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ふたりの距離感
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ゴリゴリ…ゴリゴリ…。
薬研で丁寧に薬草を碾く音は、ヒーリング効果があると思う。
ひと碾き、ひと碾き、薬研車で薬草を碾く度に立ち上る独特な香りも、私にとっては心地良いものだ。
ただ、嗅覚の鋭い獣人は、咳き込んで具合を悪くしてしまう人もいる。
作業場は治療院の2階で、1階は常に窓を開いてニオイが籠らないように配慮しているけど、薬草や素材を碾いたりすり潰したり煮込んだりすると、どうしても強く臭ってしまうらしい。
まぁ、人族でも苦手な人は多いけどね。
ちなみに、獣人で薬師を専門とする人はいないと聞く。
医者となった獣人が、鼻栓してマスクして、患者に適した薬を調合することが稀にあるくらいで、殆どが人族の国からの輸入品なんだとか。それくらい、獣人の自己治癒力は凄いということなのだろう。
「ふぅ」
ひと息吐いて、気怠い手を軽く振る。
薬草を碾くのは大仕事なのだ。
朝から碾いてるから、手首だけじゃなくて手のひらもじんじんと鈍く痛む。
「でも、結構な種類を碾けたかな」
碾いた薬草は種類ごとにラベリングした瓶に詰めている。
次は調薬だ。
煮込む工程がある場合、ドアに【調薬中】の札を下げるのがルールとなっている。これはニオイに敏感な獣人への配慮と、作業を中断できない事情を報せる目的を兼ねる。
【調薬中】の札を手に取って、1段飛ばしで階段を駆け下りる。
ドアを開いて札を下げようとしたところで、「ご機嫌だな」と厳めしい顔つきのジャレッド団長が歩んで来た。
黒い隊服に腰には長剣を携えている。
「あ…ジャレッド団長。お怪我ですか?」
あの顔つきは怒っているわけではないと分かっていても、見上げるばかりの体躯の騎士団長が眉間に皺を刻んだ表情をしていると腰が引けてしまう。
そんな私の様子に気が付いたのか、ジャレッド団長は眉間に指を添えて「ああ…」と口角を歪めた。
「別に機嫌が悪いわけじゃない」
と言いながら、皺を伸ばすように指腹で眉間を擦っている。
「長年の癖のようなものだな」
「…分かってます」
キース副団長だけでなく、マリアたちも「ジャレッド団長の不機嫌顔はデフォルトだから。慣れよ、慣れ」と笑い話のように言っていた。
本当に機嫌が悪い時は、本能で恐怖を感じるからすぐに分かるとも…。
それはそれで怖い。
「えっと…どうぞ。治療します」
ドアに札を下げて、そそくさと中へ入る。
続いて入って来たジャレッド団長は、「治療ではない」と肩を竦めた。ちょんと指さす先は2階だ。
「薬師の仕事を見学させてくれ」
「あ、でも…これから調薬ですよ?ジャレッド団長は鼻が良いのでキツいんじゃないですか?」
「構わない」
ジャレッド団長は言って、臆することなく階段を上って行く。
「お仕事は?」
「終わらせて来ている」と、剣を外して、作業台の奥。窓際の丸椅子に陣取った。
ジャレッド団長の体躯に対し、椅子は子供用みたいに小さく見える。
椅子の脚が折れませんように…。
「結構な量だな」
作業台の上に置きっぱなしの薬研と、粉にした薬草を詰めた瓶の数に圧倒されながら、ジャレッド団長が僅かに顔を顰めた。
臭うらしい…。
「碾くのは大仕事なので、やれる内にやってしまうんです。と言っても、碾きっぱなしで保管しては品質が下がるので、数日の内に無くなる量です」
「それで今日は?虫刺されの薬か?」
「今日は湿疹とあかぎれの軟膏を作ります」
「湿疹とあかぎれ…。そういえば、数名が森で何かの植物にかぶれたと報告で見たな」
3日前、治療院に顔や手を真っ赤にさせて駆け込んできたのは4名の団員だった。
症状は赤みや腫れ、痒み、ヒリヒリとした痛み。
特に痒みの症状が酷く、患部は掻き毟りで皮膚が傷つき、血を滲ませていた。
一応、治験ということで治癒魔法は使わず、傷口の消毒と軟膏を塗る処置にした。
その軟膏もヴァーダド特性のレシピだ。
軟膏の効能は高評価を得たけど、如何せん、彼らが何にかぶれたのかは今も分かっていない。分かっていないから、新たな患者が来る可能性がある。
軟膏が残り僅かなので、今日は朝から只管、薬草を碾いていたのだ。
「かぶれの軟膏とは別に、あかぎれはマリアたちのリクエストです。マリアたちは水仕事で、すぐに皮膚がぱっくり切れちゃうそうなんです。獣人は傷がすぐに治ると言っても、痛いものは痛いですから。あかぎれの軟膏と、時間があれば保湿クリームを作ろうかと」
「なるほど」
ジャレッド団長は頷いて、きょろきょろと周囲を探る。
「まさか、かぶれそうな植物なんて持ち込んでないだろうな?」
「持ち込んでません」
考えただけで…。
「おい。俺の目を真っすぐ見て答えろ」
アカサシムシという前科があるだけに目が泳いでしまう。
ジャレッド団長の双眸は、太陽の色と言われるイエローダイヤモンドみたいな黄金色でとても綺麗な反面、言い逃れできないような鋭さがある。
つまり、とても居心地が悪い。
そわそわきょろきょろと視線が泳ぐくらい大目に見てほしい。
「本当に持ち込んでません。…また怒られたくはないので…」
答えてみたものの、ジャレッド団長の目には僅かながらに疑心が残っている。
私も胸を張って「二度としません」と宣言できないていどには後ろ暗さはある。ジャレッド団長の長期出張の留守を狙って…とか。
「イヴ・ゴゼット。クロムウェル公爵家の者として聞こう。今後、己の身を実験体とすることは決してないと誓えるか?」
「こ、公爵家として…ですか?」
「そうだ」
ジャレッド団長は長い足を組み、涼やかな顔でこちらを見ている。
こういう時に公爵家の威光を笠に着るのは卑怯だ。
でも、逆らえない。貴族の言葉には諾と従う平民魂が、体の隅々にまで浸透しているのである。
「…はい。自分の体を実験に使いません…」
「信じよう」
にやり、と口角を吊り上げたジャレッド団長に、私はしおしおと項垂れる。
私だって自傷行為をしたいわけじゃない。ただ、効果を実感したいだけだ。それに、危険な虫や植物で治験しようとは思わない。自分の治癒魔法で完治できる範囲内を心掛けている。
祖父母もそうだったので、殆ど記憶にないけど、母もそうだったはずだ。
そう反論したところで、ジャレッド団長に敵うはずもない。
気持ちを切り替えるように深呼吸をして、顔を上げてジャレッド団長に向き直る。
「もう自分の体で実験はしません。でも、騎士団員が怪我を負ったら軽傷でも私に見せて下さい」
「それは約束する。治験とやらは団員にさせれば良い」
「そうと決まれば、どんな症状で駆けこまれても良いように、薬の種類も増やさなきゃダメですね」
やる気でてきた!
作業台の上に小型コンロと鍋を置く。
ここで使用するのは、焔石と言われる火属性を持つ鉱石だ。色は薄墨色で、そこら辺に転がっていそうな見てくれをしている。
見分けは難しいけど、触れれば分かる。
焔石は仄かな熱を発しているのだ。
特異な性質は、水をかけることで本領を発揮する。
焔石に水をかけた途端に、焔石の温度は急上昇する。通常、焔石は硬い岩盤の中にあるので、雨でどうこうなることはない。ただ、土砂崩れで剥き出しになった焔石は、森林火災を生み出すほどの危険物となる。それほど焔石の熱は高温なのだ。
手軽である分、取扱注意の筆頭格である。
調薬の準備が整い、ジャレッド団長に視線を馳せる。
「作業を進めて大丈夫ですか?」
「ああ、構わない」
じゃあ、お言葉に甘えて作業を再開だ。
秤で必要分の蜜蝋を量った後、鍋に蜜蝋とオイルを入れる。
焔石を発熱させるのは、スポイトの水を使う。必要なのは数滴の水だ。
慎重に焔石に水を滴下させた瞬間、ジュッ、と音がして焔石の中央部が緋色に光った。
例えるなら火を宿した木炭のようだ。
「一気にかけないのか?」
「大量に水をかけると、高温になりすぎて焦げ付いてしまうんです。蜜蝋はゆっくり溶かすものなんですよ」
「甘い香りがするな」
すんすん、とジャレッド団長が鼻を動かす。
「良質の蜜蝋は、溶けると仄かに甘い香りがするんです。反対に質の悪い蜜蝋は、腐臭に近い嫌な臭いがします。人族は見た目だけで判断するので粗悪品に気づきにくいんですけど、これはハベリット商会の蜜蝋なので質が良いんです」
嗅覚の鋭い獣人は見た目に騙されないので、ハベリット商会の薬草部門は、常に高品質の商品を取り揃えている。
「調薬は悪臭がすると聞いたが、悪臭ではないな」
「これからですよ」
薬匙を使い、粉にした薬草を鍋に入れて行く。
ヘラでかき混ぜる度に、溶けだした薬草の成分が独特のニオイを立て始めた。それに比例して、ジャレッド団長の鼻の頭に皺が寄り、苦々しい顔つきになっていく。
でも、手は止められない。
ここからが重要な工程となる。
聖属性の魔力を丁寧に流し込むのだ。
ポーションを作る時は、ひたすら魔力を流し込むけど、薬は違う。ほんの少しずつだ。料理に例えるなら、塩ひとつまみとかかな?それを時間をかけて、一粒一粒落としていく感じ。
ほんのり光りを帯びるまで、ゆっくり、ゆっくり微弱な魔力を流し込むのがポイントだ。
一気に大量の魔力を注ぐと逆効果で、使用する薬草によっては魔力と反発しあって副作用を生むらしい。
本によると、薬草や素材には魔力との相性があるので、決して間違ってはいけないという。試験にも出る項目なので、薬師を目指す治癒師には暗記必須となる。
「ああ、そうだった。言い忘れていたが、第3騎士団へ行く日程が整った」
ジャレッド団長は軽く咳き込んだ後、「一週間後だ」と言い足した。
「治験の…。話を通してくれたんですね。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。
「グレンが”よろしく”とのことだ」
「グレン…。ジャレッド団長の弟さん…ですよね?」
「ああ、そうだ。第3の団長でもある。グレンの話では、虫刺されは珍しくないそうだ。特に使用人は、何かしらの虫に悩まされていると言っていたぞ」
「何かしら…ですか?」
「アカサシムシも珍しくはないそうだが、ハチやムカデ、毛虫も多いと聞いたな」
どれも痛みと炎症を伴う危険な虫だ。
種類によっては、発熱、発疹、嘔吐、痙攣。最悪は死に至ると本で読んだことがある。
資格はないから薬の容量は多く用意できないけど、上限ギリギリの薬を持っていこう。
頭の中でぐるぐるとレシピが巡る。
「顔つきが薬師になったな」
「頑張ります!」
気合が入る。
危うく興奮しそうな魔力を鎮めて、ゆっくり、ゆっくりを心がける。
「今回は第3まで馬車で行く」
第2騎士団に馬車は1台しかない。
買い出しに行く幌馬車だ。
私が来る前は、病気や大怪我を負った団員を町医者の所に乗せて行くのにも使っていたらしい。
それを思うと、幌馬車を使うのは憚られる。
「辻馬車ですか?」
「いや。馬車は公爵家のものだ。朝一に迎えに来る」
「公爵家…」
楽しい気分が、しおしおと萎れていく…。
「同行するのは俺だ」
俺だ。
そこから同行者の名前が連なるのかと思ったけど、しん、とした沈黙が続く。
ジャレッド団長と2人きりということ?
ちらり、とジャレッド団長を見れば、柔らかな表情だ。薄い唇は微笑ともとれる弧を描いている。
なにより、黄金色の瞳が陽だまりみたいに暖かく、優しい。
その瞳に私が映っているのかと思うと、なぜか胸の奥がそわそわと落ち着かなくなった。
薬研で丁寧に薬草を碾く音は、ヒーリング効果があると思う。
ひと碾き、ひと碾き、薬研車で薬草を碾く度に立ち上る独特な香りも、私にとっては心地良いものだ。
ただ、嗅覚の鋭い獣人は、咳き込んで具合を悪くしてしまう人もいる。
作業場は治療院の2階で、1階は常に窓を開いてニオイが籠らないように配慮しているけど、薬草や素材を碾いたりすり潰したり煮込んだりすると、どうしても強く臭ってしまうらしい。
まぁ、人族でも苦手な人は多いけどね。
ちなみに、獣人で薬師を専門とする人はいないと聞く。
医者となった獣人が、鼻栓してマスクして、患者に適した薬を調合することが稀にあるくらいで、殆どが人族の国からの輸入品なんだとか。それくらい、獣人の自己治癒力は凄いということなのだろう。
「ふぅ」
ひと息吐いて、気怠い手を軽く振る。
薬草を碾くのは大仕事なのだ。
朝から碾いてるから、手首だけじゃなくて手のひらもじんじんと鈍く痛む。
「でも、結構な種類を碾けたかな」
碾いた薬草は種類ごとにラベリングした瓶に詰めている。
次は調薬だ。
煮込む工程がある場合、ドアに【調薬中】の札を下げるのがルールとなっている。これはニオイに敏感な獣人への配慮と、作業を中断できない事情を報せる目的を兼ねる。
【調薬中】の札を手に取って、1段飛ばしで階段を駆け下りる。
ドアを開いて札を下げようとしたところで、「ご機嫌だな」と厳めしい顔つきのジャレッド団長が歩んで来た。
黒い隊服に腰には長剣を携えている。
「あ…ジャレッド団長。お怪我ですか?」
あの顔つきは怒っているわけではないと分かっていても、見上げるばかりの体躯の騎士団長が眉間に皺を刻んだ表情をしていると腰が引けてしまう。
そんな私の様子に気が付いたのか、ジャレッド団長は眉間に指を添えて「ああ…」と口角を歪めた。
「別に機嫌が悪いわけじゃない」
と言いながら、皺を伸ばすように指腹で眉間を擦っている。
「長年の癖のようなものだな」
「…分かってます」
キース副団長だけでなく、マリアたちも「ジャレッド団長の不機嫌顔はデフォルトだから。慣れよ、慣れ」と笑い話のように言っていた。
本当に機嫌が悪い時は、本能で恐怖を感じるからすぐに分かるとも…。
それはそれで怖い。
「えっと…どうぞ。治療します」
ドアに札を下げて、そそくさと中へ入る。
続いて入って来たジャレッド団長は、「治療ではない」と肩を竦めた。ちょんと指さす先は2階だ。
「薬師の仕事を見学させてくれ」
「あ、でも…これから調薬ですよ?ジャレッド団長は鼻が良いのでキツいんじゃないですか?」
「構わない」
ジャレッド団長は言って、臆することなく階段を上って行く。
「お仕事は?」
「終わらせて来ている」と、剣を外して、作業台の奥。窓際の丸椅子に陣取った。
ジャレッド団長の体躯に対し、椅子は子供用みたいに小さく見える。
椅子の脚が折れませんように…。
「結構な量だな」
作業台の上に置きっぱなしの薬研と、粉にした薬草を詰めた瓶の数に圧倒されながら、ジャレッド団長が僅かに顔を顰めた。
臭うらしい…。
「碾くのは大仕事なので、やれる内にやってしまうんです。と言っても、碾きっぱなしで保管しては品質が下がるので、数日の内に無くなる量です」
「それで今日は?虫刺されの薬か?」
「今日は湿疹とあかぎれの軟膏を作ります」
「湿疹とあかぎれ…。そういえば、数名が森で何かの植物にかぶれたと報告で見たな」
3日前、治療院に顔や手を真っ赤にさせて駆け込んできたのは4名の団員だった。
症状は赤みや腫れ、痒み、ヒリヒリとした痛み。
特に痒みの症状が酷く、患部は掻き毟りで皮膚が傷つき、血を滲ませていた。
一応、治験ということで治癒魔法は使わず、傷口の消毒と軟膏を塗る処置にした。
その軟膏もヴァーダド特性のレシピだ。
軟膏の効能は高評価を得たけど、如何せん、彼らが何にかぶれたのかは今も分かっていない。分かっていないから、新たな患者が来る可能性がある。
軟膏が残り僅かなので、今日は朝から只管、薬草を碾いていたのだ。
「かぶれの軟膏とは別に、あかぎれはマリアたちのリクエストです。マリアたちは水仕事で、すぐに皮膚がぱっくり切れちゃうそうなんです。獣人は傷がすぐに治ると言っても、痛いものは痛いですから。あかぎれの軟膏と、時間があれば保湿クリームを作ろうかと」
「なるほど」
ジャレッド団長は頷いて、きょろきょろと周囲を探る。
「まさか、かぶれそうな植物なんて持ち込んでないだろうな?」
「持ち込んでません」
考えただけで…。
「おい。俺の目を真っすぐ見て答えろ」
アカサシムシという前科があるだけに目が泳いでしまう。
ジャレッド団長の双眸は、太陽の色と言われるイエローダイヤモンドみたいな黄金色でとても綺麗な反面、言い逃れできないような鋭さがある。
つまり、とても居心地が悪い。
そわそわきょろきょろと視線が泳ぐくらい大目に見てほしい。
「本当に持ち込んでません。…また怒られたくはないので…」
答えてみたものの、ジャレッド団長の目には僅かながらに疑心が残っている。
私も胸を張って「二度としません」と宣言できないていどには後ろ暗さはある。ジャレッド団長の長期出張の留守を狙って…とか。
「イヴ・ゴゼット。クロムウェル公爵家の者として聞こう。今後、己の身を実験体とすることは決してないと誓えるか?」
「こ、公爵家として…ですか?」
「そうだ」
ジャレッド団長は長い足を組み、涼やかな顔でこちらを見ている。
こういう時に公爵家の威光を笠に着るのは卑怯だ。
でも、逆らえない。貴族の言葉には諾と従う平民魂が、体の隅々にまで浸透しているのである。
「…はい。自分の体を実験に使いません…」
「信じよう」
にやり、と口角を吊り上げたジャレッド団長に、私はしおしおと項垂れる。
私だって自傷行為をしたいわけじゃない。ただ、効果を実感したいだけだ。それに、危険な虫や植物で治験しようとは思わない。自分の治癒魔法で完治できる範囲内を心掛けている。
祖父母もそうだったので、殆ど記憶にないけど、母もそうだったはずだ。
そう反論したところで、ジャレッド団長に敵うはずもない。
気持ちを切り替えるように深呼吸をして、顔を上げてジャレッド団長に向き直る。
「もう自分の体で実験はしません。でも、騎士団員が怪我を負ったら軽傷でも私に見せて下さい」
「それは約束する。治験とやらは団員にさせれば良い」
「そうと決まれば、どんな症状で駆けこまれても良いように、薬の種類も増やさなきゃダメですね」
やる気でてきた!
作業台の上に小型コンロと鍋を置く。
ここで使用するのは、焔石と言われる火属性を持つ鉱石だ。色は薄墨色で、そこら辺に転がっていそうな見てくれをしている。
見分けは難しいけど、触れれば分かる。
焔石は仄かな熱を発しているのだ。
特異な性質は、水をかけることで本領を発揮する。
焔石に水をかけた途端に、焔石の温度は急上昇する。通常、焔石は硬い岩盤の中にあるので、雨でどうこうなることはない。ただ、土砂崩れで剥き出しになった焔石は、森林火災を生み出すほどの危険物となる。それほど焔石の熱は高温なのだ。
手軽である分、取扱注意の筆頭格である。
調薬の準備が整い、ジャレッド団長に視線を馳せる。
「作業を進めて大丈夫ですか?」
「ああ、構わない」
じゃあ、お言葉に甘えて作業を再開だ。
秤で必要分の蜜蝋を量った後、鍋に蜜蝋とオイルを入れる。
焔石を発熱させるのは、スポイトの水を使う。必要なのは数滴の水だ。
慎重に焔石に水を滴下させた瞬間、ジュッ、と音がして焔石の中央部が緋色に光った。
例えるなら火を宿した木炭のようだ。
「一気にかけないのか?」
「大量に水をかけると、高温になりすぎて焦げ付いてしまうんです。蜜蝋はゆっくり溶かすものなんですよ」
「甘い香りがするな」
すんすん、とジャレッド団長が鼻を動かす。
「良質の蜜蝋は、溶けると仄かに甘い香りがするんです。反対に質の悪い蜜蝋は、腐臭に近い嫌な臭いがします。人族は見た目だけで判断するので粗悪品に気づきにくいんですけど、これはハベリット商会の蜜蝋なので質が良いんです」
嗅覚の鋭い獣人は見た目に騙されないので、ハベリット商会の薬草部門は、常に高品質の商品を取り揃えている。
「調薬は悪臭がすると聞いたが、悪臭ではないな」
「これからですよ」
薬匙を使い、粉にした薬草を鍋に入れて行く。
ヘラでかき混ぜる度に、溶けだした薬草の成分が独特のニオイを立て始めた。それに比例して、ジャレッド団長の鼻の頭に皺が寄り、苦々しい顔つきになっていく。
でも、手は止められない。
ここからが重要な工程となる。
聖属性の魔力を丁寧に流し込むのだ。
ポーションを作る時は、ひたすら魔力を流し込むけど、薬は違う。ほんの少しずつだ。料理に例えるなら、塩ひとつまみとかかな?それを時間をかけて、一粒一粒落としていく感じ。
ほんのり光りを帯びるまで、ゆっくり、ゆっくり微弱な魔力を流し込むのがポイントだ。
一気に大量の魔力を注ぐと逆効果で、使用する薬草によっては魔力と反発しあって副作用を生むらしい。
本によると、薬草や素材には魔力との相性があるので、決して間違ってはいけないという。試験にも出る項目なので、薬師を目指す治癒師には暗記必須となる。
「ああ、そうだった。言い忘れていたが、第3騎士団へ行く日程が整った」
ジャレッド団長は軽く咳き込んだ後、「一週間後だ」と言い足した。
「治験の…。話を通してくれたんですね。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。
「グレンが”よろしく”とのことだ」
「グレン…。ジャレッド団長の弟さん…ですよね?」
「ああ、そうだ。第3の団長でもある。グレンの話では、虫刺されは珍しくないそうだ。特に使用人は、何かしらの虫に悩まされていると言っていたぞ」
「何かしら…ですか?」
「アカサシムシも珍しくはないそうだが、ハチやムカデ、毛虫も多いと聞いたな」
どれも痛みと炎症を伴う危険な虫だ。
種類によっては、発熱、発疹、嘔吐、痙攣。最悪は死に至ると本で読んだことがある。
資格はないから薬の容量は多く用意できないけど、上限ギリギリの薬を持っていこう。
頭の中でぐるぐるとレシピが巡る。
「顔つきが薬師になったな」
「頑張ります!」
気合が入る。
危うく興奮しそうな魔力を鎮めて、ゆっくり、ゆっくりを心がける。
「今回は第3まで馬車で行く」
第2騎士団に馬車は1台しかない。
買い出しに行く幌馬車だ。
私が来る前は、病気や大怪我を負った団員を町医者の所に乗せて行くのにも使っていたらしい。
それを思うと、幌馬車を使うのは憚られる。
「辻馬車ですか?」
「いや。馬車は公爵家のものだ。朝一に迎えに来る」
「公爵家…」
楽しい気分が、しおしおと萎れていく…。
「同行するのは俺だ」
俺だ。
そこから同行者の名前が連なるのかと思ったけど、しん、とした沈黙が続く。
ジャレッド団長と2人きりということ?
ちらり、とジャレッド団長を見れば、柔らかな表情だ。薄い唇は微笑ともとれる弧を描いている。
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