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3.リックの計略
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ピエールは、来なかった。
その事実は、四人を打ちのめした。
とりわけフィリップの喪失感は、計り知れなかった。
幼いころから、可愛がってくれた。
アルカンスィエルの手狭な屋敷での、母子二人の寂しい幼少期、器用な手で、よく木工のおもちゃを作って、フィリップを慰めてくれた。
空気のように、傍にいるのが、当たり前の存在だった。
フィリップ様、フィリップ様・・・。
少ししわがれた、穏やかなあの声が、もう二度と聞けないとは。
フィリップは、自分を責めた。
守ってやれなかった。
「お兄様、大丈夫?」
ベッドに腰かけて、頭を抱えるフィリップの肩に、アンジェラがそっと手を置いた。
そのアンジェラの眼も、赤くなっていた。
そうだ、私にはアンジェラがいる。
アンジェラだけは、何としても守り抜かなければ。
「大丈夫だ」
フィリップは、自分の肩に置かれたアンジェラの手に、自分の手を重ねた。
何て一日だ。
リックは、乱暴にフォークを皿の上に置いた。
セルマが見ていたら、小言が飛んで来そうだった。
リックは、ノックスのタヴァン、サニーの食堂にいた。
食堂は、まずまずの混み具合だった。
そして、リックは丸一日ぶりに、食事にありついた。
念願の、魚のフライと、ビールだった。
サニーのフライの味も悪くなかったが、バッカスのアダムの揚げるフライの方が、味は数段上だった。
サニーで合流した後、リックは、ピエールが撃たれて死んだことを告げた。
皆一様に、言葉を失っていた。
特に、フィリップの落ち込みが、ひどかった。
ずっと、部屋にこもりきりだった。
まあ、無理もない。
真面目な男のようだし、しばらくは立ち直れないかもしれないな。
リックはそう思った。
今夜は、ノックスのタヴァン、サニーに泊ることにした。
ノックスは、ウッドフィールドへ向かう道とは間逆の道を、数時間行ったところにある、フォルティスの中堅の街だった。
ウッドフィールドへと向かう道は、今頃、敵が血眼になって、フィリップを探していることだろう。
しかし、もう夜だ。
時間的にも、今夜中に、ノックスまで敵の手が及ぶとは、考えにくい。
よその国に来て、大勢の人数で動いているとも思えない。
多くても、四人か、五人・・・。
ミルフェアストリートで、銃を撃ったのも、想定外だったはずだ。
フィリップを殺るなら、できるだけ静かに始末したいところだろう。
話が大きくなれば、フォルティスと、グラディウスの外交問題に発展しかねない。
ミルフェアストリートが、あれからどうなったか、知るべくもなかったが、人がひとり死んでいるわけだから、警察も動き出すに違いない。
奴らも、これからは、目立った動きをしにくくなるはずだ。
ピエールのことは、フランクにまかせるしかない。
フランクの手に負えなくなったら、警察に顔のきくジェフリーが、何とかするんだろうが。
ジェフリーは、間違いなく怒ってる。
俺の代わりに、フランクはきつく絞られてるはずだ。
しかし・・・、これから、どうするかな。
今後の事を思えば、リックの口から、自然とため息が漏れた。
サニーの受付に、無造作に置いてあった新聞では、アルカンスィエルがグラディウスの侵攻を受けて、陥落したと、大々的に報じられていたが、とりたてて、目新しい情報はなかった。
と、その時、眼の前をケヴィンが、通り過ぎた。
ケヴィンの顔を見て、思いつくことがあった。
「ケヴィン」
リックが呼び止めると、小柄で鋭い目つきのケヴィンは、笑みを浮かべて、リックに近づいてきた。
金回りがいいのか、小ざっぱりした格好をしている。
「馬車か?」
と、尋ねながら、ケヴィンはリックの向かいの席に座った。
「いや、ちょっとな」
「そういや、ミルフェアストリートで、人がひとり死んだらしいな」
ケヴィンは、そう言って、嗅ぎ煙草を取り出すと、器用に親指の甲の付け根のくぼみに乗せ、鼻から吸って、無造作に鼻を拭いた。
何気なく、そう言うケヴィンに、リックは薄ら寒いものを覚えた。
こいつ、一体どこまで知っているんだ、と思う。
今、眼の前に現れたのは、偶然ではないとすら思えた。
ケヴィンは、仲間内では有名な情報屋だった。
警察から強盗、裏組織まで、普通では考えられないような、繋がりがあった。
警察からも一目置かれる存在で、ケヴィンによってもたらされた情報で、事件が解決したこともある。
情報の売り買いを商売にするわけだから、危ない橋を渡ったことも、一度や二度ではないはずだった。
裏社会の恨みを買うことも、あるに違いない。
けれども、ケヴィンは生きている。
今のところ。
こうやって本人に会っていても、切羽詰まった様子は、全くなかった。
「何か知ってるのか?」
「俺が?いいや。俺は金の匂いがしない話には、興味が無い」
ケヴィンは意味ありげに、リックを上目づかいで見た。
いやな奴だ。
「話は?」
「アルカンスィエルの話は、もちろん知ってるな」
「一応。そっちは、連れか?」
と、ケヴィンが顎で、リックの後方を示した。
リックが振り返ると、フィリップが立っていた。
「何か用か?」
「いや、ちょっとこれからのことで、相談したいことがあったんだけど、話し中なら、また後にするよ」
と、戻りかけたフィリップに、
「ユースティティアの人?」
と、ケヴィンが声をかけた。
驚いた表情のフィリップに、
「ああ、そうか。アルカンスィエルの貴族だ」
と、告げた。
「どうして、わかるんだ?」
フィリップの青い瞳に、動揺が浮かんだ。
フィリップは、一瞬、リックが話したのかと、思った。
「乗せられやがって」
リックが、ぼそっと呟いた。
フィリップは、リックのその一言で、ケヴィンに嵌められたことを知った。
けれども、リックの方も、観念した。
蛇の道は蛇だ。
要するに、何故だか皆目見当はつかないが、ケヴィンは、全部知っているんだ、と諦めた。
「ところで、アルカンスィエルがどうしたって?」
屈託なく、ケヴィンはリックに尋ねて来る。
タヌキめ!
リックは、ケヴィンを睨んだが、ケヴィンの方は、涼しい顔をしていた。
「アルカンスィエル?アルカンスィエルがどうかしたって?」
フィリップが、気にならないはずがない。
「座れよ」
リックは諦めて、フィリップに椅子を勧めた。
そのフィリップを眺めながら、リックは、ユースティティア王家の血を引くという真面目なこの若者を、少し見直した。
今頃は、女たちと部屋でめそめそ泣いているに違いないと、思っていた。
「アルカンスィエルねえ。リックはともかく、あんた、聞かない方がいいかもしれないよ」
「私は、あるところへ、家族と召使いを無事に送り届けたなら、ユースティティアに戻るつもりだ。戻って、グラディウスと戦うつもりだ。だから、ユースティティアと、アルカンスィエルがどうなったのか、どうしても知りたいんだ」
それは、リックも初めて聞く話だった。
けれども、フィリップは間違えていた。
情に訴えたところで、ケヴィンが、話すはずがない。
「もったいぶるなよ」
リックが、テーブルの上に、紙幣を置いた。
ケヴィンは、すかさず、それをポケットにしまう。
「俺は、気を使ってやってるんだぜ、リック。勘違いするなよ。アルカンスィエルが、すっかりグラディウスに占領されて、逃げたジャン王とその親族が、グラディウスの兵士にとっ捕まって、殺されたなんて話を、そいつに聞かせてもいいのかって」
「殺された・・・」
フィリップは、明らかに動揺していた。
「ジャン王、親族、取り巻き、ひとり残らずだ。無残だったらしいぜ。命乞いを聞き捨てられて、着てるものを剥ぎ取られ、縄で縛られて、火を・・・」
「黙れ。それ以上は必要ない」
リックが遮った。
いい加減にしろよ、と、憤りを含んだ眼で、ケヴィンを睨んだ。
フィリップが、どういう立場の人物なのか、ケヴィンは、何故か知っている。
知った上で、そういう話を続けるというのは、明らかにフィリップの反応を楽しんでいた。
「怒るなよ。分かったよ。真面目そうだから、ちょっとからかいたくなったんだ」
「それで、ユースティティアは?」
「アルカンスィエルは、落ちた。ジャン王も、死んだ。だからと言って、ユースティティアが滅んだかと言うと、話は別だな。アルカンスィエルが落ちた後、ユースティティア軍は後方へ戦線を移して、戦っている。まあ、苦戦には違いないが」
「つまり?」
「敵の手に落ちたのは、全ユースティティア領土の二割ぐらいじゃないか。ま、二割でも、大変な事態には違いないが」
「まだ、アルカンスィエルを取り戻す希望は、あるということか」
「楽観は禁物さ。敵も、それなりの覚悟で来ているんだし」
フィリップは、気持ちが揺らいでいた。
アンジェラを無事、ウッドフィールトへ送り届けたい気持ちと、ユースティティアに戻って、祖国のために戦いたい気持ちと。
でも、戻れない。
アンジェラのために。
「それと、ユースティティアと、フォルティスの国境付近も、ややこしくなりそうだ」
「どういうことだ?」
フィリップは、詰め寄った。
「ユースティティアの難民が、フォルティスとの国境付近に押し寄せている。昨日くらいから、フォルティスが受け入れを拒否して、難民は、みんなユースティティアに送り返されている」
「そんな・・・」
「難民は、フォルティスの治安を悪くする。それに、フォルティスも、グラディウスを刺激したくないんだろう。ユースティティアからの難民を、ほいほい受け入れたんじゃ、グラディウスの心象を悪くする」
グラディウス、ユースティティア、フォルティス、この国境を接する三つの国は、常に微妙な緊張関係にあった。
広大な土地を持ち、絶大なる王権の下、国力を伸ばす、グラディウス。
王政から脱却し、議会制の成熟したフォルティス。
フォルティスには、優れた技術力と、それによる目覚ましい工業化の発達があった。
その中で、ユースティティアだけ、王権政治は腐敗し、目立った産業もなく、取り残された感があった。
それが、今回のグラディウスの侵攻を許した、大きな原因であった。
今、グラディウスとフォルティスは、かろうじて均衡状態を保っている。
だから、グラディウスを刺激して、矛先がフォルティスに向かうことは、避けたかった。
フォルティスと、ユースティティアを覆うように広がる国土を持つ、グラディウスである。
潜在的戦闘力は、計り知れなかった。
そういった理由もあって、フォルティスは、ひとまずユースティティアからの難民の受け入れを、認めない方針を取ったのだった。
「あの」
三人で、話し込んでいたために、レティシアが傍にやってきたことには、誰も気付かなかった。
レティシアを見て、ケヴィンが、ヒュウ、と口笛を吹いた。
「何か用か?」
リックが、無愛想に言った。
「お話中、申し訳ありません。フィリップ様、アンジェラ様がお呼びでございます」
レティシアもピエールの件で、深いショックを受けていたのだろう。
瞳が、赤く染まっていた。
それがまた色香を放って、艶めかしかった。
リックは、レティシアに、あまり表だった場所へは来てほしくなかった。
その美貌が、男の眼につくと、何かと問題が起こりそうだった。
フィリップが、レティシアと去ると、
「またえらい美人を、連れているんだな」
ケヴィンは、俄然、興味を引かれたようで、さっそく尋ねて来た。
「いますぐ、ベッドに押し倒したいくらいだ」
「止めろよ」
冗談だということが分かっていても、何故かリックは笑えなかった。
「見たところ、貴族ではないようだ」
「そのようだな」
「それにしちゃあ、雰囲気あるな。とても、ただの召使いには見えない」
「だとしても、俺には関係がない」
「調べてやろうか?」
一瞬、リックはケヴィンが何を言っているのか、分からなかった。
「調べてやろうか?」
もう一度、ケヴィンは言った。
リックは、黙りこんだ。
確かに、妙な一件だ。
突然、ユースティティアの貴族が現れて、ウッドフィールドの親戚の家まで連れて行ってほしいと、依頼された。
しかも、フィリップは、前国王ギヨーム王の庶子、連れの高慢な女は、現王妃の妹だという。
そして、美貌の召使い・・・。
あの美貌の召使いの素性が知れれば、何かわかるかもしれない。
「方法は?」
「女の情報は、何もないのか?」
「名前は、レティシア。それだけだ」
と言ってから、リックはあることを思い出した。
その表情の変化を、ケヴィンが見過ごすはずがなかった。
「あるんだな?」
「一年前まで、コルマノンにいたそうだ」
「コルマノン・・・」
「コルマノンに行くのか?」
「そうなるだろうな」
コルマノンは、アルカンスィエルからは、遠く離れている。
まだ、グラディウスの手は、及んではいないはずだった。
「金はないぜ」
「最初からそんな気はない」
「ケヴィン、何でこの件にそう肩入れする?」
「肩入れ?そんなつもりは、毛頭ないぜ」
「しらをきるなよ」
情報の売り買いで商売をする、情報屋だ。
金を取らずに動くとは、思えなかった。
「お前のことが好きだからさ」
「冗談はやめろよ」
「冗談じゃないさ。俺は、お前のことが結構好きなんだぜ。駅馬車強盗の一件、覚えているだろう?」
もちろん、忘れようがない。
駅馬車強盗に遭って、リックと護衛で、馬車と乗客を守りぬいた。
「それが?」
「馬車の中に、俺の女がいた」
初耳だった。
けれどもそれで、合点がいった。
つまり、これで貸し借りなしということか。
「さて・・・、ファムスュパーブかファムファタールか?」
「何だそれ?」
「あの女のことだよ。ユースティティアの言葉さ。絶世の美女か、はたまた男を狂わす魔性の女か。どっちだろうな?」
ケヴィンは、にやりと笑みを浮かべた。
その事実は、四人を打ちのめした。
とりわけフィリップの喪失感は、計り知れなかった。
幼いころから、可愛がってくれた。
アルカンスィエルの手狭な屋敷での、母子二人の寂しい幼少期、器用な手で、よく木工のおもちゃを作って、フィリップを慰めてくれた。
空気のように、傍にいるのが、当たり前の存在だった。
フィリップ様、フィリップ様・・・。
少ししわがれた、穏やかなあの声が、もう二度と聞けないとは。
フィリップは、自分を責めた。
守ってやれなかった。
「お兄様、大丈夫?」
ベッドに腰かけて、頭を抱えるフィリップの肩に、アンジェラがそっと手を置いた。
そのアンジェラの眼も、赤くなっていた。
そうだ、私にはアンジェラがいる。
アンジェラだけは、何としても守り抜かなければ。
「大丈夫だ」
フィリップは、自分の肩に置かれたアンジェラの手に、自分の手を重ねた。
何て一日だ。
リックは、乱暴にフォークを皿の上に置いた。
セルマが見ていたら、小言が飛んで来そうだった。
リックは、ノックスのタヴァン、サニーの食堂にいた。
食堂は、まずまずの混み具合だった。
そして、リックは丸一日ぶりに、食事にありついた。
念願の、魚のフライと、ビールだった。
サニーのフライの味も悪くなかったが、バッカスのアダムの揚げるフライの方が、味は数段上だった。
サニーで合流した後、リックは、ピエールが撃たれて死んだことを告げた。
皆一様に、言葉を失っていた。
特に、フィリップの落ち込みが、ひどかった。
ずっと、部屋にこもりきりだった。
まあ、無理もない。
真面目な男のようだし、しばらくは立ち直れないかもしれないな。
リックはそう思った。
今夜は、ノックスのタヴァン、サニーに泊ることにした。
ノックスは、ウッドフィールドへ向かう道とは間逆の道を、数時間行ったところにある、フォルティスの中堅の街だった。
ウッドフィールドへと向かう道は、今頃、敵が血眼になって、フィリップを探していることだろう。
しかし、もう夜だ。
時間的にも、今夜中に、ノックスまで敵の手が及ぶとは、考えにくい。
よその国に来て、大勢の人数で動いているとも思えない。
多くても、四人か、五人・・・。
ミルフェアストリートで、銃を撃ったのも、想定外だったはずだ。
フィリップを殺るなら、できるだけ静かに始末したいところだろう。
話が大きくなれば、フォルティスと、グラディウスの外交問題に発展しかねない。
ミルフェアストリートが、あれからどうなったか、知るべくもなかったが、人がひとり死んでいるわけだから、警察も動き出すに違いない。
奴らも、これからは、目立った動きをしにくくなるはずだ。
ピエールのことは、フランクにまかせるしかない。
フランクの手に負えなくなったら、警察に顔のきくジェフリーが、何とかするんだろうが。
ジェフリーは、間違いなく怒ってる。
俺の代わりに、フランクはきつく絞られてるはずだ。
しかし・・・、これから、どうするかな。
今後の事を思えば、リックの口から、自然とため息が漏れた。
サニーの受付に、無造作に置いてあった新聞では、アルカンスィエルがグラディウスの侵攻を受けて、陥落したと、大々的に報じられていたが、とりたてて、目新しい情報はなかった。
と、その時、眼の前をケヴィンが、通り過ぎた。
ケヴィンの顔を見て、思いつくことがあった。
「ケヴィン」
リックが呼び止めると、小柄で鋭い目つきのケヴィンは、笑みを浮かべて、リックに近づいてきた。
金回りがいいのか、小ざっぱりした格好をしている。
「馬車か?」
と、尋ねながら、ケヴィンはリックの向かいの席に座った。
「いや、ちょっとな」
「そういや、ミルフェアストリートで、人がひとり死んだらしいな」
ケヴィンは、そう言って、嗅ぎ煙草を取り出すと、器用に親指の甲の付け根のくぼみに乗せ、鼻から吸って、無造作に鼻を拭いた。
何気なく、そう言うケヴィンに、リックは薄ら寒いものを覚えた。
こいつ、一体どこまで知っているんだ、と思う。
今、眼の前に現れたのは、偶然ではないとすら思えた。
ケヴィンは、仲間内では有名な情報屋だった。
警察から強盗、裏組織まで、普通では考えられないような、繋がりがあった。
警察からも一目置かれる存在で、ケヴィンによってもたらされた情報で、事件が解決したこともある。
情報の売り買いを商売にするわけだから、危ない橋を渡ったことも、一度や二度ではないはずだった。
裏社会の恨みを買うことも、あるに違いない。
けれども、ケヴィンは生きている。
今のところ。
こうやって本人に会っていても、切羽詰まった様子は、全くなかった。
「何か知ってるのか?」
「俺が?いいや。俺は金の匂いがしない話には、興味が無い」
ケヴィンは意味ありげに、リックを上目づかいで見た。
いやな奴だ。
「話は?」
「アルカンスィエルの話は、もちろん知ってるな」
「一応。そっちは、連れか?」
と、ケヴィンが顎で、リックの後方を示した。
リックが振り返ると、フィリップが立っていた。
「何か用か?」
「いや、ちょっとこれからのことで、相談したいことがあったんだけど、話し中なら、また後にするよ」
と、戻りかけたフィリップに、
「ユースティティアの人?」
と、ケヴィンが声をかけた。
驚いた表情のフィリップに、
「ああ、そうか。アルカンスィエルの貴族だ」
と、告げた。
「どうして、わかるんだ?」
フィリップの青い瞳に、動揺が浮かんだ。
フィリップは、一瞬、リックが話したのかと、思った。
「乗せられやがって」
リックが、ぼそっと呟いた。
フィリップは、リックのその一言で、ケヴィンに嵌められたことを知った。
けれども、リックの方も、観念した。
蛇の道は蛇だ。
要するに、何故だか皆目見当はつかないが、ケヴィンは、全部知っているんだ、と諦めた。
「ところで、アルカンスィエルがどうしたって?」
屈託なく、ケヴィンはリックに尋ねて来る。
タヌキめ!
リックは、ケヴィンを睨んだが、ケヴィンの方は、涼しい顔をしていた。
「アルカンスィエル?アルカンスィエルがどうかしたって?」
フィリップが、気にならないはずがない。
「座れよ」
リックは諦めて、フィリップに椅子を勧めた。
そのフィリップを眺めながら、リックは、ユースティティア王家の血を引くという真面目なこの若者を、少し見直した。
今頃は、女たちと部屋でめそめそ泣いているに違いないと、思っていた。
「アルカンスィエルねえ。リックはともかく、あんた、聞かない方がいいかもしれないよ」
「私は、あるところへ、家族と召使いを無事に送り届けたなら、ユースティティアに戻るつもりだ。戻って、グラディウスと戦うつもりだ。だから、ユースティティアと、アルカンスィエルがどうなったのか、どうしても知りたいんだ」
それは、リックも初めて聞く話だった。
けれども、フィリップは間違えていた。
情に訴えたところで、ケヴィンが、話すはずがない。
「もったいぶるなよ」
リックが、テーブルの上に、紙幣を置いた。
ケヴィンは、すかさず、それをポケットにしまう。
「俺は、気を使ってやってるんだぜ、リック。勘違いするなよ。アルカンスィエルが、すっかりグラディウスに占領されて、逃げたジャン王とその親族が、グラディウスの兵士にとっ捕まって、殺されたなんて話を、そいつに聞かせてもいいのかって」
「殺された・・・」
フィリップは、明らかに動揺していた。
「ジャン王、親族、取り巻き、ひとり残らずだ。無残だったらしいぜ。命乞いを聞き捨てられて、着てるものを剥ぎ取られ、縄で縛られて、火を・・・」
「黙れ。それ以上は必要ない」
リックが遮った。
いい加減にしろよ、と、憤りを含んだ眼で、ケヴィンを睨んだ。
フィリップが、どういう立場の人物なのか、ケヴィンは、何故か知っている。
知った上で、そういう話を続けるというのは、明らかにフィリップの反応を楽しんでいた。
「怒るなよ。分かったよ。真面目そうだから、ちょっとからかいたくなったんだ」
「それで、ユースティティアは?」
「アルカンスィエルは、落ちた。ジャン王も、死んだ。だからと言って、ユースティティアが滅んだかと言うと、話は別だな。アルカンスィエルが落ちた後、ユースティティア軍は後方へ戦線を移して、戦っている。まあ、苦戦には違いないが」
「つまり?」
「敵の手に落ちたのは、全ユースティティア領土の二割ぐらいじゃないか。ま、二割でも、大変な事態には違いないが」
「まだ、アルカンスィエルを取り戻す希望は、あるということか」
「楽観は禁物さ。敵も、それなりの覚悟で来ているんだし」
フィリップは、気持ちが揺らいでいた。
アンジェラを無事、ウッドフィールトへ送り届けたい気持ちと、ユースティティアに戻って、祖国のために戦いたい気持ちと。
でも、戻れない。
アンジェラのために。
「それと、ユースティティアと、フォルティスの国境付近も、ややこしくなりそうだ」
「どういうことだ?」
フィリップは、詰め寄った。
「ユースティティアの難民が、フォルティスとの国境付近に押し寄せている。昨日くらいから、フォルティスが受け入れを拒否して、難民は、みんなユースティティアに送り返されている」
「そんな・・・」
「難民は、フォルティスの治安を悪くする。それに、フォルティスも、グラディウスを刺激したくないんだろう。ユースティティアからの難民を、ほいほい受け入れたんじゃ、グラディウスの心象を悪くする」
グラディウス、ユースティティア、フォルティス、この国境を接する三つの国は、常に微妙な緊張関係にあった。
広大な土地を持ち、絶大なる王権の下、国力を伸ばす、グラディウス。
王政から脱却し、議会制の成熟したフォルティス。
フォルティスには、優れた技術力と、それによる目覚ましい工業化の発達があった。
その中で、ユースティティアだけ、王権政治は腐敗し、目立った産業もなく、取り残された感があった。
それが、今回のグラディウスの侵攻を許した、大きな原因であった。
今、グラディウスとフォルティスは、かろうじて均衡状態を保っている。
だから、グラディウスを刺激して、矛先がフォルティスに向かうことは、避けたかった。
フォルティスと、ユースティティアを覆うように広がる国土を持つ、グラディウスである。
潜在的戦闘力は、計り知れなかった。
そういった理由もあって、フォルティスは、ひとまずユースティティアからの難民の受け入れを、認めない方針を取ったのだった。
「あの」
三人で、話し込んでいたために、レティシアが傍にやってきたことには、誰も気付かなかった。
レティシアを見て、ケヴィンが、ヒュウ、と口笛を吹いた。
「何か用か?」
リックが、無愛想に言った。
「お話中、申し訳ありません。フィリップ様、アンジェラ様がお呼びでございます」
レティシアもピエールの件で、深いショックを受けていたのだろう。
瞳が、赤く染まっていた。
それがまた色香を放って、艶めかしかった。
リックは、レティシアに、あまり表だった場所へは来てほしくなかった。
その美貌が、男の眼につくと、何かと問題が起こりそうだった。
フィリップが、レティシアと去ると、
「またえらい美人を、連れているんだな」
ケヴィンは、俄然、興味を引かれたようで、さっそく尋ねて来た。
「いますぐ、ベッドに押し倒したいくらいだ」
「止めろよ」
冗談だということが分かっていても、何故かリックは笑えなかった。
「見たところ、貴族ではないようだ」
「そのようだな」
「それにしちゃあ、雰囲気あるな。とても、ただの召使いには見えない」
「だとしても、俺には関係がない」
「調べてやろうか?」
一瞬、リックはケヴィンが何を言っているのか、分からなかった。
「調べてやろうか?」
もう一度、ケヴィンは言った。
リックは、黙りこんだ。
確かに、妙な一件だ。
突然、ユースティティアの貴族が現れて、ウッドフィールドの親戚の家まで連れて行ってほしいと、依頼された。
しかも、フィリップは、前国王ギヨーム王の庶子、連れの高慢な女は、現王妃の妹だという。
そして、美貌の召使い・・・。
あの美貌の召使いの素性が知れれば、何かわかるかもしれない。
「方法は?」
「女の情報は、何もないのか?」
「名前は、レティシア。それだけだ」
と言ってから、リックはあることを思い出した。
その表情の変化を、ケヴィンが見過ごすはずがなかった。
「あるんだな?」
「一年前まで、コルマノンにいたそうだ」
「コルマノン・・・」
「コルマノンに行くのか?」
「そうなるだろうな」
コルマノンは、アルカンスィエルからは、遠く離れている。
まだ、グラディウスの手は、及んではいないはずだった。
「金はないぜ」
「最初からそんな気はない」
「ケヴィン、何でこの件にそう肩入れする?」
「肩入れ?そんなつもりは、毛頭ないぜ」
「しらをきるなよ」
情報の売り買いで商売をする、情報屋だ。
金を取らずに動くとは、思えなかった。
「お前のことが好きだからさ」
「冗談はやめろよ」
「冗談じゃないさ。俺は、お前のことが結構好きなんだぜ。駅馬車強盗の一件、覚えているだろう?」
もちろん、忘れようがない。
駅馬車強盗に遭って、リックと護衛で、馬車と乗客を守りぬいた。
「それが?」
「馬車の中に、俺の女がいた」
初耳だった。
けれどもそれで、合点がいった。
つまり、これで貸し借りなしということか。
「さて・・・、ファムスュパーブかファムファタールか?」
「何だそれ?」
「あの女のことだよ。ユースティティアの言葉さ。絶世の美女か、はたまた男を狂わす魔性の女か。どっちだろうな?」
ケヴィンは、にやりと笑みを浮かべた。
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