なさらないでください」
そこまで言ってなお本当に理由がわからないのか、彼は私の目をじっと見つめている。
瞳を潤ませる彼は捨てられた子犬のようで、私が悪いのではと思えてくる。
本音を言えば、そんなに大事ならクリスティ様と婚約すればいいと言ってしまいたい。
それを言わないのは、これ以上惨めになりたくないからだ。
「カインを責めるのは筋違いではなくて?」
そこに口を挟んだのは、クリスティ様だった。
あのクリスティ様が、自分が悪いと思ってカイン様を庇う……
「そもそも、あなたに魅力がないのがいけないのでしょう? カインにとって私と一緒にいるほうが幸せだっただけよ。あなたにカインを責める資格なんてないわ」
……はずがなかった。
全ては私の責任だと言いたいようだ。
カイン様と違って、彼女は私が婚約解消を望んだ理由をちゃんとわかっている。
その分、タチが悪い。
「俺は、そうは思わないけどね。人の優しさを利用して自分の都合のいいように使っていたんだろ。自分が一番じゃないと気の済まない王女様のわがままのせいで、一人の女性が傷ついたということだと思うけど?」
レイビス様の口調が変わった。けれど、そんなことはどうでもよかった。
誰も私の気持ちなんて理解してくれないと思っていたけれど、レイビス様のおかげで少しだけ救われた気がした。
「レイビス様……そんな言い方、ひどいです! どうしてそのようなことを……うぅ……」
クリスティ様は両手で顔を覆って泣き出し、カイン様に抱きつく。
その姿を見ていると、カイン様の気持ちが少しだけ理解できた。こんな風に縋られては放っておけないだろう。優しいカイン様なら、なおさらだ。
私も彼女のように甘えられていたら、少しは違ったのだろうか。
「クリスティ……泣かないで。僕はそんな風に思っていないから」
婚約解消を突きつけられてショックを受けていたはずなのに、もう自分のことよりクリスティ様を優先する彼の姿を見て悟った。
誰にでも優しい男性は、もうこりごりだ、と。
「カイン様、後日正式に婚約解消の手続きをいたします。では、これで失礼しますね」
スッキリしたからか、最後に最高の笑顔を向けることができた。
ようやく彼の前で、心から笑うことができたのだ。
「セリーナ!? 待ってくれ!」
言葉だけで、追いかけようとはしない。こんな状況でもカイン様はクリスティ様を選んだ。
そんなカイン様に、未練などこれっぽっちもない。
講堂から出て寮に戻ろうと歩いていると、知らない間に涙がこぼれていた。
「ふふっ……」
泣いているのか、笑っているのか……今の私はぐちゃぐちゃな顔をしているだろう。
未練ではない。今までの辛い思いから解放されて、一気に気持ちが溢れ出したのだ。
けれど、あんな人でもやっぱり好きだった。
寮の部屋に戻ると、メーガンがいつものようになにも聞かずにお茶を出してくれた。ソファーに座り、お茶を一口飲む。
「……美味しい」
学園の卒業と同時に、私たちは結婚するはずだった。
二年我慢したのは、お父様が彼を気に入っていたことも理由の一つだ。あと一年、卒業まで我慢すれば……とも思ったけれど、たとえ結婚したところで問題が解決するわけではない。
結婚しても、彼はクリスティ様を優先するだろう。何年も、何十年も我慢することに耐えられる自信はなかった。
「お父様に、手紙を書くわ」
婚約解消のことを、お父様に伝えなければならない。
しかも嫌な噂が広まっているから、今後良い相手に恵まれるとは思えない。
私が六歳の時にお母様が亡くなり、お父様は再婚もせずに一人で私と五歳年下の弟のサミュエルを育ててくれた。
そのお父様にこんなことを伝えなくてはならないことが、悲しい。
第二章 私は自由
起きると、いつもの朝だった。朝の柔らかい光が窓から射し込んで、小鳥がちゅんちゅん鳴いている。
私の心中とは大違いの清々しい朝。大きく息を吸って吐く。いつまでも引きずるつもりはない。
昨日までとは、もう違う。
これからまたカイン様がクリスティ様と一緒にいるところを見ても、私よりクリスティ様を優先している……と思い悩む必要はない。あの苦しさから解放されたのだ。
今日から私は、自由だ。
これまでは服装も、彼の好みに合わせて地味なものばかりだった。あまり他の人に顔を見せてほしくないと言われ、目が隠れるくらいまで前髪を伸ばした。化粧が好きじゃないと言われ、彼と婚約してから五年間、ほとんどしていない。
パーティーの時でさえ薄く口紅を塗るだけだった。けれどカイン様に従う必要のなくなった今は違う。お洒落したいし、化粧もしたい。
「メーガン、お願い。とびっきり可愛くして!」
「お任せください!」
今までやりがいがなかったせいか、メーガンは張り切っていた。前髪を切り、腰まで伸びた銀色の髪を梳かし、眉を整える。そして化粧をしただけで、鏡に映る姿が自分ではないように思える。
「セリーナ様の肌は雪のように真っ白なので、お化粧がよく映えます。長いまつ毛に大きな紅い瞳。こんな素敵なものを隠すなんて、もったいないと思っておりました。セリーナ様、うっとりするほどお美しいですよ」
さすがに褒めすぎだと思う。けれど容姿を褒められるのは、素直に嬉しい。
「ありがとう、メーガン」
前髪が短くなったからか、視界が明るい。
生まれ変わったような気分だった。いつもと同じ制服だけど、全てが違って見える。
寮を出て校舎へ向かう。寮は学園の敷地内にあり、校舎までは歩いて十分ほどの距離だ。
学園までの道を歩いていると、他の生徒たちが私を見てこそこそとなにかを言い合っていた。なにを話しているのかは遠くて聞こえないけれど、きっとまた悪口だろう。
視線を向けることなく歩いていると、誰かがこちらに向かって歩いてきた。
……カイン様だった。
「セリーナ、話し合おう」
朝から会いたくない人に会った。カイン様が私に話しかけたことが不満なのか、また周りの生徒たちがざわめきはじめる。
「あそこにいらっしゃるのって、カイン様と……」
「嘘、セリーナ様!?」
「一体どういうこと……?」
私たちを見て、驚いている。そういえば、こんなに大勢の生徒たちの前でカイン様が話しかけてきたのは初めてだ。
私とカイン様が一緒にいるのが、そんなにおかしいのだろうか。
「話し合う時間なら、いくらでもあったではありませんか。それを無駄にしてきたのはあなたです。今さら話し合うことなどありません」
そのまま通り過ぎようとすると、手首を掴まれた。
「セリーナ、僕は君を愛しているんだ!」
愛している――カイン様にそう言われたのは、婚約してから初めてのことだった。
あれほど欲しかった言葉なのに、今はもう心に響かない。
「愛してる? 私はあなたに、もう興味はありません。私は心が狭いのでカイン様を許すことはできません。離してください」
私は本当に心が狭かったようだ。いつか彼にそう言われたことを、ずっと忘れられなかった。
「君は、拗ねているだけだろう? クリスティのことを気にしているなら、そんな必要はない。彼女はただの幼馴染だと何度も言ったはずだ」
カイン様が言い訳をすればするほど、彼への気持ちが冷めていく。
手を振り払おうとしたけれど、私の手首を掴む力は強くなるばかりだ。どうしたらいいのか戸惑っていると……
「しつこい男は嫌われるよ?」
呆れ顔のレイビス様が私の隣に立っていた。
「あなたには関係ないでしょう!」
カイン様が、鋭い目つきでレイビス様を睨みつける。
いつも穏やかな彼のこんな顔を見たのは初めてだ。声も、いつもより低く感じる。
「君には王女様がいるだろう? 何年も彼女を優先して婚約者を蔑ろにしておきながら、今さら愛してる? 笑わせてくれるね。その手、離しなよ」
カイン様の腕を、レイビス様が掴む。カイン様はゆっくり私の手首を離した。
どうしてレイビス様は、私たちのことをこんなに詳しく知っているのだろう?
「……セリーナ、すまなかった。君ならわかってくれると思っていたんだ。君を蔑ろにしたつもりなんかないし、クリスティを優先したつもりもない。君は僕にとって特別だ」
それが彼の本心だというのなら、私たちは一生わかりあえない。
私はただ、そばにいてほしかった。けれど、彼は私と過ごす時間よりクリスティ様との時間を選んできた。その自覚さえないのだから、なにを言っても無駄だ。
「この二年間、私がどんな気持ちでいたかわかりますか? 私はすでに、カイン様を忘れました。カイン様も、私のことは忘れてください」
ショックを受けて泣きそうになっているカイン様を置き去りにして歩き出す。そっと後ろを見やると、心配した女子生徒たちがカイン様を取り囲んでいた。
「彼女たち、男を見る目がないね~」
なぜか、レイビス様が私の隣を歩いていた。
「先ほどは助けてくださり、ありがとうございました。あの……ずっと気になっていたのですが、レイビス様は一体何者なのですか? 初めてお会いした時とは、まるで印象が違います」
ハンカチを何時間も一緒に探してくれた時はとても紳士的だったけれど、今は話し方も仕草も軽そうに見える。
どちらが本当のレイビス様なのだろう。
それに、クリスティ様はチヤホヤしてくれる相手にしか媚を売らないし、自分から関わろうともしない。昨日あんなに辛辣な態度を取っていたレイビス様に、クリスティ様がわざわざ自分から声をかけていたのが不思議だった。
「ああ、そうか。自己紹介がまだだったね。俺はグランディ王国第二王子のレイビス・グランディ。先日から、このグルダ王国へ留学に来たんだ。卒業までこっちにいる予定だから、転入生だと思ってくれていい」
グランディ王国……クリスティ様が婚約していたシオン様は、グランディ王国の王太子だった。
第二王子ということは、今の王太子ということになる。だからクリスティ様はレイビス様に近づきたくて、一緒にいた私を不快に思ったのかと納得した。
「レイビス殿下は、どうして私とカイン様のことについてお詳しいのですか?」
レイビス様は私の耳元に顔を寄せ、「君に、興味があるから」と言った。あまりに顔が近くて、ドキッとする。
「からかうのは、おやめください。本当の理由を教えてください」
からかわれているとわかっていても、こんなに男性と顔を近づけたのは初めてで、戸惑ってしまう。今私は、顔が赤くなっているに違いない。
「残念、バレたか。殿下はやめてくれ。レイビスでいい」
軽い調子で言いながら、レイビス様はそっと私から離れる。ホッと胸を撫で下ろし、話の続きを聞こうとして彼の顔を見た。
「兄が亡くなり、第二王子である俺が王太子になって、クリスティとの婚約話が出たんだ。俺は彼女と婚約なんてしたくないから、色々調べさせた。で、カインのことや君のことを知った。嫌だと言ったのに、父は諦めていないんだろうね。クリスティのいるこの学園に無理やり留学させられてしまった」
クリスティ様の本性に気づいているレイビス様なら、婚約なんてしたくないと思うのも納得だ。
「それは災難でしたね。では、私はこれで失礼いたします」
親切にしていただいたレイビス様には悪いけれど、もうクリスティ様に関わりたくはない。彼と話していたら、クリスティ様に恨まれそうだ。
「逃げる気? 俺たち同じクラスだから、よろしくね」
笑顔が怖い。関わりたくないと思っていることがバレバレだったようだ。
同じクラス……クラスはAクラスからEクラスまであるというのに、カイン様とクリスティ様だけでなく、レイビス様まで一緒だなんて。平穏な学園生活は送れそうもない。
ようやく自分を取り戻すことができたというのに、前途多難なようだ。
教室に入ると、皆の視線を感じた。見られるのも噂されるのもいつものこと。気にはならないけれど、今日はなんだか様子がおかしい。
「誰?」
「このクラスに、あんな美しい生徒なんていたか?」
すぐにレイビス様のことだとわかった。彼から距離を取りながら、席につく。
「転入生に、もう少し優しくしてくれない?」
「申し訳ないのですが、美形の方と関わるのは遠慮したいので」
青みがかった黒髪に藍色の瞳。形のいい鼻や口。同じ美形でもカイン様は幼さの残る可愛らしい顔立ちだったのに対して、レイビス様は大人びている。
どうやら私は、美形恐怖症になったらしい。
「俺を美形だと思ってくれるのは嬉しいけど、周りの生徒たちが言っているのは君のことだと思うよ?」
なにを言っているのだろう。そう思って周りを見渡すと……
「もしかして、セリーナ様なの!?」
「あんなに地味だったのに……」
「婚約解消したなら、チャンスかもしれない!」
あれ? 本当に、私のことだったの?
確かに、メーガンには可愛くしてほしいと頼んだけれど、前髪を切って化粧しただけでこんなにも反応が変わるもの……?
「セリーナ嬢! つ、次の夜会は、僕と一緒に行きませんか!?」
今まで私をバカにしていた男子生徒が緊張しながら誘ってきた。それに続くように……
「いや、僕とご一緒してください!」
「抜け駆けするな! 僕とお願いします!」
他のクラスの生徒まで誘いに来ていた。昨日まで私のことを散々悪く言っていたのに、あっさり手のひらを返すこの人たちに呆れてしまう。
これは、無視しよう。
視線を窓の外に向けて、完全に無視をする。
「横顔も可愛い……」
無視しているのに、彼らはまったく動じていないようだ。
「もうやめてください! もうすぐ授業が始まります。席に戻ってください」
「怒った顔も、可愛い!」
なぜそうなるのか……こんな扱いを受けたことなんて一度もない私には、この状況をどうしたらいいのかわからない。
「レイビス様、助けてくださいよ」
私が困っているのを見て、なぜかくすくす笑っているレイビス様に助けを求める。
仲良くしないと決めたくせに、調子がいいことは百も承知だ。けれど、それほど困り果てていたのだ。
「はーい、皆聞いてー! 悪いけど、セリーナ嬢と夜会に行く約束をしてるのは俺だから、諦めてね~」
確かに助けを求めたけれど、な……なんてことを言ってしまったの!?
「……仕方ないか。レイビス殿下がお相手では勝ち目がない」
「諦めるしかないか……」
レイビス様の一言で、男子生徒たちはすごすごと自分の教室や席に戻っていく。
グランディ王国は、大国だ。このグルダ王国とは比べ物にならないほどの力を持つ。友好関係を結んでいるとはいえ、敵に回したらひとたまりもない。
男子生徒たちが諦めてくれたことは助かったけれど、今度は女子生徒の目が怖い。
このことをクリスティ様が知ったらと思うと、平穏な学園生活なんて到底無理そうだ。
授業が始まる直前にカイン様が教室に到着したけれど、クリスティ様はまだ来ていない。
そういえば、カイン様は毎日クリスティ様を迎えに行っていたのに、今日は一人だった。まさかクリスティ様は、カイン様が迎えに来るのを待っているのだろうか……?
一時間目の授業が終わっても、クリスティ様は姿を現さなかった。
そして二時間目が始まった頃、教室のドアが開いた。
「遅れて申し訳ありません……」
ドアのほうに皆の視線が集まり、クリスティ様が中に入ってくる。
「遅刻なんて珍しいですね。どうなさったのですか?」
先生に尋ねられたクリスティ様は暗い顔をしながら「なんでもございませんわ……申し訳ありません……」と理由を言わずに席についた。これではまるで、なにかあったから心配してと言っているようなものだ。
「クリスティ様、なにかあったのですか?」
「話してください! 私たち、クリスティ様の味方です」
授業中だというのに、クリスティ様の取り巻きが心配そうに声をかける。その反応を待っていたとばかりに、クリスティ様は顔を両手で覆って泣き出した。
「皆、ありがとう。私のことは、気にしないで」
泣き止んだと思ったら、今度は悲しげな表情を浮かべて物思いにふける。そんなクリスティ様に、カイン様が声をかけた。
「クリスティ、どうしたんだ? なにかあったのか?」
他の人とは視線も合わせなかったクリスティ様が、カイン様の目を見つめて瞳を潤ませる。
それでいてチラチラとレイビス様のほうへ視線を送っているところを見ると、心配させたかったのは彼のほうなのだろう。
そのレイビス様はというと、クリスティ様に興味がないのか頬杖をつきながら窓の外を見ている。
先生はクリスティ様の様子にあたふたして、授業は進みそうにない。
「朝起きたら、部屋のドアの下にこの手紙が挟んであったの……」
クリスティ様は震える手でカイン様に手紙を差し出した。タイミングよく涙が頬を伝う。まるで演劇を見ているようで、感心してしまった。
「……これは、なにかの間違いでは?」
手紙に目を通したカイン様は、低い声で呟いた。なにが書かれているのかはわからないけれど、怒っているようにも、悲しそうにも見える。
「カインなら、誰が書いたものかわかるでしょう?」
その言葉を聞いて、カイン様が私のほうを見た。そして、こちらに向かって歩いてくる。
彼はバンッと勢いよく私の机の上に手紙を置いた。
手紙を見ると、クリスティ様を脅すような言葉とともに、カイン様を返せと記されている。
なぜか、私の文字で……
「セリーナ、言いたいことはあるか?」
私はこんなもの書いていないし、クリスティ様に送ってもいない。それに、カイン様とやり直すつもりもない。
けれど、他の人が見たら私が書いたのだと誤解してもおかしくない内容だ。文字を真似されたと言ったところで、私を信じてくれる人なんていない。先ほど私を夜会に誘っていた男子生徒たちも、私に怪訝そうな目を向けている。
「知らないと言ったら、私を信じるのですか?」
カイン様は、なにも答えずに下を向いていた。
信じるとはっきり言えないのは、信じていないことの証拠だ。彼と別れたのは正解だったと確信した。
「そんなの、いくらでも偽造できるよ。セリーナ嬢はそんなことしない。そもそも、セリーナ嬢から婚約解消したのに、なんで今さらそんな手紙を出す?」
誰も信じるはずがないと諦めていたのに、まだ出会って間もないレイビス様が、私を信じてくれた。
クリスティ様が嫌いなだけかもしれないけれど、一人でも自分を信じてくれているのだとわかると、それだけで胸が熱くなった。
「確かに、自ら婚約解消を告げたのに、カインを返せというのはおかしいな」
レイビス様の言葉で、教室の空気が変わる。
「それに、その手紙の内容……よく読むとクリスティを悪く言っているようで、実は褒めてない? 脅す相手を褒めたりなんて、普通はしないと思うけど。そういえば、クリスティの侍女は文字を真似るのが得意だと聞いたな」
レイビス様に言われて、改めて手紙の内容を読み返してみた。
『美しくてなんでも持っているクリスティ様に、カイン様は必要ないと思います。カイン様を返していただけないのなら、綺麗すぎるそのお顔が傷つくことになります』
「これ、褒めているな……」
「まさか、クリスティ様が自分で侍女に書かせたのか……?」
皆が一斉に、クリスティ様の顔を見る。
「私は被害者なのに、なぜそんな目で見るの? 皆ひどいわ!」
クリスティ様がまた泣き出して、取り巻きや先生がオタオタしながら慰めている。
「君も災難だね。わがままな王女様に目をつけられて」
レイビス様はそう言ったけれど、事の発端はレイビス様だと思う。昨日、私がレイビス様と話していたことがクリスティ様のカンに障ったのだろう。
「また助けてくださり、ありがとうございました」
助けてもらったのは事実だ。素っ気ないお礼になったけれど、感謝はしている。
けれど、あまり関わりたくないという気持ちは変わらない。
はあ……と、深い溜め息をつくと、カイン様が私の頭に手を乗せて軽くポンポンと叩いた。
「君がこんなことをするはずないと、僕は信じていたよ」
目を細めて微笑んでいる彼の手を思いきり振り払い、睨みつける。
『信じていた』なんて、どの口が言っているのか……
「平気で嘘までつくようになったのですね」
自分の見る目のなさにも、落ち込んだ。一目惚れではあったけれど、中身も好きだったはずだから。
「嘘じゃない! 僕のこと、信じてほしい」
この人の、なにを信じろというのだろうか。
散々約束を破って、私がどんな思いをしていたかも考えなかった彼のことを、信じるなんてできるはずがない。
「そうだ! 次の夜会は一緒に出席しよう! 昨日のドレス、すごく似合っていた。香水も、僕の好きな香りを選んでくれたんだろう? 次の夜会用のドレスは僕がプレゼントするよ!」
どうして今さら……としか、言いようがない。ドレスにも、香水にも気づいていたなんて。
そんなことを今さら言われても、彼への想いは消え去っている。
「……先約があるので。申し訳ありません」
レイビス様に言われたことを、利用させてもらった。皆の前であんなにはっきり言ったのだから、レイビス様と夜会に出席することになるだろう。
だから、嘘は言っていない。
「そうか……わかった……」
明らかに悲しそうな表情で肩を落としながら自分の席に戻っていくカイン様。
今まで散々私との約束を破ってきたのに、あんなに傷ついた顔をするのはずるい気がする。抱かなくてもいい罪悪感を、抱いてしまう。
クラスの生徒ほとんどが、手紙のことを忘れてクリスティ様を元気づけようと必死になっていた。結局、カイン様もそれに加わった。
クリスティ様には、お兄様が二人いる。二人のお兄様に甘やかされて育ったからか、自分の思い通りにならないと泣き出してしまう。
可愛らしくて守ってあげたくなる気持ちはわからなくはないけれど、他人の婚約者を我が物顔で独占していたクリスティ様を、好きになることはできそうにない。
結局、『クリスティ様は悪くない』ということで落ち着いた。
王女様を責めることなんて、誰にもできはしない。
そこまで言ってなお本当に理由がわからないのか、彼は私の目をじっと見つめている。
瞳を潤ませる彼は捨てられた子犬のようで、私が悪いのではと思えてくる。
本音を言えば、そんなに大事ならクリスティ様と婚約すればいいと言ってしまいたい。
それを言わないのは、これ以上惨めになりたくないからだ。
「カインを責めるのは筋違いではなくて?」
そこに口を挟んだのは、クリスティ様だった。
あのクリスティ様が、自分が悪いと思ってカイン様を庇う……
「そもそも、あなたに魅力がないのがいけないのでしょう? カインにとって私と一緒にいるほうが幸せだっただけよ。あなたにカインを責める資格なんてないわ」
……はずがなかった。
全ては私の責任だと言いたいようだ。
カイン様と違って、彼女は私が婚約解消を望んだ理由をちゃんとわかっている。
その分、タチが悪い。
「俺は、そうは思わないけどね。人の優しさを利用して自分の都合のいいように使っていたんだろ。自分が一番じゃないと気の済まない王女様のわがままのせいで、一人の女性が傷ついたということだと思うけど?」
レイビス様の口調が変わった。けれど、そんなことはどうでもよかった。
誰も私の気持ちなんて理解してくれないと思っていたけれど、レイビス様のおかげで少しだけ救われた気がした。
「レイビス様……そんな言い方、ひどいです! どうしてそのようなことを……うぅ……」
クリスティ様は両手で顔を覆って泣き出し、カイン様に抱きつく。
その姿を見ていると、カイン様の気持ちが少しだけ理解できた。こんな風に縋られては放っておけないだろう。優しいカイン様なら、なおさらだ。
私も彼女のように甘えられていたら、少しは違ったのだろうか。
「クリスティ……泣かないで。僕はそんな風に思っていないから」
婚約解消を突きつけられてショックを受けていたはずなのに、もう自分のことよりクリスティ様を優先する彼の姿を見て悟った。
誰にでも優しい男性は、もうこりごりだ、と。
「カイン様、後日正式に婚約解消の手続きをいたします。では、これで失礼しますね」
スッキリしたからか、最後に最高の笑顔を向けることができた。
ようやく彼の前で、心から笑うことができたのだ。
「セリーナ!? 待ってくれ!」
言葉だけで、追いかけようとはしない。こんな状況でもカイン様はクリスティ様を選んだ。
そんなカイン様に、未練などこれっぽっちもない。
講堂から出て寮に戻ろうと歩いていると、知らない間に涙がこぼれていた。
「ふふっ……」
泣いているのか、笑っているのか……今の私はぐちゃぐちゃな顔をしているだろう。
未練ではない。今までの辛い思いから解放されて、一気に気持ちが溢れ出したのだ。
けれど、あんな人でもやっぱり好きだった。
寮の部屋に戻ると、メーガンがいつものようになにも聞かずにお茶を出してくれた。ソファーに座り、お茶を一口飲む。
「……美味しい」
学園の卒業と同時に、私たちは結婚するはずだった。
二年我慢したのは、お父様が彼を気に入っていたことも理由の一つだ。あと一年、卒業まで我慢すれば……とも思ったけれど、たとえ結婚したところで問題が解決するわけではない。
結婚しても、彼はクリスティ様を優先するだろう。何年も、何十年も我慢することに耐えられる自信はなかった。
「お父様に、手紙を書くわ」
婚約解消のことを、お父様に伝えなければならない。
しかも嫌な噂が広まっているから、今後良い相手に恵まれるとは思えない。
私が六歳の時にお母様が亡くなり、お父様は再婚もせずに一人で私と五歳年下の弟のサミュエルを育ててくれた。
そのお父様にこんなことを伝えなくてはならないことが、悲しい。
第二章 私は自由
起きると、いつもの朝だった。朝の柔らかい光が窓から射し込んで、小鳥がちゅんちゅん鳴いている。
私の心中とは大違いの清々しい朝。大きく息を吸って吐く。いつまでも引きずるつもりはない。
昨日までとは、もう違う。
これからまたカイン様がクリスティ様と一緒にいるところを見ても、私よりクリスティ様を優先している……と思い悩む必要はない。あの苦しさから解放されたのだ。
今日から私は、自由だ。
これまでは服装も、彼の好みに合わせて地味なものばかりだった。あまり他の人に顔を見せてほしくないと言われ、目が隠れるくらいまで前髪を伸ばした。化粧が好きじゃないと言われ、彼と婚約してから五年間、ほとんどしていない。
パーティーの時でさえ薄く口紅を塗るだけだった。けれどカイン様に従う必要のなくなった今は違う。お洒落したいし、化粧もしたい。
「メーガン、お願い。とびっきり可愛くして!」
「お任せください!」
今までやりがいがなかったせいか、メーガンは張り切っていた。前髪を切り、腰まで伸びた銀色の髪を梳かし、眉を整える。そして化粧をしただけで、鏡に映る姿が自分ではないように思える。
「セリーナ様の肌は雪のように真っ白なので、お化粧がよく映えます。長いまつ毛に大きな紅い瞳。こんな素敵なものを隠すなんて、もったいないと思っておりました。セリーナ様、うっとりするほどお美しいですよ」
さすがに褒めすぎだと思う。けれど容姿を褒められるのは、素直に嬉しい。
「ありがとう、メーガン」
前髪が短くなったからか、視界が明るい。
生まれ変わったような気分だった。いつもと同じ制服だけど、全てが違って見える。
寮を出て校舎へ向かう。寮は学園の敷地内にあり、校舎までは歩いて十分ほどの距離だ。
学園までの道を歩いていると、他の生徒たちが私を見てこそこそとなにかを言い合っていた。なにを話しているのかは遠くて聞こえないけれど、きっとまた悪口だろう。
視線を向けることなく歩いていると、誰かがこちらに向かって歩いてきた。
……カイン様だった。
「セリーナ、話し合おう」
朝から会いたくない人に会った。カイン様が私に話しかけたことが不満なのか、また周りの生徒たちがざわめきはじめる。
「あそこにいらっしゃるのって、カイン様と……」
「嘘、セリーナ様!?」
「一体どういうこと……?」
私たちを見て、驚いている。そういえば、こんなに大勢の生徒たちの前でカイン様が話しかけてきたのは初めてだ。
私とカイン様が一緒にいるのが、そんなにおかしいのだろうか。
「話し合う時間なら、いくらでもあったではありませんか。それを無駄にしてきたのはあなたです。今さら話し合うことなどありません」
そのまま通り過ぎようとすると、手首を掴まれた。
「セリーナ、僕は君を愛しているんだ!」
愛している――カイン様にそう言われたのは、婚約してから初めてのことだった。
あれほど欲しかった言葉なのに、今はもう心に響かない。
「愛してる? 私はあなたに、もう興味はありません。私は心が狭いのでカイン様を許すことはできません。離してください」
私は本当に心が狭かったようだ。いつか彼にそう言われたことを、ずっと忘れられなかった。
「君は、拗ねているだけだろう? クリスティのことを気にしているなら、そんな必要はない。彼女はただの幼馴染だと何度も言ったはずだ」
カイン様が言い訳をすればするほど、彼への気持ちが冷めていく。
手を振り払おうとしたけれど、私の手首を掴む力は強くなるばかりだ。どうしたらいいのか戸惑っていると……
「しつこい男は嫌われるよ?」
呆れ顔のレイビス様が私の隣に立っていた。
「あなたには関係ないでしょう!」
カイン様が、鋭い目つきでレイビス様を睨みつける。
いつも穏やかな彼のこんな顔を見たのは初めてだ。声も、いつもより低く感じる。
「君には王女様がいるだろう? 何年も彼女を優先して婚約者を蔑ろにしておきながら、今さら愛してる? 笑わせてくれるね。その手、離しなよ」
カイン様の腕を、レイビス様が掴む。カイン様はゆっくり私の手首を離した。
どうしてレイビス様は、私たちのことをこんなに詳しく知っているのだろう?
「……セリーナ、すまなかった。君ならわかってくれると思っていたんだ。君を蔑ろにしたつもりなんかないし、クリスティを優先したつもりもない。君は僕にとって特別だ」
それが彼の本心だというのなら、私たちは一生わかりあえない。
私はただ、そばにいてほしかった。けれど、彼は私と過ごす時間よりクリスティ様との時間を選んできた。その自覚さえないのだから、なにを言っても無駄だ。
「この二年間、私がどんな気持ちでいたかわかりますか? 私はすでに、カイン様を忘れました。カイン様も、私のことは忘れてください」
ショックを受けて泣きそうになっているカイン様を置き去りにして歩き出す。そっと後ろを見やると、心配した女子生徒たちがカイン様を取り囲んでいた。
「彼女たち、男を見る目がないね~」
なぜか、レイビス様が私の隣を歩いていた。
「先ほどは助けてくださり、ありがとうございました。あの……ずっと気になっていたのですが、レイビス様は一体何者なのですか? 初めてお会いした時とは、まるで印象が違います」
ハンカチを何時間も一緒に探してくれた時はとても紳士的だったけれど、今は話し方も仕草も軽そうに見える。
どちらが本当のレイビス様なのだろう。
それに、クリスティ様はチヤホヤしてくれる相手にしか媚を売らないし、自分から関わろうともしない。昨日あんなに辛辣な態度を取っていたレイビス様に、クリスティ様がわざわざ自分から声をかけていたのが不思議だった。
「ああ、そうか。自己紹介がまだだったね。俺はグランディ王国第二王子のレイビス・グランディ。先日から、このグルダ王国へ留学に来たんだ。卒業までこっちにいる予定だから、転入生だと思ってくれていい」
グランディ王国……クリスティ様が婚約していたシオン様は、グランディ王国の王太子だった。
第二王子ということは、今の王太子ということになる。だからクリスティ様はレイビス様に近づきたくて、一緒にいた私を不快に思ったのかと納得した。
「レイビス殿下は、どうして私とカイン様のことについてお詳しいのですか?」
レイビス様は私の耳元に顔を寄せ、「君に、興味があるから」と言った。あまりに顔が近くて、ドキッとする。
「からかうのは、おやめください。本当の理由を教えてください」
からかわれているとわかっていても、こんなに男性と顔を近づけたのは初めてで、戸惑ってしまう。今私は、顔が赤くなっているに違いない。
「残念、バレたか。殿下はやめてくれ。レイビスでいい」
軽い調子で言いながら、レイビス様はそっと私から離れる。ホッと胸を撫で下ろし、話の続きを聞こうとして彼の顔を見た。
「兄が亡くなり、第二王子である俺が王太子になって、クリスティとの婚約話が出たんだ。俺は彼女と婚約なんてしたくないから、色々調べさせた。で、カインのことや君のことを知った。嫌だと言ったのに、父は諦めていないんだろうね。クリスティのいるこの学園に無理やり留学させられてしまった」
クリスティ様の本性に気づいているレイビス様なら、婚約なんてしたくないと思うのも納得だ。
「それは災難でしたね。では、私はこれで失礼いたします」
親切にしていただいたレイビス様には悪いけれど、もうクリスティ様に関わりたくはない。彼と話していたら、クリスティ様に恨まれそうだ。
「逃げる気? 俺たち同じクラスだから、よろしくね」
笑顔が怖い。関わりたくないと思っていることがバレバレだったようだ。
同じクラス……クラスはAクラスからEクラスまであるというのに、カイン様とクリスティ様だけでなく、レイビス様まで一緒だなんて。平穏な学園生活は送れそうもない。
ようやく自分を取り戻すことができたというのに、前途多難なようだ。
教室に入ると、皆の視線を感じた。見られるのも噂されるのもいつものこと。気にはならないけれど、今日はなんだか様子がおかしい。
「誰?」
「このクラスに、あんな美しい生徒なんていたか?」
すぐにレイビス様のことだとわかった。彼から距離を取りながら、席につく。
「転入生に、もう少し優しくしてくれない?」
「申し訳ないのですが、美形の方と関わるのは遠慮したいので」
青みがかった黒髪に藍色の瞳。形のいい鼻や口。同じ美形でもカイン様は幼さの残る可愛らしい顔立ちだったのに対して、レイビス様は大人びている。
どうやら私は、美形恐怖症になったらしい。
「俺を美形だと思ってくれるのは嬉しいけど、周りの生徒たちが言っているのは君のことだと思うよ?」
なにを言っているのだろう。そう思って周りを見渡すと……
「もしかして、セリーナ様なの!?」
「あんなに地味だったのに……」
「婚約解消したなら、チャンスかもしれない!」
あれ? 本当に、私のことだったの?
確かに、メーガンには可愛くしてほしいと頼んだけれど、前髪を切って化粧しただけでこんなにも反応が変わるもの……?
「セリーナ嬢! つ、次の夜会は、僕と一緒に行きませんか!?」
今まで私をバカにしていた男子生徒が緊張しながら誘ってきた。それに続くように……
「いや、僕とご一緒してください!」
「抜け駆けするな! 僕とお願いします!」
他のクラスの生徒まで誘いに来ていた。昨日まで私のことを散々悪く言っていたのに、あっさり手のひらを返すこの人たちに呆れてしまう。
これは、無視しよう。
視線を窓の外に向けて、完全に無視をする。
「横顔も可愛い……」
無視しているのに、彼らはまったく動じていないようだ。
「もうやめてください! もうすぐ授業が始まります。席に戻ってください」
「怒った顔も、可愛い!」
なぜそうなるのか……こんな扱いを受けたことなんて一度もない私には、この状況をどうしたらいいのかわからない。
「レイビス様、助けてくださいよ」
私が困っているのを見て、なぜかくすくす笑っているレイビス様に助けを求める。
仲良くしないと決めたくせに、調子がいいことは百も承知だ。けれど、それほど困り果てていたのだ。
「はーい、皆聞いてー! 悪いけど、セリーナ嬢と夜会に行く約束をしてるのは俺だから、諦めてね~」
確かに助けを求めたけれど、な……なんてことを言ってしまったの!?
「……仕方ないか。レイビス殿下がお相手では勝ち目がない」
「諦めるしかないか……」
レイビス様の一言で、男子生徒たちはすごすごと自分の教室や席に戻っていく。
グランディ王国は、大国だ。このグルダ王国とは比べ物にならないほどの力を持つ。友好関係を結んでいるとはいえ、敵に回したらひとたまりもない。
男子生徒たちが諦めてくれたことは助かったけれど、今度は女子生徒の目が怖い。
このことをクリスティ様が知ったらと思うと、平穏な学園生活なんて到底無理そうだ。
授業が始まる直前にカイン様が教室に到着したけれど、クリスティ様はまだ来ていない。
そういえば、カイン様は毎日クリスティ様を迎えに行っていたのに、今日は一人だった。まさかクリスティ様は、カイン様が迎えに来るのを待っているのだろうか……?
一時間目の授業が終わっても、クリスティ様は姿を現さなかった。
そして二時間目が始まった頃、教室のドアが開いた。
「遅れて申し訳ありません……」
ドアのほうに皆の視線が集まり、クリスティ様が中に入ってくる。
「遅刻なんて珍しいですね。どうなさったのですか?」
先生に尋ねられたクリスティ様は暗い顔をしながら「なんでもございませんわ……申し訳ありません……」と理由を言わずに席についた。これではまるで、なにかあったから心配してと言っているようなものだ。
「クリスティ様、なにかあったのですか?」
「話してください! 私たち、クリスティ様の味方です」
授業中だというのに、クリスティ様の取り巻きが心配そうに声をかける。その反応を待っていたとばかりに、クリスティ様は顔を両手で覆って泣き出した。
「皆、ありがとう。私のことは、気にしないで」
泣き止んだと思ったら、今度は悲しげな表情を浮かべて物思いにふける。そんなクリスティ様に、カイン様が声をかけた。
「クリスティ、どうしたんだ? なにかあったのか?」
他の人とは視線も合わせなかったクリスティ様が、カイン様の目を見つめて瞳を潤ませる。
それでいてチラチラとレイビス様のほうへ視線を送っているところを見ると、心配させたかったのは彼のほうなのだろう。
そのレイビス様はというと、クリスティ様に興味がないのか頬杖をつきながら窓の外を見ている。
先生はクリスティ様の様子にあたふたして、授業は進みそうにない。
「朝起きたら、部屋のドアの下にこの手紙が挟んであったの……」
クリスティ様は震える手でカイン様に手紙を差し出した。タイミングよく涙が頬を伝う。まるで演劇を見ているようで、感心してしまった。
「……これは、なにかの間違いでは?」
手紙に目を通したカイン様は、低い声で呟いた。なにが書かれているのかはわからないけれど、怒っているようにも、悲しそうにも見える。
「カインなら、誰が書いたものかわかるでしょう?」
その言葉を聞いて、カイン様が私のほうを見た。そして、こちらに向かって歩いてくる。
彼はバンッと勢いよく私の机の上に手紙を置いた。
手紙を見ると、クリスティ様を脅すような言葉とともに、カイン様を返せと記されている。
なぜか、私の文字で……
「セリーナ、言いたいことはあるか?」
私はこんなもの書いていないし、クリスティ様に送ってもいない。それに、カイン様とやり直すつもりもない。
けれど、他の人が見たら私が書いたのだと誤解してもおかしくない内容だ。文字を真似されたと言ったところで、私を信じてくれる人なんていない。先ほど私を夜会に誘っていた男子生徒たちも、私に怪訝そうな目を向けている。
「知らないと言ったら、私を信じるのですか?」
カイン様は、なにも答えずに下を向いていた。
信じるとはっきり言えないのは、信じていないことの証拠だ。彼と別れたのは正解だったと確信した。
「そんなの、いくらでも偽造できるよ。セリーナ嬢はそんなことしない。そもそも、セリーナ嬢から婚約解消したのに、なんで今さらそんな手紙を出す?」
誰も信じるはずがないと諦めていたのに、まだ出会って間もないレイビス様が、私を信じてくれた。
クリスティ様が嫌いなだけかもしれないけれど、一人でも自分を信じてくれているのだとわかると、それだけで胸が熱くなった。
「確かに、自ら婚約解消を告げたのに、カインを返せというのはおかしいな」
レイビス様の言葉で、教室の空気が変わる。
「それに、その手紙の内容……よく読むとクリスティを悪く言っているようで、実は褒めてない? 脅す相手を褒めたりなんて、普通はしないと思うけど。そういえば、クリスティの侍女は文字を真似るのが得意だと聞いたな」
レイビス様に言われて、改めて手紙の内容を読み返してみた。
『美しくてなんでも持っているクリスティ様に、カイン様は必要ないと思います。カイン様を返していただけないのなら、綺麗すぎるそのお顔が傷つくことになります』
「これ、褒めているな……」
「まさか、クリスティ様が自分で侍女に書かせたのか……?」
皆が一斉に、クリスティ様の顔を見る。
「私は被害者なのに、なぜそんな目で見るの? 皆ひどいわ!」
クリスティ様がまた泣き出して、取り巻きや先生がオタオタしながら慰めている。
「君も災難だね。わがままな王女様に目をつけられて」
レイビス様はそう言ったけれど、事の発端はレイビス様だと思う。昨日、私がレイビス様と話していたことがクリスティ様のカンに障ったのだろう。
「また助けてくださり、ありがとうございました」
助けてもらったのは事実だ。素っ気ないお礼になったけれど、感謝はしている。
けれど、あまり関わりたくないという気持ちは変わらない。
はあ……と、深い溜め息をつくと、カイン様が私の頭に手を乗せて軽くポンポンと叩いた。
「君がこんなことをするはずないと、僕は信じていたよ」
目を細めて微笑んでいる彼の手を思いきり振り払い、睨みつける。
『信じていた』なんて、どの口が言っているのか……
「平気で嘘までつくようになったのですね」
自分の見る目のなさにも、落ち込んだ。一目惚れではあったけれど、中身も好きだったはずだから。
「嘘じゃない! 僕のこと、信じてほしい」
この人の、なにを信じろというのだろうか。
散々約束を破って、私がどんな思いをしていたかも考えなかった彼のことを、信じるなんてできるはずがない。
「そうだ! 次の夜会は一緒に出席しよう! 昨日のドレス、すごく似合っていた。香水も、僕の好きな香りを選んでくれたんだろう? 次の夜会用のドレスは僕がプレゼントするよ!」
どうして今さら……としか、言いようがない。ドレスにも、香水にも気づいていたなんて。
そんなことを今さら言われても、彼への想いは消え去っている。
「……先約があるので。申し訳ありません」
レイビス様に言われたことを、利用させてもらった。皆の前であんなにはっきり言ったのだから、レイビス様と夜会に出席することになるだろう。
だから、嘘は言っていない。
「そうか……わかった……」
明らかに悲しそうな表情で肩を落としながら自分の席に戻っていくカイン様。
今まで散々私との約束を破ってきたのに、あんなに傷ついた顔をするのはずるい気がする。抱かなくてもいい罪悪感を、抱いてしまう。
クラスの生徒ほとんどが、手紙のことを忘れてクリスティ様を元気づけようと必死になっていた。結局、カイン様もそれに加わった。
クリスティ様には、お兄様が二人いる。二人のお兄様に甘やかされて育ったからか、自分の思い通りにならないと泣き出してしまう。
可愛らしくて守ってあげたくなる気持ちはわからなくはないけれど、他人の婚約者を我が物顔で独占していたクリスティ様を、好きになることはできそうにない。
結局、『クリスティ様は悪くない』ということで落ち着いた。
王女様を責めることなんて、誰にもできはしない。
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