騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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女性騎士

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 こっちに曲がったはず…。いや、こっちかな…と、大きな建物の間を縫うように駆け回ったのがダメだった。
 完全に迷子。
 行き交う騎士たちは「ここら辺で遊ぶと怪我するぞ」とにこやかに私の頭をひと撫でして、急ぎの案件を思い出して去って行く。道を聞く隙さえない俊敏さで。中には「使用人が連れて来たのか?」って声もしたので、迷子とは思われていなさそうだ。
 もしかすると、獣人は五感が優れているから迷子という概念がないのかもしれない…。
 ぽつんと見知らぬ建物を見上げていると、急に心細くなってきた。
 流石に泣きじゃくる年ではないけど、こんなことで時間を無駄にしてしまったことが情けなくて涙が出そうになる。
 ジャレッド団長が忙しい中、朝早くから連れて来てくれたのだ。
 失望されるのは嫌だな…。
 潤みそうになる視界に喝を入れるべく頬を叩き、リュックを背負い直す。
 大丈夫!
 自分に言い聞かせ、再び歩き出した私に、「そこのあなた」と声が飛んで来た。
 声の方向へ振り向けば、凛とした面立ちの美人が歩んで来ている。
 ポニーテールに結った銀髪に、雪解けの湖のような青い瞳。すらりと長い手足も相俟って、黒い隊服をカッコよく着こなした女性騎士だ。
 中でも目に付くのは、腰に佩いた長剣かもしれない。
 私の知る女性騎士たちは細身の片手剣を愛用しているので、男性と同じ剣を佩いていることに驚いてしまう。
「ここは子供の遊び場ではありませんよ」
 口調は冷徹。
 でも、私を見下ろす双眸には心配の二文字が浮かんでいる。
 第2騎士団では、なぜか「小さいな!」とベタベタと構ってくる騎士はいないので疑問に思わなかったけど、私の見た目は想像以上に幼く見えるのかもしれない。
 化粧っ気のない顔のせいか、女性らしい丸みが足りないせいか、色気がないせいか…。
 考察しながら元気が萎れてしまう。
 しょんぼりと女性を見上げると、瞬刻、女性の目が狼狽えた。
「どこから迷い込んだのです?ここは子供の遊び場ではありません。出口まで一緒に行きましょうか」
 私は息を整えて頭を下げた。
「初めまして。第2騎士団の治癒師、イヴ・ゴゼットと申します」
「第2!ジャレッド・クロムウェル団長の?」
 驚いたように肩を跳ね上げた女性は、心なしそわそわしている。
 表面上は騎士然りと取り繕ってはいるけど、口角が僅かばかりに上がり、ほんのりと頬に朱が差している。
 ジャレッド団長のファンかな。
「第2の治癒師の方だったのですね。子供などと失礼しました」
 お手本のような優雅さで頭を下げた女性にピンときた。
 お貴族様だ。
「それで、ゴゼットさんは1人なのかしら?誰か案内がいますか?」
「グレン団長が案内してくれていたのですが、歩幅が……」
「まぁ」と、女性は口元に手を当て、しげしげと私の足を見下ろす。
 短くはない。
 平均だ。
 ただ、あの兄弟がデカくて足が長すぎるのだ。
 揃って20cmくらい縮めばいいのに!
「グレン団長はマイペースな方だからエスコート役には向かないのです。公爵家令息という自覚がないのか、お勉強をサボっていたかのどちらかでしょうね」
 女性はうんざり気味にため息を落とした。
「治癒師であれば、”虫刺され募集”の件でしょう。わたくしが案内しますわ」
 なんともストレートな募集事項だ。
「わたくしはカリー・ウィンタースです」
 すっと出された手を、ぎこちなく握り返す。
 端麗な顔立ちの女性だけど、やっぱり騎士だ。手のひらの皮は厚く、剣だこがある。
「こちらですわ」
 カリーは私の歩幅に合わせて歩いてくれる。
 とても良い貴族だ。
「今日は1人ではないでしょう?第2からは遠いですし」
「はい。ジャレッド団長と一緒に来ました」
「ジャレッド様と!」
 あ、様って言った。
 やっぱりジャレッド団長ファンだ。
 摸擬戦の肉食系女子を思い出して、ぶるりと身震いする。
「ウィンタースさんは…」
「カリーでいいわ。ここは結束を第一に考えるので、みんなファーストネームで呼ぶのよ。グレン団長の意向でね」
 カリーは肩を竦める。
「わかりました。それじゃあ…カリーさん。私のことはイヴで。えっと…カリーさんはジャレッド団長が好きなんですか?」
「え!?藪から棒になんですか!好きだなんて恐れ多い!で…でも、ジャレッド様は素敵ですわ。雄として魅力的でしょう?」
 なんという早口。
 そして、雄としての魅力…とは?
 マリアもジャレッド団長をセクシーと言うけど、私にはよく分からない。
 首を傾げる私を無視して、カリーはジャレッド団長の良さを滔々と語る。
 大狼の獣人であるジャレッド団長は、獣人の女子には大変魅力的に映るらしい。美貌と癒しを求めるならキース副団長がダントツでも、子供を産むならジャレッド団長の子供が欲しいそうだ。
 ちなみに、第2騎士団の女性騎士はキース副団長がダントツだったので、獣人だから本能的に強い雄を!ではないのかな。
 単なる好みだ。
「長兄のハワード・クロムウェル団長は婚姻されてますから、独身で婚約者もいないジャレッド団長は一番の注目株なんですよ」
「グレン団長は違うんですか?同じ大狼の獣人で、公爵家令息ですよね?」
「同じと言えば同じですけど、魅力がないでしょう?」
 苦々しい顔つきのカリーに、少しだけ引く。
 一体、2人の間に何があったのだろうか…。
「でも、グレン団長は綺麗な顔ですよ?」
「それを言うなら、そちらのキース・モリソン副団長もでしょう?グレン団長と同じ系統ですわね」
「はい。王子様顔です」
「王子様…顔?」
 きょとんとするカリーに、「絵本に出てくる王子様顔」と説明する。
 カリーは口元に手を当てて笑った。
「確かに。見目麗しいわね。では、ジャレッド様はどう?」
「ジャレッド団長は、それに野性味をプラスしたような…。ワイルド系?だと思います。たまに怖いです」
「怖いと思うのは、それだけジャレッド様の血が濃いということよ」
 血が濃い?
 でもグレン団長はフランクで、怖くはない。
 私が悩んでいるのを察したのか、カリーが苦笑する。
「クロムウェル公爵家で、もっとも始祖の血が濃いのがジャレッド様と言われているのよ。同じ大狼でも、グレン団長はジャレッド様と並ぶと大狼の血統に見えないでしょう?」
 確か、グレン団長も先祖返りがどうのとか言っていた気がする。
 先祖の血が濃いと怖いの?
「カリーさんは、怖いのにジャレッド団長が一番なんですか?」
「別に暴力的という意味ではないのよ?本能的に恐怖を感じても、終始怖いわけではないでしょう?男気というのかしら?一本筋が通っているし、貫目があるのが分かるかしら?それに比べてグレン団長は、騎士だから揺るぎない信念や信条はあるのでしょうけど、根本が違うのよ。軟派というか、ちゃらんぽらんというか、大狼の矜持がないというか、女性慣れしているというか。なにより、アレと比べるべくもなくジャレッド様はキリッとした顔つきが、とても魅力的だわ」
 あれはキリッとした顔つきというか、威圧的な顔なんだと思う。
 でも、言いたいことは分かった気がする。
「ところでイヴさん。あなた、混血……なのかしら?」
「あ、いえ。私は生粋の人族ですよ。隣のゴールドスタイン領のハノンから来ました」
「ろくでなしのボケカス伯爵のところの!?」
 グレン団長と同じ反応だ。
 それよりも、貴族然りとした綺麗な女性の口からのボケカスは威力が半端ない。
 ぽかんとカリーを見ていると、カリーは頬を赤らめた。
「ごめんなさい。故郷の領主を悪く言われて気分を害したわよね。ボケカス伯爵は、差別主義者として有名だからつい…」
「あ…いえ。カリーさんの口からボケカスって出たから驚いてしまって…」
 そこで初めて、カリーさんが「ん?」と柳眉を顰めた。
「だって、ボケカス・ゴールドスタインでしょう?」
「いえ…シェイマス・ゴールドスタインです。子供はカーソン、ヴィクター、キャサリンで、ボケカスはいないです。というか、ボケカスは単なる罵倒や侮蔑の平民言葉です。やんのか!このボケカス!とか、死ねボケカス野郎!とかに使われます」
 主に柄の悪い酒場で。
 カリーはボッと顔を真っ赤にした。
 それから、ふるふると震え始めた手が、腰に佩いた剣の柄に触れる。
 羞恥で赤らんでいた顔は、今や憤怒の赤だ。
「そ…そう。シェイマスね。シェイマス・ゴールドスタイン」
 ふふふ、と笑う目が怖い。
 と、バタバタと騒々しい靴音が聞こえて来た。「イヴ!」と怒声で角を曲がって来たのはジャレッド団長だ。怒りの表情が、私を見つけた瞬間に少しばかり安堵を乗せて、「何をしているだ!」と駆けて来る。
 ジャレッド団長の後ろには、「歩くの早すぎた。悪い悪い」と苦笑いのグレン団長が続く。
 瞬間、カリーが目にも止まらぬ速さで地面を蹴り、抜剣した。
「天誅!!」
 何事!?
 驚きすぎて硬直した私をジャレッド団長が抱え上げ、巻き添えの心配がない距離まで飛び退いた。グレン団長は笑顔で剣を抜き、軽々とカリーの剣を受け止めている。その顔は「不敬だ」と怒ることなく半笑い。
「おいおい。どうしたカリー?生理か?」
 火に油を注ぐ、というのを目の当たりにした気がした。
 カリーは怒髪天を衝く勢いだ。剣だけでなく、蹴りまで繰り出し、グレン団長に一矢報いようとしている。
「貴様!よくもボケカス伯爵などと騙したな!」
 ああ…なんということだ。
 カリーに嘘を教え込んだ張本人が、こともあろうか第3騎士団トップの人だったとは…。
 なのに、グレン団長は楽しそうに「気づかれたか」と呵々と笑う。
 そこからは剣と剣の応酬だ。
 鬼気迫るカリーに、口元に余裕じみた笑みを刷いたグレン団長。
 本来なら恐ろしい剣戟も、グレン団長が笑っているからか、じゃれ合っているように見えて危機感がない。
「そもそも領主の名を調べようとしないウィンタース嬢にも問題があるがな」
 ジャレッド団長は嘆息して、そろりと私を下ろした。
「止めないんですか?」
「構わん。建物が傷つこうが、ガラスが割れようが、ここは第3だ。俺の懐は痛まないからな」
「…………はぁ」
「気が済むまで打ち合わせてやれ。だが、怪我を負ったらウィンタース嬢の手当てを頼む」
「カリーさん、知ってるんですか?」
 他所の団員まで把握しているとは意外だ。
 そんな顔をしていたのか、ジャレッド団長は肩を竦めた。
「ウィンタース辺境伯の令嬢で、グレンとは学院の同級生だ。今は第3騎士団第5隊隊長を務めている」
 太刀筋が鋭いはずだ。
 銀色の髪を靡かせ戦う姿は、女の私から見ても目を奪われる。
「辺境伯令嬢なのに、自領ではなくここで騎士をしているんですか?」
「うちは、他所から入団する子息令嬢は珍しくはない。特に従騎士は他所から来る。修行になるんだそうだ」
 他所より訓練が厳しいのかもしれない。
 ちらっと、血だらけで治療院に駆け込んできたキース副団長の姿が頭を過った。
「ウィンタース嬢も三女だからな。辺境伯も自由にさせたんだろう。運が良ければ、貴族子息との出会いもあるしな」
 ジャレッド団長は嘆息して、呆れ顔で剣戟の傍観に徹していた。
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