Joker

海子

文字の大きさ
38 / 83
12.愛しい時間

しおりを挟む
 「レティシア」 
翌朝の出発前、タヴァンの前で、馬に荷を乗せていたリックとハリーに、部屋から降ろしてきた荷物を手渡しながら、少し顔を背けがちに、おはようと、挨拶をすると、レティシアはそのままタヴァンの中へ戻ろうとした。 
そのレティシアを、リックが呼び止めた。 
呼び止められて、振り返ったレティシアの頬は、薄紅色に染まっていた。
「荷物はこれだけか?」 
「アンヌ様のが、あとひとつだけ…」 
レティシアは、恥ずかしそうに、下を向いた。
「少しは、眠れたか?」
レティシアの頬に指でそっと触れて、リックが小声で尋ねて来た。
「あまり…」 
ますます、レティシアの頬は、赤くなった。
昨夜、あのままふたりで過ごしていては、ずっと触れ合ったままで、眠ることが出来なかったので、空が白み始める少し前に、湖畔のタヴァンを出た。 
そして、みんなのいるタヴァンに帰って、部屋に戻ったものの、レティシアは、とても眠ることなど出来なかった。
「ちゃんと食えよ。でないと、もたないぜ」
「はい…」 
赤い顔のまま、返事をしたレティシアが、アンヌの荷物を降ろすために、タヴァンの中へ戻ろうとすると、
「忙しいんだろ。行ってやる」 
と、リックも一緒にタヴァンの中に入った。
ふたりの傍で、馬に荷を括りつけていたハリーは、その会話を、聞くともなく聞くはめになって、思わず、吹き出しそうになった。
何て、わかりやすい奴らだ。
ふたりとも、昨夜は帰って来なかった。
そして、ふたりとも、朝から、赤い眼をしていた。
何があったかなんて、聞くだけ野暮というものだろう。 
ハリーは思わず、妻と初めて迎えた朝のことを、思い出していた。 
冬宮殿のサファイアと称されたナターリアと、初めて交わった朝、二人のいるベッドに注ぐ朝の光が、いつも以上に眩しく感じたことを、二十年近く経た今でも、ハリーははっきり覚えていた。
その朝の光の中、もう一度恥じらうナターリアを、抱いた。 
ナターリアは、ハリーの背中に腕を回し、恍惚の中、囁いた。 
「セルゲイ、セルゲイ・・・、愛しているわ」 
ハリーは、首を振った。 
今頃、何て事を思い出すんだ、俺は。 
すっかりふたりに、あてられたようだ。 
何にしろ、リックもレティシアも大丈夫だ。
アンジェラのことは、ふたりで乗り越えて行くだろう。 
問題は・・・、 
「おはよう。手伝うよ」 
と、降りて来たのは、フィリップだった。 
アンジェラが亡くなって、フィリップはこの二日で、随分頬がこけた。
ハリーはその失意が、いかばかりかと思った。 
自身も、妻を亡くしたハリーには、その痛みがよく分かった。
しかも、亡くなった原因が、少なからず自分にあるという点で、よく似ていた。
いや…、俺の場合は、俺が殺したようなものだ。
フィリップよりも、罪深い。 
ハリーは、ナターリアの最期を思い出して、手が止まった。
「ハリー?」 
「ああ、すまん」 
ハリーは、過去の苦い記憶を振り払おうと、頭を振った。
ハリーは、まだアンジェラの死から、二日しか経ってないのに、今朝、このように出発の準備を手伝うフィリップに、少なからず感心していた。 
「お前さんは、えらいな」 
「どうしたの、急に」 
「いや…、色々あるのに、 取り乱さないからさ」 
「取り乱したよ、十分。正気に引き戻されたけど」 
ハリーは、アンジェラが亡くなった時、川へ入って後を追おうとしたことを、言っているのだと思った。 
「あの状況じゃ、誰でも、正気を失う」 
「リックには、感謝してる。あの時、力づくで、僕を引きもどしてくれた。それに、アンジェラの埋葬の後、あのままエイムズビルに留まり続けていたら、きっと、僕は今頃つぶれてた。アンジェラの想い出に溺れて」 
「今は、大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないよ、全然大丈夫じゃない。辛いよ。辛くて、苦しくて、立ち直れそうにない」
「フィリップ・・・」 
「でも、僕が、折れるわけにはいかない。僕が折れたら、アンジェラは、何のために亡くなったのか、わからなくなる。僕が、ウッドフィールドへ辿り着くことが、アンジェラの望みだった。だったら、その望みは、叶えてあげないと」 
「そうだな。その通りだ」 



 ハリーは、フィリップと出会って一週間ほどだったが、この一週間で、フィリップが随分変わったように感じていた。 
フィリップは、ずっと色んなものを背負い続けて、真面目に生きて来たのだと思う。 
アンジェラを守らなくてはならない、デュヴィラール伯爵として、立派でなくてはならない、そのためには、軍人として名を馳せなくてはならないと。
けれども、限られた場所で、一途に生きて来て、他を知らない。
それが、この旅で思いがけず、今まで生きて来た場所とは全く違う場所に、放りだされた。 
それは、十代の若者にとって、想像もつかない刺激になったに違いない。 
リックの存在も、大きいように思えた。 
多分、ああいう性質の人間には、いままで出会ったことがなかったはずだ。
リックは、武骨だが、たくましくて、芯が強い。 
父親という存在を知らないフィリップにとって、初めて頼りになる存在だったのだろう。 
フィリップが身分の違いを越えて、リックを慕っているとしても、不思議はないと思った。
「そう言えば、変ったんだな」 
「何が?」 
 二人とも、手を止めずに話していた。 
「自分のことを、私から、僕って、言うようになっただろう。話し方も、リックの影響か?段々砕けて来ている」 
「ああ」 
フィリップは、少し照れたように、笑った。
「何か、僕って言う方が、自分らしいような気がするんだ。おかしいかな?」 
「いやあ、その方がいい。ずっと、お前さんらしいよ」 
ハリーは、もし生きていれば、娘と同じくらいの年齢になるフィリップを、優しい瞳で見つめた。 
そこへ、アンヌの荷物を持って、ようやくリックが、タヴァンから出て来た。 
「遅かったじゃないか」 
「レティシアの頬が、ひどく赤かったから、具合でも悪いんじゃないかと思って、少し部屋で、診てやってたのさ」
「俺の想像では、お前さんの介抱で、もっと赤くなったはずだ」 
ぬけぬけと話すリックの行いなど、お見通しと言わんばかりにハリーは言った。 
「レティシア、具合悪いの?」 
心配そうに口を挟んできたフィリップに、リックとハリーは、顔を見合わせて笑いだした。 
  
  
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

捨てられた王妃は情熱王子に攫われて

きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。 貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?  猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。  疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り―― ざまあ系の物語です。

処理中です...