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偽りの忘却
受け入れて、受け止めて ~どうか、思い出さないでくれ~
しおりを挟む風呂から上がり、タオルで髪や体を拭かれ、タオルで体の人に見られたら恥ずかしい部分が全部覆われている状態になった。
「アルジェント!」
「はい」
「ぎゃ!」
アルジェントが現れルリを抱きかかえて転移した。
転移した先はルリの部屋だった。
霧のようなものが部屋に現れたと思うとそれはヴィオレの姿になった。
「ルリ様、お着換えを手伝います」
アルジェントはルリをベッドに座らせると扉の前まで移動し扉の方を向いた。
「いや、自分でできる……」
「手伝わせてくださいませ!」
ヴィオレの気迫に負けてルリは着替えや髪を乾かし、その後の肌の手入れまでされた。
「では私は失礼します、後は頼みましたよアルジェント」
「畏まりました」
ヴィオレが姿を消すと同時にアルジェントはこちらを向いた。
「……」
ルリは聞くべきか否か非常に迷った、個人的に今の自分としては恥ずかしいことを思い出したからだ。
顔がまた赤くなる。
「……ルリ様? どうなさいましたか? お顔が赤いですよ?」
「あ、あ、あ、あ、あのさぁ」
「何でしょうか?」
「……記憶喪失前の私の体洗ってたのって……ヴィオレじゃなくて――その……アルジェントだよね?」
「!!」
ルリの問いかけに、部屋に空気が一気に気まずいものになる。
非常に気まずい雰囲気で部屋は包まれ、しばらく時計の音だけが響いた。
「……その、通り、です」
「うわー!! マジかよ!! 私男の人に体洗われてたのー?!」
「その……色々ありまして……」
「色々ってなんだー!! いや、今は聞かないでおく!! 恥ずかしいし怖いしなんでそうなったのかでまた色々ありそうで心の準備ができてない!!」
「も、問題が発生しなければ今後私はルリ様のお体を洗いません、ヴィオレ様にお任せいたしますので……」
「ちょ、ちょっと待って問題ってなにー!?」
「そ、それを言うと今は……」
「わー! 聞いたら絶対なんか起きる、怖くて今は聞けない!! だから聞かない!!」
ルリは恥ずかしくなったのか毛布の中で丸くなった。
「……そうしていただけると助かります」
別の意味で思い出すんじゃなかったとルリは思い出した内容を初めて後悔した。
『……そろそろ諦めてほしいのだけど』
花畑の柵の向こうで女性はため息をついている。
「諦めないからなー……」
『忘れた今の方が幸せなのだからそのままでいて』
「本来の自分が不幸のまんまで幸せになってもそれ幸せなの?!」
『それは……』
女性は初めて答えられなかった。
「んあ……?」
ルリが毛布から這い出ると夜になっていた。
どうやら寝ていたようだ。
「……確実になんか揺らいでるな、まぁそりゃ不幸で居たい奴なんてあんまりいないよな」
ルリは自分に言い聞かせるように呟く。
今の自分がいくら幸せになろうが、傷ついて閉じこもった本来の自分は不幸なままなのだ、幸せになりたいなら、元に戻らなくては。
多分今自分は三つくらい人格が分裂しているとルリは考えた。
幼いころの自分、ここに来る前までの記憶しか持っていない今必死で思い出そうとしている記憶喪失の自分、そして――全ての記憶を保持し幼いころの自分と一緒に引きこもっている本来の人格である自分。
この三つが統合しないと、いけないと考えているが、本来の自分がそう簡単にさせてはくれないのだろう。
その上、アルジェントとヴァイスが自分の記憶が戻るのを妨害したがっている。
また、思い出した記憶の内容によってはグリースの言う通り自分がダメージを負いかねない。
どの程度のダメージを負うのかはわからない、それは怖い。
今のようにいられなくなるかもしれない。
自分が壊れたらどうなるのだろう?
新たな人格が作られるのか?
それとも今度は壊れたまま放置し、動かない人形のようになるのか。
どれも怖い。
一つに戻るのは怖くない、だが壊れるのは「死ぬ」のは怖い。
どれほどの傷なのだろう、自分がこれから負うことになる記憶と言う名の「傷」は。
闇がルリの部屋に入ってくるのに、ルリは考え込んでいて気付かなかった。
「ルリ」
声に、ルリが振り返ると、何処か怖い顔をしたヴァイスが立っていた。
ルリはその表情にびくりとする。
「――まだ、思い出そうとしているのか?」
問いただすような声、咎めるようなそんな印象も感じられ、ルリは今まで見てきたヴァイスの印象とかけ離れていたので体がこわばった、声も出しづらい。
だが、何とか声を絞り出す。
「――そう、だけど」
「ならぬ、お前は思い出すな」
ヴァイスは強めの口調でルリに言った。
「――何? 思い出されると不都合な記憶でもあるの?」
「それは――」
ルリは心を強く持って問いただすと、ヴァイスは言葉を濁した。
――嗚呼、なるほど、ようやく理解した、アルジェントとヴァイスが思い出してほしくない理由、この二人が「私」に「傷」をつけたのか――
「……記憶喪失前の私が病む程の追いつめたから?」
「!!」
ルリの言葉に、ヴァイスの表情が明らかに変わった。
焦りだ。
自分の発言次第では、記憶を取り戻すきっかけが起きるのではないかという焦り。
「……ヴァイス、答えて、貴方は私に何をして、何を要求したの?」
ヴァイスは答えない。
ルリはヴァイスの服の襟をつかみ自分の方に引き寄せる。
「――一度壊したんだから二度壊したって同じでしょうが?! いいから言え!! 私はこんな平穏要らない!! 本来の私を取り戻した上で幸せになりたいんだ!!」
ルリが怒鳴りながら言うと、ヴァイスはルリの手を掴んだ。
「……私は――病んだお前を見たくないのだ」
「そんなの貴方の都合でしょうが!! 受け入れなさいよ!! 目をそらさないでよ!! 壊したのを受け入れて教えてよ!! 貴方は私を――」
「黙れ!!」
ヴァイスの怒鳴り声に、ルリは思わず手を離してしまった。
ヴァイスはその場にうずくまり顔を覆った。
「……お前の言う通りだ……お前を壊し、心を病ませ、追いつめたのは私だ……私達だ……」
嘆く様な、まるで誰かに罪を告白するような声でヴァイスは言った。
ルリはそれをじっと見つめている、咎める訳でもない、見下すわけでもない、軽蔑するわけでもない、ただ見つめている。
真実を知りたい、記憶を取り戻したい、その気持ちのみの真っすぐな目でヴァイスを見つめている。
「……だから、もうお前に壊れてほしくないのだ……心を病ませてほしくないのだ……」
「だから今のままで居ろって? それこそ貴方達の身勝手だ!! 記憶がないままが幸せだってのは自分達がしでかしたことの大きさに私が壊れてから気づいたからでしょう?! だったら罪悪感抱えて生きろ!! 私は傷を負ってもいい、自分を取り戻す!!」
「止めろ!!」
ヴァイスはルリを掴み押し倒した。
ルリは頭を鷲掴みされた。
「ちょっと!! 何する気さ!!」
「……記憶を破壊させてもらう」
ヴァイスは静かに言った。
「はぁ?!」
ヴァイスの発言は今のルリにとってとんでもない事だった。
――記憶を壊す?――
――止めてよ!! 私は戻りたいの、傷だらけで苦しくたっていい、偽物じゃなくて本物の自分に戻りたいの!! 本当の自分を取り戻したいだけなんだよ!!――
「止めて!! それは止めて!!」
――あ……私が拒絶してもヴァイスは……「真祖」は――
――……「お前達」は……!!――
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
ルリが絶叫したのを見て、ヴァイスは記憶を破壊しようと急いだ。
ルリは苦しみの声をあげながら、凄まじい力でヴァイスの手を引きはがし、藻掻いた。
「いぎあああああああああ!!」
「やめろルリ!! 頼む、思い出すな!!」
ルリは、顔を蒼白にしてベッドから転がり落ち、そして床に。
「おげぇええええええ!!」
吐き出した、透明な液体を大量に。
酸っぱい匂いが部屋に広がる。
ルリはその液体の上に倒れこんだ。
「ルリ!!」
ヴァイスはルリを抱き起す。
しかし反応がない。
恐れていた事が起きた。
おそらくルリは連鎖反応のように、一気に思い出してしまったのだ。
ヴァイスとアルジェントがつけた「傷」の記憶を。
「だから、だから忘れていてほしかったのだ……!!」
意識を失ったルリを抱きしめながら、ヴァイスは言う。
だが、その嘆きを聞く者はこの場には居ても、その嘆きが届くことは無かった。
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