騎士団長のお抱え薬師

衣更月

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夜明け

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 最後にグレートウルフの断末魔の叫びが聞こえてから、もう随分と時間が経つ。
 集会場の村人は半数以上が目を閉じ、すぅすぅと寝息を立てている。殆どが座ったまま浅い眠りを繰り返している感じで、些細な物音で意識を浮上させるのだ。
 不安いっぱいの目で互いの顔を見合わせ、安全を確認するとまた目を伏せる。
 その繰り返しだ。
 村人たちは心身ともに限界が近い。
 たった1日だけれども、グレートウルフの襲撃に怯えての1日は長い。
 熱気がこもる屋内というのも疲労を蓄積させる要因だ。せめてドアが開いていれば、ひんやりとした夜風に癒されるのだろうけど、いかんせん安全が確認できない。
 じっとりと汗ばん肌に不快感を覚えながら、ぽつり、と疑問を口にする。
「外は…どうなってるんでしょう?」
「残り3頭だね」
「3頭…」
 冒険者たちが見たボスと、ボスに侍っていたという2頭だ。
 ジャレッド団長たちが追ったのは知っている。それ以降の情報が途絶えていて、「3頭目討伐完了!」という雄叫びが聞こえた後、静かな夜が続いている。
 時折、こそこそと情報交換がされているのが耳に届くけど、私の聴力では何一つ聞き取れない。
 もどかしさだけが募る。
「言っとくけど、心配するだけ無駄だよ?」
「え?」
 大伯母さんを見ると、茶目っ気たっぷりにウインクされた。
「うちの騎士団はね、帝国でもトップクラスの武闘派の集まりなんだよ。だから、各領地から腕試しに入団試験を受けに来る貴族の子息が多くてね。その前で守りを固めてるサンド子爵家の次男も、他領からこっちに来て、いつの間に居ついちまってる。腕に自信があって、野心のある子息は帝国騎士団に行くが、それ以外はクロムウェル領か、うちみたいな辺境領の門戸を叩くって決まっててね。特にうちに来るのは、野心の欠片もない。どちらかと言えば、隣国との戦争がない今、対人より対魔物に興味がある変わり者ばかりなんだよ。だから、ジャレッドに付いて行った騎士は、対魔物に慣れた精鋭揃い。心配するだけ、こちらが損をするのさ」
「魔物に慣れてるのは第3だけじゃないんですか?」
「あそこはね。うちの中でも対魔物に特化してるんだよ。第1、第2、第3とそれぞれの持ち場があるんだけどね。この領地は”魔女の森”に接してるから、最低限の魔物討伐の知識と実力は備えなきゃならない。第2は戦争屋を相手にするから森に入るしね。でも、第3は更に専門的な知識が必要とさせるんだよ。腕があっても、頭がついていけないなら第3には入れない。だからかね。第3の連中は研究者気質の輩が多くてね。昔からな強者ばかりだよ」
 紙一重と言いながら、大伯母さんは頭を突いて嘆息する。
「そういえば…以前、第3に行った時に、ギガオオツノジカのタックルを受け止めたとか、頭突き勝負したとかいう騎士を治癒しました」
 人族なら死んでるところを、骨折しながらも笑っていたのだからゾッとする。
「そういうのが多いのが第3なんだよ」
 大伯母さんは呆れたように肩を竦めたけど、隣のラドゥさんの横顔は得意気だ。
「息子と孫が第3にいるんだよ」と、大伯母さんが目玉を回して天井を見上げた。
 それはなんというか…。
 むぐ、と口を閉ざしていると、コンコンとドアがノック音を立てて開いた。
 ドアを開いたのはアーロンで、その後ろには白み始めた空が見える。
「討伐が完了したそうだ」
 アーロンは言って、喜色に口元を緩めた。
「終わった…」「ようやく…」と、徹夜に目を充血させていた人たちが咽び泣き、眠っていた人たちは吉報に眠気を飛ばして一斉に立ち上がった。
 ひたすら天井に向かって吠える人もいれば、涙を流しながら抱き合う人もいる。歓喜の渦が、集会場を震わせる。
 私は緊張の糸がほぐれ、すとんと肩の力が抜けた。
「ジャレッド団長たちは?怪我はしてないですか?」
「怪我人がいる報告は受けていない。まだ戻っていないんだ。討伐したグレートウルフを運ぶ必要があるからな。何人かが荷車を押して出て行った」
 大伯母さんたちと一緒に集会場を出ると、あちこちに設置された篝火から白い煙が立ち上っているのが見えた。その周囲に満身創痍の男たちが座り込み、喜色満面に健闘を称えあっている。
 地面には飛び散った血痕や、折れた剣。転がる鉄棒。無秩序に隆起した地面に刺さる矢や斧と、乱戦の痕跡が残る。
 よく死者が出なかったものだ。
 村長家へ目を向ければ、女性と子供が多いせいか、悲鳴のような甲高い声が喜びを謳う。
 さらに、ドアが開いた途端、暑さと緊張感から解放された子供たちが一斉に飛び出した。歓声を上げて向かう先は、討伐されたグレートウルフの躯だ。
「あれだけデカいと、拳くらいの魔石は取れそうだね」
「魔石以外でグレートウルフの素材は、毛皮と牙、爪だけですか?」
「骨もだ。肉は臭みがあって不味い。もっとも高値が付くのが毛皮になる。貴族が好んで買うので、オークションに出品されるんだが、この3頭のは売り物にはならない。その前に討伐された7頭も似たような状態だった。売れるのは武器に加工できる牙と爪。魔道具に加工される骨。魔石だ」
 アーロンの説明に、大伯母さんは「仕方ないさね」と肩を竦める。
「あとはジャレッドが、ボスを綺麗に仕留めてくれているのを祈ろうじゃないか」
「ここで討伐されたグレートウルフは換金され、村の復興費となるそうです。討伐に奮起してくれた冒険者には、公爵家から褒賞が出るとのことです」
 アーロンの言に、大伯母さんが満足げに頷く。
「妥当だね」
 アーロンと大伯母さんが今後の方針を話している途中、遠くから「解体を始める!手を貸してくれ!」と叫びが聞こえた。
 それを合図に、3頭の骸を村人たちが担ぎ上げ、昨日討伐された7頭を置く解体場へと運んで行く。
 解体を担うのは、素材採取に長けた冒険者たちだという。
 不要な部位は、村人たちが手分けして運び出し、燃やす。杣なので、燃やすための薪に不自由はない。交互に木材を組み合わせて焼却場を作っている。
「騎士様たちが戻って来たぞ!」
 叫びに、好奇心旺盛な子供たちが駆けて行く。
 ジャレッド団長を先頭に、イアン、アルフォンス、トーレ、オットー、マリウスが騎乗したまま帰還している。
 ジャレッド団長たちも、馬たちも無事な様子にほっと安堵の息が零れる。
 そして、村人たちが牽く2台の荷車には、3頭の躯だ。
 遠目から見ても、1頭は馬や牛と変わらないくらいに大きい。
 荷車を押す村人たちも興奮気味に頬を紅潮させる。駆け回る子供たちに注意を飛ばす声すら、笑みが孕んで迫力に欠ける。
「怪我はなさそうだね。しかも、ここから見るに良い毛皮が取れそうだ」
 大伯母さんが誇らしげに目を細め、ラドゥさんも「さすがだ」と言葉少なに称賛を送る。
「でも…血だらけです」
 掠り傷さえ負った様子がないものの、ジャレッド団長に至っては血塗れだ。剣を揮う利き腕、胸当て、頬にも血が飛び散ってる。
 ヴェンティの綺麗な月毛も、赤黒い血が目立つ。
 あれは…返り血?
 怪我を負っているようには見えないけど、あんなに血塗れでは判断がつかない。
 やきもきしつつ待っている間に、荷車は解体場へ、ジャレッド団長たちはこちらに馬を向ける。
 近づいて来るほどにジャレッド団長の魔王感が凄い。
「みんな良くやったね。ご苦労さん」
 大伯母さんの鷹揚な出迎えに、みんなが苦笑している。
「で、ジャレッド。お前の姿はなんだい。怪我はしていないんだろう?」
 と、眉宇を顰めた大伯母さん。
「はい。ボスの首を刎ねた返り血です」
 視線が遠ざかって行く荷車へと向かう。
 どっせい、どっせい、と押される荷車に載る暗赤色のグレートウルフは、死してなお悍ましい。
 さらに、荷車1台を独占しているボスは、他のグレートウルフとは別種に見えるほど巨躯だ。あまりにも大きすぎて、後ろ足と尻尾は荷台から落ちて引き摺られている。
 切断された頭部に至っては、もう1台の荷車の上。2頭の躯の上に無造作に放られている。
 その頭部分を差し引いても、ボスは重いらしい。荷車を牽く村人たちは歯を食いしばり、呼吸を合わせて押している。
 生きてるボスと対峙することがなくて良かった。
 ほっと胸をなでおろした私に、ジャレッド団長が小さく笑った。
「イヴ、大事なかったようだな」
「はい」
 怖くて、暑かったけど…。
 それは言わない。
 ジャレッド団長も「安心した」と頷いてくれたので、言わなくて正解だった。
「アーロン。報告」
「負傷者は出ましたが、死者は出ていません。戦闘は第1と第3、冒険者が獅子奮迅でした。ああ、村の男たちも各々の武器を手に追い立ていました。それでも、たった3頭だというのに、かなり梃子摺っていました。話を聞くに、どうも学習していると。恐らく、斥候がおり、その後に第1陣として9頭が村を襲ったのだろうと第3が見解を示しています」
「残りのボスたちは遠くから人の戦い方を観察していたのか」
「9頭を切り捨てようとしたボスは恐ろしい限りです。他のグレートウルフも同様かは分かりませんが、第3が過去に対峙した群れは、少なからず似通った行動を起こしていたそうです」
 怖っ!
 私が知らないだけで、実はグレートウルフに襲われて壊滅した村や町があるのかもしれない。
「それでも私の出番はありませんでした。何度か、風を吹かせて援護したくらいです」
 アーロンは風属性の魔導師だ。
 そよ風から暴風まで操り、さらに刃のように研ぎ澄ました風刃で大木すら切り倒す。ただ、目に見えない風の特性ゆえかコントロールが難しいらしく、人里では大技は使わないそうだ。
 人族の国では、聖属性以外の子供には杖を持たせる。杖があることで、ある程度の想像力とコントロールが得やすいという。大人になると杖の所持は分かれる。
 王宮に仕える魔導師は、魔法補助の付与を施された杖を使う。
 仕事や生活で使うだけの人たちは杖は持たず、冒険者として身を立てる魔導士は剣を杖の代わりにする。
 要は攻撃に使うかどうかで杖の必要性が分かれるのだ。
 貴族に関しては、財力を誇示する装身具に近い扱いとなる。意匠の凝った杖に、希少魔石などで飾り立てた仕様だ。
 ちなみに、騎士団所属の魔導師は杖は使わない。道具に頼らず、指先だけで自在に魔法を操らなければ騎士団に所属できない。それは人族国でも獣人国でも同じだ。
 ジャレッド団長は幾つかアーロンから報告を聞いた後、一旦解散を指示して小川へとヴェンティを走らせて行った。
 解散と言っても、各自適当に駐屯地に戻るわけじゃない。返り血を浴びた馬を洗い、可能なら自分たちも湯あみする。それから食事と仮眠。余裕があれば壊れた家屋の修復の手伝い。二重三重に安全を確認する意味で、最終チェックを込めた見回りを含む。各々が余力に合わせて動くことになる。
 決まっているのは、第3騎士団がもう一晩様子を見、第1騎士団は街道警備に戻る。第2騎士団は昼食後に出立となる。
「イヴ。ついておいで。あんたは湯あみして汗を流しな。あとは食事して、ちょっと寝た方がいいね。うちの客間を使いな」
「今、すごく眠くなっていたので助かります」
 ぺこり、と頭を下げた私に大伯母さんは闊達と笑った。
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