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7.女中の秘密
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レティシアは、黙っていた。
先ほど、道でぶつかった紳士に手渡された紙片に記されていた、タヴァンの一室に来ていた。
部屋は、タヴァン最上階の奥まった一室で、厚みのある絨毯、重厚感のあるテーブル、精巧な調度品、どれをとっても、高級感があった。
訪れたレティシアを部屋に招き入れたのは、先ほど道でぶつかった紳士だった。
小柄な紳士は、黒のフロックコートとズボンに、白のベスト、茶色のブーツを履き、帽子を取った髪は、白い色が多かった。
レティシアは、部屋に入ったものの、強張った表情でドアの前に立ったまま、そこを動かなかった。
「随分と、久しぶりだね、ブロンディーヌ。いや、今は、レティシアだったか。そんなところに立っていないで、座らないか?」
紳士は、葉巻に火をつけたところだった。
レティシアは、答えなかった。
「それにしても、美しくなったものだね。コニャックは?」
「ダニエル、ご用件は?あまり時間がありませんから」
レティシアは、ダニエルの勧めを無視した。
「そう慌てない方がいい。大切な仕事の話だ」
「仕事?」
「そうだ」
「お断りします」
レティシアは、硬い表情のまま、拒否した。
「君は、断れない」
「何故です?」
「断るというのなら、お嬢さんたちの命がないと言っても?」
「まさか」
レティシアは、驚愕の目で、眼の奥にするどい光を湛えたまま微笑む、ダニエルを見つめた。
それはつまり、レティシアが断れば、アンヌやアンジェラの命がないと言うことだ。
「冗談に聞こえるかな?」
「……」
「君のその美貌を持ってすれば、簡単に片がつく仕事だよ」
ダニエルは、ふうっと葉巻の煙を吐き出した。
「何をすればよろしいの?」
「人をひとり殺してほしい」
「ミラージュには、私よりも、適任者がいるでしょう?」
「ターゲットは、男だ。そして女好きだ。若い娘に目がない。君以上に、この仕事に相応しい者はいない」
「誘って殺せ、と?」
「その通りだ」
「御存じかしら?私の肩には、一生消えない醜い傷痕がありますわ。あなたが、私を見捨てたせいで」
レティシアの声は、震えていた。
ダニエルは、葉巻を灰皿の上に置き、レティシアに歩み寄る。
そして、
「恨んでいるのか?」
と、レティシアの顎を持ち上げた。
レティシアは、目を伏せたままだった。
「いいえ…いいえ、ダニエル」
「そう、君は、私を恨むことはできない。私が…、ミラージュが、行き場のない君を、育てた。私たちを、恨むことなど、君にはできない」
ダニエルは、レティシアの顎を指で持ち上げると、その身体を抱き寄せ、唇を重ねた。
葉巻の強い香りが、ダニエルの唇から入って来た。
眼を堅く閉じて、レティシアは、耐えた。
「左肩の傷痕など、情欲に囚われた男に何の躊躇も与えない。明日、試してみるといい」
「明日?」
「そう、明日の夜だ。君は、私と一緒に、ある場所へ行く。私がそこへ、ターゲットを誘い出す。君は、その男を誘惑して、殺る。詳細は明日、話すことにしよう」
「理由を…、聞いてはいけないのでしょうね」
「理由?そんなものを聞いてどうする?ミラージュが、殺れと言えば、殺るんだ」
レティシアは、顏を伏せた。
明日…、明日…、一体どうやって?
レティシアの脳裏に、フィリップの、アンジェラの…、みんなの顏が浮かんだ。
「安心したまえ。これが、最後の仕事だ。明日が終われば、君は自由だ」
「本当に?」
レティシアは、ダニエルに縋るような目を向けた。
「本当だ。約束しよう。明日が終われば、君は自由だ、永遠に」
明日さえ終われば、自由…。
ミラージュから、解放される。
もう、ミラージュの幻影に怯えなくてもいい。
「どうかな?」
「明日、参ります…、あなたと一緒に」
レティシアは、絞り出すような声で、そう告げた。
ダニエルは、窓の外を眺めた。
暗い夜道を、足早に立ち去るレティシアの後ろ姿を、眼で追った。
今回の件は、絶対あの方の耳に、入らないようにしなければ。
でなければ…、私の生命はない。
ダニエルは、大きく深呼吸した。
そう、明日が君の最期だ、レティシア、いや…、ブロンディーヌ。
君は、知り過ぎた。
明日で、終わりにしよう。
医者を送りに行くと言って、出て行ったまま、レティシアは帰って来なかった。
流石に心配になって、ハリーとリックが、探しに行こうと、タヴァンの前に出たところに、レティシアが戻って来た。
「どうしていたんだ?心配したんだぞ」
「ごめんなさい…」
「無事でよかった。夕飯、まだだろう?お腹空いただろう。早く、中へお入り」
その、ハリーの優しい声を聞いて、レティシアは泣きたい気分になった。
「ハリー、リックも話があるの…」
そう言うレティシアの顔は、医者を送って行く時より、一層強張り、青ざめて見えた。
とりあえず中へお入りと、ハリーに誘われて、レティシアが、リックの前を通り過ぎた時、レティシアから葉巻の匂いがした。
葉巻?
リックは、妙な気がした。
さっきの医者から、葉巻の匂いはしなかった。
とすれば、誰か、葉巻を吸う者と会っていたということか。
普通に考えると、葉巻を吸うのは、女ではない。
男だ。
レティシアの帰りが遅かったのは、葉巻を吸う男と会っていたからなのか。
リックは、そう考えて、苛立ちを覚えた。
しかも、それをレティシアが隠そうとしているところが、一層リックを苛立たせた。
ハリーの部屋で、リックと、レティシアの三人で、向き合った。
レティシアに、椅子を勧めても、座ろうとはしなかった。
「私、明日、どうしても…行かなければいけないところができました」
「明日?」
「ええ、明日…」
「なあ、レティシア…」
と、ハリーは、レティシアに言い聞かせるように話し始めた。
「なあ、レティシア。行くなとは言わない。でも、行くなら行くで、訳を話してくれないか。一体何があった?気づいていないかもしれないけど、葉巻の匂いがするんだ。誰と、会っていた?」
リックと同様、ハリーもこの優美な召使いに、当初から違和感を感じていた。
その立ち居振る舞いは、貧しい貴族の屋敷に奉公している女中に、見えなかった。
けれども、ハリー自身もまた、人には話せない過去を持っていた。
だから、レティシアのことも、何か事情がありそうだとは思いつつ、詮索する気持ちにはなれなかった。
しかし、今、若い娘をひとり、この時間に呼び出すなどということは、まともな男のすることでないと思った。
その男に、明日レティシアが呼ばれているのだとしたら、一言、尋ねずにはいられなかった。
レティシアは、顏を伏せた。
まっすぐにレティシアの顏を見つめる、ハリーの眼を見ることは出来なかった。
「言えないのか?」
「ごめんなさい」
消え入りそうな声だった。
本当のことなど、言えるはずもなかった。
ダニエルのこと、ミラージュのこと、そして、ブロンディーヌ…、そんなことが、話せる訳がない。
ハリーが、困ったように、ため息をついた。
リックに、どうする、と、眼を向ける。
「行きたいっていうなら、行けばいい」
「リック」
ハリーは、リックが苛立っていることに気づいていた。
その気持ちも、わかるような気がした。
「俺たちに、止める権利はない。行きたければ、行けばいい。好きにしろよ」
リックは冷めた声で、うなだれたままのレティシアにそう告げると、部屋を出て行った。
リックが出て行った後、ハリーは諦めたように、レティシアに向き合った。
「わかった、レティシア。行って来るといい。でも、きっと戻っておいで。約束だ、いいな」
はい、とレティシアは、やはり消え入りそうな声で返事をした。
そして、明後日の待ち合わせの場所と、時間を詳細に決めた。
アンジェラの体調不良で、もしも、ハリーたちが、待ち合わせ場所へたどり着けなくても、リックかハリーが迎えに行くから、必ずそのまま、そこで待っているようにと言った。
翌朝、フィリップたちが目覚めた時、すでにレティシアの姿はなかった。
皆が困らないよう、衣類は丁寧に手入れされ、出発の準備は整っていた。
そして、旅の道中に、するべき仕度、手順を詳細に記した置き手紙があった。
朝、リックと、ハリーがタヴァンの前で、荷物を馬に乗せていた時、ティムがふたりに近付いて来た。
「昨日のお姉ちゃんって、料理上手なんだね」
口を開いたかと思うと、意外なことを話し始めた。
「レティシアが?」
リックも、ハリーも手を止めた。
「今朝早くに、エースの血をくれってやって来てさ、持って帰ったよ。豚の血って、確かに食べられるんだけど、料理する人、珍しいんだよ」
リックとハリーは、顏を見合わせた。
先ほど、道でぶつかった紳士に手渡された紙片に記されていた、タヴァンの一室に来ていた。
部屋は、タヴァン最上階の奥まった一室で、厚みのある絨毯、重厚感のあるテーブル、精巧な調度品、どれをとっても、高級感があった。
訪れたレティシアを部屋に招き入れたのは、先ほど道でぶつかった紳士だった。
小柄な紳士は、黒のフロックコートとズボンに、白のベスト、茶色のブーツを履き、帽子を取った髪は、白い色が多かった。
レティシアは、部屋に入ったものの、強張った表情でドアの前に立ったまま、そこを動かなかった。
「随分と、久しぶりだね、ブロンディーヌ。いや、今は、レティシアだったか。そんなところに立っていないで、座らないか?」
紳士は、葉巻に火をつけたところだった。
レティシアは、答えなかった。
「それにしても、美しくなったものだね。コニャックは?」
「ダニエル、ご用件は?あまり時間がありませんから」
レティシアは、ダニエルの勧めを無視した。
「そう慌てない方がいい。大切な仕事の話だ」
「仕事?」
「そうだ」
「お断りします」
レティシアは、硬い表情のまま、拒否した。
「君は、断れない」
「何故です?」
「断るというのなら、お嬢さんたちの命がないと言っても?」
「まさか」
レティシアは、驚愕の目で、眼の奥にするどい光を湛えたまま微笑む、ダニエルを見つめた。
それはつまり、レティシアが断れば、アンヌやアンジェラの命がないと言うことだ。
「冗談に聞こえるかな?」
「……」
「君のその美貌を持ってすれば、簡単に片がつく仕事だよ」
ダニエルは、ふうっと葉巻の煙を吐き出した。
「何をすればよろしいの?」
「人をひとり殺してほしい」
「ミラージュには、私よりも、適任者がいるでしょう?」
「ターゲットは、男だ。そして女好きだ。若い娘に目がない。君以上に、この仕事に相応しい者はいない」
「誘って殺せ、と?」
「その通りだ」
「御存じかしら?私の肩には、一生消えない醜い傷痕がありますわ。あなたが、私を見捨てたせいで」
レティシアの声は、震えていた。
ダニエルは、葉巻を灰皿の上に置き、レティシアに歩み寄る。
そして、
「恨んでいるのか?」
と、レティシアの顎を持ち上げた。
レティシアは、目を伏せたままだった。
「いいえ…いいえ、ダニエル」
「そう、君は、私を恨むことはできない。私が…、ミラージュが、行き場のない君を、育てた。私たちを、恨むことなど、君にはできない」
ダニエルは、レティシアの顎を指で持ち上げると、その身体を抱き寄せ、唇を重ねた。
葉巻の強い香りが、ダニエルの唇から入って来た。
眼を堅く閉じて、レティシアは、耐えた。
「左肩の傷痕など、情欲に囚われた男に何の躊躇も与えない。明日、試してみるといい」
「明日?」
「そう、明日の夜だ。君は、私と一緒に、ある場所へ行く。私がそこへ、ターゲットを誘い出す。君は、その男を誘惑して、殺る。詳細は明日、話すことにしよう」
「理由を…、聞いてはいけないのでしょうね」
「理由?そんなものを聞いてどうする?ミラージュが、殺れと言えば、殺るんだ」
レティシアは、顏を伏せた。
明日…、明日…、一体どうやって?
レティシアの脳裏に、フィリップの、アンジェラの…、みんなの顏が浮かんだ。
「安心したまえ。これが、最後の仕事だ。明日が終われば、君は自由だ」
「本当に?」
レティシアは、ダニエルに縋るような目を向けた。
「本当だ。約束しよう。明日が終われば、君は自由だ、永遠に」
明日さえ終われば、自由…。
ミラージュから、解放される。
もう、ミラージュの幻影に怯えなくてもいい。
「どうかな?」
「明日、参ります…、あなたと一緒に」
レティシアは、絞り出すような声で、そう告げた。
ダニエルは、窓の外を眺めた。
暗い夜道を、足早に立ち去るレティシアの後ろ姿を、眼で追った。
今回の件は、絶対あの方の耳に、入らないようにしなければ。
でなければ…、私の生命はない。
ダニエルは、大きく深呼吸した。
そう、明日が君の最期だ、レティシア、いや…、ブロンディーヌ。
君は、知り過ぎた。
明日で、終わりにしよう。
医者を送りに行くと言って、出て行ったまま、レティシアは帰って来なかった。
流石に心配になって、ハリーとリックが、探しに行こうと、タヴァンの前に出たところに、レティシアが戻って来た。
「どうしていたんだ?心配したんだぞ」
「ごめんなさい…」
「無事でよかった。夕飯、まだだろう?お腹空いただろう。早く、中へお入り」
その、ハリーの優しい声を聞いて、レティシアは泣きたい気分になった。
「ハリー、リックも話があるの…」
そう言うレティシアの顔は、医者を送って行く時より、一層強張り、青ざめて見えた。
とりあえず中へお入りと、ハリーに誘われて、レティシアが、リックの前を通り過ぎた時、レティシアから葉巻の匂いがした。
葉巻?
リックは、妙な気がした。
さっきの医者から、葉巻の匂いはしなかった。
とすれば、誰か、葉巻を吸う者と会っていたということか。
普通に考えると、葉巻を吸うのは、女ではない。
男だ。
レティシアの帰りが遅かったのは、葉巻を吸う男と会っていたからなのか。
リックは、そう考えて、苛立ちを覚えた。
しかも、それをレティシアが隠そうとしているところが、一層リックを苛立たせた。
ハリーの部屋で、リックと、レティシアの三人で、向き合った。
レティシアに、椅子を勧めても、座ろうとはしなかった。
「私、明日、どうしても…行かなければいけないところができました」
「明日?」
「ええ、明日…」
「なあ、レティシア…」
と、ハリーは、レティシアに言い聞かせるように話し始めた。
「なあ、レティシア。行くなとは言わない。でも、行くなら行くで、訳を話してくれないか。一体何があった?気づいていないかもしれないけど、葉巻の匂いがするんだ。誰と、会っていた?」
リックと同様、ハリーもこの優美な召使いに、当初から違和感を感じていた。
その立ち居振る舞いは、貧しい貴族の屋敷に奉公している女中に、見えなかった。
けれども、ハリー自身もまた、人には話せない過去を持っていた。
だから、レティシアのことも、何か事情がありそうだとは思いつつ、詮索する気持ちにはなれなかった。
しかし、今、若い娘をひとり、この時間に呼び出すなどということは、まともな男のすることでないと思った。
その男に、明日レティシアが呼ばれているのだとしたら、一言、尋ねずにはいられなかった。
レティシアは、顏を伏せた。
まっすぐにレティシアの顏を見つめる、ハリーの眼を見ることは出来なかった。
「言えないのか?」
「ごめんなさい」
消え入りそうな声だった。
本当のことなど、言えるはずもなかった。
ダニエルのこと、ミラージュのこと、そして、ブロンディーヌ…、そんなことが、話せる訳がない。
ハリーが、困ったように、ため息をついた。
リックに、どうする、と、眼を向ける。
「行きたいっていうなら、行けばいい」
「リック」
ハリーは、リックが苛立っていることに気づいていた。
その気持ちも、わかるような気がした。
「俺たちに、止める権利はない。行きたければ、行けばいい。好きにしろよ」
リックは冷めた声で、うなだれたままのレティシアにそう告げると、部屋を出て行った。
リックが出て行った後、ハリーは諦めたように、レティシアに向き合った。
「わかった、レティシア。行って来るといい。でも、きっと戻っておいで。約束だ、いいな」
はい、とレティシアは、やはり消え入りそうな声で返事をした。
そして、明後日の待ち合わせの場所と、時間を詳細に決めた。
アンジェラの体調不良で、もしも、ハリーたちが、待ち合わせ場所へたどり着けなくても、リックかハリーが迎えに行くから、必ずそのまま、そこで待っているようにと言った。
翌朝、フィリップたちが目覚めた時、すでにレティシアの姿はなかった。
皆が困らないよう、衣類は丁寧に手入れされ、出発の準備は整っていた。
そして、旅の道中に、するべき仕度、手順を詳細に記した置き手紙があった。
朝、リックと、ハリーがタヴァンの前で、荷物を馬に乗せていた時、ティムがふたりに近付いて来た。
「昨日のお姉ちゃんって、料理上手なんだね」
口を開いたかと思うと、意外なことを話し始めた。
「レティシアが?」
リックも、ハリーも手を止めた。
「今朝早くに、エースの血をくれってやって来てさ、持って帰ったよ。豚の血って、確かに食べられるんだけど、料理する人、珍しいんだよ」
リックとハリーは、顏を見合わせた。
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