39 / 60
第三Q 生き様を証明せよ
9
しおりを挟む
千原に勝ったものの稀に見る大苦戦を強いられ、満身創痍となっていた雪之丞は、その足で夏希の家に寄った。
「よう。ちょっと俺を手当てしろ」
「……はい?」
玄関の扉を開けた夏希に開口一番そう言ったものだから、彼女は眉間に皺を寄せ大きな溜息を吐いた。
夏希の部屋は彼女の派手な外見に似合わずシンプルである。物は少なく、白と黒で統一された部屋からは女らしさはあまり感じないが、いい匂いがして何より落ち着く。ベッドに背をもたれるようにして床に座っていると、夏希が居間から救急箱を持ってきた。
「まったくさあ……わたしをあんたの都合のいい女にすんなっつーの!」
ぶつぶつ文句を言いながらも、適切な処置を施してくれるのが夏希である。昔から喧嘩の絶えない雪之丞に手当てを頼まれることが多かったため、夏希は怪我の処置に慣れているのだ。
「まあいいじゃねえか。俺とお前の仲だろ?」
「……ばーか」
肘にできた傷口に消毒液をたっぷりと塗り込まれ、思わず「染みる! 痛え!」と叫んで体を仰け反らせた。
「自業自得でしょ? 我慢して。……それにしても、今日はいつもよりもやられているみたいね。あんたも腕が落ちた?」
「落ちてねーよ。鱗なら落ちたけどな」
「……はあ? 意味わかんない」
夏希は患部にガーゼを貼って、手際よく包帯を巻いていく。
「……一つだけ言わせて。怪我してるあんたを見慣れているからと言って、心配してないってわけじゃないんだからね」
「……おう」
それは夏希に手当てをされる度に言われている言葉だった。素直に礼を言えた試しはないが、迷惑をかけていることも心配されていることもわかっているつもりだ。それなのに同じことを繰り返す自分の愚かさを受け止め、雪之丞は頭を掻いて深く息を吐いた。
「……なあ、ちょっと聞いて欲しいことがあんだけど」
決まりが悪そうに切り出すと、夏希はいつもと違う雪之丞の様子を察したのか、真剣な表情で深く頷いた。
「なに? どうしたの?」
「……正直、大吾やミサに言われたことが堪えてんだ。だってよ、俺は大吾を助けたことを後悔したことなんか一度もなかった。それなのに、二人は勝手に罪悪感を背負って俺の前からいなくなっちまった。だからいつか二人と再会したとき、あいつらに罪の意識を感じさせないためにも、俺は絶対に左手がねえことを愚痴ったり被害者ぶったりしねえって決めていた。俺が陰口を叩かれてもあいつらが気にしねえように、片手しかねえ俺を馬鹿にする奴らは拳で黙らせてきた。なのに……」
言葉に詰まった。大吾が辛そうな顔で土下座した光景が思い出される。紗綾が顔を歪ませて涙した表情が思い出される。雪之丞は拳を強く握り締めた。
「……俺のやってきたことは、無意味だったと思った。でも、千原と喧嘩して……俺は自分が間違っていなかったと希望が持てた。……だから……俺の生き方は正しかったんだって、お前に肯定してほしいんだ」
我儘な願望を口にすると、我慢してきた感情が込み上げてきて、油断すると目から何かが零れてしまいそうだった。誤魔化そうと上を向いた雪之丞の頭を、夏希は優しく抱え込んだ。
夏希の行動に雪之丞は驚き、抵抗しようとした。恥ずかしい、やめろ、照れくさい、子ども扱いすんな。そんな言葉が次々と頭の中に浮かんで、喉元まで出かかった。
しかしそれはあくまでも理性の話であって、夏希の温かさと柔らかさを肌で感じてしまったら、何も言えるはずがなかった。この優しさにもう少しだけ甘えたいという本能が勝ったのだ。
「……ジョーは口も悪いし、すぐ喧嘩もするけど……本当は誰より優しいんだもんね。人の気持ちがわかる優しいあんただからこそ……辛いときもあるよね」
夏希はそう言って、雪之丞を抱く腕の力をより強めた。
「安心して。あんたのやってきたことは絶対に無意味なんかじゃないって、わたしが全身全霊で断言してあげる。わたしを含めて、片手でも明るく振舞ってきたあんたに勇気づけられてきたヤツはたくさんいるんだから」
こんなに慈愛に満ちた夏希の声色を、雪之丞は聞いたことがなかった。
優しくも力強い夏希の肯定は、傷ついていた雪之丞を癒し、勇気と自信を与えてくれた。触れ合った肌から、夏希の温かい気持ちが伝わってくる。下心なしに、雪之丞はこの温もりを心から心地いいと思った。
こうなったらもう素直に認めざるを得ない。夏希といると安心する。
雪之丞は目を瞑り、初めて生まれた感情を否定せずに受け止めた。
大吾と紗綾が離れていっても、ずっと側にいて明るい笑顔を見せてくれた夏希。
今まで悪友としてしか見てこなかった彼女を、初めて意識した瞬間だった。
「よう。ちょっと俺を手当てしろ」
「……はい?」
玄関の扉を開けた夏希に開口一番そう言ったものだから、彼女は眉間に皺を寄せ大きな溜息を吐いた。
夏希の部屋は彼女の派手な外見に似合わずシンプルである。物は少なく、白と黒で統一された部屋からは女らしさはあまり感じないが、いい匂いがして何より落ち着く。ベッドに背をもたれるようにして床に座っていると、夏希が居間から救急箱を持ってきた。
「まったくさあ……わたしをあんたの都合のいい女にすんなっつーの!」
ぶつぶつ文句を言いながらも、適切な処置を施してくれるのが夏希である。昔から喧嘩の絶えない雪之丞に手当てを頼まれることが多かったため、夏希は怪我の処置に慣れているのだ。
「まあいいじゃねえか。俺とお前の仲だろ?」
「……ばーか」
肘にできた傷口に消毒液をたっぷりと塗り込まれ、思わず「染みる! 痛え!」と叫んで体を仰け反らせた。
「自業自得でしょ? 我慢して。……それにしても、今日はいつもよりもやられているみたいね。あんたも腕が落ちた?」
「落ちてねーよ。鱗なら落ちたけどな」
「……はあ? 意味わかんない」
夏希は患部にガーゼを貼って、手際よく包帯を巻いていく。
「……一つだけ言わせて。怪我してるあんたを見慣れているからと言って、心配してないってわけじゃないんだからね」
「……おう」
それは夏希に手当てをされる度に言われている言葉だった。素直に礼を言えた試しはないが、迷惑をかけていることも心配されていることもわかっているつもりだ。それなのに同じことを繰り返す自分の愚かさを受け止め、雪之丞は頭を掻いて深く息を吐いた。
「……なあ、ちょっと聞いて欲しいことがあんだけど」
決まりが悪そうに切り出すと、夏希はいつもと違う雪之丞の様子を察したのか、真剣な表情で深く頷いた。
「なに? どうしたの?」
「……正直、大吾やミサに言われたことが堪えてんだ。だってよ、俺は大吾を助けたことを後悔したことなんか一度もなかった。それなのに、二人は勝手に罪悪感を背負って俺の前からいなくなっちまった。だからいつか二人と再会したとき、あいつらに罪の意識を感じさせないためにも、俺は絶対に左手がねえことを愚痴ったり被害者ぶったりしねえって決めていた。俺が陰口を叩かれてもあいつらが気にしねえように、片手しかねえ俺を馬鹿にする奴らは拳で黙らせてきた。なのに……」
言葉に詰まった。大吾が辛そうな顔で土下座した光景が思い出される。紗綾が顔を歪ませて涙した表情が思い出される。雪之丞は拳を強く握り締めた。
「……俺のやってきたことは、無意味だったと思った。でも、千原と喧嘩して……俺は自分が間違っていなかったと希望が持てた。……だから……俺の生き方は正しかったんだって、お前に肯定してほしいんだ」
我儘な願望を口にすると、我慢してきた感情が込み上げてきて、油断すると目から何かが零れてしまいそうだった。誤魔化そうと上を向いた雪之丞の頭を、夏希は優しく抱え込んだ。
夏希の行動に雪之丞は驚き、抵抗しようとした。恥ずかしい、やめろ、照れくさい、子ども扱いすんな。そんな言葉が次々と頭の中に浮かんで、喉元まで出かかった。
しかしそれはあくまでも理性の話であって、夏希の温かさと柔らかさを肌で感じてしまったら、何も言えるはずがなかった。この優しさにもう少しだけ甘えたいという本能が勝ったのだ。
「……ジョーは口も悪いし、すぐ喧嘩もするけど……本当は誰より優しいんだもんね。人の気持ちがわかる優しいあんただからこそ……辛いときもあるよね」
夏希はそう言って、雪之丞を抱く腕の力をより強めた。
「安心して。あんたのやってきたことは絶対に無意味なんかじゃないって、わたしが全身全霊で断言してあげる。わたしを含めて、片手でも明るく振舞ってきたあんたに勇気づけられてきたヤツはたくさんいるんだから」
こんなに慈愛に満ちた夏希の声色を、雪之丞は聞いたことがなかった。
優しくも力強い夏希の肯定は、傷ついていた雪之丞を癒し、勇気と自信を与えてくれた。触れ合った肌から、夏希の温かい気持ちが伝わってくる。下心なしに、雪之丞はこの温もりを心から心地いいと思った。
こうなったらもう素直に認めざるを得ない。夏希といると安心する。
雪之丞は目を瞑り、初めて生まれた感情を否定せずに受け止めた。
大吾と紗綾が離れていっても、ずっと側にいて明るい笑顔を見せてくれた夏希。
今まで悪友としてしか見てこなかった彼女を、初めて意識した瞬間だった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる