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グレン・クロムウェル
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クロムウェル公爵領は広大だ。
特産は麦とトウモロコシで、ウイスキーとエールの産地でもあるという。なので、カスティーロを離れれば長閑な田園風景が広がる。
馬車の窓から覗く風景は青々とした麦穂の波で、ゴールドスタイン領にはない一望無垠だ。
領地の広さが違うというのもあるけど、ゴールドスタイン領はぽこぽこと小山があるので見渡す限りの麦畑とはいかない。そもそも向こうの特産は羊毛なので、麦より羊。人口より羊の方が多く、牧歌的な風景を織りなしている。
片や第2騎士団からカスティーロまでの道中は、”魔女の森”の一部が飛び地のように茂っているので、地平線までを見渡せる田園風景ではないのだ。トウモロコシ畑も点在しているので、凸凹と不揃いの景観となっている。
ここの風景は青空と相俟って、目が離せないほど壮観だ。
「興味が尽きないか?」
「はい。同じ領地とは思えない景色ですし、”魔女の森”に接しているのに平和というのも驚かされます。ゴールドスタイン領では、常に武装した兵士、自警団や冒険者が警邏に当たっていたので、こうしてじっくり景色を楽しむことは出来ないかもしれません」
「ここは全員獣人だからな。人族と違って個々の能力が高い。聴覚や嗅覚で危険を察知することもできるし、危険を回避できる健脚もある」
「だから子供たちだけでも遊べるんですね」
麦畑の畔を駆け回る子供たちを食い入るように見つめる。
なんという可愛さなのか!
獣人の子供たちには、耳や尻尾があるのだ。犬や猫のような三角の耳の子もいれば、ウサギのように長い耳の子もいる。尻尾も長かったり、短かったり、太かったり、細かったりと様々だ。
獣人の特徴的な耳と尻尾は、遅くても5才までにはなくなり、外見は人族と変わらなくなるという。
その際の痛みで、マリアは3日も寝込んだと言っていた。かと思えば、ジョアンが寝込んだのは1日だったそうだ。
痛みには個人差があるらしい。
「耳も尻尾もなくならなければいいのに」
そっちの方が可愛いのに、と思ったところで、耳と尻尾の生えたジャレッド団長を想像して身震いしてしまった。
可愛くない。
逆に野生を感じて怖い。
そんな私の心の中を読んだように、ジャレッド団長が眉間に深く皺を刻んだ。こちらに向ける目には、ありありと不満の色のが見てとれる。
「あ…その…ここら辺は危険な魔物はいないんですか?」
苦し紛れの問いに、ジャレッド団長は「ああ」と肩を竦めた。
「第3騎士団が常に見回っているからな。うちはイヌ科ネコ科の獣人が主だが、第3は耳が良いウサギやシカの獣人も所属している。それで広範囲の異常を察することができる。とは言え、被害はゼロではないんだがな」
「たまに魔物が出るってことですか?」
「出る。だが、獣人は弱くはないので、小さな魔物なら農民たちが倒す。それどころか、農作業の合間に狩りに出る者もいる」
農民が狩りに出るなんて!
下手をすると、人族のBランク冒険者たちより強いんじゃないだろうか…。
「今のクロムウェル領は重税を課していないし、農地も豊かだ。領民が飢えることはないが、贅を楽しめるわけではない。特に肉や魚は安くはないからな。自分たちで狩れるなら、そっちの方が安上がりだろ?」
「そうですけど…。魚も高いんですか?」
「ここは海が遠い。海鮮と塩は、肉より高い場合がある。安い魚は、領地で獲れる川魚だ」
確かに、海は遠い。
キャトラル王国は内陸国なので、私は海を見たことがない。ヴァレアナズ帝国は海に面しているけど、クロムウェル領の反対側なので、気軽に行ける距離ではない。
「領民。特に農村部は気軽に肉や魚を買えるような店も少ない。鮮度を考えれば、狩った方がいいだろ?狩るといっても単独で狩るわけじゃない。幾人かと狩り、獲物を分けて持ち帰る。それにはルールもあって、危険な魔物は狩らずに騎士団へ報告することが義務となっている」
それでも凄いことだ。
人族では絶対にありえない。キャトラル王国では、どんなに小さな魔物でも自警団やギルドに通報が義務付けられている。
「まぁ、うちとは違って、この辺りで危険な魔物と遭遇する確率は低いだろうな」
ジャレッド団長は窓の外を指さし、「着くぞ」と嘆息する。
馬車はまだ走っているし、窓の外は長閑な田園風景だ。
でも、明らかに農民とは異なる体躯の男性たちが目につき始めた。
薄汚れたシャツの袖をまくり上げた人たちが、汗だくになって走っている。中には途中でダウンする人もいて、そんな人たちに遠くから「休むな!!」と怒号が飛ぶ。
「第2は郊外だが、第3は敷地と田畑が隣接している。だから、こうして田畑の周りが新人の走り込みに使われる。なので、危険な魔物が出難い。出ても対処が早いというわけだ」
「田畑の周りをって…すごく広いですよ?」
「およそ10kmのコースと聞いたな。何周するのかは知らんがな」
ぞっとする…。
何人かの団員を見送ると、櫓が見えて来た。
「あの櫓が門の代わりだ」
「門はないんですか?」
「ない。一応、境界線に塀はあるが、子供の背丈くらいの低い塀だ。第3は敷地が広いからな。塀があると、緊急の際は邪魔なんだよ。どこからでも出撃できた方が効率的だろ?かといって、塀がなければ間違って農民や子供が迷い込むかもしれないからな」
櫓を越えると、もう農民は見当たらない。びしっと隊服を着た騎士の姿が目立ち、公爵家の馬車に気が付くと誰もが姿勢を正して頭を下げた。
しばらくして馬車が停車したのは、大きな建物の前だ。
馭者がドアを開けると、ジャレッド団長が降りた。そして、私に手を差し出すのだ。貴族では当たり前のエスコートなんだろうけど、平民の私としては慣れない。手を差し出されても、胸の奥がむず痒くなって羞恥がこみ上げる。
まるでお姫様になったみたい…。
薬の入ったリュックを抱え、怖ず怖ずと、ジャレッド団長の手に手を乗せる。
ごつごつと硬い騎士の手だ。
しかも大きい男の人の手…。
飛び降りたいところを我慢して、ステップを踏んで馬車から降りた。
と、「兄貴!」と快活な声が飛んできた。
人懐っこい笑みの男性が、手を振って駆けて来る。
ゆったり走っているように見えるのに、恐ろしく足が速い。しかも、近づくにつれてジャレッド団長よりも大きいと分かって、あんぐりと口を開けてしまった。
兄貴と叫んでいるので、あの人がグレン団長なんだろうけど、顔はあまり似ていない。ジャレッド団長が凄みのある美形なら、グレン団長は甘い顔立ちの美形と言ったところかな。キース副団長を彷彿とさせる王子様顔だ。
兄弟としての共通点は美形と黄金色の瞳くらいしかない。
「この子が例の子?」
グレン団長は足を止めると、「やあ」と私を見下ろす。
「初めまして。グレンだ。グレン・クロムウェル。ここの団長をしている」
にかっと白い歯を見せて笑うグレン団長は、高位貴族というには気さくな雰囲気がある。
「は、初めまして。第2騎士団で治癒師をしてます。イヴ・ゴゼットです」
「イヴか」
わしゃわしゃと頭を撫でられ、「いくつだ?」と問われて気が付いた。
ご機嫌に笑っているグレン団長は、私を子供だと思っているのだ。それも、うんと小さな子供だ。
「グレン」
ぴしゃり、とジャレッド団長がグレン団長の手を払い落とした。
「気安く触るなっ」
ガルルル、と唸り声が上がったかと思った瞬間、私はジャレッド団長の腕の中に納まっていた。
意味が分からない!
恥ずかしさで顔が火照って泣きたくなる。
「なにその独占欲。まるで先祖返りだな」
呆れたように目玉を回したグレン団長に、「うるさい!」とジャレッド団長が吠える。
「まぁ、いいや。で、イヴは幾つなんだ?」
「15です」
「え?……9才とか10才じゃなくて?」
こくりと頷き、「15です」としっかりと答える。
グレン団長は瞠目した後に、背筋を伸ばして綺麗な角度で頭を下げた。
「申し訳ない!成人しているレディに馴れ馴れしかった!」
こういうところは貴族っぽいのかもしれない。
平民であれば、「15か?ちいせぇな!がははは!」と頭を撫でに来る。
小さい、小さいと言うけれど、これでもギリ160cmあるので平均身長だ。ハノンでは、私より小柄な女性は珍しくなかった。
確かに、こっちに来てから私より小さな女性は見たことがないけど…。
「そんなことより、さっさと案内しろ」
「了解」
グレン団長は私にウインクすると、「こっちだ」と歩き出す。
「ちょっと歩く」
「この建物は違うんですか?」
ようやくジャレッド団長の腕から解放された私は、長くはない足で必死に追いかけながら質問する。
素通りしようとしている建物は年季は入っているけど、第2騎士団では見ない大きさだ。窓の数を数えて、4階建てというのが分かる。
似たような煉瓦造りの建物が数棟が並んでいる。
「ここは営舎。馬車はここまでしか入れない。緊急の時に馬車が行き来していたら邪魔だからね」
グレン団長が歩きながら説明してくれる。
営舎は9号棟まであり、内1棟は女性専用棟になるのだとか。使用人に関しては通いが可能で、半数の使用人が通いだという。通いの使用人の多くは既婚者だ。
一方、騎士は既婚者でも入寮が規則で決まっている。
第2騎士団も入寮となっているけど、第1騎士団だけは独身が営舎、既婚者は家族と近場に家を借りて住んでいるそうだ。たぶん、第1騎士団はカスティーロを拠点にしてるからだろう。
では、第2騎士団と第3騎士団の既婚者はどうするのかといえば、外出届を提出した上で、数日間の休暇を家族と過ごすことになる。
例外が従騎士だ。
キャトラル王国では明確な線引きがあり、騎士は貴族の子息がなるもので、平民は傭兵として雇われる。
それがヴォレアナズ帝国では、9才から13才の子供が入学することができる騎士学校がある。貴族や平民といった差別はなく、才能ある国民が寄宿寮に入り、規律正しい生活と騎士道精神を学び、卒業と共に従騎士として従事できる資格を得る。
第2騎士団は少数精鋭なので従騎士はいないけど、第1騎士団と第3騎士団は従騎士を受け入れている。
団員数に従騎士は含まれていないそうで、騎士叙任式を経て初めて団員に含まれるという。
故に、従騎士の入寮規則は緩く、個人の判断に委ねられているそうだ。
「私服に騎士団のケープを羽織ってるのが従騎士だ。叙任式を経て、制服と剣を支給される」
黒いケープが従騎士と使用人の区別となるのか。
改めて周囲を見渡すと、従騎士はみんな忙しそうに走り回っている。先輩騎士に付き従っている人もいれば、大きな荷物を抱えて走って行く人もいる。
所属団員数は200名前後と聞くけど、従騎士や使用人を合わせれば300名は超えそうだ。
所属人数が多ければ、建物も大規模になるのは自明の理。
営舎だけでなく、屋内訓練場や武器庫、厩舎と色んな建物が入り組むように建っている。
「治療院はどこにあるんですか?」
「治療院はない。正確には、営舎各棟に治療室があるが、治療薬を常備しているだけ。一応、棟の管理者が治療を行うけど、医者ではないんだ。誰が、いつ、どこでどのような怪我をし、どの薬を処方したのかを記録するくらいかな」
それは治療ではなく、単なる記録係だ。
「大怪我をしたらどうするんですか?やっぱりポーションですか?」
「低級ポーションを常備しているけど、数日で治る怪我には使わない。病気の場合は幾つか薬があるから、各々の判断になる。ポーションを使う線引きとしては骨折。症状が重い者は、町まで搬送するけど、たいていは数日で完治する。獣人は自己治癒力が高いからね」
獣人の”数日で治る”は、人族では重傷もあり得るので気軽に信用できない。
「あ、でも、ジャレッド団長は馬にポーションを使ってましたよ?」
「兄貴…。それはいくらなんでも…」
「普段はしない。あれはイヴを迎えにゴールドスタイン伯領の関所まで行ったからだ」
「ああ、あのボケカス伯爵のところか!なら必要経費だ」
グレン団長は言って、からからと笑う。
ジャレッド団長も無言で頷いている。
ボケカス伯爵か…。嫌悪のほどが分かりやすい。
それにしても、2人の歩幅は大きすぎる。
私は額の汗を拭い、「ふぅ」と息を吐く。少しだけ足を止めたのが悪かったのか。
ほんのちょっとの休憩は、足の長い2人とはぐれるまでに十分の時間だった。
特産は麦とトウモロコシで、ウイスキーとエールの産地でもあるという。なので、カスティーロを離れれば長閑な田園風景が広がる。
馬車の窓から覗く風景は青々とした麦穂の波で、ゴールドスタイン領にはない一望無垠だ。
領地の広さが違うというのもあるけど、ゴールドスタイン領はぽこぽこと小山があるので見渡す限りの麦畑とはいかない。そもそも向こうの特産は羊毛なので、麦より羊。人口より羊の方が多く、牧歌的な風景を織りなしている。
片や第2騎士団からカスティーロまでの道中は、”魔女の森”の一部が飛び地のように茂っているので、地平線までを見渡せる田園風景ではないのだ。トウモロコシ畑も点在しているので、凸凹と不揃いの景観となっている。
ここの風景は青空と相俟って、目が離せないほど壮観だ。
「興味が尽きないか?」
「はい。同じ領地とは思えない景色ですし、”魔女の森”に接しているのに平和というのも驚かされます。ゴールドスタイン領では、常に武装した兵士、自警団や冒険者が警邏に当たっていたので、こうしてじっくり景色を楽しむことは出来ないかもしれません」
「ここは全員獣人だからな。人族と違って個々の能力が高い。聴覚や嗅覚で危険を察知することもできるし、危険を回避できる健脚もある」
「だから子供たちだけでも遊べるんですね」
麦畑の畔を駆け回る子供たちを食い入るように見つめる。
なんという可愛さなのか!
獣人の子供たちには、耳や尻尾があるのだ。犬や猫のような三角の耳の子もいれば、ウサギのように長い耳の子もいる。尻尾も長かったり、短かったり、太かったり、細かったりと様々だ。
獣人の特徴的な耳と尻尾は、遅くても5才までにはなくなり、外見は人族と変わらなくなるという。
その際の痛みで、マリアは3日も寝込んだと言っていた。かと思えば、ジョアンが寝込んだのは1日だったそうだ。
痛みには個人差があるらしい。
「耳も尻尾もなくならなければいいのに」
そっちの方が可愛いのに、と思ったところで、耳と尻尾の生えたジャレッド団長を想像して身震いしてしまった。
可愛くない。
逆に野生を感じて怖い。
そんな私の心の中を読んだように、ジャレッド団長が眉間に深く皺を刻んだ。こちらに向ける目には、ありありと不満の色のが見てとれる。
「あ…その…ここら辺は危険な魔物はいないんですか?」
苦し紛れの問いに、ジャレッド団長は「ああ」と肩を竦めた。
「第3騎士団が常に見回っているからな。うちはイヌ科ネコ科の獣人が主だが、第3は耳が良いウサギやシカの獣人も所属している。それで広範囲の異常を察することができる。とは言え、被害はゼロではないんだがな」
「たまに魔物が出るってことですか?」
「出る。だが、獣人は弱くはないので、小さな魔物なら農民たちが倒す。それどころか、農作業の合間に狩りに出る者もいる」
農民が狩りに出るなんて!
下手をすると、人族のBランク冒険者たちより強いんじゃないだろうか…。
「今のクロムウェル領は重税を課していないし、農地も豊かだ。領民が飢えることはないが、贅を楽しめるわけではない。特に肉や魚は安くはないからな。自分たちで狩れるなら、そっちの方が安上がりだろ?」
「そうですけど…。魚も高いんですか?」
「ここは海が遠い。海鮮と塩は、肉より高い場合がある。安い魚は、領地で獲れる川魚だ」
確かに、海は遠い。
キャトラル王国は内陸国なので、私は海を見たことがない。ヴァレアナズ帝国は海に面しているけど、クロムウェル領の反対側なので、気軽に行ける距離ではない。
「領民。特に農村部は気軽に肉や魚を買えるような店も少ない。鮮度を考えれば、狩った方がいいだろ?狩るといっても単独で狩るわけじゃない。幾人かと狩り、獲物を分けて持ち帰る。それにはルールもあって、危険な魔物は狩らずに騎士団へ報告することが義務となっている」
それでも凄いことだ。
人族では絶対にありえない。キャトラル王国では、どんなに小さな魔物でも自警団やギルドに通報が義務付けられている。
「まぁ、うちとは違って、この辺りで危険な魔物と遭遇する確率は低いだろうな」
ジャレッド団長は窓の外を指さし、「着くぞ」と嘆息する。
馬車はまだ走っているし、窓の外は長閑な田園風景だ。
でも、明らかに農民とは異なる体躯の男性たちが目につき始めた。
薄汚れたシャツの袖をまくり上げた人たちが、汗だくになって走っている。中には途中でダウンする人もいて、そんな人たちに遠くから「休むな!!」と怒号が飛ぶ。
「第2は郊外だが、第3は敷地と田畑が隣接している。だから、こうして田畑の周りが新人の走り込みに使われる。なので、危険な魔物が出難い。出ても対処が早いというわけだ」
「田畑の周りをって…すごく広いですよ?」
「およそ10kmのコースと聞いたな。何周するのかは知らんがな」
ぞっとする…。
何人かの団員を見送ると、櫓が見えて来た。
「あの櫓が門の代わりだ」
「門はないんですか?」
「ない。一応、境界線に塀はあるが、子供の背丈くらいの低い塀だ。第3は敷地が広いからな。塀があると、緊急の際は邪魔なんだよ。どこからでも出撃できた方が効率的だろ?かといって、塀がなければ間違って農民や子供が迷い込むかもしれないからな」
櫓を越えると、もう農民は見当たらない。びしっと隊服を着た騎士の姿が目立ち、公爵家の馬車に気が付くと誰もが姿勢を正して頭を下げた。
しばらくして馬車が停車したのは、大きな建物の前だ。
馭者がドアを開けると、ジャレッド団長が降りた。そして、私に手を差し出すのだ。貴族では当たり前のエスコートなんだろうけど、平民の私としては慣れない。手を差し出されても、胸の奥がむず痒くなって羞恥がこみ上げる。
まるでお姫様になったみたい…。
薬の入ったリュックを抱え、怖ず怖ずと、ジャレッド団長の手に手を乗せる。
ごつごつと硬い騎士の手だ。
しかも大きい男の人の手…。
飛び降りたいところを我慢して、ステップを踏んで馬車から降りた。
と、「兄貴!」と快活な声が飛んできた。
人懐っこい笑みの男性が、手を振って駆けて来る。
ゆったり走っているように見えるのに、恐ろしく足が速い。しかも、近づくにつれてジャレッド団長よりも大きいと分かって、あんぐりと口を開けてしまった。
兄貴と叫んでいるので、あの人がグレン団長なんだろうけど、顔はあまり似ていない。ジャレッド団長が凄みのある美形なら、グレン団長は甘い顔立ちの美形と言ったところかな。キース副団長を彷彿とさせる王子様顔だ。
兄弟としての共通点は美形と黄金色の瞳くらいしかない。
「この子が例の子?」
グレン団長は足を止めると、「やあ」と私を見下ろす。
「初めまして。グレンだ。グレン・クロムウェル。ここの団長をしている」
にかっと白い歯を見せて笑うグレン団長は、高位貴族というには気さくな雰囲気がある。
「は、初めまして。第2騎士団で治癒師をしてます。イヴ・ゴゼットです」
「イヴか」
わしゃわしゃと頭を撫でられ、「いくつだ?」と問われて気が付いた。
ご機嫌に笑っているグレン団長は、私を子供だと思っているのだ。それも、うんと小さな子供だ。
「グレン」
ぴしゃり、とジャレッド団長がグレン団長の手を払い落とした。
「気安く触るなっ」
ガルルル、と唸り声が上がったかと思った瞬間、私はジャレッド団長の腕の中に納まっていた。
意味が分からない!
恥ずかしさで顔が火照って泣きたくなる。
「なにその独占欲。まるで先祖返りだな」
呆れたように目玉を回したグレン団長に、「うるさい!」とジャレッド団長が吠える。
「まぁ、いいや。で、イヴは幾つなんだ?」
「15です」
「え?……9才とか10才じゃなくて?」
こくりと頷き、「15です」としっかりと答える。
グレン団長は瞠目した後に、背筋を伸ばして綺麗な角度で頭を下げた。
「申し訳ない!成人しているレディに馴れ馴れしかった!」
こういうところは貴族っぽいのかもしれない。
平民であれば、「15か?ちいせぇな!がははは!」と頭を撫でに来る。
小さい、小さいと言うけれど、これでもギリ160cmあるので平均身長だ。ハノンでは、私より小柄な女性は珍しくなかった。
確かに、こっちに来てから私より小さな女性は見たことがないけど…。
「そんなことより、さっさと案内しろ」
「了解」
グレン団長は私にウインクすると、「こっちだ」と歩き出す。
「ちょっと歩く」
「この建物は違うんですか?」
ようやくジャレッド団長の腕から解放された私は、長くはない足で必死に追いかけながら質問する。
素通りしようとしている建物は年季は入っているけど、第2騎士団では見ない大きさだ。窓の数を数えて、4階建てというのが分かる。
似たような煉瓦造りの建物が数棟が並んでいる。
「ここは営舎。馬車はここまでしか入れない。緊急の時に馬車が行き来していたら邪魔だからね」
グレン団長が歩きながら説明してくれる。
営舎は9号棟まであり、内1棟は女性専用棟になるのだとか。使用人に関しては通いが可能で、半数の使用人が通いだという。通いの使用人の多くは既婚者だ。
一方、騎士は既婚者でも入寮が規則で決まっている。
第2騎士団も入寮となっているけど、第1騎士団だけは独身が営舎、既婚者は家族と近場に家を借りて住んでいるそうだ。たぶん、第1騎士団はカスティーロを拠点にしてるからだろう。
では、第2騎士団と第3騎士団の既婚者はどうするのかといえば、外出届を提出した上で、数日間の休暇を家族と過ごすことになる。
例外が従騎士だ。
キャトラル王国では明確な線引きがあり、騎士は貴族の子息がなるもので、平民は傭兵として雇われる。
それがヴォレアナズ帝国では、9才から13才の子供が入学することができる騎士学校がある。貴族や平民といった差別はなく、才能ある国民が寄宿寮に入り、規律正しい生活と騎士道精神を学び、卒業と共に従騎士として従事できる資格を得る。
第2騎士団は少数精鋭なので従騎士はいないけど、第1騎士団と第3騎士団は従騎士を受け入れている。
団員数に従騎士は含まれていないそうで、騎士叙任式を経て初めて団員に含まれるという。
故に、従騎士の入寮規則は緩く、個人の判断に委ねられているそうだ。
「私服に騎士団のケープを羽織ってるのが従騎士だ。叙任式を経て、制服と剣を支給される」
黒いケープが従騎士と使用人の区別となるのか。
改めて周囲を見渡すと、従騎士はみんな忙しそうに走り回っている。先輩騎士に付き従っている人もいれば、大きな荷物を抱えて走って行く人もいる。
所属団員数は200名前後と聞くけど、従騎士や使用人を合わせれば300名は超えそうだ。
所属人数が多ければ、建物も大規模になるのは自明の理。
営舎だけでなく、屋内訓練場や武器庫、厩舎と色んな建物が入り組むように建っている。
「治療院はどこにあるんですか?」
「治療院はない。正確には、営舎各棟に治療室があるが、治療薬を常備しているだけ。一応、棟の管理者が治療を行うけど、医者ではないんだ。誰が、いつ、どこでどのような怪我をし、どの薬を処方したのかを記録するくらいかな」
それは治療ではなく、単なる記録係だ。
「大怪我をしたらどうするんですか?やっぱりポーションですか?」
「低級ポーションを常備しているけど、数日で治る怪我には使わない。病気の場合は幾つか薬があるから、各々の判断になる。ポーションを使う線引きとしては骨折。症状が重い者は、町まで搬送するけど、たいていは数日で完治する。獣人は自己治癒力が高いからね」
獣人の”数日で治る”は、人族では重傷もあり得るので気軽に信用できない。
「あ、でも、ジャレッド団長は馬にポーションを使ってましたよ?」
「兄貴…。それはいくらなんでも…」
「普段はしない。あれはイヴを迎えにゴールドスタイン伯領の関所まで行ったからだ」
「ああ、あのボケカス伯爵のところか!なら必要経費だ」
グレン団長は言って、からからと笑う。
ジャレッド団長も無言で頷いている。
ボケカス伯爵か…。嫌悪のほどが分かりやすい。
それにしても、2人の歩幅は大きすぎる。
私は額の汗を拭い、「ふぅ」と息を吐く。少しだけ足を止めたのが悪かったのか。
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ふと目を開けると、私は7歳くらいの女の子の姿になっていた。
きらびやかな装飾が施された部屋に、ふかふかのベット。忠実な使用人に溺愛する両親と兄。
私は戸惑いながら鏡に映る顔に驚愕することになる。
この顔って、マルスティア伯爵令嬢の幼少期じゃない?
私さっきまで確か映画館にいたはずなんだけど、どうして見ていた映画の中の脇役になってしまっているの?!
映画化された漫画の物語の中に転生してしまった女の子が、実はとてつもない魔力を隠し持った裏ボスキャラであることを自覚しないまま、どんどん怪物を倒して無双していくお話。
設定はゆるいです
義弟の婚約者が私の婚約者の番でした
五珠 izumi
ファンタジー
「ー…姉さん…ごめん…」
金の髪に碧瞳の美しい私の義弟が、一筋の涙を流しながら言った。
自分も辛いだろうに、この優しい義弟は、こんな時にも私を気遣ってくれているのだ。
視界の先には
私の婚約者と義弟の婚約者が見つめ合っている姿があった。
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