と或る男の憧憬

衣更月

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と或る男の憧憬

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 生まれ年は覚えていない。
 気が付けば、そこに在った。
 親と呼べる者も、同属と呼べる者もいなかった。
 ただ、ちらちらと雪の降る夜であったのは覚えている。
 誰に教わるでもなく、在った瞬間から知識が泉のように湧き出していたので困ることはなかった。
 暗い空から落ちるのは”雪”で、もくもくとしたものは”雲”。闇夜を震わせるように遠吠えしているのは”狼”。
 次いで、漠然とした空腹を覚え、己が何者かを理解した。
  вѫпырьバンピア
 後のヴァンパイアと恐れられる怪物だ。
 空腹を癒すために、初めて狩ったのはシカ。次いでウサギ。クマやイノシシ、オオカミも屠った。
 毛深いものに牙を突き立てるのは、慣れるまで時間がかかったが、コツを掴めば腹を満たせるほど飲めた。
 私に食餌のコツを教える者はいなかったから、種の違う獣を狩る度に試行錯誤した。
 長い月日、獣ばかりを狩っていたと思う。
 生まれたての私の世界は狭かった。
 だが、獲物が獣から人間に変わるのは、それほど遅くはなかったはずだ。
 初めて襲ったのは森の片隅の炭焼き小屋で寝泊まりしていた男だ。
 皺だらけの、年を経た男だった。
 獣より容易く狩れたが、年を経た男の血は淀み、喉の奥にネバついた酸味を覚えるような不味さだった。次いで襲ったのは、男の息子だ。味はそこそこ。それでも粗野な味わいは、どこかイノシシの血に似て好きになれなかった。
 そこから、矯めつ眇めつ人間を観察し、血の飲み比べをしてみた。
 結果、年が若いほど美味いと気が付いた。
 男より女の血の方が甘みが強く、さらに子を宿す前の女がまろやかな味わいだと分かった。
 ちなみに、赤子の血は甘さの種類が違う上に、一食分の血を吸うだけで死んでしまうので割に合わない。人間は狩りやすいが、集団になると厄介なので、赤子の死は人間の闘争本能に火をつけると知ってからは狩らなくなった。
 色々と試して分かったのは、8才から15才が飲み頃だということだ。
 ピークは25才頃で、それ以降は味の劣化が加速する。特に病気持ちは不味く、もったりとした粗悪な血は飲めたものでない。
 面白いことに、階級によっても味に差が出る。
 人間というのは優劣を作る生き物なのだ。
 私の好みは、15才前後の貴族の娘だった。
 貴族を狩るのは労力を要するが、蝶よ花よと育てられた娘は甘美なる味わいに育つ。
 幸運なことに、私の容姿は人間の娘には好ましく映るようで、多くの娘が自ら進んで血を吸われたがった。
 いつの頃からか、娘たちは私を「始祖様」というようになった。
 誰が言い出したのか、どのような情報網で広まったのかは分からない。
 娘たちは私を「始祖様」と慕い、娘たちの親は夜が来るのを恐れ、男たちは「化け物を狩れ」といきり立っていた。
 調べてみると、どうも私に噛まれた者の中から眷属が誕生するらしいのだが、全員が眷属になれる訳ではないらしい。
 幾つか実験してみた結果、100人中1人2人の割合で誕生していた。
 一見して眷属たちは私と同じだったが、日中に歩けず、人間だった頃の刷り込みか、宗教における神に弱かった。陽射しを浴びれば死に、首を落とされれば死に、十字架を押し当てられれば致命傷を負い、胸に杭を打たれては死んだ。
 そんな実験に飽き、再び狩りに勤しむようになった時には、かなり年月が過ぎていた。
 蝋燭の明かりがガス灯というものに変わり、機関車という鉄の乗り物が走るようになっていた。夜が夜ではなくなりつつあったが、大事に育てられた娘というものはいつの時代も変わりはなかった。
 警戒心が足りず、短絡的。
 私の容姿に弱く、容易に肌を見せて血を捧げる。
 思えば、その頃から時代は残酷になったのだろう。
 腹を満たすために娘の首に噛みついた私は、初めての絶望を味わうことになった。

「処女のフリをした売女だったのだ!純真無垢な顔をして、血は不味い!騙せると思うてか!」
 拳を握って力説すれば、車椅子に座る娘、ノノカ・コンドーが「はぁ…それで?」と気の抜けた返答をする。
「それで?だと!?よいか!年々、人間は不味くなる!好みの処女など殆どおらぬのだ!」
「好み?顔をチェックしてから噛みついているの?やらしい」
 ジトっとした目に、思わず息詰まる。
 ノノカは自身を14だと言っていたが、病のせいか、成長が遅い。この国は民族的に成熟の遅さはあるが、ノノカはそれに輪をかけて幼い。
 だというのに、物言わぬ目は大人びていて気後れすることがある。
 いや、ない!なぜ高貴な私が人間の小娘などに気後れせねばならんのだ!
「ふん」と鼻を鳴らして、「当然だろう」と胸を張る。
「美醜で味は異なる。人間も料理をそのように感じるだろう?」
「はぁ、まぁ」
 なんとも歯切れが悪い。
「テレビを見てると、そうなのかなって思う。私はずっと病院食だから」
 車椅子を押す手が、少し動揺してしまった。
 ノノカは生まれついて心臓が悪い。
 入退院を繰り返し、ほぼ病院で育ったのだという。
 親は治療費を稼ぐためか、はたまた情が薄れて潰えたのか、月に1回の治療費を支払いに来るだけで見舞いには来なくなったそうだ。
「外で豪勢な食事をしたいか?」
「ん~どうだろう?高級レストランに連れていかれても、完食は難しいよね。食が細くて、あんまり食べれないんだ」
「それは困るな。たくさん食べて、まるまる太ってもらわねば、血を分けて貰えないだろう?」
「そうだね。今吸われたら貧血で倒れちゃう」
 くすくすと、ノノカは肩を揺らしながら私を見上げる。
「こんなに不健康なのに、私はマリウスのお眼鏡にかなったってことね。光栄かも」
 嬉しそうに頬の笑窪を深めているが、ノノカの容姿は美しさとは対極にある。
 痩せ衰えた手足は小枝のようで、注射や点滴の痣が絶えず広がる。腹は干乾びた内臓が納まっていそうなほど細く、女性的な丸みはない。骨と皮とはよく言ったものだ。栄養の足りぬ肌は粉が吹き、人より浅く、ゆっくりとした呼吸は見る者に不安を植え付ける。
 年相応に丸みを帯びれば、愛らしい顔つきなのだろう。
 次の手術が成功すれば、来春にはコーコーセイになるというが、想像の中の健康的なノノカはやはり幼い。
 ただ、ノノカの黒曜石のような瞳は、吸い込まれそうなほどの力強さがあって目が離せなくなる。
 そんなことを思っているとは想像にもしていないのだろう。
 ノノカは喉を反らすように私を見上げる。
「マリウス」
「なんだ?」
「こうやって見上げるとね。プラチナブロンドがキラキラしてキレイね。瞳は宝石みたいに青いし、イケオジよ」
 くすくすと、ノノカは楽しそうに笑う。
「オジサンの見た目ではないだろう?長らく生きているのだ。緩やかに年を経ているが、人間にとっては30手前の見た目のはずだ」
「私から見れば、アラサーは立派なオジサンだよ。でも、すごくカッコイイ…うんん、キレイなオジサン」
 他愛ないお喋りに、ノノカは気分よく鼻歌を歌う。
 私がノノカと出会った時も、ノノカは鼻歌を歌っていた。
 初春にしては強い陽射しの降り注ぐ散策路に1人で車椅子を止め、手にぷくりと膨れた血の玉を見つめていたのだ。
 病院に併設された公園に危険なものはないが、すべての樹木を伐採し、コンクリートで固めているわけではない。恐らく、何かしらの枝が皮膚に刺さったのだろう。小さな血の玉は、通りかかった私を魅了するほどの芳香を放っていた。
 ああ、そうか。
 ノノカが私に囚われたのではなく、私がノノカに囚われたのか。
 以来、私はノノカと共にある。 
 散策路の出口に近づき、ぽつぽつと子供の姿が目立ち始めた。白衣姿の人間に寄り添われて歩く子供に、親と一緒にベンチに座る子供。どの子供も病を抱えているので駆け回ることはないが、外に出れたことが嬉しいのか、喜んでいるものが多い。
 僅かな段差に気遣い、車椅子を押すスピードを緩める。
 かたん、と段差を越えると、ノノカは鼻歌を止めた。 
「私ね、マリウスなら全身の血を吸われても良いわ」
 唐突な告白だな。
「初耳だ」
「初めて言った。吸われる方も美醜を気にするみたい。やらしい」
 ノノカは笑う。
「吸われたいなら薬漬け生活から早く脱却するんだな」
 ノノカの血は、目も眩むような芳醇な香りを放つ。薬の臭いを差し引いても、極上品だ。
 初めての出会いで、私は憑かれたようにノノカの前で跪き、気づけば小さな手を取って血を啜っていた。
 衝動的な行動に私は驚いたし、ノノカは私以上に驚いて固まっていた。発作が出なかったのは奇跡で、青白い顔が恐怖に硬直していたのが忘れられない。
「ノノカに私の血を分けてやりたいな」
「マリウスの血をもらったらどうなるの?」
「人間の理から外れたモノになる」
 ノノカはぱちくりと瞬きを繰り返し、そっと胸に手を添える。
「苦しむことはなくなる?」
「なくなるな」
「私の血は?マリウスの舌を満足させなくなるんじゃない?」
「どうかな?本質は変わらないはずだから、旨いままだろう」
 そこは実験していなかったな。
「メリットばかりね。デメリットは?」
「退屈なる時と飢えがある」
 少し脅すようにノノカの耳元で囁けば、ノノカは擽ったそうに笑う。
「不老不死というわけではないがな。似たような年月を生きる。退屈で死にたくなる」
 冗談めかした言葉に、ノノカは「マリウスが一緒なら退屈じゃないよ」とはにかむ。
「あとは食餌だな。血液パックを人肌に温めて飲むのは味気ないぞ?なにしろ、ここ百年。人間の血は飲めたものではないんだ。処女を探すだけで骨が折れる。ようやく見つけたと思えば、化粧や香水の臭いに胸が悪くなる。処女でない女に妥協すれば、ドラッグに溺れている。あれは頂けない。嘔吐するほどの劇薬だ。シカやウサギを狩った方がマシだ」
「それじゃあ、人里離れた森に住むのが良いね。私は動物の血を飲んで、マリウスは私の血を飲めばいい。マリウスだったら、家畜になっても良いわ」
 ノノカは軽やかに笑う。
 その笑い声に、白衣を着た人間たちが微笑んでいる。「ノノカちゃん、体調が良さそうね」「次は手術できそうね」「ノノカちゃん、無理しないようにね」などと様々な声がかけられる。
 ノノカは楽しそうだ。
「誰も不思議に思わないのかな?私、膝に手を置いてるのに。マリウスの魔法さいみんは凄いね」
「そうだな」
 堂々と私が車椅子を押しているのに誰も気づかない。
 正確には、私が見えているのに認識できない。その違和感すら感じない。
 ならばーーーー。
 ノノカが15になったら連れ去ろうか。
「家畜ではなく、伴侶というのも良いな」
 私の笑みに、ノノカは驚いたように私を見上げ、顔を真っ赤に染めていた。
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